もう一人のキューバ革命の英雄 Camilo Cienfuegosカミーロ・シエンフエゴス

ハバナを訪れたら必ず立ち寄るPlaza de la Revolución革命広場。この広場に2つの肖像がある。ひとつはあの有名なチェ・ゲバラの肖像。黒の輪郭線だけでキリッとしたチェの表情を見事に表現していてアート作品としても素晴らしいし、その前で写真を撮れば「キューバへ行ってきました!」記念の1枚になること間違いない。

で、もうひとつの肖像はだれか?

同じようなタッチの肖像だが、ヒゲモジャでちょっと虚ろな目、頭には大きな丸い帽子?で、なんだかパッとしない・・・多くの外国人観光客はここでガイドの説明を聞いて初めて彼がどういう人物か知ることと思う。

Camilo Cienfuegosカミーロ・シエンフエゴス

カミーロは、フィデルやチェらとともにキューバ革命戦争を勝利に導いた中心人物のひとりだ。チェは世界的にもその名の知れた革命の英雄であるが、カミーロは国外ではあまり知られていない。というのも、彼は革命軍が勝利した同じ年に乗っていたセスナ機が墜落するという事故によって行方不明、帰らぬ人となったため、革命後に表立って活躍する機会が少なかったから。

写真を見ればわかるが、カミーロはものすごい男前!広場の肖像はちょっと残念・・・

今、革命広場で隣り合っているチェとは、革命軍のシエラマエストラの戦いの同士として、同じコマンダンテ最高司令官まで上り詰めたゲリラ戦士として、互いに尊敬し合い非常に仲が良かったという。二人の性格は対照的で、気難しく物事を理論的に考えて行動するチェに対して、カミーロはとても陽気でおおらかな性格、ゲリラ戦では常に前衛部隊に属した。そこからきている彼を表すフレーズのひとつが、El Señor de la Vanguardia 前衛のセニョール。最前線をいけいけドンドンで突っ走るタイプだったわけだ。他にもEl Héroe de Yaguajayヤグアハイの英雄。これはカミーロが革命戦争最終段階で、中部ヤグアハイの戦いを最高司令官として率いて勝利したことが、チェの率いたサンタクララの戦いと並んで政府軍打倒に大きく貢献したことに由来する。それからEl Héroe del Sombrero Alónアローン帽のヒーロー。チェは星印のベレー帽を愛用していたが、カミーロはいつも大きな丸い鍔のアローン帽と呼ばれる帽子をかぶっていた。そう、革命広場のカミーロ像の頭にあるのは彼のシンボルでもある帽子を表しているのだ。確かに写真で見る彼はいつもアローン帽を被りクシャクシャの笑顔で笑っている。

ヒゲとアローン帽がトレードマークだったカミーロ。photo by Granma

アルゼンチン人であるチェ、裕福な家庭に育ったカストロ兄弟と比較するとスペインからの移民を両親にもちハバナの決して裕福とは言えない環境で育ったカミーロはより近く感じられたのだろう、El Comandante del Pueblo国民の最高司令官とも言われ、とにかくキューバ国民からの人気はとても高い。

フィデルともとても硬い信頼関係で結ばれていた。カミーロはメキシコで間もなくキューバへ向け出発するというフィデルたちに出会い、一番最後にグランマ号に乗るメンバーに選ばれた。ゲリラ戦に備えた訓練もまともに受けないまま革命軍のメンバーとなり、キューバに乗り込んで戦いを重ねるごとにその才能を発揮しフィデルの信頼を得て最終的には最高司令官にまで昇格し、いつもフィデルの隣にいる存在となった。

チェ、フィデル、カミーロ。photo by Granma

革命広場の肖像の下にある言葉Vas bien, Fidel「フィデル、お前はよくやってるよ。」は、彼らの信頼関係を示す言葉だ。時にフィデルが、カミーロに向かってVoy bien, Camilo?「カミーロ、自分はちゃんとやってるだろうか?」と尋ねた時の返事だ。フィデルほどの人物が自分の行動について確認するほどの相手、それがカミーロだったのだ。このことについてはチェも、「Voy bienというフィデルの言葉は彼の完全なる信頼に値する人物に対して向けられた。他の誰でもない、彼の中に絶対的な信頼を感じていた。」と語っている。

そのカミーロが27歳の若さでこの世を去ったのが、ちょうど61年前の10月28日だ。

今年はコロナの影響でハバナではまだ学校も始まっておらず、学校などでまとまって献花しに行くことはなかった。photo by Granma

この日、キューバ国民は花を持って海に向かう。海がない地方に住む人達は川へ向かう。そして一人一人が花を海に、川に向かって投げてカミーロを想う。セスナ機ごと海に落ちて見つかることのなかった彼の亡骸に花を捧げるのだ。これを毎年欠かさず続けるキューバ人。革命がどうとか、思想がどうとか関係なくいいな、と想う。

我が家のある団地はその名も「カミーロ・シエンフエゴス」。団地内のカミーロの像、命日の夕方、数本の花が置かれていた。

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