なんてったってハバナ

海外からキューバを訪れる場合、そのほとんどがまずハバナへ到着する。だから多くの人にとって初めて目にするキューバの都市がハバナ、この街の印象がこの国の第一印象となる。

初めてキューバを訪れたのは、2005年5月。雨季の始まりの5月は雨が多いが、ハバナの空港へ降り立った時もどんよりとした曇り空だった記憶がある。タクシーの中から見るハバナの街はその鼠色の重い空の色と同じようにあまり色がなく、スローガンの看板が目につき社会主義国を感じさせた。

「¡ Viva Fidel ! 」

「Vamos bien…」

他の街に見られる華やかな看板やネオンのかわりにスローガン

この最初の滞在はまったくの観光だったのだけど、あまり観光気分だった記憶がない。今ほど旅行者も多くなくカラフルなクラシックカーが目立たなかったせいもあるし、いわゆる観光スポットへあまり行かなかったからかもしれない。公共交通は全然わからないし、タクシーもそれほど多くない上に高いので、ハバナ市内のほとんどを徒歩で移動した。滞在先のハバナ大学近くのカサから革命広場、旧市街、ミラマルのカサ・デ・ラ・ムシカまで。今思うと、ものすごい距離を歩いている。5月末といえばもうすっかり夏の日差し、汗だくになりながら、ひたすら歩いた。おかげで街の大きさ、高低差、地区ごとの街並みや雰囲気の違い、海沿いのマレコンの長さ、ハバナを丸ごと実感でき、今でもあの時の感覚がハバナの街を歩く時の基準となっていることすらある。どこまでいってもあまり変わらないコロニアルでくすんだ色の古い建物、雨上がりの水溜りだらけの道路、シャッターの閉まった店、上半身裸の男性、頭にカーラー巻いてストッキングかぶった女性、道で遊ぶ子供たち、痩せこけた犬、そしてあちこちから聞こえてくる音楽・・・これが最初のハバナだった。

2005年のカピトリオ、化粧直し前
セントロハバナのあたり。この道もなんども往復した

それから、ハバナは帰ってくるところ、になった。

ここ15年で個人経営の店やレストランは増え、旧市街には新しいホテルが次々にオープンし、クラッシックオープンカーが観光客を乗せてマレコンを走るようになったけれど、あの時と同じように街を歩いてみると、目にする景色も人々の暮らしぶりもそれほど変わらない。今でもハバナの街を歩くのが大好きだ。いつも混んでいるバスを待つより歩いた方が早いということもあるけれど、ひとりの時はまず歩く。時には少し遠回りしてマレコンも歩く。なんといってもマレコン沿いのハバナの街並みが一番だと思う。この景色を見る度に、かつて住んでいた鴨川沿いの京都の街並みを想い出す。街を少し離れて帰ってきたときに、鴨川沿いを自転車で走ると「あー帰ってきたなあ」といつも思っていた。今、どこかからハバナへ帰ってきてマレコン沿いを行くと、やっぱり同じように「帰ってきた」と感じる。どちらも自分が暮らす街のとっておきの景色。

はじめてのマレコンは、こんな曇り空のした、霞んで見えるハバナの街並みもよい

ハバナはやっぱり歩いてなんぼの街だ。旅行者の方にも歩いて歩き回って、見て、聞いて、感じてそれぞれのとびきりのハバナを切り取って帰ってもらいたい。

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