1959年1月1日、当時のフルヘンシオ・バチスタ大統領が海外へ逃亡しキューバ革命軍の勝利が決まった日。この日から現在までキューバの革命は続いているという認識があるので、キューバでは西暦とともに革命勝利の年から数えて〇〇年という呼び方がある。つまり今年はAño 63 de la Revolución 革命63年。
だがそんなキューバにもクリスマスに盛り上がる街がある。中部ビジャクララ州北部にあるSan Juan de Los Remediosサン・フアン・デ・ロス・レメディオスだ。レメディオスは1515年創立の歴史ある都市、コロニアルな街並みが残る穏やかで美しい街。ここで12月24日の聖夜の晩に行われるのがParranda de Remediosパランダ・デ・レメディオス、レメディオ祭。2018年にはユネスコ無形文化遺産に指定され、今年で200年を迎えた伝統的なこのお祭りを目的に、クリスマスには世界中から観光客が集まって近郊も含めて宿は満室となり大変な賑わいを見せる。
先生たちに感謝しましょう、という日だ。国民の教育はキューバ革命の重要な柱、1959年に革命軍が勝利してすぐに着手した政策のひとつがCampaña de Alfabetización=識字運動。革命前は貧困層の子供たちは学校へ行くことができず、特に地方の農業従事者などの多くは読み書きができなかった。革命後、政府は国民教育のためにまずは識字率の上昇が必要とし、キューバ全土で大々的な運動を展開した。小中学校を増設し全ての子供たちが学校教育を受ける体制を整えたのはもちろん、大人たちのため教師を地方の農村や山間部の集落にまで派遣し、読み書きを集中的に教えた。これによって2年ほどでキューバの識字率は96%にまでアップした。そしてフィデル・カストロがキャンペーンの成功を宣言したのが1961年12月22日。このことから12月22日が「教育者の日」となり、毎年教育従事者の労をねぎらうようになったのだ。
今年もハバナの誕生日11月16日が近づいて、ハバナ旧市街を歩いていたら500年記念事業で始まったホテルの建築現場や修復中の建物の囲いに付けられた看板が501年バージョンのものに付け替えられているのに気がついた。今年は7月末に偉大なHistoriador de la Habanaハバナ史家であるEusebio Lealエウセビオ・レアル氏が亡くなって、彼の功績へ敬意を表してということだろう、写真と市民の思いを伝えるような言葉が添えられていた
このエウセビオ・レアル氏、ハバナ旧市街出身で若くして政府公認の歴史家とでも言ったらいいのだろうかHistoriador de la Habanaハバナの史家となって、ハバナだけでなくキューバ中の歴史を知り尽くし、歴史だけでなくあらゆることにその豊富な知識で言及できる生き字引といえる方だった。職場も旧市街の中に持ち、建物の修復現場に出向いて指示を出し、旧市街を歩いて市民と親しく語り合う姿もよく見られたといい、その人柄もとても素晴らしかったと察する。その語り口や文章にも彼の性格といかにハバナをキューバを愛しているかが伝わってきて、個人的にすごいファンだった。使われる言葉が簡潔で聞き取りやすい話し方、スペイン語が完璧に分からなくてもテレビなどで話すのを見てもじーっと聞き入ってしまうほど。いつか彼の講義や講演を生で聞きたい、と思っていたのに叶わなかった。残念・・・
ハバナを訪れたら必ず立ち寄るPlaza de la Revolución革命広場。この広場に2つの肖像がある。ひとつはあの有名なチェ・ゲバラの肖像。黒の輪郭線だけでキリッとしたチェの表情を見事に表現していてアート作品としても素晴らしいし、その前で写真を撮れば「キューバへ行ってきました!」記念の1枚になること間違いない。
今、革命広場で隣り合っているチェとは、革命軍のシエラマエストラの戦いの同士として、同じコマンダンテ最高司令官まで上り詰めたゲリラ戦士として、互いに尊敬し合い非常に仲が良かったという。二人の性格は対照的で、気難しく物事を理論的に考えて行動するチェに対して、カミーロはとても陽気でおおらかな性格、ゲリラ戦では常に前衛部隊に属した。そこからきている彼を表すフレーズのひとつが、El Señor de la Vanguardia 前衛のセニョール。最前線をいけいけドンドンで突っ走るタイプだったわけだ。他にもEl Héroe de Yaguajayヤグアハイの英雄。これはカミーロが革命戦争最終段階で、中部ヤグアハイの戦いを最高司令官として率いて勝利したことが、チェの率いたサンタクララの戦いと並んで政府軍打倒に大きく貢献したことに由来する。それからEl Héroe del Sombrero Alónアローン帽のヒーロー。チェは星印のベレー帽を愛用していたが、カミーロはいつも大きな丸い鍔のアローン帽と呼ばれる帽子をかぶっていた。そう、革命広場のカミーロ像の頭にあるのは彼のシンボルでもある帽子を表しているのだ。確かに写真で見る彼はいつもアローン帽を被りクシャクシャの笑顔で笑っている。
アルゼンチン人であるチェ、裕福な家庭に育ったカストロ兄弟と比較するとスペインからの移民を両親にもちハバナの決して裕福とは言えない環境で育ったカミーロはより近く感じられたのだろう、El Comandante del Pueblo国民の最高司令官とも言われ、とにかくキューバ国民からの人気はとても高い。
この要塞側から見るハバナが最高に好きだ。何度行っても大きく手を広げて、抱きしめたくなる。¡Ay, mi Habana! (ああ、私のハバナよ!)って。
Castillo de los Tres Reyes del Morro モロ要塞 入場:10:00-17:00 Fortaleza de San Carlos de La Cabaña カバーニャ要塞 入場:10:00-17:00, 18:00-21:00(大砲の儀式) 旧市街からは目と鼻の先だが、車を使って海底トンネルを通っていくか、ハバナ湾の両岸をつなぐLanchoncitoランチョンシート=小さな渡し船に乗っていかねばならない。クラシックカーでハバナ湾対岸、カサブランカ地区にある見所を回ることも可能。
Tren Jamaiquinoトレン・ハマイキーノ:「ジャマイカ列車」と名付けられたこの施設は、サトウキビジュースを大鍋で煮詰めて砂糖を結晶化するためのもの。フランスで発明されジャマイカ経由でキューバへ持ち込まれたことからその名がある。砂糖が鍋の底で焦げないように直接各釜に火を当てるのではなく、一番端の大鍋に沸かした湯からの蒸気を流してゆっくり加熱して結晶化させるよう工夫がなされている。その蒸気の流れる様子が蒸気機関車の煙のようで各釜を連なる客車に見立てて「列車」と呼ばれるようになったとか。当初は覆い屋根もあって熱がこもるとてつもない暑さの中での作業だったはずだが、大事な砂糖を焦がさぬよう火加減の調整を任されたのは、奴隷の中でも農園主に信頼されたものだったという。釜の据えられた丸いくぼみの形、基部のアーチ構造など曲線に組んだレンガ作りも美しく、その構造も非常によく分かって保存状態もいい、この遺跡の目玉となる遺構だ。ちなみに燃料にはサトウキビを絞りカスが使われていたそう。