今年もおうちでメーデー 2021

5月1日はメーデー。キューバで一番大事な祝日のひとつであり、労働者の祭典として国を挙げてお祝いする日。でも4月の上旬には昨年に引き続き、今年も恒例の革命広場での集会を中止することが告知された。

ふと1年前を思い出す。

コロナによって生活が一転し、それまで経験したことのない移動や行動制限を余儀なくされるようになってまもなくで、ストレスというほどではないけれど慣れない不自由にまだ戸惑っているような時期だったと思う。そんな中で#Mi casa es mi plaza#「私の家が私の革命広場」というスローガンを掲げ、自宅でメーデーのお祝いが奨励された。それ以前にメーデーの集会に参加するため、革命広場へ行ったことはないけれど、これからも多分行くことはないけれど、毎年恒例のイベントがないのは寂しいなあ、「来年のメーデーは通常通り開催されますように」とブログの記事にも書いて、心の中では「来年までこんな状態が続くわけない」と半ば確信していた。

去年のメーデーで使われたイラスト

それなのに、今年も去年と同様にメーデーのイベントはなし。

革命広場の群衆が見られないのが残念なわけではなくて、もう1年以上にわたって例年の、恒例の、通常の行事がことごとく中止されているのに、それにも慣れてしまってきていることが怖い。

「あーやっぱりね、そりゃやらないよね」

と。こういった行事の中止やバーチャル開催についてのニュースもサラッと聞き流してしまう。

それでもやっぱりメーデーはキューバにとって特別な祝日なので、ここ数日のニュースや新聞では関連記事が多く取り上げられている。

今年のスローガンは#Unidos: hacemos CUBA#「集結、キューバをなす」

この1年、経済封鎖にコロナ禍が加わり、そのなかで通貨統一と経済改革と困難な時だからこそ国民が集結して国をつくっていこう、ということなのだろう。

いつものことながら、言ってることは正しい、素晴らしい、キューバらしい。そこはコロナでも変わらないキューバ、さすが!

第8回キューバ共産党大会開催

4月16日から19日、5年ぶりの第8回キューバ共産党大会が開催された。今回は党のトップ中央委員会第一書記であったラウル・カストロ(89歳)の引退と、新たに現大統領であるミゲル・ディアスカネル(61歳)の就任が決まったということもあり、日本のニュースでも取り上げられていた。日本では「60年に渡るフィデル、ラウルのカストロ兄弟による体制が終わったこと」が強調されて、はっきりとした表現はないけれど、長く続いた独裁に終止符が打たれたことを良しとする、という印象を受ける記事であったように思う。

ところでキューバは社会主義国で、もちろんその体制も日本のそれとは大きく異なる。共産党が唯一の政党で、国の中枢にいる人たちは軍関連の人も含めてみんな党員である。その共産党のトップ中央委員会第一書記が実質的に国の指導者、以前はカストロ兄弟が兼任していた国家評議会委員長(元首)・閣僚評議会委員長(首相)があったのだが、2019年からはそれぞれ大統領と総理大臣と名前を変えて別の人が就くようになっている。

キューバ共産党大会でラウル・カストロは引退を表明した。Photo : Estudios Revolución /Granma新聞より

国のトップに当たる同じような立場の職がいくつもあってややこしい・・・でも皆、同じ共産党員で目指すところは同じだから誰がなろうと対立することはない。今後はラウルが退いたことでディアスカネルが共産党中央委員会第一書記長と大統領を兼任し、引き続きマヌエル・マネロ・クルスが総理大臣、その他党の中央委員が今回の共産党大会で承認された。最近ではラウルは高齢でもうあまり表舞台には出てきていなかったし、今回の引退は後継者ディアスカネルが決まったときに宣言されていたから、「来る時がきた」というだけで何ら大きな動きも変化もない。唯一の政党が全てを承認するのだから、反対票もないし揉めることもなく実にスムーズ。この体制に対する大きな反対勢力が国内で起こることなく、革命が60年以上続いていることはある意味すごいなあ、といつも思う。

ところで「革命は続いている」という表現、キューバ革命はかつてあったものではなく、今も継続しているものである、というのが正しい。だから歴史上のひとつの事象として《1959年キューバ革命》というのは少しおかしくて、フィデルらによって起こされた革命戦争の勝利、終結が1959年1月1日であり、そこから始まったのがRevolución Cubanaキューバ革命である。そう、今でもキューバは革命真っ只中!というのがキューバ革命政権の考え方というわけだ。

キューバでは西暦とともに革命〇〇年という年号表記がある。新聞の日付欄にもAño 63 de la Revolución 革命63年

そういうわけで今回の党大会は書記長交代という注目すべき大きな名目があり、ラウルとディアスカネルの長い演説をテレビで聞き流し、全文を記載した新聞を目にして終わった。

そしてふと前回、5年前の大会を思い出す。

革命にも政治的なことにも全く興味がないけれど、キューバにいてリアルタイムでフィデルが話す姿をテレビで見て、鳥肌が立ち震えた。すでに闘病生活に入っていて、もう長いこと国民の前に姿を現すこともなかったフィデルが、共産党大会に登壇し、ジャージで演説する姿。

その瞬間、思わずテレビの画面を撮影した!

かつての力強さはないものの、相変わらずの簡潔で人の心に届く言葉がさすがだなあ、と感動し、「これが最後の共産党大会になる」と言いきったことに一外国人だけど、寂しさを覚えた。でもそれをテレビ越しとはいえ生で見ることができてよかったなあ、と。Fidelistaフィデル信仰者でも何でもないけど、歴史上の人物でもあれほどカリスマ性の高い人はこれから先もなかなか出てこないだろう、といつも思う。

キューバのコロナ近況 2021.4.15

キューバのコロナ感染は今年になってから3度目の大きな波がきて、一向に減少の気配がない。4月になって8日連続新規感染者が1000人以上(キューバの人口は日本のほぼ10分の1)を記録、ハバナはその半数あるいはそれ以上を占め、多い日には600人を超える。

こうした状況を鑑みて1週間ほど前にキューバの大統領がハバナに対して、「何だかの新たな措置、当初とっていたような厳しい対応をしなければならない」というような内容のツイートをした。そのため、皆はすぐにでも新たな感染拡大予防対策が発表されるのではないか、また公共交通機関が止まり、外出禁止時間が延長されるのではないかと様々な憶測が飛び交う中、緊張して朝晩のニュースに注目していたのだが、2日たっても、3日たっても1週間たっても何の発表もされない。何だかちょっと拍子抜けの感で、あの大統領のツイートについてももうみんな忘れかけている・・・・

ハバナは相変わらず、といってももちろんコロナ前の状態ではないけれど、夜間を除いて人は自由に動いているし、店の前にはいつもの行列。

セントロハバナの遊歩道、サンラファエル通りはいつもの賑わい

ただここ数ヶ月子供達が外で遊ぶ姿は見られない。子供の感染が拡大し、先日は初の未成年者の死亡者が出るという悲しいニュースもあったことから子供達は皆、家からほとんど出ない生活を強いられている。ハバナの学校はこの1年で11月に遅れて始まった新年度から2ヶ月だけ開校、あとはずーっとお休み。1日30分1教科ずつのテレビ教室だけでは何の勉強にもならない。勉強はもちろんだけれど、1年間学校活動なしの異常な体験を虐げられている子供達が本当に気の毒でならない。心の方が「病む」よなあ、と心配するのだけれど我が子を見ている限りはそうでもないか・・・

大学は1年全く開講せずにここまできた。オンライン授業ではないけれど、インターネットを使って学生と教授のやりとりで「課題」をこなすシステムができて、3月になってやっと開始されたそうだ。

失われた1年。

これが1年で終わりそうもないから、辛い。

希望はやはりワクチン。キューバは国産ワクチン候補が5種あって、そのうち2種はすでに治験段階とはいえ接種が始まっている。

感染状況が厳しいハバナと東部の3州で開始されており、これまでのところ大きな問題なく順調、ハバナでは5月中に住民半数の100万人接種予定だとか。我が家も先日家族みんなの個人情報、アレルギーの有無などを記載したメモを提出した。いつ順番が回ってくるかはわからないけれど、日本より早くワクチン体験できるかも。

NO MAS BLOQUEO! キューバへの経済封鎖反対!!

1ヶ月ほど前にヨーロッパで始まったアメリカ合衆国によるキューバへの制裁に反対する動きが、少しずつ世界各地に広がっている。SNSなどで拡散し主に週末、経済封鎖反対、制裁解除の呼びかけをする集会やデモ行進が実施されていてこれまでに少なくとも60カ国で何だかの活動が行われたという。

世界各地で行われた集会の様子 Photo by Cubadebate

昨日3月28日にはここハバナでも若者たちが中心となって、マレコン通りを手描きの看板やキューバ国旗を掲げながら車、バイク、自転車などで列をなしながら、「BLOQUEO反対」を訴えた。

ハバナのマレコンにて Photo by Cubadebate

NO MAS BLOQUEO ノー・マス・ブロケオ

もう経済封鎖はたくさん!といった感じの表現で、キューバでは日々あちこちで目にする。キューバは革命が成功したのち、60年に渡ってアメリカによる様々な制裁を受けている。最たるものが経済的な制裁なのだが、これにより直接アメリカとのやり取りだけではなくて、ありとあらゆる経済活動が制限されてしまう。アメリカ製品がキューバへ直接入ってこないのはもちろんだが、他国製品でも原材料にアメリカ製のものが使われていたり、アメリカが特許を持っているものだったりしても輸入できない、USDの送金や支払いが制限されるなどなど。ちなみに現在日本の銀行からキューバへ国際送金しようと思ってもできない。直接的なものだけでなく、例えば他国がキューバへの輸出する際もアメリカの一声でスムーズにいかないこともある。「テロ支援国家(とアメリカが指定している)キューバへ売るなら、お前のところから買ってやらないぞ」と。どう考えても弱いものいじめでしたかないことが、60年以上に渡って行われ続けていることはやはりおかしい。もうやめるべきじゃないか、という動きは当然のことながらこれまでもことあるごとに行われてきたわけだ。

アメリカ国内でもPhoto by Cubadebate

キューバに暮らすようになって、経済封鎖の影響がいかに深刻かというのを日々の生活で実感してきた。それがこの1年コロナによる物流と人の動きの鈍化によって「物不足」にも拍車がかかってきた。日本での大量消費生活にうんざりしていた私でも、さすがにちょっと「やばい」と感じ始めている。

アメリカの政権が交代した今がチャンス。世界中からの声が届き、アメリカの政権の対キューバ政策が良い方向へ向かうことを誰もが期待している。

キューバでオンラインツアー

ハバナからオンラインでツアーを開催できないだろうか、と少し前から準備を始めた。

コロナの影響でリアルな旅行の再開がいつになることやら、いまだに目処がつかない状態でできること、今時流行りのオンライン配信、ライブ映像を提供するサービスがキューバからもできるんじゃないか、と。

それまでネットへのアクセスが極端に制限されていた6年ほど前に一般市民が公園などの公共Wifiを使って自由にネットへアクセスできるようになり、2年前からデータ通信を利用して電波のあるところならどこにいてもスマホを使ってネットが繋がるようになった。このインターネット環境の整備に関して言えば、キューバにしてはものすごい頑張っていて飛躍的な向上だと思う。スピードや安定性、料金、家庭へのネット回線の普及など、まだまだ問題があるもののやっと少し世界に近づいてきた感がある。

だったらキューバからもオンラインツアーの配信ができるんじゃないか。

と始めてみると、オンライン会議などの配信ツールとして超メジャーになったZoomがキューバ国内で使うのが難しい(全く使えないわけではないが、環境が制限される)ことがわかり、他に使えるもの探さなければならなかった。でも幸いコロナの影響で需要も増えたからか色々なサービスが登場していて、この問題は解決。

そして実際にネットを接続してハバナ旧市街から映像を発信するテスト。

旧市街は観光の中心でもあり、これまでもいつも一番にネット環境の整備が進められてきた地域だ。データ通信もほとんどの場所で4Gがカバーしていて、接続状況はすこぶるいい。我が家よりよっぽどよく繋がることがわかった。

次にスマホを使って撮影の際、手ブレの問題があった。歩きながらの手持ちではどうしても画面がグラグラ、長時間見るには耐えない。今時のビデオ撮影には欠かせない(らしい)ジンバル=カメラ固定装置が使えたら、ということで早速探してみた。

キューバでは店に行ったところで必要なものは手に入らない。Buscar=探すところから始める。だからキューバでは「買い物する」という動詞の代わりに「探す」使うのだ、とえらい日本の教授が言ったとか・・・が、探しても見つからないことも多々ある。最近は見つからないことの方が多い。というか、まずない。コロナの影響で、個人が海外で買ってきてネット上などで販売するものの量が極端に減ってしまった。今回のジンバルなんて需要もそれほどないだろうし難しいだろうな、と予想はしていたけどやはり無理そう。そこで結局、日本で購入して送ることにした。送料は本体のン倍とお高くついてしまったが、効果は抜群!これで安定した街歩きVTRが配信できる。

と、あとは配信する私たちの力量次第。ガイドとしては、いつものお客様を相手のやりとりがなく一方的に話すことに最初は慣れなくて、なんだか人を相手に話すほどテンションも上がらなくて、我ながらイケてないなーと思っていたけれど、これはテストを数こなして克服。

それよりカメラマン、進行役、操作役のスタッフは慣れない役目に加えて、初めての装置を使いこなすための準備が思った以上に大変だった。多くの時間を割いて、また日本から参加のスタッフは時差の関係で深夜までオンラインで練習したり、話し合ったり。

そうしてチームで作り上げたものが、いよいよ配信できることになった。

「キューバ滞在歴十数年の日本人ガイドTomokoとキューバ人ガイドDanielと歩くハバナ旧市街ライブ」

https://habana.peatix.com/

日本は夜少々遅い時間になってしまうけれど、週末の夜更かし在宅イベントにどうぞ!

キューバのコロナ近況

2021年2月16日23時59分現在の感染状況:新規感染者824名(ハバナ472名)、現状陽性者5108名、累計感染者40765名、累計回復者35342名、累計死亡者数277名

2月も後半となったが、キューバのコロナウィルス感染状況は一向に改善されない。1月以降、毎日の新規感染者数はぐんぐん増えて全国で1000人を超える日も2度ほどあって、もう700、800という数字にも慣れてしまった。それにしても一定の措置をとっているのになかなか減らないのが気になる。

photo by Granma

全国の感染者数の半数がハバナということもあり、市民は外出禁止や公共交通の運休などもっと厳しい措置をとるべきという声もあるようだけど、今のところは今の予防策を厳守して、特に各自がやるべきことをきちんとやることでなんとか感染拡大を食い止められるはず、と思っている人も多いんじゃないか。その証拠に最近はいつもの「行列」の間隔もしっかり広めにとられ、バスの人員制限も少し前に比べて守られているように思う。子供の感染が拡大したこともあって、街中でも近所の公園でも子供の姿は全く見えないし、我が家にやってくる息子の友達もいなくなった。子供の親に罰金が課されるとの「脅し」も効いているのだろうけど。

国境の水際対策としては、2月6日から空港閉鎖こそないものの全ての入国者に対して指定施設での隔離措置が取られ、入国後5日目のPCR検査が陰性になるまで基本的に外出できないことになった。それ以前に取られていた措置は継続されるので、キューバへ入国する際には入国前72時間以内に実施されたPCR検査の陰性証明書の提示、空港でのPCR検査、5日目のPCR検査と1週間ほどの間に3回も検査を受けなければならない。キューバ出国時にも他国へ入国時に陰性証明が必要な場合が多いので、また検査。そうまでして観光でやってくる人っているんだろうか。観光再開への道はまだ遠い・・・

ところで世界的にもワクチンが唯一のコロナ収束の手段として注目され、すでに多くの国で接種が開始されているようだが、キューバでも国産ワクチンの治験が進んでいる。WHOにコロナワクチン候補として認証されている開発中のワクチンが4種あり、すでに最終治験段階に入っているものもある。当初の予定では2月中に接種開始とのことだったが、少し遅れる見通しだ。それでも国内で一般への接種が始まれば、速やかに全ての国民に無料で接種されるだろう。

キューバ産ワクチン候補4種:ソベラーナ01、ソベラーナ02、マンビサ、アブダラ 
photo by Granma, ilustration:Instituro Finlay de Vacunas

ワクチンに関しては、効果や接種時の副反応を懸念する声も聞かれるがキューバではどうか?キューバは独特の医療制度をとり医療レベルが高いことで知られるけれど、何より国民が自国の医療に絶大な信頼を置いていることがこの国の医療の大きな支えになっているんじゃないかと思う。キューバでは、子供からお年寄りまでお医者さんの言うことは「絶対」なのだ。ワクチンについても打たれて当然なので、接種拒否をする人もいないだろうし、早いところ全国民に接種してもらって国内での感染を完全収束することをみんなが待ち望んでいるに違いない。もちろん「自前」のワクチンで。

さあて、いつ頃このキューバ産ワクチン体験できる?!

Palacio del Segundo Cabo パラシオ・デル・セグンド・カボ博物館

ハバナ旧市街、アルマス広場で一際目を引く建物は、Palacio de los Capitanes Generalesスペイン総督官邸(現ハバナ市歴史博物館)だが、そのすぐ横にある立派なコロニアル建築も見逃せない。

Palacio del Segundo Caboパラシオ・デル・セグンド・カボ

副総督や伍長の住まいとして使われていたもので、スペイン総督官邸と同じ頃1772年に建設が開始された約250年の歴史をもつ建物。1900年代カピトリオの建築前には国会会議場として使われたり、その後はキューバ図書協会が置かれたりしたが、近年になってEUやユネスコの協力で内部を博物館としてリニューアルされ、2017年5月に開館した。

建物前に掲げられたパネル、ハバナの文化遺産救済活動の一環として修復されたことを記す

キューバの博物館は施設自体が古いこともあるが、展示替えもほとんどせず、展示方法も古典的で正直あまり面白くないところが多い。そんな中、このパラシオ・デル・セグンド・カボ博物館は最新テクノロジーを駆使したモダンで視覚に訴える「見せる展示」が充実していて、今どきの博物館施設に多い「体験型展示」も導入されているキューバでは数少ない「おもしろ博物館」だ。

展示内容はキューバの歴史、文学、芸術と多岐に渡るが、全体的にヨーロッパとの比較や関連を重視した視点となっているような気がする。この観点からして展示の目玉はトンネル状のパネルの左右にキューバ史とヨーロッパ史を並列しているもので、ここを潜り左右を見ながら行くと両者を年代的に比較しながら15世紀から1960年代まで到達する。記述はスペイン語のみだけれど、写真も多く使われているので多少のキューバ史の知識があれば理解できることも多いだろう。

歴史トンネルをくぐってキューバ史を学ぼう

このほか主にヨーロッパの装飾史がざっくりわかるようなパネルや映像の展示室や、世界の地図の歴史が実物レプリカを実際に手にしながら学べる部屋、古代の書物の展示、音楽やダンスの部屋ではイヤホンで音を聞いたり、楽器に触れたりと体験型の展示が楽しい。全体のコンセプトがイマイチ掴みにくいけれど、展示を楽しむという点ではよくできた博物館だなあ、と思う。

日本の意匠に関する展示もあり

コロニアルの建物を活かしているのも素敵で、正面の回廊、重厚な石柱、入り口奥の中庭の雰囲と前面総督邸のそれより規模は小さいけれども見応えがある。

通常の旧市街観光では、建物の存在すらスルーされてしまうかも知れないパラシオ・デル・セグンド・カボだけど、時間が許す方は是非見学を。

キューバでホセ・マルティに出会う

キューバを訪れたら、ホセ・マルティに会わない訳にはいかない。どこへ行っても国家の英雄マルティがいる。

多くの人が降り立つ首都、ハバナの空港がその名も「ホセ・マルティハバナ国際空港」。それから現地通貨に両替したら、1ペソ紙幣・硬貨の肖像はマルティ。

ハバナの街中散策では旧市街とセントロハバナの境界、カピトリオ(旧国会議事堂)にも程近いパルケセントラル(中央公園)に立ち寄る。公園の真ん中には指差すマルティ。ぐるりと囲む国樹である大王ヤシの木が、マルティの誕生日1月28日にちなんで28本あるのは意外に知らない人も多い。

革命博物館の前の広場にあるマルティ像は、彼の最後の場面を再現したもの。落馬する寸前の躍動感ある像で作品としても素晴らしい。ここからまっすぐ海の方を見ると独立戦争を共に率いた同士、マキシモ・ゴメスの像が目につく。

ハバナの新市街観光で欠かせないのは革命広場、そこで高くそびえる塔はホセ・マルティ記念館。入口前にあるマルティの巨大な像も目を引く。館内にはマルティに関する資料が豊富で彼の一生について知ることができる。

マレコン沿いを行くと、アメリカ大使館の前の広場に子供を抱きながらビシッと大使館の方を指差すマルティがいる。ちなみのこの広場の名前はTribuna Antiimperialista José Martíホセ・マルティ反帝国主義の広場、アメリカ大使館の前にそんな名前の広場を作ってしまうキューバの真っ直さ。

photo: Cubadebate

サンティアゴ・デ・クーバにはマルティが眠る。たくさんのキューバの英雄や著名人たちの墓があるサンタ・イフィヘニア墓地の中でもとびきり目立つ六角柱の霊廟。今はこのすぐ近くでフィデル・カストロも眠る。

キューバ革命軍が政府軍とゲリラ戦を繰り広げたシエラマエストラ山脈にあるキューバ最高峰、トゥルキーノ山頂(1974m)にもマルティ。これはなかなか会えない。

photo: MINREX キューバ外務省HP

マルティの像は全国どこへ行ってもあちこちにある。小学校や中学校の校庭には必ずあるし、公園や公共施設、屋内外問わず、数え切れないほどのマルティがキューバ人を見守っている。

キューバの英雄、ホセ・マルティ誕生168年

キューバでは多くの歴史上の人物や著名人の誕生日をお祝いするが、この人の誕生日は特別だ。

José Martí ホセ・マルティ(1853-1895)

Héroe nacional 国家の英雄の称号を持つホセ・マルティは、間違いなくキューバ国民の誰もが尊敬する人物だ。

マルティは、19世紀後半キューバのスペインからの独立に尽力した政治家であり、同時期のラテンアメリカ諸国へ大きな影響を与えた思想家であり、小説家であり、詩人であり・・・と、どのような人物だったかをここでざっくりと説明することができない程、多岐にわたって活躍し偉大な功績を残した。

ざっと生涯をたどると・・・1853年1月28日スペイン移民の両親の長男(妹が7人)としてハバナに生まれる。小学校を終えて美術学校在学中の1868年に第1次独立戦争が起こると、独立に賛成する立場で出版活動や独立派との交流を持ったことから1869年(16歳)に投獄されてしまう。のちにピノス島(現青年の島)に送還され、そこから1871年にスペインに渡る。スペイン滞在中には文学や法律、哲学などを研究し、この間にキューバの独立に言及する書物も出版もした。その後、文学活動を続けながらメキシコ、グアテマラを経て1878年にキューバに帰還、キューバでは10年続いた第1次独立戦争が鎮圧されたところだったが、マルティはキューバ独立を諦めることなく再び独立へ向けた活動を展開したため、亡命という形でまたしてもキューバを後にせざるを得なくなる。それからはスペイン、アメリカ、ベネズエラと転々とし1881年に多くの亡命キューバ人が滞在していたニューヨークへ移住し14年間暮らす。この間にはパラグアイ、アルゼンチン、ウルグアイの駐米領事を歴任するなどして政治活動を行ったほか、文学活動も続け彼の代表作となる多くの作品を執筆、発表した。

Edad de Oro「黄金時代」は子供向けに書かれた作品集、もともとはアメリカで出版された雑誌に掲載されたもの。キューバの子供達はみんなこの本の作品を読む。日本語版もあり

そうしながらもキューバへの想いは途絶えることなく、1892年にはキューバ革命党を設立、再びキューバへ向かう準備を開始する。1894年には革命資金を調達するためにメキシコへ赴き武器や船を確保するものの1度はフロリダからの出航に失敗、その後1895年ドミニカ共和国のサント・ドミンゴに寄港、Máximo Gómezマキシモ・ゴメスら同士と合流し同年4月についにキューバ東部へ上陸、第2次キューバ独立戦争の勃発となる。マルティも自ら戦闘に加わってオリエンテ県(現サンティアゴ・デ・クーバ州など)中心に各地でスペイン軍と激しい戦いを繰り広げる中、同年5月19日ドス・リオス付近(現グランマ州)で銃弾を浴びて落馬、キューバ独立を見ることなく生涯を閉じた・・・

と、42歳の短い生涯を実に濃く生きた人。マルティ自身または彼に関する書物や資料は膨大で多くは日本語にも翻訳出版されているけれど、それほど日本では知られていないかもしれない。でもマルティなしではキューバを語れないし、キューバを訪れたらマルティに会わない訳にはいかない。キューバはマルティの国だ。

キューバ革命を率いたフィデル・カストロもマルティを師と仰いでいた。現在の体制だけを見るとキューバを社会主義国家と簡単に括ってしまいがちだけれど、もともとフィデルは社会主義国家を目指していたわけではなくマルティの掲げる平等主義、ラテンアメリカ主義といった考えに同調して国をひとつにまとめようとしたと言われる。キューバ革命の思想=マルティの思想なのだ。

例年の1月28日、息子の学校でも子供達が揃って団地内のマルティの像まで行進

この国家の英雄、ホセ・マルティの誕生日1月28日は、祝日でこそないものの(祝日にしたらいいのに、と思う)全国で様々な行事、お祝いが行われ、数日前からメディアではマルティに関する報道が増える。毎年この日子供達は学校へ花を片手に登校し、学区の広場などにあるマルティ像まで行進をして花を掲げ、それから鼓笛隊の演奏やダンス、寸劇などの披露、といったことを全国すべての学校で行う。

ハバナでは誕生日前夜27日の晩、ハバナ大学に松明を持って集まりマルティに敬意を評してその思想にともしびを掲げながら行進する、といった前夜祭まである。これはマルティ誕生100年の1953年にハバナ大学の学生連盟の呼びかけによって始まったもので、その年の群衆の中にはフィデル・カストロもいた。そして同じ年の7月にモンカダ兵舎を襲撃してキューバ革命の戦いが始まったのだ。

例年のハバナ大学からの松明を持っての行進、大勢の人が参加するPhoto: Irene Pérez/Cubadebate

今年、マルティ誕生168年はコロナの影響でいつもの行事も縮小したり形を変えたりせざるを得なかった。「ハバナ大学の松明」も通常より早めの時間に、密を避けて限られた参加者のみで行われた。

今年の様子、一般の参加はなく学生連盟の学生らのみで行われた。ソーシャルディスタンスも十分にとって Photo: Endrys Correa Vaillant/Granma新聞

それでも、キューバ人のマルティへの想いは変わらない。ホセ・マルティは永遠にキューバの英雄だ。

キューバのコロナウィルス感染予防対策:感染流行期に後退、規制の再強化

先日1月10日にハバナが感染回復期フェーズ3からフェーズ1となって、わずか3日後にハバナを含む8つの州が感染流行期にまで後退してしまった。

毎日の新規感染者数は日々増えて一気に500の大台に乗って、重症者数も急増した。年明けから国際線を制限し、PCR陰性証明提出を義務化したこともあり海外からの入国者自身の感染数は減ってきたが、感染して帰国した人たちの接触者から接触者へと次々に広がっている模様。政府は数日前に出した感染予防のための規制に加えて、学校機関の休校を発表した。

あーーーーーーっ、きてしまった!恐れていた学校の閉鎖。

ハバナではやっと11月に学校が再開して、12月に新年度が始まって年末年始の休暇が明けたところなのに、それもわずか1週間余りで再びの休み。我が家の息子もあまりに長い休みの後の学校生活は思っていた以上に楽しかったらしく、張り切って登校していたのに・・・学校で集団感染の例はないので、予防策をしっかりして休校せずに継続するって言ってたのに・・・

いつもながら素早すぎる政策の変更にがっくりしてしまった。

photo by Cubadebate

公共交通もまた運休となるのではないかとビクビクしていたのだけれど、夜間の停止だけにとどまるようでホッとした。ひとまずハバナ市内を動くことはできる。

WHOによるコロナウィルスのパンデミック宣言がされてから、まもなく1年、キューバ国内で最初の感染が確認されてから10ヶ月、制限された生活と毎日のコロナ報道に世界中の人が疲れてしまって、気が緩んでしまうのも仕方ない。キューバ人たちも罰金だからマスクはしているけど「正しく」していない、バスの定員もきっちり守らない、帰国者がいたらこっそりパーティーしてしまいたくなる気持ちもよくわかる。でもここは気を引き締めていきましょう、というのも最もだ。

それでもいつまで、という出口が見えないのがやはり辛いし、気も緩む。

今度の学校の休校もいつまでなんだか・・・考えるとため息しか出ない。