懐かしのサンティアゴ・デ・クーバ

サンティアゴ・デ・クーバは、キューバ第2の都市。フィデル・カストロが1953年7月26日にモンカダ兵舎を襲撃したのがキューバ革命の始まりといわれ、その後西へ広がるシエラ・マエストラの山の中でゲリラ戦を展開させて、サンティアゴを拠点にハバナ進軍の基盤を築いたこともあり「革命の里」とも呼ばれる。観光の目玉は、ハバナとはまたちょっと趣の違うスペイン植民地時代のコロニアルな街並みと革命関連の史跡、郊外のモロ要塞、ヘミングウェイがノーベル文学賞のメダルを奉納したことで有名なコブレの聖母寺など。西のハバナと東のサンティアゴは、東京と大阪のように何かと対比されたりもするが、ハバナよりも街は小さくのんびりした印象で、山が近くに見えるからかほっこり落ち着く。黒人率が高くアフリカ文化の影響がより強く感じられ、夏のカーニバルはキューバで一番盛り上がる。方言があるのか発音しない音が多いからなのか、スペイン語はより一層聞き取りにくい。

そのサンティアゴ・デ・クーバへは、15年前初めてキューバを訪れた年に2回訪れて以来、行っていない。サンティアゴ・デ・クーバを含めて西部のラス・トゥナス、オルギン、グランマ、グアンタナモの5州をひっくるめて「オリエンテ(東部)」と呼ぶが、首都ハバナにもオリエンテ出身の人は多く暮らしているし、オリエンテから仕事で来る人たちも多い。そうしたオリエンテの人に
「もう15年オリエンテへ行ってない」
なんて言った時には、
「ええええ〜そりゃ行かなあかんわ。サンティアゴなんてもう、えっらい変わってんでー!!!」(オリエンテ=関西という勝手なイメージ)
と口を揃えて言われる。

でも飛行機で2時間、バスで15時間の道のりはハバナから海外へ行くよりも遠い・・・コロナが収束したら、キューバ国内で行きたいところへまずは行くべきかもしれない、と遠いサンティアゴ・デ・クーバの記憶、写真を見ながら呼び起こす。

サンティアゴ・デ・クーバ旧市街の中心にあるセスペデス広場の市庁舎、フィデルが革命戦争勝利宣言をしたバルコニー。
奥にカテドラルを望む通り。カテドラルも2015年に修復を終えて生まれ変わったらしい。
カサ・デ・ラ・トローバ(トローバの家)、夜な夜なライブに通った想い出。
サンタ・イフィヘニア墓地にあるホセ・マルティの墓。このすぐそばにフィデルが眠る。次回、一番に行きたい。
サンティアゴ・デ・クーバの革命広場、アントニオ・マセオ像。記憶にないけれど、夕方暗くなる時間に訪れたらしい。
モロ要塞。要塞からの眺めが素晴らしかった記憶があるが、2度行って2度とも小雨が降る曇り空だった。青空の下で見たい。
コブレ聖母寺、ひまわりはキューバの守護聖母カリダッへ捧げるために門前でたくさん売っているもの。聖母様にひまわり、キューバらしくてよくお似合い。
♪Y si vas al Cobre quiero que me traigas una virgencita de la Caridad…♪コブレと聞くと頭の中でいつもグルグル回る歌の一節「もし、コブレへ行ったらカリダッの聖母様を持ってきてよ」で、買ったのがこの聖母様。最近まで気がつかなかったけれど、今でも我が家にあったのね!ケース部分がちょっと崩壊しちゃってるけど。

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