キューバのコロナ近況 2021.4.15

キューバのコロナ感染は今年になってから3度目の大きな波がきて、一向に減少の気配がない。4月になって8日連続新規感染者が1000人以上(キューバの人口は日本のほぼ10分の1)を記録、ハバナはその半数あるいはそれ以上を占め、多い日には600人を超える。

こうした状況を鑑みて1週間ほど前にキューバの大統領がハバナに対して、「何だかの新たな措置、当初とっていたような厳しい対応をしなければならない」というような内容のツイートをした。そのため、皆はすぐにでも新たな感染拡大予防対策が発表されるのではないか、また公共交通機関が止まり、外出禁止時間が延長されるのではないかと様々な憶測が飛び交う中、緊張して朝晩のニュースに注目していたのだが、2日たっても、3日たっても1週間たっても何の発表もされない。何だかちょっと拍子抜けの感で、あの大統領のツイートについてももうみんな忘れかけている・・・・

ハバナは相変わらず、といってももちろんコロナ前の状態ではないけれど、夜間を除いて人は自由に動いているし、店の前にはいつもの行列。

セントロハバナの遊歩道、サンラファエル通りはいつもの賑わい

ただここ数ヶ月子供達が外で遊ぶ姿は見られない。子供の感染が拡大し、先日は初の未成年者の死亡者が出るという悲しいニュースもあったことから子供達は皆、家からほとんど出ない生活を強いられている。ハバナの学校はこの1年で11月に遅れて始まった新年度から2ヶ月だけ開校、あとはずーっとお休み。1日30分1教科ずつのテレビ教室だけでは何の勉強にもならない。勉強はもちろんだけれど、1年間学校活動なしの異常な体験を虐げられている子供達が本当に気の毒でならない。心の方が「病む」よなあ、と心配するのだけれど我が子を見ている限りはそうでもないか・・・

大学は1年全く開講せずにここまできた。オンライン授業ではないけれど、インターネットを使って学生と教授のやりとりで「課題」をこなすシステムができて、3月になってやっと開始されたそうだ。

失われた1年。

これが1年で終わりそうもないから、辛い。

希望はやはりワクチン。キューバは国産ワクチン候補が5種あって、そのうち2種はすでに治験段階とはいえ接種が始まっている。

感染状況が厳しいハバナと東部の3州で開始されており、これまでのところ大きな問題なく順調、ハバナでは5月中に住民半数の100万人接種予定だとか。我が家も先日家族みんなの個人情報、アレルギーの有無などを記載したメモを提出した。いつ順番が回ってくるかはわからないけれど、日本より早くワクチン体験できるかも。

NO MAS BLOQUEO! キューバへの経済封鎖反対!!

1ヶ月ほど前にヨーロッパで始まったアメリカ合衆国によるキューバへの制裁に反対する動きが、少しずつ世界各地に広がっている。SNSなどで拡散し主に週末、経済封鎖反対、制裁解除の呼びかけをする集会やデモ行進が実施されていてこれまでに少なくとも60カ国で何だかの活動が行われたという。

世界各地で行われた集会の様子 Photo by Cubadebate

昨日3月28日にはここハバナでも若者たちが中心となって、マレコン通りを手描きの看板やキューバ国旗を掲げながら車、バイク、自転車などで列をなしながら、「BLOQUEO反対」を訴えた。

ハバナのマレコンにて Photo by Cubadebate

NO MAS BLOQUEO ノー・マス・ブロケオ

もう経済封鎖はたくさん!といった感じの表現で、キューバでは日々あちこちで目にする。キューバは革命が成功したのち、60年に渡ってアメリカによる様々な制裁を受けている。最たるものが経済的な制裁なのだが、これにより直接アメリカとのやり取りだけではなくて、ありとあらゆる経済活動が制限されてしまう。アメリカ製品がキューバへ直接入ってこないのはもちろんだが、他国製品でも原材料にアメリカ製のものが使われていたり、アメリカが特許を持っているものだったりしても輸入できない、USDの送金や支払いが制限されるなどなど。ちなみに現在日本の銀行からキューバへ国際送金しようと思ってもできない。直接的なものだけでなく、例えば他国がキューバへの輸出する際もアメリカの一声でスムーズにいかないこともある。「テロ支援国家(とアメリカが指定している)キューバへ売るなら、お前のところから買ってやらないぞ」と。どう考えても弱いものいじめでしたかないことが、60年以上に渡って行われ続けていることはやはりおかしい。もうやめるべきじゃないか、という動きは当然のことながらこれまでもことあるごとに行われてきたわけだ。

アメリカ国内でもPhoto by Cubadebate

キューバに暮らすようになって、経済封鎖の影響がいかに深刻かというのを日々の生活で実感してきた。それがこの1年コロナによる物流と人の動きの鈍化によって「物不足」にも拍車がかかってきた。日本での大量消費生活にうんざりしていた私でも、さすがにちょっと「やばい」と感じ始めている。

アメリカの政権が交代した今がチャンス。世界中からの声が届き、アメリカの政権の対キューバ政策が良い方向へ向かうことを誰もが期待している。

キューバのコロナ近況

2021年2月16日23時59分現在の感染状況:新規感染者824名(ハバナ472名)、現状陽性者5108名、累計感染者40765名、累計回復者35342名、累計死亡者数277名

2月も後半となったが、キューバのコロナウィルス感染状況は一向に改善されない。1月以降、毎日の新規感染者数はぐんぐん増えて全国で1000人を超える日も2度ほどあって、もう700、800という数字にも慣れてしまった。それにしても一定の措置をとっているのになかなか減らないのが気になる。

photo by Granma

全国の感染者数の半数がハバナということもあり、市民は外出禁止や公共交通の運休などもっと厳しい措置をとるべきという声もあるようだけど、今のところは今の予防策を厳守して、特に各自がやるべきことをきちんとやることでなんとか感染拡大を食い止められるはず、と思っている人も多いんじゃないか。その証拠に最近はいつもの「行列」の間隔もしっかり広めにとられ、バスの人員制限も少し前に比べて守られているように思う。子供の感染が拡大したこともあって、街中でも近所の公園でも子供の姿は全く見えないし、我が家にやってくる息子の友達もいなくなった。子供の親に罰金が課されるとの「脅し」も効いているのだろうけど。

国境の水際対策としては、2月6日から空港閉鎖こそないものの全ての入国者に対して指定施設での隔離措置が取られ、入国後5日目のPCR検査が陰性になるまで基本的に外出できないことになった。それ以前に取られていた措置は継続されるので、キューバへ入国する際には入国前72時間以内に実施されたPCR検査の陰性証明書の提示、空港でのPCR検査、5日目のPCR検査と1週間ほどの間に3回も検査を受けなければならない。キューバ出国時にも他国へ入国時に陰性証明が必要な場合が多いので、また検査。そうまでして観光でやってくる人っているんだろうか。観光再開への道はまだ遠い・・・

ところで世界的にもワクチンが唯一のコロナ収束の手段として注目され、すでに多くの国で接種が開始されているようだが、キューバでも国産ワクチンの治験が進んでいる。WHOにコロナワクチン候補として認証されている開発中のワクチンが4種あり、すでに最終治験段階に入っているものもある。当初の予定では2月中に接種開始とのことだったが、少し遅れる見通しだ。それでも国内で一般への接種が始まれば、速やかに全ての国民に無料で接種されるだろう。

キューバ産ワクチン候補4種:ソベラーナ01、ソベラーナ02、マンビサ、アブダラ 
photo by Granma, ilustration:Instituro Finlay de Vacunas

ワクチンに関しては、効果や接種時の副反応を懸念する声も聞かれるがキューバではどうか?キューバは独特の医療制度をとり医療レベルが高いことで知られるけれど、何より国民が自国の医療に絶大な信頼を置いていることがこの国の医療の大きな支えになっているんじゃないかと思う。キューバでは、子供からお年寄りまでお医者さんの言うことは「絶対」なのだ。ワクチンについても打たれて当然なので、接種拒否をする人もいないだろうし、早いところ全国民に接種してもらって国内での感染を完全収束することをみんなが待ち望んでいるに違いない。もちろん「自前」のワクチンで。

さあて、いつ頃このキューバ産ワクチン体験できる?!

キューバでホセ・マルティに出会う

キューバを訪れたら、ホセ・マルティに会わない訳にはいかない。どこへ行っても国家の英雄マルティがいる。

多くの人が降り立つ首都、ハバナの空港がその名も「ホセ・マルティハバナ国際空港」。それから現地通貨に両替したら、1ペソ紙幣・硬貨の肖像はマルティ。

ハバナの街中散策では旧市街とセントロハバナの境界、カピトリオ(旧国会議事堂)にも程近いパルケセントラル(中央公園)に立ち寄る。公園の真ん中には指差すマルティ。ぐるりと囲む国樹である大王ヤシの木が、マルティの誕生日1月28日にちなんで28本あるのは意外に知らない人も多い。

革命博物館の前の広場にあるマルティ像は、彼の最後の場面を再現したもの。落馬する寸前の躍動感ある像で作品としても素晴らしい。ここからまっすぐ海の方を見ると独立戦争を共に率いた同士、マキシモ・ゴメスの像が目につく。

ハバナの新市街観光で欠かせないのは革命広場、そこで高くそびえる塔はホセ・マルティ記念館。入口前にあるマルティの巨大な像も目を引く。館内にはマルティに関する資料が豊富で彼の一生について知ることができる。

マレコン沿いを行くと、アメリカ大使館の前の広場に子供を抱きながらビシッと大使館の方を指差すマルティがいる。ちなみのこの広場の名前はTribuna Antiimperialista José Martíホセ・マルティ反帝国主義の広場、アメリカ大使館の前にそんな名前の広場を作ってしまうキューバの真っ直さ。

photo: Cubadebate

サンティアゴ・デ・クーバにはマルティが眠る。たくさんのキューバの英雄や著名人たちの墓があるサンタ・イフィヘニア墓地の中でもとびきり目立つ六角柱の霊廟。今はこのすぐ近くでフィデル・カストロも眠る。

キューバ革命軍が政府軍とゲリラ戦を繰り広げたシエラマエストラ山脈にあるキューバ最高峰、トゥルキーノ山頂(1974m)にもマルティ。これはなかなか会えない。

photo: MINREX キューバ外務省HP

マルティの像は全国どこへ行ってもあちこちにある。小学校や中学校の校庭には必ずあるし、公園や公共施設、屋内外問わず、数え切れないほどのマルティがキューバ人を見守っている。

キューバの英雄、ホセ・マルティ誕生168年

キューバでは多くの歴史上の人物や著名人の誕生日をお祝いするが、この人の誕生日は特別だ。

José Martí ホセ・マルティ(1853-1895)

Héroe nacional 国家の英雄の称号を持つホセ・マルティは、間違いなくキューバ国民の誰もが尊敬する人物だ。

マルティは、19世紀後半キューバのスペインからの独立に尽力した政治家であり、同時期のラテンアメリカ諸国へ大きな影響を与えた思想家であり、小説家であり、詩人であり・・・と、どのような人物だったかをここでざっくりと説明することができない程、多岐にわたって活躍し偉大な功績を残した。

ざっと生涯をたどると・・・1853年1月28日スペイン移民の両親の長男(妹が7人)としてハバナに生まれる。小学校を終えて美術学校在学中の1868年に第1次独立戦争が起こると、独立に賛成する立場で出版活動や独立派との交流を持ったことから1869年(16歳)に投獄されてしまう。のちにピノス島(現青年の島)に送還され、そこから1871年にスペインに渡る。スペイン滞在中には文学や法律、哲学などを研究し、この間にキューバの独立に言及する書物も出版もした。その後、文学活動を続けながらメキシコ、グアテマラを経て1878年にキューバに帰還、キューバでは10年続いた第1次独立戦争が鎮圧されたところだったが、マルティはキューバ独立を諦めることなく再び独立へ向けた活動を展開したため、亡命という形でまたしてもキューバを後にせざるを得なくなる。それからはスペイン、アメリカ、ベネズエラと転々とし1881年に多くの亡命キューバ人が滞在していたニューヨークへ移住し14年間暮らす。この間にはパラグアイ、アルゼンチン、ウルグアイの駐米領事を歴任するなどして政治活動を行ったほか、文学活動も続け彼の代表作となる多くの作品を執筆、発表した。

Edad de Oro「黄金時代」は子供向けに書かれた作品集、もともとはアメリカで出版された雑誌に掲載されたもの。キューバの子供達はみんなこの本の作品を読む。日本語版もあり

そうしながらもキューバへの想いは途絶えることなく、1892年にはキューバ革命党を設立、再びキューバへ向かう準備を開始する。1894年には革命資金を調達するためにメキシコへ赴き武器や船を確保するものの1度はフロリダからの出航に失敗、その後1895年ドミニカ共和国のサント・ドミンゴに寄港、Máximo Gómezマキシモ・ゴメスら同士と合流し同年4月についにキューバ東部へ上陸、第2次キューバ独立戦争の勃発となる。マルティも自ら戦闘に加わってオリエンテ県(現サンティアゴ・デ・クーバ州など)中心に各地でスペイン軍と激しい戦いを繰り広げる中、同年5月19日ドス・リオス付近(現グランマ州)で銃弾を浴びて落馬、キューバ独立を見ることなく生涯を閉じた・・・

と、42歳の短い生涯を実に濃く生きた人。マルティ自身または彼に関する書物や資料は膨大で多くは日本語にも翻訳出版されているけれど、それほど日本では知られていないかもしれない。でもマルティなしではキューバを語れないし、キューバを訪れたらマルティに会わない訳にはいかない。キューバはマルティの国だ。

キューバ革命を率いたフィデル・カストロもマルティを師と仰いでいた。現在の体制だけを見るとキューバを社会主義国家と簡単に括ってしまいがちだけれど、もともとフィデルは社会主義国家を目指していたわけではなくマルティの掲げる平等主義、ラテンアメリカ主義といった考えに同調して国をひとつにまとめようとしたと言われる。キューバ革命の思想=マルティの思想なのだ。

例年の1月28日、息子の学校でも子供達が揃って団地内のマルティの像まで行進

この国家の英雄、ホセ・マルティの誕生日1月28日は、祝日でこそないものの(祝日にしたらいいのに、と思う)全国で様々な行事、お祝いが行われ、数日前からメディアではマルティに関する報道が増える。毎年この日子供達は学校へ花を片手に登校し、学区の広場などにあるマルティ像まで行進をして花を掲げ、それから鼓笛隊の演奏やダンス、寸劇などの披露、といったことを全国すべての学校で行う。

ハバナでは誕生日前夜27日の晩、ハバナ大学に松明を持って集まりマルティに敬意を評してその思想にともしびを掲げながら行進する、といった前夜祭まである。これはマルティ誕生100年の1953年にハバナ大学の学生連盟の呼びかけによって始まったもので、その年の群衆の中にはフィデル・カストロもいた。そして同じ年の7月にモンカダ兵舎を襲撃してキューバ革命の戦いが始まったのだ。

例年のハバナ大学からの松明を持っての行進、大勢の人が参加するPhoto: Irene Pérez/Cubadebate

今年、マルティ誕生168年はコロナの影響でいつもの行事も縮小したり形を変えたりせざるを得なかった。「ハバナ大学の松明」も通常より早めの時間に、密を避けて限られた参加者のみで行われた。

今年の様子、一般の参加はなく学生連盟の学生らのみで行われた。ソーシャルディスタンスも十分にとって Photo: Endrys Correa Vaillant/Granma新聞

それでも、キューバ人のマルティへの想いは変わらない。ホセ・マルティは永遠にキューバの英雄だ。

キューバのコロナウィルス感染予防対策:感染流行期に後退、規制の再強化

先日1月10日にハバナが感染回復期フェーズ3からフェーズ1となって、わずか3日後にハバナを含む8つの州が感染流行期にまで後退してしまった。

毎日の新規感染者数は日々増えて一気に500の大台に乗って、重症者数も急増した。年明けから国際線を制限し、PCR陰性証明提出を義務化したこともあり海外からの入国者自身の感染数は減ってきたが、感染して帰国した人たちの接触者から接触者へと次々に広がっている模様。政府は数日前に出した感染予防のための規制に加えて、学校機関の休校を発表した。

あーーーーーーっ、きてしまった!恐れていた学校の閉鎖。

ハバナではやっと11月に学校が再開して、12月に新年度が始まって年末年始の休暇が明けたところなのに、それもわずか1週間余りで再びの休み。我が家の息子もあまりに長い休みの後の学校生活は思っていた以上に楽しかったらしく、張り切って登校していたのに・・・学校で集団感染の例はないので、予防策をしっかりして休校せずに継続するって言ってたのに・・・

いつもながら素早すぎる政策の変更にがっくりしてしまった。

photo by Cubadebate

公共交通もまた運休となるのではないかとビクビクしていたのだけれど、夜間の停止だけにとどまるようでホッとした。ひとまずハバナ市内を動くことはできる。

WHOによるコロナウィルスのパンデミック宣言がされてから、まもなく1年、キューバ国内で最初の感染が確認されてから10ヶ月、制限された生活と毎日のコロナ報道に世界中の人が疲れてしまって、気が緩んでしまうのも仕方ない。キューバ人たちも罰金だからマスクはしているけど「正しく」していない、バスの定員もきっちり守らない、帰国者がいたらこっそりパーティーしてしまいたくなる気持ちもよくわかる。でもここは気を引き締めていきましょう、というのも最もだ。

それでもいつまで、という出口が見えないのがやはり辛いし、気も緩む。

今度の学校の休校もいつまでなんだか・・・考えるとため息しか出ない。

キューバのコロナによる規制緩和:ハバナ、第1フェーズへ後退

昨年11月15日にハバナ空港が再開して以降、キューバ全国でのコロナウィルス感染拡大が止まらない。12月の累計感染者数はこれまでで群を抜いて多く、年が明けて1月になってから1日の新規感染者数が3桁となる日も珍しくなくなってしまった。そしてここ数日は毎日のように記録更新であっという間に400超え。やはりハバナの感染者数が多いが、地方でも感染者が急増している地域があり全国的に拡大傾向。

photo by : Granma新聞

原因は明らか。海外から帰国したキューバ人が持ち込んだウィルスにより家族や知人友人たちへと感染が広がったもので、ここ15日間の新規感染者の75%ほどが海外からの帰国者およびその濃厚接触者となっている。帰国者も含めてキューバ入国時と入国後5日目にPCR検査を実施し陰性でない限り外出はできないとしているものの、たとえ本人が自宅から出なくても帰国者を大々的に歓迎してフィエスタ=パーティーをしたり、お宅訪問したりするキューバの習慣は変わらない。コロナの影響で長いこと帰国を制限されていた人達も多いだろうから、再会を喜んでハグもキスもするだろうし、自宅でだったらいいんじゃないかと軽く宴会してしまう気持ちも十分にわかる。

でもその結果が明らかに感染者数に出てしまった。

海外から持ち込まれるウィルスを防ぐために1月1日より国際線の減便が発表され、1月10日からは入国者全員にPCR検査陰性証明書の提出を義務とした。そしてついに最近の状況を受けてハバナは1月10日よりこれまでの回復期第3フェースから第1フェースへ後退となってしまった。

夜間のマレコン滞在も禁止に・・・

これによって、

・7:00pm-5:00amに公共の場(公園、マレコンを含む)で停滞することと禁止する。またこれらの場所での飲食サービス、飲酒の禁止。
・9:00pm-5:00amの全ての公共交通機関の運行停止。
・1月12日深夜0時以降のハバナ国境をまたぐ公共交通機関の停止。公共車両、個人車両は検問所でのチェック強化。
・レストランやカフェの営業は7:00pmまでとし、座席数の制限を厳守する。
・映画館、劇場、バー、ナイトクラブ、キャバレー、ディスコ、パーティー会場の閉鎖。
・自宅でのパーティーの制限。
・リモート勤務の推奨。
・空港への家族出迎えは運転手含めて2名のみで行う。
・公園や公共施設でのアクティビティーの停止。
・病院での診察治療は継続するが、緊急を要さない限りは50%に制限する。
・学校施設は休校とはせず、感染予防対策を強化して維持。
・市民に対する公共サービス等は継続。
・図書館、博物館、ギャラリーは開館維持。
・観光関連サービスは継続、ただしハバナ出発の日帰り旅行は除く。
・空港での健康管理シート、滞在先の記入、PCR検査の実施等は継続して実施。

といった措置が実施される。

公共交通機関の全面運行停止と学校の休校がないから、個人的にはこれまでの生活とほとんど変わりない。感染予防対策しながら、行列に並んで食料と生活物資調達、家の掃除に精を出す日々。

2021年、キューバは変わる

2021年が明けた。

キューバでも1月1日はもちろん新年の始まりであるのだけれど、「革命勝利の日」という大事な祝日でもある。

1959年1月1日、当時のフルヘンシオ・バチスタ大統領が海外へ逃亡しキューバ革命軍の勝利が決まった日。この日から現在までキューバの革命は続いているという認識があるので、キューバでは西暦とともに革命勝利の年から数えて〇〇年という呼び方がある。つまり今年はAño 63 de la Revolución 革命63年。

新聞の日付も西暦と革命〇〇年が併記されている。ちなみに年が明けて新聞代金も5倍になったのに注目!20セントから1ペソへ

そして2021年1月1日はキューバにとって大きな改革が始まる特別な日、人々はXデーならぬ0(ゼロ)デーと呼ぶ日がついにやってきたわけだ。これまでにも何度か触れたように、キューバに流通する二つの通貨、CUCとCUPが統合されて、今後はCUP(キューバペソ)のみが流通することになる。

CUP紙幣にはキューバの英雄たちの肖像画のアップ、人気のチェ・ゲバラ3ペソ札もお手軽に入手できるようになる?!

そして同時に大規模な経済改革が1月1日から実施される。中でも大きいのが国家公務員の給与改革で月給が5倍になるのに従って、これまでの公共料金や配給品などのCUP価格がほぼ5倍になった。そのほかの品物も社会主義体制のキューバでは多くの価格は国が決めるのだけど、個人経営の店も存在するわけでそういったところでは必要以上の値上げ、いわゆる便乗値上げがすでに横行している。その上がり方が半端ではないので驚く。

これまでもキューバの物価は決して安くはなかった。社会主義で教育と医療が無料で、配給制度があって生活が保障されているとはいっても、本当に生活していく上で必要な物資を手に入れて生活するためには、それなりの出費が必要だ。キューバを訪れた人ならわかると思うけれど、近隣の中南米諸国と比べてもホテル代金、飲食費、タクシー代金など相当高くつく。決して旅行者に対してだけでなく、現地で生活する者にとっても公共料金や生鮮食料品の一部を除く物価は日本のそれと変わらなかったり、それ以上だったりする。

バスの料金も1月1日から上がった。40セント=1.8円だったのが、ぴったり5倍の2CUP=約9円。それでも格安だけど・・・

それなのに今回の値上げ。

最近のニュースや人々の関心はコロナの感染者数の増加よりも、もっぱらこの「値上げ」情報。急に変化がありすぎて色々な噂や間違った情報も飛び交っているけれど、もう始まってしまったからには、必要な時がきたらその都度情報を入手するしかなさそうだ。 今後の混乱が「多少」で済んでくれることを祈るしかないが、それより何より私の頭の中の計算機が早いところCUPに慣れてもらわないと困る。これまで2つの通貨でお札も2種類でややこしかったのは解消されたものの、まだ料金を言われても全くピンとこなくて買い物しても「はて、こんなもんだっけ?」と戸惑っていてはいかんよなー。

今年もキューバで年越し、ゆく年2020

世界中がコロナに翻弄された、あまりに特別な1年が終わろうとしている。

キューバにとっても、コロナの影響で厳しい年だったことは間違いない。アメリカ合衆国の経済封鎖に加えて、物流の制限による輸入品量の減少、国の重要な経済基盤となっている観光業の滞り、そしてもちろん国内でのコロナ感染。世界的にも特殊な医療体制を持つキューバのコロナ対策は、それほど注目されなかったかもしれないけれどその独自の方法で当初の封じこみに成功していたように思う。8月、11月以降と感染再拡大はあったものの他国と比較すると人口比あたりの感染率、死亡率は低く抑えられている。4月以降最初に感染爆発があったイタリア始め、カリブ海諸国、中南米諸国など各国への医師団派遣は今も継続、ワクチン開発も順調に進んでいて、コロナがあった故にキューバの医療が改めて注目された年でもあった。

Henry Reeveヘンリーレベ医師派遣団の出発式の様子 photo: MINSAP保健省、Granma新聞

現状は11月15日にハバナ国際空港が再開して国際線発着便が増加してから新規コロナ感染者数が急増し、12月の月間累計は3月にコロナの国内感染が始まって以降最多となってしまった。世界的にも再度感染が拡大傾向にあることも考慮して、政府は2021年1月1日から、2021年1月1日よりアメリカ合衆国、メキシコ、パナマ、バハマ、ハイチ、ドミニカ共和国からのフライトの減便を発表した。また1月10日より、全ての入国者は出発国において認められている医療機関でキューバ到着前72時間以内に実施されたPCR検査の陰性証明書を入国時に提出しなければならないことになった。これらは11月15日の空港再開時より実施されているその他の各種措置に追加して実施されるため、キューバ入国時にもPCR検査を実施し、検査結果が出るまで(48時間以内)は外出を控える等の感染予防対策に従う必要がある。

空港再閉鎖は今のところないようだけれど、コロナ収束へ向けて前進どころか後退・・・

加えてキューバでは2021年1月1日から、通貨統一とそのほか関連する経済政策の実施という近年にない大きな「改革」の年となる。各方面、各事項について詳細が順次発表されているけれど、やってみないとどうなるかわからない、というのが正直なところなんだろう。国の政策がこんなんでいいのかと思うけれど、議論して決定して告知してやってみてダメならすぐに補正可能なのも一党制社会主義のいいところ?!先日発表された新電気代金が高すぎると国民の不満の声が上がったのを受けて、すぐに修正された料金表が発表された。やってみる前からこの調子なので、1月1日以降に混乱しないわけがない。

そんな中でも、キューバ人たちの目下の関心は目の前に迫った年越しのご馳走だ。

年末だけでなくいつも食べてる定番メニューではありますが・・・

ここ数ヶ月めっきり市場で見なくなったキューバ人の好物豚肉、年末のメインは何がなんでも豚の塊なので果てどうするのだろう、と思っていたのだけれど先週あたりから配給所で特別に豚を売り始めた。配給所で、というのがミソなのだけれど国が国民のために平等に各家庭に届くようにと、配給手帳と身分証明書提示で1回のみ豚肉購入可能というシステム採用。我が家も豚肩ロースとバラ肉をドーンと塊で50USD分ほど購入、配給扱いとはいえ決してお安くはないのだけれど、それでも皆なんとか豚肉をゲットしているに違いない。

そして31日の晩はキューバの9割以上の家庭で、豚肉料理+コングリ(黒豆の炊き込みご飯)+ユカ芋という超定番メニューを食べ、ラム酒を飲み、大音響で音楽を鳴らし、おしゃべりに興じながら新年を迎える。

コロナもなんのその、譲れないキューバ人的年越し、2020年も暮れていく。

キューバで一番盛り上がる、Remediosレメディオスのクリスマス

キューバのクリスマスは、いまいち盛り上がらない。今年はコロナの影響もあって、いつも以上に静かで寂しいクリスマスだった。

だがそんなキューバにもクリスマスに盛り上がる街がある。中部ビジャクララ州北部にあるSan Juan de Los Remediosサン・フアン・デ・ロス・レメディオスだ。レメディオスは1515年創立の歴史ある都市、コロニアルな街並みが残る穏やかで美しい街。ここで12月24日の聖夜の晩に行われるのがParranda de Remediosパランダ・デ・レメディオス、レメディオ祭。2018年にはユネスコ無形文化遺産に指定され、今年で200年を迎えた伝統的なこのお祭りを目的に、クリスマスには世界中から観光客が集まって近郊も含めて宿は満室となり大変な賑わいを見せる。

祭の起源は1820年、街の教区長が12月24日寒い夜に行われるミサへ、宗教に興味を持たずに街をぶらつく若者たちを鳴らし物の楽器などを使って教会に呼び寄せたことに始まるという。時代とともにSan Salvadorサン・サルバドールとEl Carmenエル・カルメンの2地区に分けて、音楽、ダンス、山車、広場の飾り付けなどどちらがより賑やかに聖夜の夜を盛り上げるかを競う祭りとなり、今に伝わる。

広場には両地区渾身の作、夜にはイルミネーションで光り輝く

キューバには各地に夏のカーニバルが行われるが、ハバナのそれなんかとは比べると、山車の飾りや踊り子の衣装は格段に手が込んでいて美しいのに驚く。

衣装が素晴らしい!Photo: Irene Pérez/Cubadebate

これらに加えてレメディオス祭りの名物は、当日打ち上げられる花火だ。夕方の開始時、夜が更けてから、深夜のミサが終わってからと何度か花火タイムがあって両地区が競うように花火を上げまくる。日本の花火のように洗練された美しさはないにしろ、とにかく音と打ち上げる数がすごいらしく映像を見ると空が煌々と明るくなってむせるほどに煙がモクモクと上がるほどだ。

Photo: Ismael Francisco/Cubadebate

12月24日から25日の明け方まで一晩中、眠ることなく続くレメディオのパランダ。この日のために街の人々は1年間かけて準備し、全ての成果を一晩にかけるという。

実は2年前、祭り当日ではなくて前日23日にレメディオスに滞在する機会があった。広場には両地区の最大の作品である大きな飾り付けがほぼ組み上がっていて、夜になると広場近くのメインストリートには夜店が並び、既に祭り気分が高まる中で街歩きを楽しんだ。広場近くには祭り博物館があるのだけれど、これが写真やこれまでに使用された衣装の展示など非常に良くできているので、祭の時期にレメディオスにいけない人はこちらを見学したらいい。館内ガイドのおばちゃんがものすごい熱のこもった解説をしてくれたのがとても印象に残っている。

前夜祭12月23日もそこそこに盛り上がっていた

そんなレメディオスの人が情熱をかけるレメディオのパランダも、今年はコロナの影響で残念ながら中止。ただ200年目の記念の年だったこともあり、写真集が出版され広場では小規模の式典を開催したそうだ。

今年の12月24日の様子。Photo: Irene Pérez/Cubadebate

来年は夜空をたくさんの花火が彩るレメディオスの祭りが開催されて、キューバで一番盛り上がるクリスマスが見られますように!