Habana 501 Aniversario: ハバナ創立501年

11月16日はハバナの創立記念日だった。ハバナの街が創られたのは1519年、去年がちょうど500年の記念の年だったので、何かにつけて500年を冠にしてお祝いしたり記念事業が行われたりして、街中に500の数字が目立った。今でもまだあちこちにその500が残っていたりする。

今年もハバナの誕生日11月16日が近づいて、ハバナ旧市街を歩いていたら500年記念事業で始まったホテルの建築現場や修復中の建物の囲いに付けられた看板が501年バージョンのものに付け替えられているのに気がついた。今年は7月末に偉大なHistoriador de la Habanaハバナ史家であるEusebio Lealエウセビオ・レアル氏が亡くなって、彼の功績へ敬意を表してということだろう、写真と市民の思いを伝えるような言葉が添えられていた

旧市街、ハバナ501年アニバーサリーの看板

このエウセビオ・レアル氏、ハバナ旧市街出身で若くして政府公認の歴史家とでも言ったらいいのだろうかHistoriador de la Habanaハバナの史家となって、ハバナだけでなくキューバ中の歴史を知り尽くし、歴史だけでなくあらゆることにその豊富な知識で言及できる生き字引といえる方だった。職場も旧市街の中に持ち、建物の修復現場に出向いて指示を出し、旧市街を歩いて市民と親しく語り合う姿もよく見られたといい、その人柄もとても素晴らしかったと察する。その語り口や文章にも彼の性格といかにハバナをキューバを愛しているかが伝わってきて、個人的にすごいファンだった。使われる言葉が簡潔で聞き取りやすい話し方、スペイン語が完璧に分からなくてもテレビなどで話すのを見てもじーっと聞き入ってしまうほど。いつか彼の講義や講演を生で聞きたい、と思っていたのに叶わなかった。残念・・・

Eusebio Lealエウセビオ・レアル氏 photo:Cubadebate, by Néstor Martí
昨年ハバナ創立500年に合わせて完全修復されたカピトリオ、この修復にもEusebio氏は多大な貢献をした。

そのエウセビオ・レアル氏が愛して止まなかったハバナの創立記念日、なんだかんだでここ数年この日は旧市街を訪れている。旧市街で行われるイベントで有名なのはアルマス広場のEl Templete テンプレーテの建物の横にあるセイバの木を回る習慣だ。

実はこのセイバの木が重要な意味をもつ。ハバナがつくられた時、スペインからやってきた征服者達が初めてカトリックのミサを行ったのがこのセイバの木の下だった。当時はまだこの辺りに原住民の人たち(コロンブス上陸後、半世紀ほどで原住民は絶滅)が暮らしていて、その部族の酋長Habaguanexハバグアネクスもこのミサに参加した。そしてHabanaハバナの名は、その酋長の名前からが付けられた・・・だからこの場所がハバナ創立と深く関わっているというわけだ。なお、テンプレーテの建物は1828年に建てられたもので、この中には先のセイバの木の下で行われたミサの様子が描かれた絵画(フランス人画家Jean Baptiste Vermay作)が奉納されており、開館時には中に入ってこの絵を見ることができる。

エウセビオ・レアル氏によると17世紀ごろから、ハバナの創立記念日にこのセイバの木を回る習慣が始まり現在まで残っているとのこと。毎年市民は11月16日にセイバの木に触れながら、3回周ってお願い事をして左肩越しに小銭を木に向かって投げる。当日は夜中の0時から24時間解放されて日中は長い行列ができるというのが毎年恒例だ。

いつもは遠巻きに見ることしかできなかったのが、今年はすぐ近くまで行って、皆が実際にセイバの木に触ってグルグル周っている様子を見ることができた。

だが今年はコロナの影響もあって午前中に行列はほとんどなし、テンプレーテの敷地を囲む柵の前にほんの十数人が並んでいただけだった。オビスポ通りの商店には食料や日用品を求める人が密になって長い行列を作っているというのに、なんだか少し寂しいハバナの501歳誕生日。来年502歳はもっとたくさんの人がこの日を想い出してくれるような世の中になっていますように。

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