チェ・ゲバラの命日に

10月9日はチェ・ゲバラの命日、1967年に亡くなって53年。

キューバでは英雄たちの誕生日や亡くなった日はとても大事にされるのだが、チェの場合は誕生日の6月14日よりもこの命日の方がチェ関連の報道や記事を目にするような気がする。当たり前だけどチェはアルゼンチン人であるから生まれたのはキューバではないし、生まれた時にはキューバと何ら関係のない環境にあった。一方で亡くなったのは革命後キューバを去った後に、新たな革命を起こそうとして戦っていた最中に捕らえられたボリビアの山の中。終焉の地もやはりキューバではないのだけれど、すでにキューバ革命を率いた一人として世界中に名が知れた人物として最後を遂げたのだから、キューバにしてみれば亡くなった日にフォーカスがいくのが当たり前か。また当時のアメリカ寄りだったボリビア・バリエントス政権に捕らえられて処刑される形だったことも、「チェが帝国主義に屈して殺された」と革命の延長上で早すぎた死に与えられる意味があり過ぎるから、かも。

Photo:Liborio Noval, Granma新聞より

亡くなった時チェはすでにキューバ国籍を与えられてキューバ人となっていたし家族も皆キューバに暮らしていたが、すぐに遺体はキューバへ戻ってくることができなかった。没後30年の1997年にボリビアで発掘され同志たちと共に遺骨がキューバへ送還されサンタクララの霊廟へ葬られたのだが、このことは日本でも報道された。当時チェ・ゲバラがどんな人物かほとんど知らなかったのだが、写真もない数行の新聞記事がなぜだか目に留まりチェの遺体がボリビアで発掘されDNA判定で本人のものであると確定されたこと、が記されていたことを異常によく記憶している。

Photo:Osvaldo Salas, Granma新聞より

チェ・ゲバラについてはイヤというほど書物も研究も情報があってその一部を読んだことがあるし、世界中で彼を慕って愛する人がいる人気者であり英雄であるのは分かっているし、「チェ・ゲバラが好きだから」という理由でキューバを訪れる人がたくさんいることも承知している。でも個人的にチェについてどう思うか、どう評価するかを問われたら返答に困る。集めた情報からできるチェのイメージのどこからどこまでが現実なのか、どの部分が虚像なのかうまく整理ができない。面識もなく、同じ時代を生きた人ではない自分にとってすでに歴史上の人物なんてそんなものだろうけど、なんというかあまりに掴みどころがないというか・・・だから、ましてや

「キューバ人にとってチェ・ゲバラはどんな存在なのか?」

という質問にはとてもじゃないけれど、答えられない。もちろん悪気があるわけじゃないのだけど、非情にもこの手の質問を投げかけてくる人がよくいて困ってしまう。そんな時はお土産のTシャツだけじゃない今のキューバ社会に見られるチェの面影、お金の肖像だったり、小学生の教科書に掲載されたチェのエピソードだったり、中学生の制服のエンブレムに使われている「Che」のサインだったり、チェの命日に行われるサンタクララの行事についてだったり、について話して答えになっていないと分かっていながら濁す。

2017年没後50年の式典前日にサンタクララの革命広場へ行った。小雨の降る中、本番リハーサル中の様子

そんなチェについて実在した生身の人間だったことを最も感じさせるのがボリビアで書かれた日記。ボリビアでのゲリラ戦に苦戦し、仲間との確執や自身の喘息の悪化に苦しみ、そうした状況にあって日記の中で弱音を吐いたり、愚痴を言ったりする「カッコ良くないチェ」がすごく人間らしくて愛おしく感じてしまう。


キューバで出版された『ボリビア・ゲバラ日記』初版 Photo by EcuRed

日本語にももちろん翻訳されているので、是非!

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