キューバのコロナによる規制緩和:ハバナ、第1フェーズへ後退

昨年11月15日にハバナ空港が再開して以降、キューバ全国でのコロナウィルス感染拡大が止まらない。12月の累計感染者数はこれまでで群を抜いて多く、年が明けて1月になってから1日の新規感染者数が3桁となる日も珍しくなくなってしまった。そしてここ数日は毎日のように記録更新であっという間に400超え。やはりハバナの感染者数が多いが、地方でも感染者が急増している地域があり全国的に拡大傾向。

photo by : Granma新聞

原因は明らか。海外から帰国したキューバ人が持ち込んだウィルスにより家族や知人友人たちへと感染が広がったもので、ここ15日間の新規感染者の75%ほどが海外からの帰国者およびその濃厚接触者となっている。帰国者も含めてキューバ入国時と入国後5日目にPCR検査を実施し陰性でない限り外出はできないとしているものの、たとえ本人が自宅から出なくても帰国者を大々的に歓迎してフィエスタ=パーティーをしたり、お宅訪問したりするキューバの習慣は変わらない。コロナの影響で長いこと帰国を制限されていた人達も多いだろうから、再会を喜んでハグもキスもするだろうし、自宅でだったらいいんじゃないかと軽く宴会してしまう気持ちも十分にわかる。

でもその結果が明らかに感染者数に出てしまった。

海外から持ち込まれるウィルスを防ぐために1月1日より国際線の減便が発表され、1月10日からは入国者全員にPCR検査陰性証明書の提出を義務とした。そしてついに最近の状況を受けてハバナは1月10日よりこれまでの回復期第3フェースから第1フェースへ後退となってしまった。

夜間のマレコン滞在も禁止に・・・

これによって、

・7:00pm-5:00amに公共の場(公園、マレコンを含む)で停滞することと禁止する。またこれらの場所での飲食サービス、飲酒の禁止。
・9:00pm-5:00amの全ての公共交通機関の運行停止。
・1月12日深夜0時以降のハバナ国境をまたぐ公共交通機関の停止。公共車両、個人車両は検問所でのチェック強化。
・レストランやカフェの営業は7:00pmまでとし、座席数の制限を厳守する。
・映画館、劇場、バー、ナイトクラブ、キャバレー、ディスコ、パーティー会場の閉鎖。
・自宅でのパーティーの制限。
・リモート勤務の推奨。
・空港への家族出迎えは運転手含めて2名のみで行う。
・公園や公共施設でのアクティビティーの停止。
・病院での診察治療は継続するが、緊急を要さない限りは50%に制限する。
・学校施設は休校とはせず、感染予防対策を強化して維持。
・市民に対する公共サービス等は継続。
・図書館、博物館、ギャラリーは開館維持。
・観光関連サービスは継続、ただしハバナ出発の日帰り旅行は除く。
・空港での健康管理シート、滞在先の記入、PCR検査の実施等は継続して実施。

といった措置が実施される。

公共交通機関の全面運行停止と学校の休校がないから、個人的にはこれまでの生活とほとんど変わりない。感染予防対策しながら、行列に並んで食料と生活物資調達、家の掃除に精を出す日々。

ハバナクラブ ラム酒博物館リニューアルオープン

年末から年始にかけて、コロナの影響で閉まっていた博物館等が少しずつ再開し始めた。

ハバナクラブラム酒博物館も昨年3月に閉館してから約9ヶ月ぶりに今週リニューアルして再開すると知り、早速見学に行ってきた。

感染予防対策として見学者はマスクを着用し、入館前に手の消毒をして額にピッと検温を行う。スタッフたちももちろんマスク、ガイドの説明を聞きながらの館内ツアー方式で見学するのだけれど、ガイドに至ってはマスクとフェイスシェードをダブル使用、1グループは最大15名までで混雑を避けるために10分以上間隔を開けて各グループをスタートさせる、という策を取るそう。ただ今回参加したのは再オープン後2巡目、スペイン人観光客と彼のガイドと私の3名だけだった。

ハバナクラブラム酒博物館外観

ハバナクラブラム酒博物館は、ハバナ旧市街ビエハ広場やサン・フランシスコ広場の近くにあるコロニアルな建物を改装したこじんまりした博物館だ。その名の通りキューバを代表するラム酒ブランドであるハバナクラブ(国営企業)が経営し、ラム酒の原料であるサトウキビ栽培の歴史からラム酒の作り方まで実物資料や精巧な模型を見ながら学ぶことができる。展示物は少ないものの視覚に訴える資料が多いので、短い時間でラム酒について知るにはよくできているなあ、といつも思う。

まずはキューバで栽培されるサトウキビについて。サトウキビはどこからからキューバへ来た?

ラム酒の原料は砂糖生成過程でできる糖蜜、ラム酒を知るには砂糖についても知らねばならない。同時にキューバの砂糖生産の歴史についても説明。
博物館の目玉はこの模型。20世紀初頭近代の砂糖工場とその周辺にできた街の様子を見事に再現している。列車も走る精巧にできた模型をご覧あれ!
ここからはいよいよラム酒製造過程の説明、まず大きな樽で発酵作業。
ラムは蒸留酒、大きなシリンダー状の蒸留器が並ぶ。
できたお酒を寝かせなければラム酒にはならない。樽職人の作ったオーク材の樽で寝かせてじっくり熟成。
ハバナクラブには8人のラム酒調合のマエストロ=名人がいて、彼らがラムの出来栄えの鍵を握る。
ハバナクラブの商品紹介もしっかり。お値段的にちょっと手の届かないものもありますが・・・
最後は雰囲気のあるバーで、ハバナクラブ7年ものを試飲。そしてラム酒の虜に・・・

約30分のガイドツアー、毎回ガイドによって少しずつ違った説明で新たに学ぶことがあるのが嬉しい。リニューアルして展示内容の一部が変わっていたものの、大きな流れはほぼ以前と同じだった。ただ壁に書かれた説明文とイラストが綺麗にペイントしなおされていたのだが、これがなぜか英語解説のみ。主に観光客相手とは言えキューバ人も来館する公共施設、「なぜ?」とガイドに聞いたら「それ、言われるんだよねー、そのうちスペイン語も追加するよ。」と回答。

それから1月1日からの通貨統一でCUP(キューバペソ)での新しい入場料が気になっていたのだけれど、まだ料金検討中かつ目下プレオープン中ということで、今回何と無料!しかもオープン記念でお土産までもらってしまった。

お土産にはダイキリレシピブック、ピンバッチ、そしてコーヒー風味のエッセンスリキュール。ハバナクラブ7年に数滴垂らして飲むものらしい。キューバでは販売されていないらしくラッキー!!

2021年、キューバは変わる

2021年が明けた。

キューバでも1月1日はもちろん新年の始まりであるのだけれど、「革命勝利の日」という大事な祝日でもある。

1959年1月1日、当時のフルヘンシオ・バチスタ大統領が海外へ逃亡しキューバ革命軍の勝利が決まった日。この日から現在までキューバの革命は続いているという認識があるので、キューバでは西暦とともに革命勝利の年から数えて〇〇年という呼び方がある。つまり今年はAño 63 de la Revolución 革命63年。

新聞の日付も西暦と革命〇〇年が併記されている。ちなみに年が明けて新聞代金も5倍になったのに注目!20セントから1ペソへ

そして2021年1月1日はキューバにとって大きな改革が始まる特別な日、人々はXデーならぬ0(ゼロ)デーと呼ぶ日がついにやってきたわけだ。これまでにも何度か触れたように、キューバに流通する二つの通貨、CUCとCUPが統合されて、今後はCUP(キューバペソ)のみが流通することになる。

CUP紙幣にはキューバの英雄たちの肖像画のアップ、人気のチェ・ゲバラ3ペソ札もお手軽に入手できるようになる?!

そして同時に大規模な経済改革が1月1日から実施される。中でも大きいのが国家公務員の給与改革で月給が5倍になるのに従って、これまでの公共料金や配給品などのCUP価格がほぼ5倍になった。そのほかの品物も社会主義体制のキューバでは多くの価格は国が決めるのだけど、個人経営の店も存在するわけでそういったところでは必要以上の値上げ、いわゆる便乗値上げがすでに横行している。その上がり方が半端ではないので驚く。

これまでもキューバの物価は決して安くはなかった。社会主義で教育と医療が無料で、配給制度があって生活が保障されているとはいっても、本当に生活していく上で必要な物資を手に入れて生活するためには、それなりの出費が必要だ。キューバを訪れた人ならわかると思うけれど、近隣の中南米諸国と比べてもホテル代金、飲食費、タクシー代金など相当高くつく。決して旅行者に対してだけでなく、現地で生活する者にとっても公共料金や生鮮食料品の一部を除く物価は日本のそれと変わらなかったり、それ以上だったりする。

バスの料金も1月1日から上がった。40セント=1.8円だったのが、ぴったり5倍の2CUP=約9円。それでも格安だけど・・・

それなのに今回の値上げ。

最近のニュースや人々の関心はコロナの感染者数の増加よりも、もっぱらこの「値上げ」情報。急に変化がありすぎて色々な噂や間違った情報も飛び交っているけれど、もう始まってしまったからには、必要な時がきたらその都度情報を入手するしかなさそうだ。 今後の混乱が「多少」で済んでくれることを祈るしかないが、それより何より私の頭の中の計算機が早いところCUPに慣れてもらわないと困る。これまで2つの通貨でお札も2種類でややこしかったのは解消されたものの、まだ料金を言われても全くピンとこなくて買い物しても「はて、こんなもんだっけ?」と戸惑っていてはいかんよなー。

今年もキューバで年越し、ゆく年2020

世界中がコロナに翻弄された、あまりに特別な1年が終わろうとしている。

キューバにとっても、コロナの影響で厳しい年だったことは間違いない。アメリカ合衆国の経済封鎖に加えて、物流の制限による輸入品量の減少、国の重要な経済基盤となっている観光業の滞り、そしてもちろん国内でのコロナ感染。世界的にも特殊な医療体制を持つキューバのコロナ対策は、それほど注目されなかったかもしれないけれどその独自の方法で当初の封じこみに成功していたように思う。8月、11月以降と感染再拡大はあったものの他国と比較すると人口比あたりの感染率、死亡率は低く抑えられている。4月以降最初に感染爆発があったイタリア始め、カリブ海諸国、中南米諸国など各国への医師団派遣は今も継続、ワクチン開発も順調に進んでいて、コロナがあった故にキューバの医療が改めて注目された年でもあった。

Henry Reeveヘンリーレベ医師派遣団の出発式の様子 photo: MINSAP保健省、Granma新聞

現状は11月15日にハバナ国際空港が再開して国際線発着便が増加してから新規コロナ感染者数が急増し、12月の月間累計は3月にコロナの国内感染が始まって以降最多となってしまった。世界的にも再度感染が拡大傾向にあることも考慮して、政府は2021年1月1日から、2021年1月1日よりアメリカ合衆国、メキシコ、パナマ、バハマ、ハイチ、ドミニカ共和国からのフライトの減便を発表した。また1月10日より、全ての入国者は出発国において認められている医療機関でキューバ到着前72時間以内に実施されたPCR検査の陰性証明書を入国時に提出しなければならないことになった。これらは11月15日の空港再開時より実施されているその他の各種措置に追加して実施されるため、キューバ入国時にもPCR検査を実施し、検査結果が出るまで(48時間以内)は外出を控える等の感染予防対策に従う必要がある。

空港再閉鎖は今のところないようだけれど、コロナ収束へ向けて前進どころか後退・・・

加えてキューバでは2021年1月1日から、通貨統一とそのほか関連する経済政策の実施という近年にない大きな「改革」の年となる。各方面、各事項について詳細が順次発表されているけれど、やってみないとどうなるかわからない、というのが正直なところなんだろう。国の政策がこんなんでいいのかと思うけれど、議論して決定して告知してやってみてダメならすぐに補正可能なのも一党制社会主義のいいところ?!先日発表された新電気代金が高すぎると国民の不満の声が上がったのを受けて、すぐに修正された料金表が発表された。やってみる前からこの調子なので、1月1日以降に混乱しないわけがない。

そんな中でも、キューバ人たちの目下の関心は目の前に迫った年越しのご馳走だ。

年末だけでなくいつも食べてる定番メニューではありますが・・・

ここ数ヶ月めっきり市場で見なくなったキューバ人の好物豚肉、年末のメインは何がなんでも豚の塊なので果てどうするのだろう、と思っていたのだけれど先週あたりから配給所で特別に豚を売り始めた。配給所で、というのがミソなのだけれど国が国民のために平等に各家庭に届くようにと、配給手帳と身分証明書提示で1回のみ豚肉購入可能というシステム採用。我が家も豚肩ロースとバラ肉をドーンと塊で50USD分ほど購入、配給扱いとはいえ決してお安くはないのだけれど、それでも皆なんとか豚肉をゲットしているに違いない。

そして31日の晩はキューバの9割以上の家庭で、豚肉料理+コングリ(黒豆の炊き込みご飯)+ユカ芋という超定番メニューを食べ、ラム酒を飲み、大音響で音楽を鳴らし、おしゃべりに興じながら新年を迎える。

コロナもなんのその、譲れないキューバ人的年越し、2020年も暮れていく。

キューバで一番盛り上がる、Remediosレメディオスのクリスマス

キューバのクリスマスは、いまいち盛り上がらない。今年はコロナの影響もあって、いつも以上に静かで寂しいクリスマスだった。

だがそんなキューバにもクリスマスに盛り上がる街がある。中部ビジャクララ州北部にあるSan Juan de Los Remediosサン・フアン・デ・ロス・レメディオスだ。レメディオスは1515年創立の歴史ある都市、コロニアルな街並みが残る穏やかで美しい街。ここで12月24日の聖夜の晩に行われるのがParranda de Remediosパランダ・デ・レメディオス、レメディオ祭。2018年にはユネスコ無形文化遺産に指定され、今年で200年を迎えた伝統的なこのお祭りを目的に、クリスマスには世界中から観光客が集まって近郊も含めて宿は満室となり大変な賑わいを見せる。

祭の起源は1820年、街の教区長が12月24日寒い夜に行われるミサへ、宗教に興味を持たずに街をぶらつく若者たちを鳴らし物の楽器などを使って教会に呼び寄せたことに始まるという。時代とともにSan Salvadorサン・サルバドールとEl Carmenエル・カルメンの2地区に分けて、音楽、ダンス、山車、広場の飾り付けなどどちらがより賑やかに聖夜の夜を盛り上げるかを競う祭りとなり、今に伝わる。

広場には両地区渾身の作、夜にはイルミネーションで光り輝く

キューバには各地に夏のカーニバルが行われるが、ハバナのそれなんかとは比べると、山車の飾りや踊り子の衣装は格段に手が込んでいて美しいのに驚く。

衣装が素晴らしい!Photo: Irene Pérez/Cubadebate

これらに加えてレメディオス祭りの名物は、当日打ち上げられる花火だ。夕方の開始時、夜が更けてから、深夜のミサが終わってからと何度か花火タイムがあって両地区が競うように花火を上げまくる。日本の花火のように洗練された美しさはないにしろ、とにかく音と打ち上げる数がすごいらしく映像を見ると空が煌々と明るくなってむせるほどに煙がモクモクと上がるほどだ。

Photo: Ismael Francisco/Cubadebate

12月24日から25日の明け方まで一晩中、眠ることなく続くレメディオのパランダ。この日のために街の人々は1年間かけて準備し、全ての成果を一晩にかけるという。

実は2年前、祭り当日ではなくて前日23日にレメディオスに滞在する機会があった。広場には両地区の最大の作品である大きな飾り付けがほぼ組み上がっていて、夜になると広場近くのメインストリートには夜店が並び、既に祭り気分が高まる中で街歩きを楽しんだ。広場近くには祭り博物館があるのだけれど、これが写真やこれまでに使用された衣装の展示など非常に良くできているので、祭の時期にレメディオスにいけない人はこちらを見学したらいい。館内ガイドのおばちゃんがものすごい熱のこもった解説をしてくれたのがとても印象に残っている。

前夜祭12月23日もそこそこに盛り上がっていた

そんなレメディオスの人が情熱をかけるレメディオのパランダも、今年はコロナの影響で残念ながら中止。ただ200年目の記念の年だったこともあり、写真集が出版され広場では小規模の式典を開催したそうだ。

今年の12月24日の様子。Photo: Irene Pérez/Cubadebate

来年は夜空をたくさんの花火が彩るレメディオスの祭りが開催されて、キューバで一番盛り上がるクリスマスが見られますように!

Día de Educadores:教育者の日

キューバの公式な祝祭日は少ない(年間6日前後)が、毎日のように「今日は何々の日」といった具合に国際的な日含めて記念日が多い。

そして12月22日は「Día de Educadores=教育者の日」

先生たちに感謝しましょう、という日だ。国民の教育はキューバ革命の重要な柱、1959年に革命軍が勝利してすぐに着手した政策のひとつがCampaña de Alfabetización=識字運動。革命前は貧困層の子供たちは学校へ行くことができず、特に地方の農業従事者などの多くは読み書きができなかった。革命後、政府は国民教育のためにまずは識字率の上昇が必要とし、キューバ全土で大々的な運動を展開した。小中学校を増設し全ての子供たちが学校教育を受ける体制を整えたのはもちろん、大人たちのため教師を地方の農村や山間部の集落にまで派遣し、読み書きを集中的に教えた。これによって2年ほどでキューバの識字率は96%にまでアップした。そしてフィデル・カストロがキャンペーンの成功を宣言したのが1961年12月22日。このことから12月22日が「教育者の日」となり、毎年教育従事者の労をねぎらうようになったのだ。

1961年12月22日、識字運動の成功宣言をするフィデル photo by EcuRed

現在この日は学校では色々なアクティビティーがあり、生徒たちは先生に感謝の意を示す。その感謝の意の示し方が少々悩ましい。というのも、いつ頃からの習慣か知らないが小中学校では生徒が、正確にいうと生徒の保護者が、先生にプレゼントを贈ることになっている。子供の担任の先生、授業担当の先生のほか、事務室の先生にまで「ちょっとした贈り物」を準備しなければならない。小学校の場合、女性の先生がほとんどなので実用的なシャンプーや石鹸、香水から、ハンカチやポーチなどの小物といったものを送る。この日が近づくと先生の贈り物用のこうした品物が店に多く並び、街中で売られていたりして一大イベントだ。先生たちもこれを楽しみにしていて、この日は朝からニコニコ嬉しそうに教室の机の上を綺麗にして贈り物が届くのを待っている。こうやって書くといやらしいが、教師の給与は決して高くもなく決して待遇も良くない。そんな先生たちのモチベーションアップのために欠かせない習慣だと、最初の年に説明された。

時々日本語を教える近所の子供からもらったプレゼント、グラシアス!

了解。でもなぜ悩ましかというと、物不足のキューバで贈って嬉しい品物がほとんど存在しないからだ。それにキューバ人的プレゼントのセンスがイマイチ理解できない。だから、ごめんなさい、私にはできませんと先生の日のプレゼント準備は夫に任せることにしている。

通常だとこの日が年末年始休み前の最終日となり、保護者も出席して先生を囲んで軽食をとってチャンチャンと終わるのだけど、今年の12月22日は違った。コロナの影響で7ヶ月の長期休暇のあと2ヶ月遅れで新年度が始まったわけで、さすがに貴重な授業日を減らすわけにもいかず、12月24日まで通常授業で「先生の日」のアクティビティーもなし。もちろんこの日は大事な「教育者の日」ではあるので各地で色々な行事が行われたり、個人的に先生へ「ありがとう」を言ったりはしただろうけれど例年の盛り上がりはなく、先生へのあからさまなプレゼント贈呈も少なくともウチの子供の学校では見られなかった。

先生たちには申し訳ないけれど、コロナ禍で物不足+通貨統合政策で物価の上昇と何かと厳しい今日この頃、先生も保護者たちも残念ではあるけど仕方ないと思っていることだろう。

でも感謝の気持ちは贈りましょ。Gracias, maestra!! 先生、ありがとう。

キューバで葉巻体験

キューバの葉巻は世界的に有名だ。世界の葉巻三大産地は、同じカリブの国でお隣の島にあるドミニカ共和国、ハイチ、そしてキューバと言われる。

でも日本人にとって葉巻はあまり馴染みがない。おそらく映画などのイメージで、マフィアなんかの厳つい男性が吸うものという印象があって、ちょっと取っつきにくいと思っている人も多いに違いない。加えてタバコ=喫煙を嫌う傾向は年々高まっているので、葉巻について語られても顔をしかめられてしまうかも。

それでもキューバを訪れたら、何だかの形で葉巻体験をしてもらいたい。きっと葉巻のイメージが変わるはず。

チェ・ゲバラも葉巻を愛好していたことで知られる。

葉巻工場見学:ハバナでは一般に公開していて観光客も見学できる葉巻工場がいくつかある。工場といってもそれぞれの規模はそれほど大きくなく、街中にあるものがほとんどで中の様子はさながら昭和の町工場。葉の選別と仕分け、葉脈とり、巻き作業、品質検査、ラベル付け、色分け、箱詰と工程ごとに違う部屋、作業スペースで作業をしている様子をガイドの案内で見学する。誰もが手を休めることなく黙々と・・・というわけではなくここはラテンな工員たち、作業しながらも冗談を言い合ったり、鼻歌歌ったり、見学者に話しかけたり、はたまた葉巻作りながら葉巻吸ったり!?実は彼らは1日数本の葉巻を「支給」されていて、作業中に吸うのも可。そんな彼らは全員、特別な訓練を受けて葉巻職人となったプロ。手元を見るとその見事なテクニックに驚く。こうやって1本1本が最初から最後まで手作業で作られていることを知れば、葉巻がただの嗜好品ではなく芸術品と言っていい価値あるもので、高価であることにも納得するだろう。
*日曜日ほか夏休暇など工場がストップするときには見学できないので注意。事前に申し込みが必要。見学料金は要問い合わせ。工場内への手荷物の持ち込み禁止、撮影禁止。

ビニャーレスでタバコ農家を訪問:ハバナから日帰りで訪れることのできるビニャーレス。ビニャーレスのあるピニャーレス・リオ州はキューバで栽培されるタバコの葉の7割ほどを栽培し、ここで収穫された良質の葉が世界最高級と言われるキューバ産葉巻の材料となる。ビニャーレス観光で必ず訪問するのが、タバコ農家。多くの農家さんが自宅を公開し農場見学を受け入れている。中には広大な敷地内でピクニックビッフェの食事を提供しているところも。ここでは葉巻の原料であるタバコ栽培の様子や自家製葉巻の巻き方を見学することができる。タバコ以外の作物や家畜、養蜂など各農家さんが手掛けるものについても一緒に説明してくれて、充実した社会見学を楽しむことができる。

葉巻の似合うしぶ〜い農家の男性が案内してくれる

シガーバー体験:日本で日常的に葉巻を吸う人は、それほど多くはいないと思う。シガーバーのような特別な空間でお酒と一緒に楽しむもので、それもごく一部の愛好家が嗜むものだろう。キューバでも普通の紙巻タバコの方が一般的で喫煙率も高いのだけれど、葉巻を好んで吸う人たちも普通にいる。というのも、キューバ人用の安い葉巻もちゃんと売られているからで、タバコも葉巻もキューバ人用のものは驚くほど安い。路上でその辺のおっちゃん達と一服交えるのもいいけれど、せっかくならシガーバーなるところへ行ってみるのもいいかもしれない。ホテルに併設していることもあるし、旧市街にも何軒かあるので観光の途中にお土産を買いがてらのぞいて一服どうぞ。イメージ通りの薄暗〜いバーに白い煙と葉巻の匂いがなびく雰囲気で、贅沢な時間を過ごせる。

カウンターに座ってバーテンダーに火をつけてもらう

マリダッヘ:葉巻は吸い方には実は作法がある。もちろん気軽に好きなように吸ったらいいのだけれど、美味しく味わうためにはそれを知っていた方がいい。葉巻のお供に適しているのは、ラム酒とコーヒー。そうキューバの三代名産品が揃えば、この上ない至福の時間を楽しみことができる。スペイン語でMaridajeマリダッへ=マリアージュという言葉を聞いたことがあるかもしれない。「組み合わせ」という意味のフランス語だそうだが、葉巻にもこの組み合わせの妙が大事。これを体験しながら葉巻の作法を学ぶことができるアクティビティもありこれがなかなか面白い。葉巻とラム酒とコーヒーと一度に試飲できてお得感があるマリダッへ、おすすめ。

葉巻、ラム酒、コーヒー。キューバ産最強トリオ!

お好みの葉巻体験をして、想い出を自宅に持ち帰りたくなったらお土産を買うのも忘れずに。ただし、決して路上で声をかけてくる売人から買わないように。ブランド物と称して不良品や偽物を売りつけてくる輩がいるので、葉巻は必ず専門店やホテルの売店など信頼できるショップで買うこと!

1本1本各ブランドのシガーケースに入った葉巻はお土産に

キューバの二つの通貨:いよいよ統一へ

キューバに2種類の通貨が流通して、それが近々ひとつに統合される予定だ。という話を少し前に書いた。それがついに現実となる日が決まった。

Unificación monetaria:ウニフィカシオン・モネタリア、通貨統一 Photo by Cubadebate

先週10日、当日朝から「今日の夜のニュースの終了時、国民が大いに関心を持っている事項について重大な発表がある」とあちこちで告知され、ついにXデーがくるのか、はたまた別に何か事件でもあったか、と様々な憶測が飛び交った。普段ならば夜のニュースの前にある報道番組で政策関連のニュースが発表されることが多いのに、ニュース終了時まで引っ張るあたりに何やらただ事ではない重大さが読み取れた。

おかげでニュースを最初から最後までしっかり見て、結局ニュース時間内には「重大発表」はされず、ニュースが終わった直後の「今夜の番組」もいつも通りにあって、その後パシャっと不自然に画面が変わって特別番組が始まった。そして司会者の簡単なアナウンスの後、ディアス・カネル大統領自らが声明を読み上げた。

「2021年1月1日、通貨統一のための関連改革を開始する。」

いや、意外に予想通りでホッとした。

この日は具体的な実施日のほか、1USD=24CUP(キューバペソ)を唯一のレートとすること、同日から180日後にCUC(兌換ペソ)の流通を停止してCUPのみとすること、この期間に個人所有のCUCは銀行や両替所でCUPに両替することができることなどが発表され、関連する具体的な政策は順次発表していくとのことだった。

すでに銀行やATMはいつも以上の行列・・・

通貨統一と同時に行われる改革の目玉は、給与の引き上げとそれに伴う公共料金などの引き上げ、である。社会主義国であるキューバは近年個人経営者が増えてきたとはいえ、基本的には皆公務員で国からお給料をもらっている形なので、国が定める賃金が人々の収入となり、公共料金だけでなくあらゆるものの値段は基本的に国が決める。ここ数年で一部の職種の賃金引き上げが実施されてはきたものの、今回はそれをすべての職種、労働者対象に行う。いったいどのくらい上がるのか?

ざっくり全部5倍になるらしい。

給与は5倍になるが、電気も水もガスも5倍、バス代も5倍、配給品の価格も5倍に値上がりする・・・と言っても何もかもが5倍になるわけではなくて、基本的にはこれまでCUP表示で売られていたものの料金が上がる。

電気代も5倍に。節電必須?!近所のおばちゃんは「電気つけずに化粧しなきゃ」とすでにネタにしていた。

CUC表示の高価な電化製品、インターネット・携帯電話代金などは価格の見直しはあるかもしれないが、そのまま×24=CUPで支払いとなる(はず)。ちなみに新しい最低賃金は週44時間労働者で月給2100CUP(=87.5USD、約9500円。これまではこの1/5、2000円弱)、公共料金や配給品の価格がいくら最低限に抑えられていて医療費と教育費が無償でも、トイレットペーパー4巻160円、サラダ油1リットル220円、スニーカー5000円、冷蔵庫10万円ではどう考えてもお給料だけではやっていけない現実があるのだけれど、その辺の矛盾はさておいての経済改革。

そんなわけで先週以降、ニュースや報道関連番組、特別番組でこうした政策や改革内容が発表され続けている。

新聞に掲載された料金リスト、食料品や日用雑貨は料金据え置きのものも多い。ガソリン料金も変わらずレギュラー1リットルで1ドル相当

怒涛の情報の嵐・・・

これまでも通貨統一に伴う関連経済改革の概要や方針はすでに知らされてはいたものの、ここにきて発表されるのは数字を伴う実に細かい具体的なもの。ついていけない情報量でごまかされている気がするのは、私が外国人だからというだけではないだろう。全てを把握する必要はないけれど、生活に直接関わる内容も多いので気になるし実際に知らないと困ることも出てくるに違いない。そして何より心配なのはこれらがすべてうまいこと2021年1月1日から機能するのか、ということだ。だいたい何か新しいことを始めようとすると、準備不足や見通しの甘さが露呈してコケたり、パンクしたりすることが多いこの国。コロナ禍がまだまだ続く中、年明け早々どうなることか・・・

さあ、2021年どこへ行くキューバ?!

12月、キューバの師走

12月になってしまった。

世界中がコロナであまりに多くのことが変わってしまい、受け入れざるを得ない変化を否応無く受け入れて、慣れるも慣れないもなくここまで一気に来てしまった感じがする。1年を振り返るのはもう少し先にして、12月のキューバの様子。

1日、月が変わるのを知っているかのように天気が「冬」になった。1ヶ月ほど前から朝晩の気温が下がって(といっても最高気温が30度を切り最低気温が22〜23度)、随分過ごしやすくなっていたが、30日の夕方から風向きが急に変わって夜には強い風が吹き始めた。そして翌朝はどんより曇った空に冷たい風が吹き荒れている。

これがキューバの冬。

Frente fríoいわゆる寒冷前線が接近して気温がぐっと下がることがこれからの季節、月に何度かある。今回はまだ12月の初めということでそれほど気温は下がっていないけれど、風もあってより「涼しく」感じる。だが決して「寒く」はない。でも亜熱帯の気候に慣れているキューバ人にとってはもう冬の到来、早速久しぶりの長袖と長ズボンを出してきてしっかり防寒して外出している。普段はしない重ね着をして数少ない冬服を無理やり合わせているのがチグハグだったり、妙に大袈裟だったりするので、キューバ人の冬コーデにはクスッとしてしまう。

気温が下がったこの日、長袖を着た人が目立つ

この時期になると、多くの国や地域でクリスマスのデコレーションが街を賑やかにしているはずだけれど、コロナ禍で今年はどんな感じなんだろう。キューバはかつてスペイン植民地だったこともありカトリック教徒が多いとされるが、他の中南米諸国と比較すると宗教色は薄くてカトリックの習慣が生活の中に浸透しているのを実感することがほとんどない。

その証拠にクリスマスが盛り上がらない・・・

最近は観光客向けにホテルやレストランの飾り付けも派手になってはきたけれど、ウキウキワクワク、クリスマス気分が高まるほどではない。ましてやコロナの影響で観光客がまだほとんどいない今年は、より寂しいものになりそうだ。

我が家の近所の売店、クリスマス&年末向けのペイントに。62の数字は革命勝利から62年を示す。キューバでは1月1日は革命勝利の日でもある

普段からイマイチのクリスマスだけれど、クリスマスの後にやってくる大晦日から新年を迎える時は大いに盛り上がる。家族や友人たちで集まり遅い夕食をとって、年が替わる瞬間を皆で一緒に迎えるのだ。もちろんこの日はご馳走で、キューバ人が大好きな豚の大きな塊肉をガッツリ食べて、ビールやラム酒を飲んでFiestaフィエスタ=パーティー!

でも今年はコロナの影響もあって「密」になる集まりは控えなきゃならないし、何よりも市場に豚肉がない。キューバ人のお腹を満たすだけの豚がどう見ても足りない。ビールも長いこと店で売っているのを見たことがない。

今年は犠牲になる豚も少ない?!

でもきっとどんな逆境にも打ち勝つ強さとユーモアを持ったキューバ人。得意のinventoインベント=発明・でっち上げをして、このあまりに特殊で異常な1年の締めくくりをしてくれるんじゃないか、と楽しみにしている。

あれから4年、フィデル・カストロの命日

11月25日、フィデル・カストロが逝ってからちょうど4年。朝からテレビは生前のフィデルや関連行事の映像が多く流れた。これまでにも何度か書いたように、キューバではスペインからの独立やキューバ革命に貢献した英雄たちの誕生日や命日をとても大事にする。偉人がキューバ史に残した功績を称えて、後世に伝えようとする意識が(政治的な意図もあってだろうが)、日本よりずっと高い。フィデルに関しては誕生日や命日でなくても言及されない日はない。ここ数日はその度合いが増して、特に若い世代に語られるような内容の記事や報道が目立つように思う。

グランマ新聞の1面下段に毎日出るフィデルの言葉。過去の言葉だが時事ネタ関連のものが多く、グッときたりホーッと感心したりすることもしばしば

4年前。すでにキューバに暮らしていたのだが、フィデルの訃報は夫の共産党関連機関で働く友人からほぼリアルタイムで入った。すでにベッドの中にいて「ふーん・・・」と返す言葉もなくそのまま寝てしまった覚えがある。翌日から国中が喪に服して、数日間TVの通常番組は放映されず、いつも街中に流れる賑やかな音楽が消えた。2日間に渡って行われた「お別れの式典」では、会場となった革命広場が内外からの参列者のほか多くの一般の人で埋め尽くされた。ハバナでのお別れを終えて火葬されたフィデルの遺灰は、多くの人に付き添われCaravanaキャラバンとなってサンティアゴ・デ・クーバへ向かった。1959年1月キューバ革命軍が勝利を収め、サンティアゴから1週間かけて各地で勝利宣言をしながらハバナへ向かった同じ道を、今度はハバナから全国民に最後の別れを告げながら永眠の地として自ら選んだサンティアゴまで進んだ。フィデルはサンタ・イフィヘニア墓地内、彼が師と仰ぐキューバの英雄ホセ・マルティの霊廟のすぐそばで眠っている。

Santa Ifigeniaサンタ・イフィヘニア墓地フィデルの墓 Photo by EcuRed

4年前。フィデルが亡くなった時にもっと大きく何かが変わるのではないか、と多くの人は思っていたかもしれない。でもキューバは、国としても国民一人一人としても、もうその随分前から準備ができていて、その日がついにやって来ても落ち着いて静かに迎え、受け入れていた。ケーブルテレビなどで映し出されたマイアミの反革命支持者らのお祭り騒ぎとは対照的な街の様子が印象に残っている。そして街に溢れた「Yo soy Fidel 私はフィデル」の文字。フィデルは肉体的に亡くなってしまっても、国民の一人一人の中にその精神は行きている、誰もがフィデルとなり得るのだ、と。

25日の晩、ハバナ大学で行われた式典にて Photo: Abel Padrón Padilla/ Cubadebate

あれから4年。本人の遺言にあった通りにフィデル像も、フィデルを名乗るモニュメントも作られてはいない。国の象徴として掲げられることはなくても、やはりキューバは良くも悪くもフィデルあってのキューバだ。政治的なことは抜きにして、近現代史上、これほどまでにカリスマ性の高い指導者はいなかったし、これから先も出ないだろうと思う。多くを知らずに評価することはしたくないし、どう表現したらいいのか分からないのだけれど、その生き様や残した言葉に惹かれる。

”Serenidad” (2010) Photo: Roberto Chile/ by Granma

これから先、1年後、2年後、10年後とキューバの中でフィデルの存在感はどう変わっていくのだろう?ふと誕生日や命日の扱い方にそれが反映するのでは、と思った。