仰天、フィデル・カストロセンター

先日かねてから見学したいと思っていたCentro de Fidel Castro Luz フィデル・カストロセンターを訪れる機会があった。

コロナの影響もあって開館を先延ばしにしていたものが、昨年11月25日フィデルの没後5年の日に公開となった。公開といっても現在のところ誰もが気軽に訪問できる施設というわけではなく、一定の手続きとコネクションなしではまだ見学が難しい。

スペイン語でCuadraとかManzanaという区画1ブロック丸ごとの広大な敷地は、もともと19世紀の裕福層が有したものでメインの施設はその一角にある豪華なコロニアル建物を使っている。その建物はフィデルの生涯とその業績、キューバ革命についてあらゆる角度から展示する資料館と充実した書物を備えた素晴らしい環境の図書館からなっており、ほかにも敷地内にはギャラリー、子供達がゲームをしながらキューバ革命や歴史について学ぶことのできる施設、屋外ミニシアターまで備え、庭はキューバの植生を再現したミニ植物園といった様相だ。

建物外観、立派なコロニアル建物を利用しているがエレベーターも備えたバリアフリー施設
庭の池には、これでもかというほどの金魚が・・・

外からチラ見しても中のゴージャスさは想像できたが、実際に観覧するとすごいを通り越し、すべてが古びていてハイテクとは程遠いアナログ生活が染み付いたキューバの日常とはかけ離れた空間がそこに広がっていた。

「おおっーーー!」

「すごーい!!」

と声をあげながらの広い敷地と膨大な資料の見学には、ほぼ3時間を要した。そんな仰天のフィデル・カストロセンター、見応えは十分すぎるほどで語りきれないのだけれど、何はともあれ写真で少しだけご紹介。

玄関正面、鉄格子の門まで立派
コロニアルな内装そのままの部屋にはフィデルが生前受章したメダルや勲章がずらり
廊下を歩くとセンサーが反応して、フィデルとマルティの言葉が交互に壁に写しだされる
フィデルの生い立ちから一生をパネルで解説、ガイドがタッチパネルを操りながら説明を進めていく
等身大のフィデル
スポーツマンで野球好きは有名
複数の画面を使って、フィデルの生前行った演説をリアルに再現してくれる。壁のフィデル肖像に刻まれた文字は、それらの演説で繰り返し使われた言葉たち
各国で出版されたフィデル関連の本
世界地図を模したパネルにはめ込まれた筒は、フィデルが訪れた国と地域を表す。その筒をテーブル横の穴に差し込むとそれぞれの国でフィデルが行なった活動や思い出の写真が写しだされる。ガイドは気を利かせて日本の筒を見せてくれた
キューバ革命に関連する展示も充実、展示室の中心にはグランマ号の模型

フィデルは遺言で、死後も自らの像を作ったり、その名を施設や道の名前に使ったりといったことを決してしないよう残した。それは法律化され今後も守られていくだろうが、その法を一部改正してまでして作ったフィデル・カストロセンター。唯一無二、フィデルの全てがここにある。

ハバナ502歳のアニバーサリー、今年は・・・

11月16日はハバナの502回目の誕生日だった。

1519年11月16日、旧市街アルマス広場にあるテンプレーテ横にあったセイバの木の下でハバナで初めてのカトリックのミサが開催され、ミサに出席した当時その付近に暮らしていた先住民の酋長の名前Habaguanex(ハバグアネクス)からHabanaハバナの名がつけられたという。今見られるセイバの木は何回か代替わりしたものだけれど、ハバナ誕生ゆかりの地、ということで毎年この日にはセイバの木の周りを3回周ってお願い事をするのが習慣となっている。なんだかんだで、毎年このハバナの誕生日にはセイバの木を周りはしないものの、この場所を訪れる機会があった。

ということを去年も書いて、今年はどうなっているやらと思いを馳せたりしていたようだが、コロナ禍での2度目のハバナ創立記念日、感染状況もだいぶ改善して15日にはキューバの国境再開、海外からの観光客受け入れ開始とこれから始まる「新しい日常」に大いに期待できそうな嬉しい中での誕生日が期待された。

photo:Abel Padrón Padilla/Cubadebate

2年前の500年記念アニバーサリーのような大きな式典はないだろうけれど、せっかくなので今年もテンプレーテのセイバの木を見に行こうか、などと考えていたハバナ誕生日の前日、我が家の周りがやけに騒がしい。そこら中で工事が始まり、何台ものトラックがやってきて何やら荷物を降ろし、あちこちにテントが立って、スピーカーを持ち込んで特設ステージもできた。少し前から工事が始まっていた配給所のほか、団地の中心にある店や銀行の入る建物、バス停、道路の路肩などあらゆるところがペンキで塗られ、あるいは壁に何やらペイントされ(何度か雨降ったら流れるに違いない・・・)、あちこちに植物が植えられ(根付かずすぐ枯れそう・・・)、これまで一度見たことがない噴水の水が噴き出し(噴水に使う水があるなら、水道の水毎日給水して〜!)、イケイケだった団地内の運動施設周辺にフェンスが作られ(出入り口がないんですけど・・・)、ボコボコだった歩道の穴や崩れた階段にセメントを塗りたくり(雑すぎ・・・)、ついには突貫工事でETECSAエテクサ=電話局のオフィスまで作ってしまった。

一夜にしてできたエテクサの販売店

「一体何事か?!」の大騒ぎの原因は、ディアス・カネル大統領が来るというものだった。

暗くなるまで突貫工事は続き、翌朝ハバナ創立記念日当日は早朝から次々に大きなトラックが到着して、品物を並べ始めにわかにFeliaフェリア=市ができた。最近のモノ不足状態からしてこれほどまでいろんなものが並ぶのが信じられなかったし、事実これまでキューバで見たどのフェリアよりも充実した品揃えだった。

思えばこんな人の集まるフェリアも久しぶり、食料品が主だったけれどトイレットペーパーなど日用品もあった

「いやーちゃんとモノあるじゃん!」

と驚きながら見て回り「何はともあれ食べるもの」と、トラックから直接売られる野菜とパン屋直営のテントの行列へ並ぶ。時間とともに人も増えてごった返し、いつもの割り込み批判の怒涛がそこら中で聞こえたけれど、なんとか早々に食糧品ゲット。

本日の勝利品!

と、そうこうしているうちに国歌斉唱とともに始まった特設ステージで行われたハバナ創立記念日は終わっていて、果たして大統領が来たのかも定かではなかった。後で聞いたところだと、超過密スケジュールの調整がつかず結局その日はキャンセルとなったらしい。とはいえ、大統領来訪(かも)で一夜にして団地のあちこちが綺麗に整備されて、いろんなもの売ってくれたのは良かった。なんなら月一ぐらいで企画して!

というわけで、ハバナ502歳のアニバーサリーはいつもと違った「お祝い」となり、旧市街へも行けず終い、来週あたりにテンプレーテ詣ででもしようか。

大統領は前夜のうちにセイバの木を回られたそうです・・・

キューバ国旗

先日、マタンサス州のあるビルに巨大なキューバ国旗をデザインしたモニュメントができた、という記事を見た。写真を見ると10階建てほどのビルの側面全体を使ってキューバ国旗が描かれている。別の建物の側面には、キューバ革命の発端となった26 de julio(7月26日運動)の旗が同じように建物の壁いっぱいにデザインされ、二つが対になってひとつの作品となっているそうだ。作者は造形作家のJesús Alberto Mederosヘスス・アルベルト・メデロス氏で、長年の構想を実現したとのこと。それぞれの旗の下に描かれている風景は、独立戦争で国家の英雄ホセ・マルティが倒れたドス・リオスと革命戦争の舞台となったシエラマエストラ山脈で、フィデルと愛すべき全ての人たちに捧げる愛と歴史を表現しているそう。バラデロへ行く途中にあるマタンサス市の結構目立つ場所にあるらしいので、いつか近くで見る機会があるかも。

マタンサス市、Jesús Alberto Mederosの作品。Photo by Granma

で、いつも気になっていることなのだけど、キューバの国旗は「縦」使いをすることが多い。学校などの公の場所では国旗掲揚用のポールがちゃんとあって横になびいているのだけど、街でよく見かけるキューバ国旗はベランダや建物の壁に、あるいは道の両側から紐でくくって縦方向で吊るされている。日の丸を縦に掲げることはあまり見ないし、他の国の国旗も横仕様でデザインされているものがほとんどのように思うので、最初は馬鹿でかいキューバ国旗が、縦にベローンと揺れているのにちょっと違和感があった。誰もその理由を説明してくれないので、単に掲揚する竿がないから吊るしとこ、っていうだけかもしれないけれど。

革命広場、有名なチェ・ゲバラ肖像のある内務省の建物に掲げられたキューバ国旗
国会時に掲げられる国旗も縦位置。もう一つの旗はキューバ独立を導いた祖国の父と呼ばれるカルロス・マヌエル・デ・セスペデスが作った国旗、現在は国会の旗としてともに掲げられる

ところで、旗の意味や由来についてはたまに聞かれるので答えられるようにしている。

キューバ国旗はLa Bandera de la Estrella Solitaria(ひとつ星の旗)の名で知られ、第一次キューバ独立戦争の始まった翌年1869年に憲法で国旗として定められた。デザインしたのは、独立戦争以前にキューバをスペインから独立させてアメリカに併合しようと試みたNarciso López(ナルシソ・ロペス)で、実はベネスエラ人。3本の青いラインは当時の東部、中部、西部3つの州、2本の白いラインは独立思想の強固さを象徴する。二等辺三角形は人々の平等、赤い色は自由を欲してみなぎる血、白い星は絶対的な自由と独立を示す。

デザインもさることながら青、赤、白のトリコロールはザ・キューバカラーだ。キューバ代表のスポーツ選手のユニフォームは間違いなくこの色。

ちなみにキューバの国鳥トコロロはこの3色の羽を持つカラフルな鳥

真っ青な空になびくキューバの国旗はすごく絵になっていい。コロニアルな古い建物の壁に吊るされたキューバントリコロールも、思わず写真に納めたくなる。

ビニャーレスで

そういえば我が家にちゃんとしてキューバ国旗がない。子供の手書きの絵じゃなくて、ちゃんとしたのをひとつ(1枚?)手に入れてみようか・・・

キューバの女性

キューバの女性は強い。強過ぎて怖い・・・とすら同性でありながら思う。

キューバ革命でフィデル・カストロが行なった功績として、誰からも批判されることなく高く評価されることのひとつは、女性の解放、地位向上を達成したことではないかと思う。革命以前のキューバ社会は他のラテンアメリカ圏同様マチスモ(男性主義)の傾向が強く、女性は家庭に入るものとされ教育レベルも低かった。そんななか、フィデルは革命運動中から積極的に女性を取り込み、後には制度的に女性の解放、社会進出を可能とする環境を整え、女性が男性と同じように活躍できるような社会を実現させた。

キューバ革命運動に参加した女性としてまず思い浮かぶのは、Celia Sánchezセリア・サンチェス。フィデルが絶対的な信頼を置き、ゲリラ戦に参加したほか部隊への物資支援や外部組織との交渉なども彼女が行なっていたという。写真を見ればわかるが、とにかく美人だ。軍服を着てキリッとした横顔も素敵だが、フェミニンな洋服姿はモデルか女優さんかと思うほど。

チェ・ゲバラとセリア。映画の一場面じゃないかと思うような美男美女。Photo by Cubadebate

それからラウル・カストロ夫人であるVilma Espínビルマ・エスピンは、キューバ女性連合(FMC)の議長を務めて革命後の女性の社会的地位、環境の改善に尽くした。可愛らしく穏やかな笑顔が印象的なこちらも素敵な女性だ。ところでこのキューバ女性連合、全国労働者総連合、大学生連合、革命防衛委員会と並んでキューバの四大社会団体のひとつで14歳以上の女性のほとんど、400万人以上が参加する大組織である。1960年8月23日創立で、毎年この日が近くなるキューバの女性に焦点を当てたニュースや記事が増えるのでFMCとビルマを思い出す。ちなみに私も永住権を獲得してから自動的に加入していて、微々たるものだが年会費を納める一会員。

軍服姿と不釣り合いな愛らしい笑顔のビルマ。FMCのエンブレムには彼女がデザインされている。Photo by Cubadebate

そして今、実際にキューバ社会をみると確かに多くの女性が普通に男性と肩を並べて活躍している。というか場所や組織によっては女性の方が多くのポジションを占めていることも多々ある。国会議員数は、意図的にそうしているんじゃないかと思ったりもするが、女性が半数の50%を少し上回る割合となっていて、一昨年から置かれた各州知事も知事、副知事のどちらかが必ず女性、両方女性の州もあったはずだ。会社や団体でも長のつく職に女性がついていても何の違和感もなく、女医や女性研究者、技術者はあたりまえ。大きな公共事業の現場監督が女性であることも多い。これはそれだけ彼女らが働く環境が整っているということも示す。

ただ子供のための保育所や教育施設が充実しているだけでなく、職場における女性の家庭での役割に対する理解や考え方も日本とは大きく違うように思う。というか、男女関わらず誰もが仕事よりも家庭、家族が大事なので、何か家庭の問題が起きた時には誰もが「そーかそーか、そりゃ心配だ、仕事はいいから行ってやれ」となるし、仕事中に家族から電話がかかってきても優先して話すことを問題視することはない。(実際には、役所の対応が遅れたりしてとても困るのだけど・・・)

女性が社会に出るから、男性も家庭の仕事をそつなくこなす。それでもって家庭の中でも女性は強い。離婚率の高いキューバだが、家を出て行くのは決まって男性の方だ。

コロナと経済危機で大変な物資調達、毎日の行列でも女性が圧倒的に存在感を示して、大声を張りあげる。行列を調整する側も、行列に並んで押し進む側も女性、日々繰り広げられるこの格闘を見ていると、本当にキューバの女性は強い、とゾッとしてしまうのだった。

第8回キューバ共産党大会開催

4月16日から19日、5年ぶりの第8回キューバ共産党大会が開催された。今回は党のトップ中央委員会第一書記であったラウル・カストロ(89歳)の引退と、新たに現大統領であるミゲル・ディアスカネル(61歳)の就任が決まったということもあり、日本のニュースでも取り上げられていた。日本では「60年に渡るフィデル、ラウルのカストロ兄弟による体制が終わったこと」が強調されて、はっきりとした表現はないけれど、長く続いた独裁に終止符が打たれたことを良しとする、という印象を受ける記事であったように思う。

ところでキューバは社会主義国で、もちろんその体制も日本のそれとは大きく異なる。共産党が唯一の政党で、国の中枢にいる人たちは軍関連の人も含めてみんな党員である。その共産党のトップ中央委員会第一書記が実質的に国の指導者、以前はカストロ兄弟が兼任していた国家評議会委員長(元首)・閣僚評議会委員長(首相)があったのだが、2019年からはそれぞれ大統領と総理大臣と名前を変えて別の人が就くようになっている。

キューバ共産党大会でラウル・カストロは引退を表明した。Photo : Estudios Revolución /Granma新聞より

国のトップに当たる同じような立場の職がいくつもあってややこしい・・・でも皆、同じ共産党員で目指すところは同じだから誰がなろうと対立することはない。今後はラウルが退いたことでディアスカネルが共産党中央委員会第一書記長と大統領を兼任し、引き続きマヌエル・マネロ・クルスが総理大臣、その他党の中央委員が今回の共産党大会で承認された。最近ではラウルは高齢でもうあまり表舞台には出てきていなかったし、今回の引退は後継者ディアスカネルが決まったときに宣言されていたから、「来る時がきた」というだけで何ら大きな動きも変化もない。唯一の政党が全てを承認するのだから、反対票もないし揉めることもなく実にスムーズ。この体制に対する大きな反対勢力が国内で起こることなく、革命が60年以上続いていることはある意味すごいなあ、といつも思う。

ところで「革命は続いている」という表現、キューバ革命はかつてあったものではなく、今も継続しているものである、というのが正しい。だから歴史上のひとつの事象として《1959年キューバ革命》というのは少しおかしくて、フィデルらによって起こされた革命戦争の勝利、終結が1959年1月1日であり、そこから始まったのがRevolución Cubanaキューバ革命である。そう、今でもキューバは革命真っ只中!というのがキューバ革命政権の考え方というわけだ。

キューバでは西暦とともに革命〇〇年という年号表記がある。新聞の日付欄にもAño 63 de la Revolución 革命63年

そういうわけで今回の党大会は書記長交代という注目すべき大きな名目があり、ラウルとディアスカネルの長い演説をテレビで聞き流し、全文を記載した新聞を目にして終わった。

そしてふと前回、5年前の大会を思い出す。

革命にも政治的なことにも全く興味がないけれど、キューバにいてリアルタイムでフィデルが話す姿をテレビで見て、鳥肌が立ち震えた。すでに闘病生活に入っていて、もう長いこと国民の前に姿を現すこともなかったフィデルが、共産党大会に登壇し、ジャージで演説する姿。

その瞬間、思わずテレビの画面を撮影した!

かつての力強さはないものの、相変わらずの簡潔で人の心に届く言葉がさすがだなあ、と感動し、「これが最後の共産党大会になる」と言いきったことに一外国人だけど、寂しさを覚えた。でもそれをテレビ越しとはいえ生で見ることができてよかったなあ、と。Fidelistaフィデル信仰者でも何でもないけど、歴史上の人物でもあれほどカリスマ性の高い人はこれから先もなかなか出てこないだろう、といつも思う。

NO MAS BLOQUEO! キューバへの経済封鎖反対!!

1ヶ月ほど前にヨーロッパで始まったアメリカ合衆国によるキューバへの制裁に反対する動きが、少しずつ世界各地に広がっている。SNSなどで拡散し主に週末、経済封鎖反対、制裁解除の呼びかけをする集会やデモ行進が実施されていてこれまでに少なくとも60カ国で何だかの活動が行われたという。

世界各地で行われた集会の様子 Photo by Cubadebate

昨日3月28日にはここハバナでも若者たちが中心となって、マレコン通りを手描きの看板やキューバ国旗を掲げながら車、バイク、自転車などで列をなしながら、「BLOQUEO反対」を訴えた。

ハバナのマレコンにて Photo by Cubadebate

NO MAS BLOQUEO ノー・マス・ブロケオ

もう経済封鎖はたくさん!といった感じの表現で、キューバでは日々あちこちで目にする。キューバは革命が成功したのち、60年に渡ってアメリカによる様々な制裁を受けている。最たるものが経済的な制裁なのだが、これにより直接アメリカとのやり取りだけではなくて、ありとあらゆる経済活動が制限されてしまう。アメリカ製品がキューバへ直接入ってこないのはもちろんだが、他国製品でも原材料にアメリカ製のものが使われていたり、アメリカが特許を持っているものだったりしても輸入できない、USDの送金や支払いが制限されるなどなど。ちなみに現在日本の銀行からキューバへ国際送金しようと思ってもできない。直接的なものだけでなく、例えば他国がキューバへの輸出する際もアメリカの一声でスムーズにいかないこともある。「テロ支援国家(とアメリカが指定している)キューバへ売るなら、お前のところから買ってやらないぞ」と。どう考えても弱いものいじめでしたかないことが、60年以上に渡って行われ続けていることはやはりおかしい。もうやめるべきじゃないか、という動きは当然のことながらこれまでもことあるごとに行われてきたわけだ。

アメリカ国内でもPhoto by Cubadebate

キューバに暮らすようになって、経済封鎖の影響がいかに深刻かというのを日々の生活で実感してきた。それがこの1年コロナによる物流と人の動きの鈍化によって「物不足」にも拍車がかかってきた。日本での大量消費生活にうんざりしていた私でも、さすがにちょっと「やばい」と感じ始めている。

アメリカの政権が交代した今がチャンス。世界中からの声が届き、アメリカの政権の対キューバ政策が良い方向へ向かうことを誰もが期待している。

Palacio del Segundo Cabo パラシオ・デル・セグンド・カボ博物館

ハバナ旧市街、アルマス広場で一際目を引く建物は、Palacio de los Capitanes Generalesスペイン総督官邸(現ハバナ市歴史博物館)だが、そのすぐ横にある立派なコロニアル建築も見逃せない。

Palacio del Segundo Caboパラシオ・デル・セグンド・カボ

副総督や伍長の住まいとして使われていたもので、スペイン総督官邸と同じ頃1772年に建設が開始された約250年の歴史をもつ建物。1900年代カピトリオの建築前には国会会議場として使われたり、その後はキューバ図書協会が置かれたりしたが、近年になってEUやユネスコの協力で内部を博物館としてリニューアルされ、2017年5月に開館した。

建物前に掲げられたパネル、ハバナの文化遺産救済活動の一環として修復されたことを記す

キューバの博物館は施設自体が古いこともあるが、展示替えもほとんどせず、展示方法も古典的で正直あまり面白くないところが多い。そんな中、このパラシオ・デル・セグンド・カボ博物館は最新テクノロジーを駆使したモダンで視覚に訴える「見せる展示」が充実していて、今どきの博物館施設に多い「体験型展示」も導入されているキューバでは数少ない「おもしろ博物館」だ。

展示内容はキューバの歴史、文学、芸術と多岐に渡るが、全体的にヨーロッパとの比較や関連を重視した視点となっているような気がする。この観点からして展示の目玉はトンネル状のパネルの左右にキューバ史とヨーロッパ史を並列しているもので、ここを潜り左右を見ながら行くと両者を年代的に比較しながら15世紀から1960年代まで到達する。記述はスペイン語のみだけれど、写真も多く使われているので多少のキューバ史の知識があれば理解できることも多いだろう。

歴史トンネルをくぐってキューバ史を学ぼう

このほか主にヨーロッパの装飾史がざっくりわかるようなパネルや映像の展示室や、世界の地図の歴史が実物レプリカを実際に手にしながら学べる部屋、古代の書物の展示、音楽やダンスの部屋ではイヤホンで音を聞いたり、楽器に触れたりと体験型の展示が楽しい。全体のコンセプトがイマイチ掴みにくいけれど、展示を楽しむという点ではよくできた博物館だなあ、と思う。

日本の意匠に関する展示もあり

コロニアルの建物を活かしているのも素敵で、正面の回廊、重厚な石柱、入り口奥の中庭の雰囲と前面総督邸のそれより規模は小さいけれども見応えがある。

通常の旧市街観光では、建物の存在すらスルーされてしまうかも知れないパラシオ・デル・セグンド・カボだけど、時間が許す方は是非見学を。

キューバでホセ・マルティに出会う

キューバを訪れたら、ホセ・マルティに会わない訳にはいかない。どこへ行っても国家の英雄マルティがいる。

多くの人が降り立つ首都、ハバナの空港がその名も「ホセ・マルティハバナ国際空港」。それから現地通貨に両替したら、1ペソ紙幣・硬貨の肖像はマルティ。

ハバナの街中散策では旧市街とセントロハバナの境界、カピトリオ(旧国会議事堂)にも程近いパルケセントラル(中央公園)に立ち寄る。公園の真ん中には指差すマルティ。ぐるりと囲む国樹である大王ヤシの木が、マルティの誕生日1月28日にちなんで28本あるのは意外に知らない人も多い。

革命博物館の前の広場にあるマルティ像は、彼の最後の場面を再現したもの。落馬する寸前の躍動感ある像で作品としても素晴らしい。ここからまっすぐ海の方を見ると独立戦争を共に率いた同士、マキシモ・ゴメスの像が目につく。

ハバナの新市街観光で欠かせないのは革命広場、そこで高くそびえる塔はホセ・マルティ記念館。入口前にあるマルティの巨大な像も目を引く。館内にはマルティに関する資料が豊富で彼の一生について知ることができる。

マレコン沿いを行くと、アメリカ大使館の前の広場に子供を抱きながらビシッと大使館の方を指差すマルティがいる。ちなみのこの広場の名前はTribuna Antiimperialista José Martíホセ・マルティ反帝国主義の広場、アメリカ大使館の前にそんな名前の広場を作ってしまうキューバの真っ直さ。

photo: Cubadebate

サンティアゴ・デ・クーバにはマルティが眠る。たくさんのキューバの英雄や著名人たちの墓があるサンタ・イフィヘニア墓地の中でもとびきり目立つ六角柱の霊廟。今はこのすぐ近くでフィデル・カストロも眠る。

キューバ革命軍が政府軍とゲリラ戦を繰り広げたシエラマエストラ山脈にあるキューバ最高峰、トゥルキーノ山頂(1974m)にもマルティ。これはなかなか会えない。

photo: MINREX キューバ外務省HP

マルティの像は全国どこへ行ってもあちこちにある。小学校や中学校の校庭には必ずあるし、公園や公共施設、屋内外問わず、数え切れないほどのマルティがキューバ人を見守っている。

キューバの英雄、ホセ・マルティ誕生168年

キューバでは多くの歴史上の人物や著名人の誕生日をお祝いするが、この人の誕生日は特別だ。

José Martí ホセ・マルティ(1853-1895)

Héroe nacional 国家の英雄の称号を持つホセ・マルティは、間違いなくキューバ国民の誰もが尊敬する人物だ。

マルティは、19世紀後半キューバのスペインからの独立に尽力した政治家であり、同時期のラテンアメリカ諸国へ大きな影響を与えた思想家であり、小説家であり、詩人であり・・・と、どのような人物だったかをここでざっくりと説明することができない程、多岐にわたって活躍し偉大な功績を残した。

ざっと生涯をたどると・・・1853年1月28日スペイン移民の両親の長男(妹が7人)としてハバナに生まれる。小学校を終えて美術学校在学中の1868年に第1次独立戦争が起こると、独立に賛成する立場で出版活動や独立派との交流を持ったことから1869年(16歳)に投獄されてしまう。のちにピノス島(現青年の島)に送還され、そこから1871年にスペインに渡る。スペイン滞在中には文学や法律、哲学などを研究し、この間にキューバの独立に言及する書物も出版もした。その後、文学活動を続けながらメキシコ、グアテマラを経て1878年にキューバに帰還、キューバでは10年続いた第1次独立戦争が鎮圧されたところだったが、マルティはキューバ独立を諦めることなく再び独立へ向けた活動を展開したため、亡命という形でまたしてもキューバを後にせざるを得なくなる。それからはスペイン、アメリカ、ベネズエラと転々とし1881年に多くの亡命キューバ人が滞在していたニューヨークへ移住し14年間暮らす。この間にはパラグアイ、アルゼンチン、ウルグアイの駐米領事を歴任するなどして政治活動を行ったほか、文学活動も続け彼の代表作となる多くの作品を執筆、発表した。

Edad de Oro「黄金時代」は子供向けに書かれた作品集、もともとはアメリカで出版された雑誌に掲載されたもの。キューバの子供達はみんなこの本の作品を読む。日本語版もあり

そうしながらもキューバへの想いは途絶えることなく、1892年にはキューバ革命党を設立、再びキューバへ向かう準備を開始する。1894年には革命資金を調達するためにメキシコへ赴き武器や船を確保するものの1度はフロリダからの出航に失敗、その後1895年ドミニカ共和国のサント・ドミンゴに寄港、Máximo Gómezマキシモ・ゴメスら同士と合流し同年4月についにキューバ東部へ上陸、第2次キューバ独立戦争の勃発となる。マルティも自ら戦闘に加わってオリエンテ県(現サンティアゴ・デ・クーバ州など)中心に各地でスペイン軍と激しい戦いを繰り広げる中、同年5月19日ドス・リオス付近(現グランマ州)で銃弾を浴びて落馬、キューバ独立を見ることなく生涯を閉じた・・・

と、42歳の短い生涯を実に濃く生きた人。マルティ自身または彼に関する書物や資料は膨大で多くは日本語にも翻訳出版されているけれど、それほど日本では知られていないかもしれない。でもマルティなしではキューバを語れないし、キューバを訪れたらマルティに会わない訳にはいかない。キューバはマルティの国だ。

キューバ革命を率いたフィデル・カストロもマルティを師と仰いでいた。現在の体制だけを見るとキューバを社会主義国家と簡単に括ってしまいがちだけれど、もともとフィデルは社会主義国家を目指していたわけではなくマルティの掲げる平等主義、ラテンアメリカ主義といった考えに同調して国をひとつにまとめようとしたと言われる。キューバ革命の思想=マルティの思想なのだ。

例年の1月28日、息子の学校でも子供達が揃って団地内のマルティの像まで行進

この国家の英雄、ホセ・マルティの誕生日1月28日は、祝日でこそないものの(祝日にしたらいいのに、と思う)全国で様々な行事、お祝いが行われ、数日前からメディアではマルティに関する報道が増える。毎年この日子供達は学校へ花を片手に登校し、学区の広場などにあるマルティ像まで行進をして花を掲げ、それから鼓笛隊の演奏やダンス、寸劇などの披露、といったことを全国すべての学校で行う。

ハバナでは誕生日前夜27日の晩、ハバナ大学に松明を持って集まりマルティに敬意を評してその思想にともしびを掲げながら行進する、といった前夜祭まである。これはマルティ誕生100年の1953年にハバナ大学の学生連盟の呼びかけによって始まったもので、その年の群衆の中にはフィデル・カストロもいた。そして同じ年の7月にモンカダ兵舎を襲撃してキューバ革命の戦いが始まったのだ。

例年のハバナ大学からの松明を持っての行進、大勢の人が参加するPhoto: Irene Pérez/Cubadebate

今年、マルティ誕生168年はコロナの影響でいつもの行事も縮小したり形を変えたりせざるを得なかった。「ハバナ大学の松明」も通常より早めの時間に、密を避けて限られた参加者のみで行われた。

今年の様子、一般の参加はなく学生連盟の学生らのみで行われた。ソーシャルディスタンスも十分にとって Photo: Endrys Correa Vaillant/Granma新聞

それでも、キューバ人のマルティへの想いは変わらない。ホセ・マルティは永遠にキューバの英雄だ。

ハバナクラブ ラム酒博物館リニューアルオープン

年末から年始にかけて、コロナの影響で閉まっていた博物館等が少しずつ再開し始めた。

ハバナクラブラム酒博物館も昨年3月に閉館してから約9ヶ月ぶりに今週リニューアルして再開すると知り、早速見学に行ってきた。

感染予防対策として見学者はマスクを着用し、入館前に手の消毒をして額にピッと検温を行う。スタッフたちももちろんマスク、ガイドの説明を聞きながらの館内ツアー方式で見学するのだけれど、ガイドに至ってはマスクとフェイスシェードをダブル使用、1グループは最大15名までで混雑を避けるために10分以上間隔を開けて各グループをスタートさせる、という策を取るそう。ただ今回参加したのは再オープン後2巡目、スペイン人観光客と彼のガイドと私の3名だけだった。

ハバナクラブラム酒博物館外観

ハバナクラブラム酒博物館は、ハバナ旧市街ビエハ広場やサン・フランシスコ広場の近くにあるコロニアルな建物を改装したこじんまりした博物館だ。その名の通りキューバを代表するラム酒ブランドであるハバナクラブ(国営企業)が経営し、ラム酒の原料であるサトウキビ栽培の歴史からラム酒の作り方まで実物資料や精巧な模型を見ながら学ぶことができる。展示物は少ないものの視覚に訴える資料が多いので、短い時間でラム酒について知るにはよくできているなあ、といつも思う。

まずはキューバで栽培されるサトウキビについて。サトウキビはどこからからキューバへ来た?

ラム酒の原料は砂糖生成過程でできる糖蜜、ラム酒を知るには砂糖についても知らねばならない。同時にキューバの砂糖生産の歴史についても説明。
博物館の目玉はこの模型。20世紀初頭近代の砂糖工場とその周辺にできた街の様子を見事に再現している。列車も走る精巧にできた模型をご覧あれ!
ここからはいよいよラム酒製造過程の説明、まず大きな樽で発酵作業。
ラムは蒸留酒、大きなシリンダー状の蒸留器が並ぶ。
できたお酒を寝かせなければラム酒にはならない。樽職人の作ったオーク材の樽で寝かせてじっくり熟成。
ハバナクラブには8人のラム酒調合のマエストロ=名人がいて、彼らがラムの出来栄えの鍵を握る。
ハバナクラブの商品紹介もしっかり。お値段的にちょっと手の届かないものもありますが・・・
最後は雰囲気のあるバーで、ハバナクラブ7年ものを試飲。そしてラム酒の虜に・・・

約30分のガイドツアー、毎回ガイドによって少しずつ違った説明で新たに学ぶことがあるのが嬉しい。リニューアルして展示内容の一部が変わっていたものの、大きな流れはほぼ以前と同じだった。ただ壁に書かれた説明文とイラストが綺麗にペイントしなおされていたのだが、これがなぜか英語解説のみ。主に観光客相手とは言えキューバ人も来館する公共施設、「なぜ?」とガイドに聞いたら「それ、言われるんだよねー、そのうちスペイン語も追加するよ。」と回答。

それから1月1日からの通貨統一でCUP(キューバペソ)での新しい入場料が気になっていたのだけれど、まだ料金検討中かつ目下プレオープン中ということで、今回何と無料!しかもオープン記念でお土産までもらってしまった。

お土産にはダイキリレシピブック、ピンバッチ、そしてコーヒー風味のエッセンスリキュール。ハバナクラブ7年に数滴垂らして飲むものらしい。キューバでは販売されていないらしくラッキー!!