第70回ヘミングウェイ国際カジキ釣りトーナメント中止

6月8日から13日にハバナで開催される予定だった第70回ヘミングウェイ国際カジキ釣りトーナメントが中止となった。言うまでもなくコロナの影響でキューバは国境を閉鎖し、観光イベント等はすべて停止状態なのだから仕方がない。

今年開催されていれば第70回、その名にある通りキューバを愛した文豪ヘミングウェイが主催して始められた大会で、世界でもこの種の釣り大会では最も歴史のあると言われている。

60年前の大会にはフィデル・カストロも参加して優勝し、有名な二人のツーショット写真が撮影された。(写真はマリーナヘミングウェイ提供)

キューバにはヘミングウェイゆかりの地が多くあり、日本人観光客も多く訪れ賑わっているが、この大会は日本ではそれほど知られていないかもしれない。そもそも日本のカジキ釣り人口がどれくらいなのか知らないが、大会が中休みも含めて6日間に及ぶこと、キューバという遠方へ出向かねばならないこと、他の有名な釣り大会のように多額の賞金が出るわけでもないことから、日本からわざわざ参加が難しいというのがまずある。

だが2020年7月日本とキューバの友好目的で「浜名湖キューバ ヘミングウェイカップ」というカジキ釣り大会が静岡県で開催されることが決定して、昨年2019年キューバでの大会には初めて日本チームが参加、1日船に乗って貴重なカジキ釣り(見学)体験までさせていただいた。今年も浜名湖での大会関係者の方々が参加予定だったので、キューバ大会参加のお手伝いをして一緒にラテンな釣り大会を楽しませていただこう、と思っていたのに。何なら7月には日本へ行って、浜名湖の大会へも顔を出す予定だったのに。どちらも本年度の大会は中止。

すべてはコロナのせい。

今日のハバナの沖。波もほとんどなく静かだった。ヘミングウェイトーナメント中は我が家からすぐの海岸沖にも、大会参加の船が行くのが見える。

ハバナで列車に乗ってみる

キューバに鉄道に列車が登場したのは1837年、世界的にみても早い時期に列車が導入された国であることはあまり知られていないかもしれない。植民地時代サトウキビ栽培の全盛期、その収穫したサトウキビや生産した砂糖を運ぶためにキューバ各地に鉄道が敷設されたそうだ。もちろんそのうち客車も走るようになり、20世紀の前半ぐらいまでは主要な移動手段であったのが、自動車が台頭して道路網が整備されると鉄道の近代化は遅れ、今キューバ全土にある鉄道路線は効率的に稼働しているとは言えない。ハバナ−サンティアゴ・デ・クーバなど地方を結ぶ長距離路線もあるが、頻繁にはなく時間も車より随分とかかってしまう上、故障や遅延も多いため、陸路であれば車での移動の方が一般的だ。

そのためなかなか列車に乗る機会はないのだけれど、ハバナと近郊を結ぶ2路線で列車に乗ったことがある。2年ほど前までは観光客にも人気のハバナ・カサブランカとマタンサスを結ぶ通称ハーシー列車(チョコレートで有名なハーシー社が輸出用砂糖を運搬する列車のために敷設、キューバで唯一電化された路線)に乗ることができたのだけれど、老朽化が進み修復予定とのことで現在運休中。

ハバナ−San José de las Lejas サン・ホセ・デ・ラス・レハス
ハバナから車なら1時間弱、お隣Mayabequeマヤベケ州の州都であるサン・ホセ・デ・ラス・レハス間の列車。列車だと2時間近くかかる。最初のうちは「ディズニーランドの列車みたい!」と楽しいのだけど、同じような車窓の景色に飽きてくるとお尻の痛さが気になる。サン・ホセより先へも行くけれどお試しだけならこの辺りまで。

サン・ホセ駅。ハバナは旧市街にある中央駅(現在修復中)に発着、もちろん途中の駅で乗下車も可能。

ガヤガヤ賑やかな車内。キューバ人たちの旅姿を観察するのも面白い。

ハバナ−Marielマリエル
ハバナと経済開発特区で有名なマリエル港を結ぶ路線。マリエル港からの貨物車の利用が多いようだが、路線に隣接する地域に住む人たちが近距離利用する客車も1日に数本走っている。鉄道好きの友人の息子さんとPunta Bravaプンタ・ブラバ駅まで1時間ほどの距離を乗ってみた。ローカル色いっぱいでなかなか楽しい経験ができる。

革命広場近く、19 de Noviembre駅。ここがハバナの始発、終点。

乗車前に駅舎内で切符を購入。

出発時間になると構内へ入場、自由席。運が良かったのか、ほぼ定時に出発。

ハバナの西隣りアルテミサとの州境近くにあるプンタ・ブラバ駅で下車。ここからハバナへは車で帰った。

こうした列車体験、ハバナから日帰りで往復できる範囲だとこれといった観光地となる目的地もなく、運行している本数が極端に少ないので往復列車に乗るのは難しいかもしれない。でも鉄道マニアや乗り物好きの方はもちろん、世界でも有数の優れた鉄道を持つ国に住む日本人は、遊園地のアトラクション感覚でレトロでいかにもキューバらしいボロさ加減の列車に乗れば、遠足気分を楽しめること間違いなし?!

意外にシエンフエゴス

シエンフエゴスの街の名前を最初に聞いたのは、キューバを代表する歌手Benny Moré ベニー・モレの唄の歌詞だったように思う。実際に訪れたのは、数年前キューバに暮らすようになってからだ。トリニダに行く途中に立ち寄ったその街は、これといったインパクトもなく「ふーん」という感じだった。そしてお土産物屋で流れていたベニー・モレとプラド通りにある銅像で、そこが彼の出身地であると知った。

シエンフエゴスはキューバ中部南岸にある人口15万人ほどの都市、キューバでは珍しく工業を主要産業とするが、2005年旧市街のコロニアルな街並みが世界遺産に登録され、クルーズ船の寄港地となっていることもあり近年観光にも力を入れている。

スペイン植民地であったキューバにはスペイン様式のコロニアルな街が残るが、このシエンフエゴスはフランス人によってつくられた街。というのも、お隣ハイチが1804年にフランスから独立した際に、キューバへ渡って入植したフランス人たちがいくらかいたそうでシエンフエゴスは1819年に彼らによって作られた。その頃すでにキューバはスペイン領であったため他の街と同様、広場を中心に格子状に道を配して街を形成する大まかな構造はスペイン式としたものの、各々の建物様式や細部の装飾などはフランス式が取り入れられたという。そう言われてみると、メインストリートプラド通りに並ぶ建物や、街の中心ホセ・マルティ広場周辺の建物は、他のキューバの街とはちょっと違う。

フランスへ行ったことがないのでよくわからないのだけれど、外壁を飾るレリーフなどにおフランスなエッセンスが感じられなくもない。

このシエンフエゴスも昨年2019年が創立200年の区切りの年だったため、それに併せて観光名所であるトーマステリー劇場やバジェ邸の修復も行われた。

Teatro Tomás Terry テアトロ・トーマステリー トーマステリー劇場は1889年に作られたキューバでも屈指の劇場のひとつで、今でも様々な公演が行われている。スペイン、フランス、イタリアとヨーロッパ各地の折中様式で舞台上部の装飾や天井のフラスコ画が印象的だが、木製の椅子や照明に施された装飾といったディテールも洒落ている。利用時でなければ内部の見学も可能。

Palacio de Valle パラシオ・デ・バージェ バジェ氏の邸宅、パラシオ=宮殿とある通り個人の家とは思えない豪邸。ヨーロッパからアジアまで多国籍な建築様式、デザインが特徴で建築資材も各国から取り寄せたという、「お金持ちの考えることはわからない」と言いたくなるほど行き過ぎた感がある建物。建築された1917年当時は、これだけの贅沢ができる階層の人たちがキューバにいたということ。屋上がテラスになっていて、モヒートを飲みながら一服することができる。ここから見える穏やかなシエンフエゴス湾の眺めは思わずホッコリ、長居したくなる。

シエンフエゴスでいつも思うのは「ゴミがない」。ハバナ市内はどこを歩いていてもゴミだらけで悲しくなるのだけれど、シエンフエゴスは人が多く集まる公園でもゴミがほとんどなくキレイだ。ハバナの汚さにウンザリしているので、それだけで「すてきなところだー」と思ってしまうが、実際キューバ人にも住んでみたいと思わせる人気の街らしい。適度に都会でありながら、海あり山あり風光明媚で住みやすそうといえば確かにそうかもしれない。通常、シエンフエゴスはトリニダの行き帰りに数時間寄るだけのことが多いのだけれど、日本人観光客の方に案内しても「居心地がいい」「気に入った」「いい街」といったプラスの感想が多くウケがいい

シエンフエゴス、意外にいける?!

ハバナのカピトリオ、完全公開

昨年2019年11月のハバナ創立500年を前にカピトリオ(旧国会議事堂)の修復がいよいよ最終段階に入り、9月ついに建物の中央ドーム部分の覆いが外された。数ヶ月前からすっぽりとシートに覆われていたので中でどのような作業が行われているか分からず、どんな仕上がりになるのか注目されるところだった。そしてお披露目の日、金色に光り輝くその姿を見たときには思わず「おお〜!」と声が出た。

その少し前には、ドーム下、中央入り口の「キューバ共和国を象徴する女性像」がやはり金ピカに修復されて公開された。

その眩ばかりの輝きっぷりは、ちょっとやり過ぎ感があるくらいだけれど、ドームと同様、90年前に作られた時もやはり金箔張りだったそうだから、見事に再現されたということらしい。当時のキューバがアメリカの下でいかに潤っていたかがわかるが、今回の修復でこれらの金はロシアの寄附によるものだそうで、国同士の政治的関係が背後にちらちらどころか、前面にキラキラと現れているわけだ。

10年間におよんだカピトリオの修復では、もちろんピッカピカのドームとブロンズ像だけでなく外壁、内部の隅々まで全面的に行われた。2018年夏には工事が続けられる中、向かって右側半分は一般公開されて見学ができるようになった。ブロンズ像のある中央玄関入り口のホールと見上げるドーム、両翼の廊下、複数のサロン、半円形の下院議会場、ホセマルティの名を掲げた図書館とすでに公開されていた部分だけでも、当時の贅を尽くした建物内はヨーロッパの宮殿並みでとても見応えがあったのだが、2020年1月より修復の終わった左半分の公開も始まった。奥の方でどうやらまだ作業中の箇所もあるようだが、これで一応完全公開ということらしい。

新たに公開されたのは上院議会場といくつかのサロン。

上院議会場は、下院のそれよりも小ぶりだが、高い天井には美しいステンドガラス、マホガニーをふんだんに使った机に椅子と贅沢なつくり。

他のサロンはそれぞれ展示施設として利用されており、パネルや映像でキューバの歴史的場面やカピトリオ建築に関わる資料の部屋、キューバの国家、国旗、紋章を説明する部屋がある。

今回見学箇所が増え、特に新たに公開された部分は文字資料も多いのでゆっくり見学したいところなのに、見学時間は変わらず45分のままなので時間が足りない。ガイドとともに回らなければならないので限られた時間しかなく、かなり駆け足となってしまうのが残念ではあるけれど、ハバナ旧市街観光の途中で是非入場してほしい。

キューバ土産事情

「キューバのお土産、何がオススメですか?」

聞かれる度にいつも悩んでしまう。一般的には海外でも有名なキューバの名産品である葉巻、ラム酒、コーヒーあたりだろうか。キューバを訪れた記念に葉巻を吸ったことがない人がCohiba(コイバ、一番高級な葉巻ブランド)、普段ラム酒は飲まないけれどモヒートは最高だったから家でも試してみようとHabana Club(ハバナクラブ、キューバを代表するラム酒ブランド)、朝食で出たコーヒーが気に入ってキューバンコーヒーを買うのはもちろんオススメだし、是非キューバの味を日本へ持ち帰って楽しんでもらいたいと思う。

ただし、これらすべて嗜好品であるため好きな人には良いけれど、やらない人へのお土産としては不向きなのが難点。

キューバは、コロンブスに発見される以前にこの島で暮らしていたいわゆる原住民と呼ばれる人たちが絶滅してしまっていることもあり、中米のメキシコやグアテマラ、南米のペルー、ボリビアといった国のように植民地時代以前の文化が受け継がれ、現在にいたる伝統工芸品というものがない。個人的にはそうした手仕事による雑貨が大好きなので、そうした国へ行くとお土産天国だわーと嬉しくなるのだが、キューバにはそれがない。近年、国が観光業に力を入れて新しく民芸品的なお土産も開発しているものの、国営工場の計画的量産体制から生み出されるものはセンスがないし、原材料の乏しさが目に見えてわかる。

キューバはお土産に関して言えば、ショボすぎ、残念すぎである。

とはいえ、何かしら思い出の品が欲しいし、日本にはお土産を「ばら撒く」という習慣もあるから何か持ち帰らないといけない。そこで個人的にオススメしているのは、蜂蜜、石鹸、トリニダへ行ったら刺繍を施した布、楽器、キューバ音楽のCDあたり。

蜂蜜は意外に知られていないが、海外にも輸出していてなかなかの高品質。純粋な味わいで美味しい。一番小さな容器に入ったものが2CUC(約240円)ぐらいから。花粉入り、プロポリス入りなんていうのもある。お土産物屋、スーパーで購入可能。ハバナ旧市街には専門店あり:Amargura e/San Ignacio y Mercaderes, Habana Vieja

石鹸は別にキューバ名物でもなんでもないが、ハバナ旧市街のサンホセ民芸品市場に入った店にあるセンスの良い天然手作り石鹸は、日本人的感覚で合格点。キューバらしいコーヒーやココナツの匂いのものも。1個2.5CUC(約300円)から。サンホセ民芸品市場入り口から一番手前の通路、右手一番奥にある小さな店『D Bruja』にて。

トリニダ名物のファゴッティングという伝統的な透かし入りの刺繍を施した布。小さいものはコースターやランチョンマット(2-3CUC)、大きいものはベッドカバーサイズまで。基本は白い木綿か麻に単色刺繍だが、色物のステッチが入ったものもある。手の込んだ透かしが多く入ったものほど高い。

民芸品として作られたマラカスなどの楽器は、インテリアとしても使えるけどちゃんと「音」が出るので鳴らして楽しめる。小さいお子様へのお土産にもいいかも。合わせてキューバ音楽のCDも入手して欲しいところ。路上やレストランで演奏するミュージシャン達も自作のCDを売っているので、気に入ったら1枚どうぞ。

そのほかに人気のもの、個人的な趣味やコレクションがある方はこんなものもお土産にしています、というのをご紹介。(基本的にハバナで入手可能)

ゲバラTシャツ:なんだかんだ言って、結構な確率で皆さんご購入。Tシャツとしての質は決して良くないので、パジャマや家着に。

3ペソ硬貨と紙幣:キューバの通貨、人民ペソ。チェ・ゲバラの肖像が人気。キューバ人がフツーに使うお金だが、なぜか流通量が少なく(理由は想像下さい)両替所や銀行でもらおうと思ってもなかなか難しい。

LPレコード:19世紀前半代から80年代のレアな音源がたくさんあるらしい。古本屋、アンティークショップで購入可能。

絵画:キューバのモダンアートは世界的にも評価が高い。せっかくなら量産されたお土産品ではなく、あちこちにある個人のギャラリーを覗きながら品定めをするのが良い。

煙草:キューバ人用の配給所を兼ねた店で売っている両切りのキッつい煙草。あなたの健康を果てしなく害する可能性がありますが。

グアジャベーラ:キューバの男性の正装にもなっている4つポケットのシャツ。女性用のワンピースもあり。お土産物屋ではなく専門店で買うべし。

チョコレート:カカオはキューバ東部で多く栽培され、チョコレートの生産も行われている。ハバナ旧市街に専門店もあるが、閉まっていることも多く、オープンしていても商品数は決して多くない。買えたらラッキー。

セレクトショップ雑貨:最近はデザイナーが出品販売する雑貨や服装品のショップが何件かある。キューバらしい素材、デザインのものも多くセンス良し。

砂糖:キューバの主要農作物、ラム酒の原料でもある砂糖。精製されすぎていなくて美味しいのだけれど、店ではほとんど販売しない。なぜなら、配給でたっぷりもらえるから・・・我が家の配給品で良ければ、いつでもお分けします!

でもやっぱりキューバのお土産として一番オススメなのは、キューバでしかできない体験、キューバ人と共有する時間、そして思いっきり絵になる街並み、景色、人々の写真を想い出としてお持ち帰り、かな。

心揺さぶるイスラ・デ・フベントゥ(青年の島)

65年前の1955年5月15日、モンカダ兵舎襲撃の罪で投獄されていたフィデル・カストロが同士らとともに恩赦を受けて釈放された。モンカダ兵舎を襲撃した罪で1953年10月からこの日まで、フィデルらはイスラ・デ・ラ・フベントゥ(青年の島、当時のピノス島)にあるプレシディオ・モデロ刑務所へ約19ヶ月に渡って収容されていた。

釈放時、フィデルが手を挙げて仲間たちと刑務所から出てくるところを捉えた写真。この背後に映るのが、プレシディオ・モデロ刑務所の玄関なのだが、同じ場所を初めて訪れた時の高揚が忘れられない。

プレシディオ・モデロ刑務所は1968年の閉鎖後整備され、現在は一般に公開されている。広大な敷地の中にパノプティコン型と呼ばれる円形の牢獄、食堂などが配置されていて、当時のままの様子が見学できる。大量の囚人たちが収容された円形牢獄ではなく、別の建物にあるフィデルが過ごした場所も入場でき、そこには様々な関連資料が展示されている。

フィデルは投獄中、自らが行なったモンカダ兵舎襲撃の意義について国民へ説明するための文書を綴った。その出版は政府の検閲によって阻まれたため、極秘に牢の外にいる協力者たちを使って印刷し全国各地で配布、水面下で革命へ向けた活動を続けていた。それが効を評してフィデルのおこなった行為を支持する人々が増加、国民の政府に対する不信感が高まり、政府側もフィデルらを釈放しないことにはバチスタ政権を存続が危ういとし、恩赦を実施せざるを得なかった。

そのほかにも、日本人にとっては触れずにはいられない歴史がここにはある。第2時世界大戦中、アメリカの傀儡政権であったキューバは日本を敵国とみなし、キューバに暮らす日系移民たちをプレシディオ・モデロ刑務所へ投獄したのだ。日系移民たちが投獄されていた棟は公開されていないが、博物館にはイスラ・デ・フベントゥに暮らしていた日系移民家族の写真などが展示されている。

確かにこうした歴史は重いのだけれど、それほど遠くない昔が生々しく感じられて妙な興奮を覚え、キューバで訪れた史跡の中で、間違いなく一番心を揺さぶられた場所だ。

現在のイスラ・デ・フベントゥは、キューバの州ではなく「特別行政区」に区分されている人口8万4千人ほどの島。観光客はそれほど多くないのだが、島の人たちが比較的頻繁に移動することもありハバナ間は航空便と船便がそれぞれ1日2往復ほど出ている。一般的な観光スポットは、プレシディオ・モデロ刑務所とヌエバ・ヘロナの街、近郊のビーチなどでハバナからの日帰りも可能だが、のんびり島気分を味わうために1泊したいところ。今でも多くの日系人の方が暮らしているので、その方たちを訪問することも可能。

懐かしのサンティアゴ・デ・クーバ

サンティアゴ・デ・クーバは、キューバ第2の都市。フィデル・カストロが1953年7月26日にモンカダ兵舎を襲撃したのがキューバ革命の始まりといわれ、その後西へ広がるシエラ・マエストラの山の中でゲリラ戦を展開させて、サンティアゴを拠点にハバナ進軍の基盤を築いたこともあり「革命の里」とも呼ばれる。観光の目玉は、ハバナとはまたちょっと趣の違うスペイン植民地時代のコロニアルな街並みと革命関連の史跡、郊外のモロ要塞、ヘミングウェイがノーベル文学賞のメダルを奉納したことで有名なコブレの聖母寺など。西のハバナと東のサンティアゴは、東京と大阪のように何かと対比されたりもするが、ハバナよりも街は小さくのんびりした印象で、山が近くに見えるからかほっこり落ち着く。黒人率が高くアフリカ文化の影響がより強く感じられ、夏のカーニバルはキューバで一番盛り上がる。方言があるのか発音しない音が多いからなのか、スペイン語はより一層聞き取りにくい。

そのサンティアゴ・デ・クーバへは、15年前初めてキューバを訪れた年に2回訪れて以来、行っていない。サンティアゴ・デ・クーバを含めて西部のラス・トゥナス、オルギン、グランマ、グアンタナモの5州をひっくるめて「オリエンテ(東部)」と呼ぶが、首都ハバナにもオリエンテ出身の人は多く暮らしているし、オリエンテから仕事で来る人たちも多い。そうしたオリエンテの人に
「もう15年オリエンテへ行ってない」
なんて言った時には、
「ええええ〜そりゃ行かなあかんわ。サンティアゴなんてもう、えっらい変わってんでー!!!」(オリエンテ=関西という勝手なイメージ)
と口を揃えて言われる。

でも飛行機で2時間、バスで15時間の道のりはハバナから海外へ行くよりも遠い・・・コロナが収束したら、キューバ国内で行きたいところへまずは行くべきかもしれない、と遠いサンティアゴ・デ・クーバの記憶、写真を見ながら呼び起こす。

サンティアゴ・デ・クーバ旧市街の中心にあるセスペデス広場の市庁舎、フィデルが革命戦争勝利宣言をしたバルコニー。
奥にカテドラルを望む通り。カテドラルも2015年に修復を終えて生まれ変わったらしい。
カサ・デ・ラ・トローバ(トローバの家)、夜な夜なライブに通った想い出。
サンタ・イフィヘニア墓地にあるホセ・マルティの墓。このすぐそばにフィデルが眠る。次回、一番に行きたい。
サンティアゴ・デ・クーバの革命広場、アントニオ・マセオ像。記憶にないけれど、夕方暗くなる時間に訪れたらしい。
モロ要塞。要塞からの眺めが素晴らしかった記憶があるが、2度行って2度とも小雨が降る曇り空だった。青空の下で見たい。
コブレ聖母寺、ひまわりはキューバの守護聖母カリダッへ捧げるために門前でたくさん売っているもの。聖母様にひまわり、キューバらしくてよくお似合い。
♪Y si vas al Cobre quiero que me traigas una virgencita de la Caridad…♪コブレと聞くと頭の中でいつもグルグル回る歌の一節「もし、コブレへ行ったらカリダッの聖母様を持ってきてよ」で、買ったのがこの聖母様。最近まで気がつかなかったけれど、今でも我が家にあったのね!ケース部分がちょっと崩壊しちゃってるけど。

キューバのメーデー2020

5月1日のメーデー、キューバは祝日だ。祝日の少ないキューバで、最も大事な祝日=祝日らしい祝日かもしれない。

例年、5月1日は朝から各都市の広場などに多くの労働者たちが集まって大規模な祝典が開催されるのだが、ハバナの場合は革命広場が会場となる。この日は夜中の2時頃から革命広場から数ブロック離れたあたりに人が集まり始めて、明け方までに団体ごとに集合して準備を整えて待機する。参加者は職業別、職場別にユニフォームやメーデー用に誂えたお揃いのTシャツなどを着て、看板や横断幕そして必ずキューバの国旗を手にしている。もちろんどこかの組織に属していなくても参加可能で、キューバ名物のメーデーの行事を見ようと外国人観光客も早朝から広場へ向かう。

そして夜が明けると同時、7時前には行進が始まる。行進といっても集合場所から革命広場までパセオ通りを500mほど歩き、ホセマルティー記念館の前で待つ来賓たちの前を通って広場へ入るだけ。参加者が皆、広場へ収まったところで共産党第一書記長、大統領らの挨拶があり8時には終了、と実にあっさりしたものだ。

以前は毎年恒例のフィデルの演説を聞くために、広場に入りきれないほどの大観衆が集まり、式の終わった後にはフィデルも一緒に広場から海沿いのマレコン通りへと延々と続く大行進を行うという、まさに年に一度の大イベントだった。革命広場を埋め尽くす民衆を前に、大振りなアクションで演説するフィデルの姿をどこかで目にしたことがある人も多いだろう。中でもちょうど20年前、2000年のメーデーの演説で語られた『Consepto de Revolución(革命の概念)』は、今でも何かにつけて度々触れられるし、「Revolución es…(革命とは)」で始まる冒頭のいくつかのフレーズは誰もが知っている。そのフィデルが最後にメーデーに登場したのが2006年、以後はどんどん規模が縮小されて、現在は交通や観光への影響を配慮もあってか、上記のように早朝にパッパとやって終わる。

とはいえ、大勢の人が「密」になる行事であるのは間違いないので、今年は早々に通常開催の中止が発表された。そして迎えた2020年のメーデー、数日前から「Mi casa es mi Plaza(私の家が私の広場)」という言葉で呼びかけられたように、各家庭でお祝いする形となった。TVで朝8時に国歌が流れ、マスク姿の人が自宅のベランダからキューバの国旗を振る様子、家の前に出て国歌斉唱する人々、そして過去に革命広場で演説したフィデルの姿が映し出された。

社会主義国、共産党一党の国キューバの一番盛り上がる行事がメーデーであるのが、いかにもという感じで「らしい」な、と以前は思っていたけれど、その「らしさ」は時代とともにだんだん薄れている。では、キューバ「らしさ」はこれからどうやって表現されていくのか?

ともあれ、来年のメーデーは通常通り開催されますように(広場には行かないけど・・・)

やっぱりビニャーレス

ハバナからの日帰り観光で人気のビニャーレス渓谷。カルスト地形によってできた奇妙な形のモゴテと呼ばれる岩山が連なり、一帯では世界一と称されるキューバ葉巻の材料となるタバコが栽培される。その緑豊かな美しい自然と伝統的なタバコ栽培の文化の融合は世界遺産にも登録されている。

ビニャーレス渓谷。ポコポコした面白い形の山、モゴテ

タバコの栽培が行われる時期は9月から3月ぐらいまでと限られているけれど、それ以外の時期でもタバコ農家を訪問すれば栽培から収穫、出荷までの流れを説明したり実際に葉巻の巻き方を見せてくれたりする。葉巻に親しみがなくても、キューバの主要産業の一つであるタバコ栽培について現地で知ることは興味深い。同時に農家さん達の暮らしぶりや、タバコ以外の栽培作物、飼っている動物なんかも見られて楽しい。

タバコ畑。右手奥の小屋で葉を乾燥させる

ハバナからだと日帰りで行くことが多いけれど、1〜2泊することがオススメ。一昨年の息子の誕生日旅行で行った時には、カサに2泊してゆっくり楽しんだ。

おなじみの観光地を見学したほか、ホテルのプール、山道をお散歩、モゴテが迫る自然の中のレストランでボリュームたっぷり、野菜もたっぷりのランチ。タバコ農家ではいろんな動物がいるのが楽しくて2時間も遊んだ。もちろん、キューンバンなバースデーケーキでお祝いも!夜は満天の星空の下、キャンプ気分でビール、これは大人のお楽しみ。

子供たちも葉巻体験?!

美味しい空気、美味しい食事、サイコー!

時間があれば乗馬を楽しんだり、宿泊者は早朝のバードウォッチングツアーに参加したりするのも人気だ。他にもサイクリング、トレッキング、最近はロッククライビングも可能ということで、アウトドア派向けのアクティビティーは充実している。

キューバといえば、青い海白い砂浜のビーチリゾートの方が有名かもしれないが、山派にまずオススメは、やっぱりビニャーレス。そして子供連れのファミリーにも是非!

愛しのトリニダ

トリニダが好きだ。

トリニダはキューバ中部、1514年に創られたキューバでも最も古い都市のひとつで、18〜19世紀植民地時代にはサトウキビ栽培で繁栄し、当時の富豪たちが建てた豪華な建物が街の中心部に残る。これらのトリニダの街並みと現在もサトウキビを栽培し、所々に大規模農場跡が残るロス・インヘニオス渓谷は、世界遺産にも登録されている。

街の中心の広場をのぞむ。赤っぽい瓦屋根がトリニダの建物の特徴

トリニダへ初めて行った時に感じたワクワク感が忘れられない。

旅の途中、そこへ足を踏み入れた瞬間に、「おおっ、これは!」とこの先の経験を期待させる胸騒ぎを感じる場所がある。その直感は多くの場合、間違いはない。

トリニダもそうだった。

そして今でも行くたびに、気分が高揚して仕方ないという特別な場所。

なんでこんなに好きなんだろう?

キューバのコインのデザインにある景色、どの硬貨でしょう?!(答:CUC25セント,2021年1月1日通貨統一により消滅)

街の大きさが丁度いい。トリニダは小さな街だ。中心地は歩いて半日もあれば回れてしまう。街の中心にある教会や広場のほかは特に目玉となるような見所があるわけではないけれど、その街並み丸ごとがとにかく素敵だ。石畳の坂道、コロニアルな建物、その中に自分がいると思うだけで、嬉しくなる。

古都であること。古い街はやっぱりいい。歴史のある街は様々な時代に住み続けてきた人々の思いが重なって、なんというか、街そのものに深みがでる。

トリニダの人。かつての繁栄した時代が街の景色にしっかり感じられるのに、そうした時代の華やかさよりものんびりした印象が強いのは、そこに今暮らす人々の生活が反映されるから。トリニダでの楽しみは、もっぱら地元の人たちとのおしゃべり。知人だけでなく、店の人、街の客引き、馬を引くおじさん、あちこちで足を止めて話し込むうちにあっという間に時間が過ぎる。

カサパルティクラル。トリニダでは絶対にカサへ泊まるべき。築200年、300年というトリニダ独特の平屋でコロニアルな建物に泊まるチャンス。観光客も多いトリニダは質の高いカサがたくさんあって、どこも本当に素敵だ。建物だけではない、カサのオーナーのおもてなしもピカイチなので、片言のスペイン語を覚えて、無理なら身振り手振りでコミュニケーションに挑戦して欲しい。

コロニアル建物に泊まろう!

夢は、いつの日かあの街に暮らすこと。

あー、愛しのトリニダ!