愛しのトリニダ

トリニダが好きだ。

トリニダはキューバ中部、1514年に創られたキューバでも最も古い都市のひとつで、18〜19世紀植民地時代にはサトウキビ栽培で繁栄し、当時の富豪たちが建てた豪華な建物が街の中心部に残る。これらのトリニダの街並みと現在もサトウキビを栽培し、所々に大規模農場跡が残るロス・インヘニオス渓谷は、世界遺産にも登録されている。

街の中心の広場をのぞむ。赤っぽい瓦屋根がトリニダの建物の特徴

トリニダへ初めて行った時に感じたワクワク感が忘れられない。

旅の途中、そこへ足を踏み入れた瞬間に、「おおっ、これは!」とこの先の経験を期待させる胸騒ぎを感じる場所がある。その直感は多くの場合、間違いはない。

トリニダもそうだった。

そして今でも行くたびに、気分が高揚して仕方ないという特別な場所。

なんでこんなに好きなんだろう?

キューバのコインのデザインにある景色、どの硬貨でしょう?!(答:CUC25セント,2021年1月1日通貨統一により消滅)

街の大きさが丁度いい。トリニダは小さな街だ。中心地は歩いて半日もあれば回れてしまう。街の中心にある教会や広場のほかは特に目玉となるような見所があるわけではないけれど、その街並み丸ごとがとにかく素敵だ。石畳の坂道、コロニアルな建物、その中に自分がいると思うだけで、嬉しくなる。

古都であること。古い街はやっぱりいい。歴史のある街は様々な時代に住み続けてきた人々の思いが重なって、なんというか、街そのものに深みがでる。

トリニダの人。かつての繁栄した時代が街の景色にしっかり感じられるのに、そうした時代の華やかさよりものんびりした印象が強いのは、そこに今暮らす人々の生活が反映されるから。トリニダでの楽しみは、もっぱら地元の人たちとのおしゃべり。知人だけでなく、店の人、街の客引き、馬を引くおじさん、あちこちで足を止めて話し込むうちにあっという間に時間が過ぎる。

カサパルティクラル。トリニダでは絶対にカサへ泊まるべき。築200年、300年というトリニダ独特の平屋でコロニアルな建物に泊まるチャンス。観光客も多いトリニダは質の高いカサがたくさんあって、どこも本当に素敵だ。建物だけではない、カサのオーナーのおもてなしもピカイチなので、片言のスペイン語を覚えて、無理なら身振り手振りでコミュニケーションに挑戦して欲しい。

コロニアル建物に泊まろう!

夢は、いつの日かあの街に暮らすこと。

あー、愛しのトリニダ!

カニョナッソ(大砲の儀式)、どうしてる?

コロナ感染予防対策として、空港が閉鎖、観光客がいなくなり、店やレストラン、各施設が閉まり、外出が規制され、街から人が消えてまもなく1ヶ月。3月末に始まった夜9時のAplausos(アプラウソス)=医療関係者などコロナウィルスと戦う人々への激励の拍手はすっかり定着して、毎晩9時になると街中に大きな拍手が響き渡る。最近は笛やカネなどの「鳴り物」も加わって、一層にぎやかにキューバらしさが増している感じだ。

我が家も毎晩9時になったら、窓際で拍手!

ハバナの夜9時といえば、Cañonazo(カニョナッソ)、カバーニャ要塞で行われる大砲の儀式。これはスペイン植民地時代に起源を持つ、かつてハバナの城壁にあった木戸の閉門を告げるため大砲を放つ儀式のことで、今でも傭兵スタイルの若者たちによって毎晩9時に行われている。観光客にも人気があり、年間通して大勢の人が見学に訪れる。個人的にも好きなアクティビティーのひとつで、大砲が鳴る前の一瞬の静粛と緊張、その後のお腹に響く大きな音、何度行ってもその度にドキドキしてしまう。

傭兵スタイルで行われる大砲の儀式、コロニアル時代の雰囲気

今、当然のことながらコロナ対策により、カバーニャ要塞は閉鎖している。

「果て、カニョナッソはどうしてるんだろう?」

我が家が大砲の向けられるハバナ市街と反対にあるので、通常9時の大砲の音は聞こえない。ハバナ市街へ行くこともできなくなってしまったので、自分で音を聞いて確かめることもできない。ましてや最近はアプラウソスで、大砲の音もかき消されてしまう!?

気になっていたところ、夜のニュースでその回答を知ることができた。伝統的なこの儀式はコロナに負けることなく、毎晩行われ続けている。儀式を行うのは実は徴兵中の若者なのだけれど、本来の中世の傭兵スタイルの衣装は身につけず、オリーブグリーンの軍服にマスク姿でやっているらしい。

マスク姿で儀式をおこなる様子(TV画面より)

夜9時、ハバナの街。カニョナッソとアプラウソ。コロナが収束してアプラウソが必要なくなったら、カニョナッソを見に行こう。そして大砲の音の後に、大きな拍手(アプラウソ)を送ろう。健康っていいな、いつでも何処へでも好きなように出かけられるって素晴らしい!と心の底から思いながら・・・

キューバでこいのぼり

日本から持ってきた鯉のぼりを今年も飾った。

キューバに来て5年、毎年欠かさず4月の後半から5月にかけて飾る。息子は今年10歳、半分は日本の、半分はキューバの空を泳いできた(日本はベランダ、キューバは室内なので空の下経験なしだけど)鯉のぼりたち、少し色が褪せて、吹流しは布がボロボロささくれだってきてしまった。それでも窓から風が入ってくると、ちょっとだけ横になびいてくれるのを見ると嬉しい。

あまり乗り気じゃない息子にお願いして、記念撮影もバッチリ
5月っぽいこちらの額も日本から。鯉のぼりと一緒に毎年登場

コロナの影響で「お家で過ごそう」状態が続く中、おりがみで鯉のぼりも作ろう!と息子を誘うも最初の千代紙を切るところまでやってどこかへ行ってしまったので、ひとり黙々と作品を完成させた。

完璧!

ヨレヨレの鯉のぼりを出しながら、息子がひとこと。

「今度日本へいったら、新しいの買わないとね。」

ん?鯉のぼりって、子供がいくつになるまで飾るのだろう?新しいのいる?!

なんてったってハバナ

海外からキューバを訪れる場合、そのほとんどがまずハバナへ到着する。だから多くの人にとって初めて目にするキューバの都市がハバナ、この街の印象がこの国の第一印象となる。

初めてキューバを訪れたのは、2005年5月。雨季の始まりの5月は雨が多いが、ハバナの空港へ降り立った時もどんよりとした曇り空だった記憶がある。タクシーの中から見るハバナの街はその鼠色の重い空の色と同じようにあまり色がなく、スローガンの看板が目につき社会主義国を感じさせた。

「¡ Viva Fidel ! 」

「Vamos bien…」

他の街に見られる華やかな看板やネオンのかわりにスローガン

この最初の滞在はまったくの観光だったのだけど、あまり観光気分だった記憶がない。今ほど旅行者も多くなくカラフルなクラシックカーが目立たなかったせいもあるし、いわゆる観光スポットへあまり行かなかったからかもしれない。公共交通は全然わからないし、タクシーもそれほど多くない上に高いので、ハバナ市内のほとんどを徒歩で移動した。滞在先のハバナ大学近くのカサから革命広場、旧市街、ミラマルのカサ・デ・ラ・ムシカまで。今思うと、ものすごい距離を歩いている。5月末といえばもうすっかり夏の日差し、汗だくになりながら、ひたすら歩いた。おかげで街の大きさ、高低差、地区ごとの街並みや雰囲気の違い、海沿いのマレコンの長さ、ハバナを丸ごと実感でき、今でもあの時の感覚がハバナの街を歩く時の基準となっていることすらある。どこまでいってもあまり変わらないコロニアルでくすんだ色の古い建物、雨上がりの水溜りだらけの道路、シャッターの閉まった店、上半身裸の男性、頭にカーラー巻いてストッキングかぶった女性、道で遊ぶ子供たち、痩せこけた犬、そしてあちこちから聞こえてくる音楽・・・これが最初のハバナだった。

2005年のカピトリオ、化粧直し前
セントロハバナのあたり。この道もなんども往復した

それから、ハバナは帰ってくるところ、になった。

ここ15年で個人経営の店やレストランは増え、旧市街には新しいホテルが次々にオープンし、クラッシックオープンカーが観光客を乗せてマレコンを走るようになったけれど、あの時と同じように街を歩いてみると、目にする景色も人々の暮らしぶりもそれほど変わらない。今でもハバナの街を歩くのが大好きだ。いつも混んでいるバスを待つより歩いた方が早いということもあるけれど、ひとりの時はまず歩く。時には少し遠回りしてマレコンも歩く。なんといってもマレコン沿いのハバナの街並みが一番だと思う。この景色を見る度に、かつて住んでいた鴨川沿いの京都の街並みを想い出す。街を少し離れて帰ってきたときに、鴨川沿いを自転車で走ると「あー帰ってきたなあ」といつも思っていた。今、どこかからハバナへ帰ってきてマレコン沿いを行くと、やっぱり同じように「帰ってきた」と感じる。どちらも自分が暮らす街のとっておきの景色。

はじめてのマレコンは、こんな曇り空のした、霞んで見えるハバナの街並みもよい

ハバナはやっぱり歩いてなんぼの街だ。旅行者の方にも歩いて歩き回って、見て、聞いて、感じてそれぞれのとびきりのハバナを切り取って帰ってもらいたい。

キューバのコロナウィルス感染予防対策:公共交通の運行中止

キューバもいよいよ本格的に外出禁止状態になりそうだ。「禁止令」は発令しないものの、明日4月11日よりすべての公共交通の運行がなくなる。乗用車を持つ人が極めて少ないこの国では、公共交通での移動手段がなくなること=外出できない、に近い。車を持っていても不必要な移動はできないだろうし、おそらく今後は路上での警察の取り締まりが強化されるだろう。生活に必要な食料や物資は、各地区の配給所や国営店舗へ入荷され、各家庭の代表者1名がそれを買いに行く形にするとのこと。

ああー、本格的隔離!

今、コロナの影響で自宅にあるいは施設に隔離状態にある人たち、それに近い人たちが世界中にいる。多くの人が室内にこもっている、この慣れない状況にどう向き合ったらいいのか?

以下、新聞で見つけたブラジル人作家でジャーナリストであるFrei Betto(フレイ・ベット本名:カルロス・アルベルト・リバニオ・クリスト、フィデル・カストロとも親しかったらしい)による記事。彼はリオネジャネイロで4年間の収監経験があり、その経験をもとに今回のコロナウィルスによる孤立、隔離状態に立ち向かうための10の忠告をしている。

  1. 肉体と精神を一緒に保つこと:身体は家に置いておくしかないのに、心が外の世界へと向いてしまったら、絶望を引き起こすだけ。
  2. 毎日のルーティーンを決めること:病気でもないのに、1日中パジャマでいてはいけない。手帳に毎日の活動をつける。体操、呼吸器官を鍛えるためにもエアロビクスがいい。読書、クローゼットの整理、家の掃除、料理、インターネット検索などなど。
  3. 1日中テレビやコンピュータといないこと:活動にバラエティーを持たせる。
  4. 親戚や友達に電話すること:特に遠く離れたところにいる人、弱者、一人暮らしの人へ。
  5. 手仕事をすること:機械の修理、ジグゾーパズル、縫い物、調理などなど。
  6. ゲームをして楽しむこと:同居する人がいるのであれば、1日のひと時をチェス、チェッカー、トランプなどをして過ごす。
  7. 隔離日記をつけること:紙にでも、コンピュータにでもいいから考えていること、感じていることを文章にすることは、この上ないセラピーとなる。
  8. 子供や他の大人がいるのなら、家事を分担すること:活動プログラムを作って、一緒に過ごす時間、互いに自由な時間を持つ。
  9. 瞑想すること:あなたが宗教信者ではなくても、瞑想することを学ぶといい。瞑想することで、心が浄化され、想像力が高まり、不安が消え、緊張が和らぐ。1日に少なくとも30分は瞑想に当てるべき。
  10. このパンデミアがすぐに終息するか、それとも何ヶ月も続くのかと考えないこと:この先ずっと隔離生活が続く覚悟で振舞う。自分の家の中で、この長い旅への準備を整えること。(4月6日付グランマ誌より)

早速ではないけれど、久しぶりに家族でドミノをした。

遊び方はいたって簡単。子供も一緒に。

キューバで家族や友達同士が集まって過ごす時間に、必ずと言っていいほど登場するのがこのドミノ。上の助言では、チェスやチェッカー、トランプとあるけど、キューバならやはりドミノだ。先日、コロナ対策で外出を自粛しているにも関わらず、路上でドミノをする市民に対して、大統領が激怒していたけれど、普段の週末だったら、テーブルを路上に持ち出して、上半身裸の男たちがドミノをして楽しむ姿があちこちで見られるはず。でもこの光景もしばらくはおあずけ・・・室内ドミノで盛り上がりましょ。

コロナで緊急配給! 石鹸、歯磨き粉、洗剤

社会主義国キューバには、配給制度がある。1959年のキューバ革命勝利後、国民に均等に食料や生活必需品が渡るようにと始まったものが、配給内容やその量は時代とともに変わったものの今でも制度としてあり続けている。家族ごとに1年に1冊配給手帳を配布、これに従って月ごと、あるいは日ごとに配給されるものがあり、近所の配給所でそれらを格安で手に入れることができる。配給といっても無料ではなく、わずかではあるがいくらか支払う必要はある。

我が家の配給手帳。
中はこんな感じ。月ごとの配給品をチェック

最近ではそのほとんどが食料品で、毎月きまって一定量配給されるのは米、豆類、サラダ油、そして砂糖など。砂糖は今でもキューバの主要産業のひとつであるが、何もかも不足している中、砂糖だけは余っている国だけあって配給もたっぷり。ご丁寧に白砂糖と少し茶色い三温糖タイプの2種類をひとり当たり2キロ少々、子供の同量なので我が家は3人で月々6キロ以上の砂糖が手に入る。そのほかのものは先に挙げた通り品数も少ないし、一般的な家庭の1ヶ月分としては不十分な量しかもらえないのだけど・・・肉類は不定期で鶏肉やハムが少々、魚類はダイエット食として医師の処方のある人のみ、卵はある時には月々15個/人ぐらい、大人はコーヒー1パック、子供は粉ミルクといった具合。それから1日1個のパンがあるが、これは毎日パン屋へ取りに行く必要があり、翌日に取り置きは不可。こうした配給品だけではとても毎日の食事を賄えないし、野菜や肉はそのほかの店や市場で購入することになる。

配給にもその時の事情によって、緊急で特別なものを配給されることがごく稀にある。もう10年以上前になるが全国の女性に電気圧力鍋が配給されたり、中国製の冷蔵庫が配給されたりしたことがあった。配給されるのは同じ商品だからどの家庭にも同じものがあり、上記2点は今でも多くの家庭で必ずといっていいほど見られる製品。店頭にある品物もそうだけれど、各商品、製品の種類が少なくてどこへいっても同じというのを見ると、ザ・社会主義を感じる。まあ、これは社会主義だからというだけでなく、アメリカによる経済封鎖の影響が大きいのだけど・・・。

で、今回コロナウィルスに関連して緊急配給されることになったものたち。

石鹸、歯磨き粉、台所洗剤

感染予防のためには何といっても、手洗い。

だから、衛生商品。

我が家にきたコロナ対応特別配給品、歯磨き粉はうちの配給所にはまだ届いておらず、石鹸と洗剤のみ。

今回に限らずいつも必要だけどね。ちょっと前にはこれらのものがキューバ中で不足していてたいへんだったという事情があるからかもしれないけれど、まあとりあえず、ありがたくいただきます。

キューバでマスクは何という?

コロナウィルス感染予防対策として外出時のマスク着用が徹底され、今では街ゆく人の9割以上がマスクをしている。正直、全く習慣のないキューバで、こんなに早く定着するとは思っていなかった。増産中のマスクは医療関係者とお年寄り、子供達など生活弱者にまず届くようになっていて、まだ一般用に店ではそれほど売っていないのだが、あっという間に皆、何だかの方法で入手している。我が家にもキューバで一番ポピュラーな緑のマスクがやってきた。

ナソブーコ。キューバのマスク、手作り感満載

ところで、今回のことがあるまでキューバでマスクを何と呼ぶのか知らなかった。

Nasobuco(ナソブーコ)=マスク

スペイン語で一般的にはMascarilla(マスカリージャ)のはずだけれど、果たして他のスペイン語圏ではどうだろう?他にもマスクを表す単語はあるのだろうか?

このナソブーコの他に最近のニュースでよく耳にして覚えたスペイン語は、Cuarentena(クアレンテーナ)。Cuarenta(クアレンタ)が40だから、40 と関連するものと思ったら全く違う意味もあると知った。

Cuarentena(クアレンテーナ)=隔離

特に病気の伝染などを予防するための隔離、まさに今回のような場合にはこの単語を使うそう。

スペイン語が話される国、地域は多いが、それぞれ話し方やよく使う単語に違いがあってそれが面白かったりするのだが、キューバのスペイン語は中南米地域の中でも、極めて特徴的であるように思う。キューバ語といえる独特の表現が多くある上、話し方も単語を続けて話したり、発音しない音がたくさんあったりするので、非常に聞き取りにくい。でもキューバ風の言い回しを少しでも使って、キューバ人と会話すると相手がグッと寄ってきてその距離が縮まる気がする。

キューバ人と会話するのも、彼らが話しているのを聞くのも大好きなのに、今はほとんど外に出ることもなく、話す相手は家族ぐらい。TVのニュースをいつも以上に見るから、アナウンサーの言うことはよく聞き取れるようになった気がするけど・・・違う!大振りなアクション付きで唾をペッペと飛ばしながら、道端で会話するキューバ人の姿を1日も早くみたいもの。もちろんマスクなしでね。

Hipoclorito(イポクロリート)消毒液、我が家の玄関にも登場

キューバで知る 三船敏郎誕生100年

コロナ関連のニュースばかりが目につく中、新聞記事にSamuraiの文字を見つけた。タイトルにはLos cien años del samurái(サムライの100年)、何の記事だろうと読んでみると、4月1日が俳優三船敏郎の誕生100年だという。キューバでもよく知られた黒澤明監督と組んで多くの映画に出演し、作品を通してサムライ像を見事に表現したことを賞賛していた。

キューバ人は映画好きだ。男性に限らずお涙ちょうだいもののドラマや実話ベースのドキュメンタリーっぽいものよりも、アクションやアドベンチャーものの方が好まれる。キューバの直面する現実社会が何かと厳しくドラマチックなことが多いから、映画を見ているときぐらいは現実逃避できたほうがいじゃないか、だからアクションの方がいいよ、と誰かが話してくれたことがある。それはさておき年配の方だと「クロサワ作品は大好きだ」と言う人も多いし、日本映画として知られているのは『7人の侍』や『座頭市』だ。

グランマ誌のデジタル版では『7人の侍』の写真とともに記事が出ていた

残念ながら私は黒澤作品をちゃんと見たことないし、三船敏郎も晩年TVで対談番組などに出演しているのを見た記憶があるぐらいだ。ましてや誕生日は知らない・・・で、早速ネット検索してみるとWikipediaには読みきれないほどの記載があり、中には「チェ・ゲバラは『用心棒』に感銘を受け、桑畑三十郎の恰好までするほどのファンであった。(三好徹『チェ・ゲバラ伝』原書房)」なんていう記事まで。へええええ、だ。そして誕生日は確かに1920 年4月1日で今年がちょうど誕生100年、こんな形でしかもキューバで三船敏郎について多くを知ることになろうとは・・・!

ところでハバナには市民にもよく知られているサムライ像がある。ハバナ湾を挟んでカバーニャ要塞の向かい旧市街側にある「支倉常長像」だ。その名前までは知らずとも、それがキューバに初めて来た日本のサムライであることは、多くの人が知っている。

ハバナの支倉常長像。旧市街散策中に立ち寄ることも可能

でもキューバ人が描くサムライ像は、やはり黒澤作品に出てくる三船敏郎演じるサムライ何だろうなあ。

キューバのコロナウィルス感染予防対策:医療

キューバの医療体制は独特であることは、世界的にもよく知られている。医療レベルや質は抜きにしてとにかく医師、医療従事者の数は多く、保健省を頂点に全国をカバーする医療機関、関連施設が組織的に整っていることは確かだ。コロナウィルスへの対応と国民の反応を見ていると、国民がこの医療体制や医者をとても信頼しているのだなと思う。これはこれまでも感じていたことだけれど、「お医者さん」のいうことは本当にみんなよく聞く。今回もそうだ。

コロナに限らず、感染病予防対策として徹底的に患者を隔離する。特に子供に対しては発熱と下痢があると即入院、うちの息子もすでに2回経験済み、普段はデング熱などが疑われての措置である。今回の場合、3月11日に最初の発症例が出てから感染者と接触した人全員、24日以降は海外からの帰国者全員対象に隔離施設で14日間過ごすことを強制され、その間にすべての人が検査を受けることになっている。発症していればもちろん入院して治療を受ける。隔離施設には病院のほか、都市郊外にある宿泊施設や保養施設が使われているらしいけれど、これらすべて国営なので有無を言わさず転用可能、この辺りはウダウダもめることなくてよろしい。

それから医学生たちの家庭訪問。各地域で医学生たちが家庭を1件1件「発熱者はいないか」「呼吸が困難な症状の人はいないか」と質問して周り、感染の早期発見に努める。これはデング熱などが流行った時にも流行地域で行われるのだけど、今回は全国でほぼ毎日実施されているそう。

玄関口で家族の健康状態を質問、その後地域診療所へ報告する。グランマ誌より

キューバ国内だけではない。人道支援としてキューバの海外への医師派遣は有名だけれど、今回も要請を受けてすでにイタリアやスペインだけでなく、周辺のカリブ海の小さな島々などへ598名14の医師団が派遣されている(3月31日現在)。

派遣団の出発式の様子。ここ数日毎日のように何処かの国へ。グランマ誌より

こうした人々のために尽くすキューバの医師、そしてコロナと戦う世界中の人々へ尊敬と感謝の意を込めて、夜9時にキューバ中の人々が拍手贈る、というのが始まった。29日の夜に決行、と誰かがSNSで呼びかけたらしいけれど、TVのニュースでも取り上げられ翌日以降も夜のニュース番組が終わるときには、「あと数分で9時です、現場で戦う彼らに拍手を!」とアナウンス、そしてその数分後に各家庭から大きな拍手が聞こえてくる。ハバナの夜9時といえばカバーニャ要塞のカニョナッソ(大砲の儀式)が有名だけど、その大砲の音に負けないくらいの大きな拍手がハバナの街中から湧き上がる・・・

午後9時、みんなベランダに出て、窓辺で大きな拍手を。コロナと戦う人たちに届くように・・・Facebook掲載

色々な場面で感じるけれど、このキューバ人の一体感が好きだ。

キューバのコロナウィルス感染予防対策:全国の学校閉鎖

コロナウィルス感染予防対策で、全国の小中学校、高校、大学ほか全ての教育機関は約1ヶ月の休校となった。通常4月には1週間の春休みがあるので、これを除くと約3週間。子供達にとっては思うがけない休暇。初日、2日目あたりは、街中をうろつく子供やビーチへ行く若者も目についたらしく、「ありえない!」と親や周辺の大人の責任を問う怒りのコメントが相次ぎニュースでも報道されたりしたので、めっきり子供の姿を見かけなくなった。ここ数日は、子供連れで買い物していてもパトロールの警察官に声かけられて、なんなら強制送還、家まで送ってくれるらしい。我が家の団地の店や公園でも子供たちはいない。でもみんな退屈だよね、エネルギーあまりまくっちゃうよね・・・

ところで5月〜6月には大学受験も含め試験の季節、その直前の休みは学生たちにとっても影響大ということで、3月30日から全国のすべての学年の児童生徒向けに「テレビ授業」が開始された。うちの4年生の息子も家で何をするわけもなく退屈し放題、かといって自習する習慣もないから、家でダラダラと過ごしているは非常によろしくないと思っていたのでこの「テレビ授業」に期待しているのだけど、果て?

午後2時、息子と一緒にTVに向かう。初日の4年生向けの授業は「El mundo en que vivimos」直訳すると「私たちの生きる世界」、日本では小学校低学年で「生活」中高学年で「社会」「理科」それから「保健」として教えられているような内容を合わせた教科だ。

年配の女性教師がTVの向こうにいる子供たちに向かって授業を開始。

全国の小学4年生が聞いているはず・・・

最初は現在最も重要事項、コロナウィルス感染予防について。それから同じ病気つながりで、コロナですっかり忘れられているデング熱予防や蚊を介する病気についても説明。

1.病人との接触を避ける 2. 手を洗う 3.顔を触らない
コロナだけじゃないけどね。いろんな病気の予防対策。

後半は私たちの住む地球、その地球上にある世界の中でキューバの位置、キューバ内にある州、自分が住んでいる地域、と社会科=地理についてサラッと・・・30分弱で終了。

キューバはどこにある?地理の授業。

「これだけ?」

と息子も言うほどあっという間に終わってしまった。で、本日この1教科のみ。なんだかなあ、これで休みの間の遅れはカバーできないよなあ。