再び島へ・・・Isla de La Juventud (イスラ・デ・ラ・フベントゥ)

2018年夏、再びIsla de La Juventud「青年の島」へ行く機会があった。

早朝暗いうちにハバナを発ち、夜明けと共に島へ到着。前回ほどのワクワク感はないものの学校の教室ほどしかない小さな到着ロビーから外へ出た瞬間、ぐっと気持ちが高揚する。島へ来た。

10分ほど走るとすぐにNueva Gerona(ヌエバ・ヘロナ)の街の中へ。自動車よりも自転車が目立つ島の道路、

「田舎なのに人が目立つな。日本の過疎地じゃ道に人なんていないのに」

確かに。なぜならキューバ人はCalle(道)へ出る。Calleでおしゃべりし、Calleで仕事をする。田舎だけど、島だけど、ここもキューバだ。

 

島の観光の目玉はやはりPresidio Modelo(プレシディオ刑務所)。今回もここが最大の目的、それぞれの想いを胸に場内を見学する。廃墟となった刑務所、その建物の中に立つと当時の監守の悪行、拷問、刑務所内の厳しい規律、受刑者同士の争いといった話を聞かなくともクソ暑いのに背筋が少し寒くなるのを感じる。

フィデル・カストロも一時ここに収容されていた。第2次大戦中には日本人移民たちも・・・

早々にメインイベントを終えてしまったが、今回個人的に楽しみにしていたことがある。島に住む日系人、日系人関係者の方々との面会だ。

 

今年2018年は、日本人がキューバへ移民として渡って120年の記念の年であるため、数々の行事が島でもハバナでも行われている。私たちが訪れた前日にも「お盆」のイベントと市博物館で開催される特別展示のオープニングがあった。これらの行事に関わりお忙しい中、日系2世と結婚したキューバ人女性Nさんと島の日系人会会長を務める2世の男性Mさんにお会いすることができた。

 

Nさんは私たちを自宅に招待し、昼食まで振舞ってくださった。初対面とは思えない歓迎ぶり、キューバ式のおもてなしに日本人はちょっと戸惑ってしまうが、彼女自身も繰り返し言っていたように「日本人と楽しい時間を共有するのが何よりも嬉しい!」のだから、ここは遠慮なく長居する。それにしてもNさんの日本愛は半端ないのだが、その想いは彼女の住まいを見てもわかる。日本の団地を思わせるアパートの居間は、そこだけ切り取ればどう見ても懐かしき昭和の家庭の趣。

Nさん宅の居間。どう見ても日本のお宅。

そのNさんが見せてくれたお手製の日本地図には、これまで彼女の家を訪れた日本人訪問者各自の居住地に名前と住所、その他の情報が書き込まれていた。すでに2枚目の地図にも書くスペースがないほどで、移民120年を区切りに3枚目を作ろうかと検討中だとか。それにしても、この島にこれだけの日本人が来ているとは驚き。

今回残念ながら日系2世の旦那様は、娘さんへ会うため渡米中でお留守だった。しかしNさんはご自身で本も出しているほど島の日系人について誰よりも詳しく知っており、食事をいただきながら旦那様との出会いから、日系人の方々の生活ぶりまで色々な話をうかがった。ここはキューバ人、おしゃべりは止まらずあっという間に数時間が過ぎていた。

 

Nさんの案内で博物館へいき、開催中の日系移民120年に関する展示を見学した後、私はもう一人日系2世のMさんに会った。公園のベンチに腰掛け、2時間近く話を聞いた。

「私の日本語は下手ですから」とスペイン語だったが、言葉遣いも話し方も普通のキューバ人よりずっと穏やかで聞きやすかったのは、私が外国人だからそのように話してくれたのか、島の話し方なのかわからないがとにかくよく理解できた。彼の生い立ち、両親の思い出、息子の話、キューバ日系人社会のこれから・・・一通り話したあと、

「私ばかり話していますから、何か質問は?」

と聞かれ単刀直入に尋ねた。

「あなたはキューバ人ですか?日本人ですか?」

おそらく何度も聞かれている質問だろう。フッと笑いながら答えてくださった。

「キューバで生まれて育ったからキューバ人です。でもSangre(血)は日本人。」

特にお母様に日本人としての教育されたことが大きかったとおっしゃっていた。そのお母様は日本へ帰りたいと最後まで言い続け、叶うことなく逝ってしまったという。そのお母様の想いを胸に2014年に初めて日本へ行くことが叶ったそうだ。スマホに保存してあるその時の写真を見せながら、本当に嬉しそうに日本で過ごした時間について語ってくれた。

いつも思うのだが、外国人の語る日本は本当に素晴らしい国だ。

今回Mさんの語る日本はお母様から、他の日系人たちから受け継いだ気持ちがあまりに大きくてそれはそれは素敵な国に思えた。

話をするときMさんは決して「キューバの日系人は・・・」という言い方をしない。「キューバ人は」「キューバは」と言う。やはりこの方はキューバ人なんだと思った。そして最近のキューバ人がよく口にする

「この国ときたら」

と言いながら投げやりに現状を愚痴ることをしない。ご本人もおっしゃっていたように、何に対しても前向きな考え方を口にする方だ。ラテン人の楽観性ともちょっと違う、いい方向へ変わっていく努力をしよう、という姿勢が素敵だった。日本人的なひたむきな努力であるかもしれないし、キューバ人的な革命精神かもしれない。どちらにしても、さらりとそういったことを言えるのがカッコよかった。

 

もうすぐ陽が沈む頃、宿を目指しながら自転車をおすMさんと一緒に歩いた。のんびりゆっくり島時間。24時間の短い滞在の長く濃い1日が終わろうとしていた。

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