何だそれ、Fumigación フミガシオン?!

今日は朝からご近所が騒がしい。

「ずおおおおおぉぉぉぉぉ」

低いバズーカ音が響き渡る。

「きたーフミガシオン!」

「ふみがしおーん?何だそれ?!」

外を見るといつも以上に人々が路上に出て、何をするわけでもなくウロウロ。そして付近の家からはモクモクと白い煙が流れ出ている。

「火事!?」

ではない、これこそフミガシオンの正体である。

Fumigación(フミガシオン)=燻蒸消毒

漢字で書くとなんともイカツイのですが、ようするに煙状の殺虫剤をばらまいて害虫駆除することです。

フミガシオンバズーカ砲!

亜熱帯気候で年中暑いキューバでは1年中蚊がいますが、夏場はやはりその数も増え蚊を介する伝染病が発生することがあります。中でもデング熱は時期や地域を限らず各地で発生し、一時的に流行することもあり注意が必要です。

それらの伝染病予防のために、キューバではこのフミガシオンを年中行なっています。夏が終わろうとしている今もハバナ市内で一時的な流行の兆しがあり、最近はそこかしこでバズーカ音も高らかに燻蒸消毒が行われているのを目にします。これは保険省の職員と共にバズーカ隊が各家庭を1軒ずつ廻り部屋の隅々まで入り込んで煙を撒き散らしていくもので、伝染病拡散を防ぐためにほぼ強制的に行わなければなりません。

彼が立ち去った後には、家中に煙が充満する。

事前に「この地区はこの曜日の何時ぐらい」と予告されることもありますが、緊急時には何の知らせもなくやってくるので、家にいる人たちは急遽一時的に避難しなければなりません。食品は冷蔵庫や棚にしまい、食器には布巾をかぶせ、洗濯物もクローゼットに突っ込んでとっとと出ていかないと、容赦なくバズーカ発射!となり、身ぐるみ燻蒸されてしまいます。

家の隅々まで「ハイ、ここもお願いねー!」

フミガシオンの後は、30分ほど家の中へ戻ることができないので路上でウロウロする人が目につくというわけです。その煙の量は相当なもので、しばらくの間は窓の隙間から、パティオの吹き抜けからモクモクと煙があがり、殺虫剤の匂いがたちこめて決して気持ちの良いものではありません。

これは一般家庭だけでなく、店でも博物館などの公共施設でも容赦なくやってくるので、客もろともいきなり追い出されてしまうこともあります。その後には入り口の扉に「fumigaron(フミガシオンしました)」とペロッと張り紙が貼られ、そのまま従業員は終日帰ってこないなんてことも多々あり。

このフミガシオン、バズーカ砲だけではありません。時には街中を軽トラックが後方からバウゥゥゥゥゥーと噴煙をあげながら走り抜けることもあれば、小型飛行機がプルプルプルッと低空飛行しながら上空からもやってくることもあり、となかなかの大作戦です。

見よ、この威力を!トリニダにて

ところでフミガシオン、政府は「絶大なる効果」を強調するものの実際にここに暮らしているとそれがあまり実感されません。確かに実施後はたくさんのその他諸々の虫達が成仏していて掃除が大変なほどですが、蚊はどこからともなくフワフワとやって来ては攻撃してくるんですけど・・・

何れにしても、観光客の皆さんは初めてこの光景を目にしたら驚くと思いますが、火のないところから出ている煙なのでご安心を!そして万が一のため、しっかり自身で蚊に刺されないよう予防対策を万全にすることをお勧めします。

再び島へ・・・Isla de La Juventud (イスラ・デ・ラ・フベントゥ)

2018年夏、再びIsla de La Juventud「青年の島」へ行く機会があった。

早朝暗いうちにハバナを発ち、夜明けと共に島へ到着。前回ほどのワクワク感はないものの学校の教室ほどしかない小さな到着ロビーから外へ出た瞬間、ぐっと気持ちが高揚する。島へ来た。

10分ほど走るとすぐにNueva Gerona(ヌエバ・ヘロナ)の街の中へ。自動車よりも自転車が目立つ島の道路、

「田舎なのに人が目立つな。日本の過疎地じゃ道に人なんていないのに」

確かに。なぜならキューバ人はCalle(道)へ出る。Calleでおしゃべりし、Calleで仕事をする。田舎だけど、島だけど、ここもキューバだ。

 

島の観光の目玉はやはりPresidio Modelo(プレシディオ刑務所)。今回もここが最大の目的、それぞれの想いを胸に場内を見学する。廃墟となった刑務所、その建物の中に立つと当時の監守の悪行、拷問、刑務所内の厳しい規律、受刑者同士の争いといった話を聞かなくともクソ暑いのに背筋が少し寒くなるのを感じる。

フィデル・カストロも一時ここに収容されていた。第2次大戦中には日本人移民たちも・・・

早々にメインイベントを終えてしまったが、今回個人的に楽しみにしていたことがある。島に住む日系人、日系人関係者の方々との面会だ。

 

今年2018年は、日本人がキューバへ移民として渡って120年の記念の年であるため、数々の行事が島でもハバナでも行われている。私たちが訪れた前日にも「お盆」のイベントと市博物館で開催される特別展示のオープニングがあった。これらの行事に関わりお忙しい中、日系2世と結婚したキューバ人女性Nさんと島の日系人会会長を務める2世の男性Mさんにお会いすることができた。

 

Nさんは私たちを自宅に招待し、昼食まで振舞ってくださった。初対面とは思えない歓迎ぶり、キューバ式のおもてなしに日本人はちょっと戸惑ってしまうが、彼女自身も繰り返し言っていたように「日本人と楽しい時間を共有するのが何よりも嬉しい!」のだから、ここは遠慮なく長居する。それにしてもNさんの日本愛は半端ないのだが、その想いは彼女の住まいを見てもわかる。日本の団地を思わせるアパートの居間は、そこだけ切り取ればどう見ても懐かしき昭和の家庭の趣。

Nさん宅の居間。どう見ても日本のお宅。

そのNさんが見せてくれたお手製の日本地図には、これまで彼女の家を訪れた日本人訪問者各自の居住地に名前と住所、その他の情報が書き込まれていた。すでに2枚目の地図にも書くスペースがないほどで、移民120年を区切りに3枚目を作ろうかと検討中だとか。それにしても、この島にこれだけの日本人が来ているとは驚き。

今回残念ながら日系2世の旦那様は、娘さんへ会うため渡米中でお留守だった。しかしNさんはご自身で本も出しているほど島の日系人について誰よりも詳しく知っており、食事をいただきながら旦那様との出会いから、日系人の方々の生活ぶりまで色々な話をうかがった。ここはキューバ人、おしゃべりは止まらずあっという間に数時間が過ぎていた。

 

Nさんの案内で博物館へいき、開催中の日系移民120年に関する展示を見学した後、私はもう一人日系2世のMさんに会った。公園のベンチに腰掛け、2時間近く話を聞いた。

「私の日本語は下手ですから」とスペイン語だったが、言葉遣いも話し方も普通のキューバ人よりずっと穏やかで聞きやすかったのは、私が外国人だからそのように話してくれたのか、島の話し方なのかわからないがとにかくよく理解できた。彼の生い立ち、両親の思い出、息子の話、キューバ日系人社会のこれから・・・一通り話したあと、

「私ばかり話していますから、何か質問は?」

と聞かれ単刀直入に尋ねた。

「あなたはキューバ人ですか?日本人ですか?」

おそらく何度も聞かれている質問だろう。フッと笑いながら答えてくださった。

「キューバで生まれて育ったからキューバ人です。でもSangre(血)は日本人。」

特にお母様に日本人としての教育されたことが大きかったとおっしゃっていた。そのお母様は日本へ帰りたいと最後まで言い続け、叶うことなく逝ってしまったという。そのお母様の想いを胸に2014年に初めて日本へ行くことが叶ったそうだ。スマホに保存してあるその時の写真を見せながら、本当に嬉しそうに日本で過ごした時間について語ってくれた。

いつも思うのだが、外国人の語る日本は本当に素晴らしい国だ。

今回Mさんの語る日本はお母様から、他の日系人たちから受け継いだ気持ちがあまりに大きくてそれはそれは素敵な国に思えた。

話をするときMさんは決して「キューバの日系人は・・・」という言い方をしない。「キューバ人は」「キューバは」と言う。やはりこの方はキューバ人なんだと思った。そして最近のキューバ人がよく口にする

「この国ときたら」

と言いながら投げやりに現状を愚痴ることをしない。ご本人もおっしゃっていたように、何に対しても前向きな考え方を口にする方だ。ラテン人の楽観性ともちょっと違う、いい方向へ変わっていく努力をしよう、という姿勢が素敵だった。日本人的なひたむきな努力であるかもしれないし、キューバ人的な革命精神かもしれない。どちらにしても、さらりとそういったことを言えるのがカッコよかった。

 

もうすぐ陽が沈む頃、宿を目指しながら自転車をおすMさんと一緒に歩いた。のんびりゆっくり島時間。24時間の短い滞在の長く濃い1日が終わろうとしていた。

料理教室in Cuba キューバの家庭でキューバ料理を習う

キューバを旅行するにあたって、以前は「食事は期待できない」と言われてきました。
実際、私が10数年前初めて滞在した時には、そもそもどこで食事をしていいのかわからない=レストランが見当たらない、食材を買うにも店がない、で、ずーっとお腹を空かせていた記憶があります。
現在も店舗がわかりにくいのは確かですが、それでも観光客の多いエリアではたくさんのパラダル(個人経営レストラン)ができ、客引きも賑やか、美味しい食事を提供してくれます。プリプリのロブスターに新鮮なお魚、おおーなんとタコにイカまで。「さすが島国だけある!」と感心するかもしれませんが、はて一般のキューバの家庭でこれらのものを食べているのか?と思ったら大間違い。

キューバ人にしてみれば、主菜は「肉」でなければならないもの、そう、キューバ人はCarnívoro(肉食)!中でも「豚」、豚肉料理こそがキューバ人にとってのご馳走、家庭の味なのです。このほか、原住民の時代から食べられているという豆類、芋類を多く使った料理が一般的なキューバ料理です。
レストランでもこうしたキューバの家庭料理を試すことができますが、せっかくなら本当にキューバ人の一般家庭で楽しんでみるのもいいでしょう。

まずは街の市場で食材探し、綺麗に洗ってパッキングされてはいませんが旬の野菜が並ぶMercado(市場)は見ているだけでも楽しいもの。お店の人と言葉を交わし、その場で重さを測って「はいお勘定!」地元感満載です。


材料調達が済んだら、一般のお宅の台所へ。

本日のメニューは、
Congrí(コングリ)黒豆の炊き込みご飯
Bistec de Cerdo(ビステキ デ セルド)ポークステーキ
Yuca con mojo(ユカ コン モホ)ユカ芋のニンニクソース
Ensalada de pepino y aguacate(エンサラダ デ ペピーノ イ アグアカテ)きゅうりとアボガドのサラダ
全て定番中の定番、ザ・キューバ料理です。

料理の先生は主婦歴ン年のキューバ人女性、言葉は通じなくても大ぶりのアクションで、手際よく調理をしながら教えてくれます。(実際の教室では通訳がつきレシピのプレゼントもあるので、料理方法の詳細をしっかり学ぶことができます。)


調理器具ももちろん普段彼女が使っているもの。ちょっと切れない包丁、年季の入った鍋、キューバの家庭がぐっと近く感じられるはずです。
途中キューバ料理についてだけでなく、子供やご近所さんのこと、生活事情諸々を話しながらレッスンは進みます。そして料理はいよいよ完成、お楽しみの試食タイム!


キューバの家庭でキューバ料理を習い、そして食べる。食事を一緒にするのはお互いが近づく第一歩でもあり、近づいた証拠でもあります。キューバをもっと知りたい、キューバ人との距離を縮めたい方、
¡Vamos a cocinar juntos ¡ (一緒に料理しましょう!)

オンリーワントラベルではキューバ人家庭で行うキューバ料理教室を提供しています。お気軽にお問い合わせください。

ハバナのシンボル、カピトリオ Capitolio, un símbolo de La Habana

Capitolio de la Habana
un símbolo de La Habana

ハバナ旧市街の中央広場(Parque Central)近く、ひときわ目立つドームを備えた白い建物、これがハバナのシンボルともいえるカピトリオです。旧国会議事堂として20世紀の初頭、キューバがアメリカ合衆国の傀儡政権下にあった時に建設されました。このカピトリオ、ハバナ創立500年にあたる来年2019年に向けて2010年から大規模な修復作業をしており、ここ数年は常に建物のどこかに足場が組まれたり、周囲を柵で囲まれたりした状態で、その全貌を見ることができません。現在もまだドーム部分や後方部が覆われているものの建物内部の修復はほぼ終わり、最近一般に公開されるようになりました。

カピトリオ・ツアー

見学ではグループごとにガイドがつき、スペイン語または英語で丁寧な説明がされます。

正面玄関、入り口内部にあるキューバ共和国を象徴するブロンズ像は、室内にある像では世界で3番目に大きなものですが、実際に高いドーム天井の下、堂々と立つその姿を見ると圧倒されます。

ドーム中央部がキューバのゼロ地点(ハバナから地方への距離を出す起点)となっていて、オリジナルではないものの今でも床に大粒のダイアモンドがはめ込まれキラキラと輝いているのを見ることができます。

また建物全体にたくさんの大理石が使われているのですが、その種類は50以上におよび、カラフルな床の色の違いも異なる種類の大理石によるものだというから驚きです。

議会場は建物の両翼に2つあるのですが、向かって右側のひとつが見学でき、その他にも大統領の部屋などいくつかのサロンがあり、一部は展示施設として利用されています。それにしてもその豪華な造りは宮殿を思わせ、アメリカ権力下とはいえ当時のキューバの豊かさがうかがわれます。

ところでこのカピトリオ、アメリカの議会議事堂を模したものですが、そっくりそのまま真似たわけではありません。例えば正面大階段はアメリカのものは左右2カ所なのに対し、キューバの方は正面に1カ所だけだったり、スペインコロニアル建築様式を取り入れ中庭があったり、とキューバの独自性を感じさせる部分があります。建物全体の大きさも当時のキューバの繁栄を示すがごとく、アメリカのものより高く、幅広く作られたとか。しかしキューバ革命政権となってからは、アメリカ寄りの政権下の「産物」であるカピトリオを国会議事堂として使い続けることを良しとせず、別の用途で使われることになったのです。

建物の中を見学した後、久しぶりにカピトリオ正面の大階段の上に立ち、目の前にあるハバナの街を見ました。10数年前に同じ場所から見たプラド通りを走るクラシックカーとその背後の旧市街の街、建物のたたずまいは今もかわりません。おそらくはカピトリオができた当時もそれほど変わらない同じ景色がそこから見えたはずです。ではこの先10年後は果たして・・・?と少し昔のハバナに思いを馳せながら、キューバの行く末を考えたのでした。

現在ハバナは市政500年を前にホテルの建設ラッシュ、個人経営の店や飲食店も急増しています。少しずつですが街の様子は変わっていくでしょう。ありがちなフレーズではありますが、やはり「キューバを見に行くなら、今!」なのかもしれません。