ハリケーンの季節:キューバの防災

5月から11月の雨季はキューバのハリケーンシーズンでもある。日本でいうところの台風に相当する発達した熱帯低気圧が、カリブ海・メキシコ湾を含む大西洋北部や北太平洋で発生するとハリケーンと呼ばれる。

スペイン語では、Huracánウラカン。

このウラカンが最も発生しやすくキューバに影響を与えるのが9〜10月と言われている。今年もこれまでにすでにいくつかの熱帯低気圧がカリブ海域で発生したが、ハリケーンクラスまで発達せず、またキューバに接近することもなかった。それが8月の後半になって立て続けに2つ、いずれもハリケーン手前のTormenta Tropical トルメンタ・トロピカル(熱帯暴風雨)がキューバに接近した。Marcoマルコはキューバの南西付近で発生し、西のユカタン半島の間を抜けて北上したので幸いほとんど影響はなく、通過後の24日にはハリケーンとなってアメリカ、ルイジアナ州沖へ向かった。一方Lauraラウラは東隣のハイチとドミニカ共和国で死者が出るほどの被害を出し、そのまま23日から25日夜半にかけて、キューバ東端をかすめて南岸海上を島に沿うようにして北西へ向かった。

左がマルコ、右がラウラ。Photo by NOAA

ラウラは当初の予報で上陸してキューバを横断し勢力を強めながらハリケーンに発達するとのことだったので、数日前から警戒し十分な対策が取られた。ハバナは24日午後から風が強まって雲行きが怪しくなり、海も白波が立って荒れ始めた。我が家は夜7時過ぎには停電(他の多くの地域でも停電したとのこと)、早々に横になって収まるのを待つ・・・窓ガラスがガタガタとして強い風が吹いているのが感じられたが、それほどひどい暴風雨という印象はなかった。夜半過ぎには電気も回復し、25日朝には風はやや強いものの晴れ間も見えるほどで我が家の周辺では大きな被害もなかったことにホッとした。ラウラは結局、夜のうちにキューバの最西の州Pinal del Ríoの一部を2時間ほどかけて縦断し、北の海メキシコ湾へ抜けた。全貌はまだ分からないが、幸い大きな被害は出なかった模様だ。

ところで、キューバではこうした災害への対応でも独特のシステムが取られている。Difensa Civil市民防衛と呼ばれるもので、ハバナにある全国防衛組織本部を中心に想定されるあらゆる災害や非常時に国を守るため全国を網羅する仕組みが存在する。直轄の組織や軍だけでなく学校、病院、店舗、企業など要はありとあらゆる公共組織や企業がこのシステムに組み込まれているので、なんだかの自然災害が発生した場合でも、本部で専門家とともに対策が練られ各指令を関連する組織に発信、すぐに現地で実行、国民が一丸となって国を守る、というわけだ。

市民防衛の日には防災訓練ならぬ、防衛訓練が各地域で行われる。若いおねーちゃんたちも手榴弾投たり、銃を構える。これって本当に役立つ!?

ハリケーンの場合、災害防止対策が徹底しすぎるほどに徹底している。交通機関はそんなに早く止めなくてもいいだろう、というくらい何日も前から完全運休、病院などに避難所を準備して沿岸部など危険地域に暮らす人、高齢者や子供、妊婦など弱者をごそっと避難させ、学校、公共機関や店は有無をいわさず閉鎖。農作物や家畜の被害も最低限に留められるよう国からの指示で対策がとられる。テレビやラジオでは24時間ひたすら情報を流し続けるので、ハリケーンが接近する前にいささか疲れてしまうほど。しかしそのおかげで付近の他国で大惨事となっても、キューバでは人的被害はゼロといった具合で被害を最低限に抑えることができている。

これまでにも何度かキューバでハリケーンを経験したことがあるが、日本の台風と違って接近、上陸してからが長いような気がする。台風の場合は日本に上陸すると勢力が弱まってスピードを上げて北上、というパターンが多いけれど、ここでは陸に近付いて上陸してからもノロノロあるいは一箇所に停滞していつまでも動かない、そしてさらに勢力を増す、なんてこともある。当然の結果、長時間にわたって強い雨風が続くので人々はなかなか身動きが取れず、家屋や農作物などの被害もより大きくなってしまう。

前回ハリケーンがハバナに接近して大きな被害が出たのは2017年のIrmaイルマだったが、この時もキューバの東部北岸からハバナ付近を通って北上するのに1週間近くかかった。通過後もハバナでも停電が続いて不便な日が続き、マレコン添いの建物も大きな被害を受け今でも建物の修復がされず放置されているところもある。農作物は長期にわたって影響があり、壊滅的な被害を受けた東部のカカオは翌々年になってやっと収穫が可能になったくらいで、ハリケーン前のレベルへ回復には程遠い。

ハリケーンイルマの後、小学校の大きな木が根こそぎ倒れた。

今年はコロナの感染による影響がいまだ続く中でのハリケーンシーズン、コロナ感染に加えてハリケーン被害というのは辛い。どうか各地で惨事を引き起こすようなハリケーンが発生しませんように、と祈るばかり。

キューバのコロナによる規制緩和:ハバナ近況

8月10日にハバナがコロナによる規制が再度強化されて、フェーズ0に後退してからまもなく2週間。この間に新規感染者が90超え、3月11日のコロナ感染初確認以降の最高数をピークに2桁を記録する日が続く。ハバナは再び交通機関が止まり、公共施設やレストランなども閉まり、外出自粛の日々・・・それでも一度規制が緩んでしまったからだろうか、当初の規制時よりも何をするわけでもなく外に出ている人も多いし、子供達も親と一緒に歩く姿が見られたりする。毎日の日課は近所の店や市場で出荷されるものをチェックして行列に並ぶことで、相変わらずすごい人が一定の時間一定の場所にあふれかえる。この「気の緩み」に対して、ニュースや公共広告では声高に

¡Disciplina! ディスシプリーナ(規律を守って)

と、連呼している。マスク、手洗い、人との距離をとる、不要不急の外出自粛、何だかの症状がある人すぐに診察を・・・と改めて人々に言い聞かせるように。各家庭訪問しての健康状態チェックも頻繁になり、予防薬として各家庭でホメオパシーの投与も推奨された。そしてハバナは9月の学校開始の延期が決定。

コロナにいつもの夏休みを奪われても、子供達はなんのその photo by Cubadebate

あああああー、最も恐れていたことが・・・!

もちろん子供達が集団感染してしまっては大変だし、現状を考えるとその可能性が心配されるから当然の措置だろう。衛生的にも全てのキューバの学校が感染防止対策を十分に撮れる状態でないのも問題だ。でも各家庭でのインターネットが普及していないキューバでは、リモート授業を行うことも不可能、4、5月にやっていたテレビ授業は時間的にも全く不十分で自習する習慣のない子供には機能しなかった。登校して対面で授業をするしかないのだ。せめてスポーツのアクティビティーでもあれば救われるのに、それすら通常の長期休暇とは違うから残念ながらこちらもなし。

だから早いところ学校が再開されるべき。

が、そう思っているのは親だけで、子供達は休み延長を歓迎。少なくとも我が子は、毎日の感染者数をチェックして増えていると喜び、減っているとガッカリしているという、わかりやすい反応。このままでは本当に授業再開された時が思いやられる。と心配するのも親だけか・・・

候補ワクチンはその名もSoberana ソベラーナ: 本来主権、最高位を有するという意味で、なんか政治的なネーミングだなあと思ったけど、薬や治療法については特効薬を意味するらしい photo by Cubadebate

一方、キューバ独自のワクチン開発への取り組みも進んでいて、このほど候補となるワクチンの治験が8月24日から始まる。順調にいけば来年2月には一般への接種が可能で、ラテンアメリカ・カリブ海域で初のCovid-19対応ワクチンとなる。新薬、ワクチン開発では世界のトップレベルにあるキューバ、今回もキューバ国民だけでなく世界中の人々を救うことができるか。まだ少し時間はかかるけれど、大いに期待したい。

キューバでスキューバダイビング:おすすめスポット

先日に続きキューバでスキューバ、有名なダイビングスポット紹介。都市・地域としては行ったことがあるけれど潜ったことはないので、是非ダイビングをしに行ってみたい!

キューバでのダイビングのほとんどは船でポイントまで行って潜水するボートダイビングのスタイルで、多くの場合、ダイビング器材レンタル、船、インストラクター込みのパッケージプランに参加することになる。通常インストラクターは多言語対応可能で、少なくともスペイン語・英語を話す。ハバナ近海やビーチリゾートで有名なバラデロでも手軽に楽しんでもらうことができるが、せっかくならば少し足を伸ばして地方沿岸で潜って一緒にほかの街も楽しんでみたいところ。予算と時間に余裕があれば、ダイビング専用のクルーズ船で数日間に渡ってカリブ海を船上で過ごしながら贅沢なダイビング三昧のプランもあり。

注:写真はいずれもキューバで撮影されたものですが、必ずしも各ダイビングスポットに対応するものではありません。

【María la Gorda/マリア・ラ・ゴルダ】ピナール・デル・リオ州
キューバ本島の西の端に位置する、ラテンアメリカのダイバーたちの間では有名なダイビングスポット。ゴツゴツした岩肌の断崖が続く沿岸部に沿うようにして、50のダイビングスポットが点在。水深5mからサンゴ礁が見られ、この海域特有の黒サンゴも生息している。5-6月にはウミガメが産卵のため砂浜を訪れるのを観察でき、8-9月は沿岸部近くまでやってくるクジラを見るこができる。そのほか沈船や海底トンネルのポイントも多数。

マリア・ラ・ゴルダのダイビングセンター前、壁には世界各地のステッカー

【Isla de la Juventud/イスラ・デ・ラ・フベントゥ】イスラ・デ・ラ・フベントゥ特別区
イスラ・デ・ラ・フベントゥは、キューバで2番目に大きな島。この島の南岸部は潮流の影響が少なく穏やかで、透明度も30mを超え様々なレベルのダイバーが楽しめるポイントが50以上ある。40種類ものサンゴが生息するといわれ、そこで見られる魚たちも豊富でバラクーダなど比較的大きな魚やウミガメも見ることができ、水中写真撮影を好むダイバーにも人気。また海底の地形も様々で、各ポイントで必ずなんだかのダイナミックな地形の変化が見られる。

毎年、ダイビング写真コンテストも開催。

【Bahía de Cochinos/バイア・デ・コチーノス】マタンサス州
キューバ革命後間もなく1961年に起きたピッグス湾(=バイア・デ・コチーノス)事件で有名なヒロン湾。湾内の長い海岸線にはPlaya Larga やPlaya Girón といったビーチ、12のダイビングポイントがあり、まさしくカリビアンブルーの美しい海を堪能できる場所でもある。キューバでは珍しく、陸からのエントリーできるポイントもあるので都市から都市への移動中に立ち寄ってシュノーケリングやダイビング体験をする観光客も多い。また、近くにはセノーテ(地底で海を繋がっている円形状の深い池、メキシコユカタン半島のものが有名)もあり、こちらでダイビングも可能。

ヒロン湾は、シュノーケリングも気軽に楽しめるスポット

【Santa Lucia/サンタ・ルシア】カマグエイ州
キューバ北岸、大西洋側で1番のダイビングスポットと言われるサンタ・ルシア。というのも沿岸部には世界でも2番目に長いというサンゴ礁が広がっているためで、ダイバーたちを魅了する35のダイビングポイントがある。8月下旬から11月末までのコンディションの良いときに限り、餌付けされたオオシロザメを間近で見ることがでる。そのほか水深27mの海底に眠るスペイン統治時代の要塞跡、19世紀代の沈船が見られるポイントも有名。

サメも・・・

【Jardines de la Reyna/ハルディン・デ・ラ・レイナ】シエゴ・デ・アビラ州
キューバの南岸中央、大小250の島々の連なりハルディン・デ・ラ・レイナ=女王の庭と名付けたのはキューバを発見したコロンブス。その名にふさわしく海底では色とりどりのサンゴ礁、マングローブ、そこに生息する生物たちといった、幾千年のうちに形成されその姿を変える事なく保護されてきた生態系が目の前に広がる。サメの種類も多く人を怖がらない好奇心旺盛なクロトガリザメがすぐ横を泳いでいる、ということも・・・そしてサメだけでなく、ここでの目玉は体長3m以上にもなるイリエワニと泳ぐこと!ハルディン・デ・ラ・レイナへはダイビング専用のクルーズ船でのみ滞在可能、海上でのんびり海中ではダイナミックなダイブ三昧の贅沢を堪能できる。

ワニも!!

キューバでスキューバダイビング

キューバはカリブ海で一番大きな島で、その海岸線は5,500kmにおよびます。また島の周辺にはCayo(カヨ)と呼ばれる数千もの小さな無人の島々がとりまくようにあり、その沿岸は世界でも有数のサンゴ生息域として知られ、動植物相もとても豊か。トロピカルな気候から海水温は年間を通して25度前後、海流の影響も低く、波も穏やかで透明度は25m以上と抜群、ダイビングにはもってこいの環境です。それにも関わらずダイビングで訪れる人はまだまだ少ない上、政府も周辺海洋域の保護に力を入れているため、類い稀な良い状態でサンゴ礁やその他の自然を見ることができ、その姿は「コロンブスがキューバを発見した時から変わらない」ともいわれるほどです。さらにはカリブ海域の歴史を物語る沈船に遭遇したり、ドロップオフや海底洞窟などのユニークな地形が見られたり、とバラエティーに富んだダイビングを楽しむことができ、経験豊富なダイバーたちも飽きさせません。一方で初心者でも安心してダイビングできるスポットも多く、レベルを問わずに美しいカリブの海を満喫できること間違いなしのまさしくダイビングパラダイスなのです・・・

と、ショップのダイビングツアー案内並みの解説をしながら、キューバの海に潜ったことがない。若かりし頃に当時の仕事の関係でライセンスを取って、日本近海や琵琶湖での調査ダイバー経験はあるのにキラキラの海でファンダイビングもしたことがない。それだってもうかれこれ20年以上前のこと。キューバに暮らして、せっかく目の前に真っ青で美しい海が広がる環境に住んでいるんだから潜ってみよう、と思いつつなかなか重い腰があがらない。他の場所に比べたらダイビング料金は安いし、装備も見たことあるけれど悪くないので安心できそう。といいながら、自分の知識と経験は20年前のものだから我ながら信用できない・・・と、ウダウダ言って5年が過ぎた。

キューバでのダイビングはほとんどがボートから。このダイビングボートには乗ったことあるのだけどね。

現在、コロナの影響で海外からの観光客もおらずダイビングは無理だけれど、我が家の庭、コスタでシュノーケリングはできる。遠出してビーチに行くこともできない今年の夏だが、時間だけはたっぷりあるので、この自宅前リゾートで子供と一緒にこれまでにないほどよく海に入っている。残念なのは子供用のオモチャのマスクとシュノーケルしかなくて、フィンもないので、ほぼ水面から海中を眺めてフワフワすることぐらいしかできない。それでも沖からすぐ近くに、青いのやら黄色いのやらこんなにいろんな種類の魚がいるのか、ともう楽しくて何時間でも見ていたい気分になる。透明度も軽く20mほどあるだろうか、流れもそれほどないので安心して視界のある範囲を散策でき、岩場であるためちょっとした起伏もあって面白い。それに何より久しぶりでも海中での動きは我ながらスムーズで、近年の陸上での動きの鈍さや疲労っぷりを考えたら、水の中の方が断然楽チンなのだ!

我が家の庭、コスタ。しばらくはこの辺りで楽しむしかない。

ダイビングは危険を避けて無理をしなければ、かなり高齢まで楽しめる娯楽でありスポーツでもある。

やっぱり今こそキューバでスキューバだな。

キューバ人と誕生日

8月13日はフィデル・カストロの誕生日だ。生きていれば今年94歳。

若かりし日のフィデルの写真が新聞記事に。Photo by Granma

国を挙げての大きな行事があるわけではないけれど、この日が近付くとフィデル関連の報道が目立つ。テレビではフィデルの眠るサンティアゴ・デ・クーバのお墓での行事の様子や花を手にお参りをする人々の姿が映し出され、生前の功績やエピソードについて様々な映像が流れる。今年はコロナの影響でハバナで市民が参加するようなイベントはなかったものの地方ではお祝いの集会や音楽ライブなどが開催されたようだ。本当ならオリンピックイヤーだったはずだからだろうか、スポーツ選手達がフィデルとの想い出を語るインタビューがやたら多いような気がする。キューバ革命を率いた第一人者は今でもComandante en jefe最高司令官フィデル・カストロとして国民の心の中に生きていて、ともに誕生日を祝う。

マスクをした人たちがフィデルへ花を捧げるために並ぶ、サンティアゴ・デ・クーバのサンタ・イフィヘニア墓地 photo by Granma

キューバで誕生日はとても大事だ。生きている人だけでなくて、すでに亡くなっている人の誕生日もその人を偲んで静かにお祝いする。歴史上の人物やなんだかの分野で活躍した人ならなおさらで、その筆頭はキューバ国民の英雄ホセ・マルティの誕生日だろう。キューバのスペインからの独立を導いた政治家であり、フィデルも師と仰ぐ人物だ。そのマルティの誕生日は1月28日で毎年この日は前夜祭から始まって、当日はキューバのありとあらゆる所にあるマルティ像へ花が捧げられ様々な行事が催される。他にもキューバ独立戦争や革命の中心人物、映画俳優、作家や詩人、スポーツ選手まで誕生日にはテレビニュースになったり、新聞記事が出たりする。すでに他界している人に関しては亡くなった日も大事なので、それもチラッと話題になる。だからほぼ毎日のように誰かの誕生日か命日であることを耳にすることになる。

一般の人たちにとっても、もちろん誕生日は特別だ。

子供の誕生日は親たちが気合を入れて準備をする。なかでも1歳の誕生日はUn añitoウン・アニート=1歳ちゃんのために大きなFiestaフィエスタをして祝う。

ピニャータ炸裂!この下で子供達がお菓子を拾うためにしゃがんで待っている。

これはキューバだけではなくて中南米どこでもそうらしいけれど、昔は生まれて間もなく亡くなってしまう子供も多かったので、1歳まで無事に育ってくれたことを親たちが喜んで大々的にお祝いをしたことに由来するらしい。子供の誕生日会は子供たちのためのもの、ということでたくさんの子供達がやってきて(子供なら招待されていない友達の友達の友達でも参加可)賑やかに行われる。大きなケーキはもちろん、誕生日には欠かせないピニャータ(動物の形などした張りぼてを子供達が叩き割って、中から落ちてくるお菓子やオモチャを拾う子供が大好きな誕生日イベント)、ピエロが登場したり、ビンゴゲームがあったり・・・とにかくモノのないキューバでこれをやろうと思うと準備がものすごく大変!

息子6歳の誕生日、頑張った!!

ということをキューバに来て翌年の息子の誕生日会で実感したので、我が家では息子の誕生日会はケーキだけで身内で済ませ誕生日旅行で逃げることにした。

大人たちも誕生日には家族や友人たちとFiestaフィエスタをする。皆で集まって食べて飲んで、音楽ガンガンかけて踊ってが大好きなキューバ人たち、誕生日という特別な日をパーティーの口実にしないわけがない。定番は自宅に皆を招待するのだが、ちょっと景気のいい人はプール付きの1軒家を借りてやったりもする。飲み物はビールとラム酒で決まり、お決まりの軽食メニューはマヨネーズベースのペーストを挟んだパン、マカロニサラダ、コロッケなどの揚げ物、一口大の激甘キューバお菓子、そしてメレンゲたっぷりのケーキ。なぜーかこれらを全部一緒に折り畳み式のランチボックスに詰め込んでお持ち帰りする。甘いものもしょっぱいものもごっちゃ混ぜにされるので、家に帰って開けた時には大変なことになっているのだけど、これがないとキューバの誕生日会ではないらしい。

ところでこの誕生日会、キューバではお祝いしてもらうものではなく自分で企画して皆を招待するものだ。呼んで楽し、呼ばれて楽し、で誰もが年に1度はある誕生日だからお互い様。何となく誕生日は誰かに祝ってもらうもの、という気がするのでちょっと違和感があるのだけれど、これもキューバ式。

ヒロシマ、ナガサキ、そしてキューバ

「今年の夏は、いつも違う特別な夏」

昭和の歌謡曲ならちょっとドキドキしてしまいそうなフレーズだけれど、現実はコロナの影響で海へ山へと楽しいバケーションも、久しぶりに家族で集う里帰りも自粛のムチャクチャネガティブな「特別な夏」だ。これはキューバでも同じ。あまりに長い、そしてここにきていつまで続くか分からない休みを楽しんでいるのは子供達ぐらい。

夏、8月といえば個人的にはヒロシマとナガサキ、原爆投下を思い出す。父が広島で被爆している我が家では夏休みの真っ只中、8月6日の朝はテレビの平和記念公園での式典中継を見ながら8時15分に黙祷するのが恒例だった。その後も年に一度のこの日のどこかで、ヒロシマを思う。キューバに来てからもそうだ。

今年は「特別な夏」で、今ちょうどキューバはコロナ感染の再拡大が注目されていて、テレビのニュースもそればかり。毎年この時期にはヒロシマ・ナガサキの原爆投下に関するなんだかの報道がされるのだけれど、今年はどうなんだろうと思っていた。時差を考えると日本時間の8月6日午前8時15分はキューバ時間の5日午後7時15分、ちょうど夕食の準備やらで何やらでバタバタとしている時間帯でもあり、その瞬間はいつの間にか過ぎていた。8時前にハッと思って日本の方を向いて手を合わせてから、テレビを見るとニュース前の報道番組の最後に原爆投下時のキノコ雲や焼け野原になった街の様子と一緒にフィデル・カストロが広島を訪れ献花している場面が映し出され、75年前のこの日広島に原爆が投下されたことを紹介していた。そして9日長崎の原爆記念日には、夜のニュースの中で長崎原爆投下と同時に、広島の千羽鶴のお話の主人公であるササキサダコさんのエピソードが現在の平和記念公園の映像などを交えて紹介された。

焼け野原になった街の様子を映し出す画面
サダコさんのお話はキューバで何度か放映されている。

フィデルは2003年3月に日本を訪問した際に広島を訪れている。この頃まだキューバを知らなかったけれど、3月とはいえ寒い日に黒っぽいコートを着て大勢の報道陣に囲まれながら平和公園で献花するフィデルの姿はよく覚えている。今回テレビで見たのはまさにその時の映像だった。

この時フィデルはQue jamás vuelva a ocurrir semejante barbarie このような野蛮な出来事が2度と起こりませんように、とメッセージを添えて記帳した。photo by Cubadebate

キューバへ来てから、1959年革命勝利のその年にチェ・ゲバラも日本滞在中に広島へ足を運び、同じように献花している写真が残っていることを知った。そしてチェがフィデルに広島訪問について、「人として見ておかなくてはならない」と報告したということも。同じようなことを妻のアレイダにもわざわざ日本から葉書を出して伝え、同じ名前の娘アレイダも日本へ来た際にやはり広島を訪れている。

チェが広島を訪れた時の写真、ハバナのカバーニャ要塞チェの執務室資料館にも展示されている。photo by Cubadebate

こうしてキューバの革命を起こした重要人物たちが広島を知り、ヒロシマの重要性や歴史的事実が持つ意義をキューバの国民に伝えようとしたことは言うまでもない。キューバでは多くの人がヒロシマ・ナガサキを知っている。原爆投下された日の前後には関連するいくつかの報道がされ、学校でも原爆に関連する教育がされるという。少し偏屈な見方をすれば、アメリカという同じ敵を持ち、その敵に原爆投下という人類歴史上最も酷いといえるほどの仕打ちをされ叩きのめされながらも、戦後急速に発展し世界最高レベルの経済力を持つ国のひとつを作り上げた日本という国を見習うべく、キューバもアメリカの制裁にめげずやっていこう、という政治的プロパガンダとも取られるかもしれない。でも素直に見れば、現在キューバが掲げる平和的人道国家となるべく、こうした過去の悲惨な歴史を繰り返さない世界の構築に努めるべきと後世に伝えるためのヒロシマ・ナガサキの教えと考えていいだろう。

ヒロシマ、ナガサキ、そしてキューバ。 自分の中にあるヒロシマへの思いがなんだかの形で繋がってキューバへ流れ着いたんじゃないか、ふとそう思うことがある。

キューバのコロナによる規制緩和:再感染拡大による後退

コロナによる規制緩和、7月3日にハバナが第1フェーズに移行してから1ヶ月、8月になって急に新規感染者が再び増えはじめてしまった。7月19日にはついに新規感染者ゼロを記録したにも関わらず、8月1日(発表、数字は前日の検査分)から25人、13人、24人、31人、25人、49人、54人、59人と増え続け、

8月9日 65人!!!

複数のクラスターが発生しており、また本来ならまだハバナへの出入りは特別の許可がなければできないはずなのに結構な人の移動があった様で、ここ数ヶ月感染者ゼロだった地方の州にまで再拡大の傾向にある。死亡者数はほぼないものの重症者数は増えており、ついに政府は未だ「国内感染拡大段階」であるとして、主にハバナの規制を元に戻すことを決定した。

ガーーーーーン!まさかの後退・・・

レストランやカフェテリアは基本的に閉鎖テイクアウトのみで夜間の営業は禁止、プールや娯楽施設の閉鎖、不要な外出は禁止、そして公共交通機関の停止。これが一番痛い。せっかくハバナ市内だけでも自由に動ける様になって、久しぶりの知人友人に会ったり、買い物に行ったりできるようになったのに。制限付きとはいえ3ヶ月ぶりに手に入れた自由、それでなくても誰かと会って食べて飲んでおしゃべりしてが大好きなキューバ人たちは、早速あちこちではち切れてしまったらしく、これが覿面的中、即感染拡大につながってしまった。いくつか起きているクラスターの原因はFiestaフィエスタ=パーティーだという。

photo by Cubadebate

徹底的に接触者を追求して検査をするから、ずっと2500前後だった検査数がここ数日は4000以上と増えており、結果、新規感染者数も増えるのは当然という気もするのだが。全体の半数以上が検査時点に無症状でほとんどが軽症者、死亡者数も抑えられているので、ここはハバナ再閉鎖までしないんじゃないか、という気配もあったのだけれど、グングン伸びる感染者数に政府上層部と保健省がピシャリと喝を入れることを決めた。常日頃から感染病対策に力を入れているキューバのことだから、今回はより厳しく徹底的にコロナと戦うつもりなんだろう。

ということは感染者ゼロになって完全封じ込めが確認されるか、全国民にワクチン接種がされるかしない限り、「勝ち」はない?

それまで国民の生活は制限され、キューバの国境は閉鎖されたまま??

いやそれより何より、目下の心配は9月学校再開延期。ああー子供達が学校へ行ってくれる日はいつに?!

キューバの信仰

キューバの宗教について一般的にはスペインの植民地であったことからカトリック信者が多いとされるが、一方で同じくスペイン領であった他の中南米諸国の中でも最もカトリックが浸透しなかった国、とも言われている。これはキューバ革命が宗教を否定したためと思われがちだが、実際には革命政府は宗教の否定もカトリック信者の排除もしてもいないので、革命以前からの傾向や他の宗教の影響もあったようだ。

他の中南米諸国では原住民のインディヘナの人達までも敬虔なカトリック信者だったりするし、日常のあらゆる生活習慣にまでカトリックの影響が色濃くみられる。とある宗教が浸透する国や地域ほど、旅行をしていても「宗教は何?」と聞かれることが多いように思う。中南米でも同じ質問をよくされるけれど、その度に

「Atea(アテア)無神論者」

というと、多くの人はギョッと引いて怪訝な顔をし、中にはその場で神について説き始める人もいる。

ところがキューバでは同じ答えをしても「そっか」で終わる、もしかしたら「私もだ。」と同意される。他にもカトリックがあまり浸透していないことを示す例を挙げると、クリスマスが盛り上がらない。1998年革命後初めてローマ法王がキューバを訪問して以降12月25日が祝日になって、最近でこそツリーを飾ったり、街中のレストランの店員がサンタの格好をしていたりすることはあっても、他のカトリックの国に比べると断然地味なクリスマスだ。

ハバナの旧市街にあるカトリックの大聖堂、カテドラル

カトリックの他にキューバ人が信仰する他の宗教として挙げられるのが、アフリカ由来の宗教だ。これは植民地時代にアフリカから連れてこられた黒人奴隷たちが信仰していたものが、カトリックなど他の宗教と結びついてキューバで独自の発展をしたもので、いくつかの系統に分かれている。このうちハバナやマタンサスなど西部地域で多く信仰されているものはSantería サンテリーアと呼ばれ、これが広くキューバのアフリカ系宗教の総称のように使われることがある。で、大雑把にサンテリーアがどんな宗教かというと、

  • この世の全て想像した神Oldomareオルドマレの下に、Orishaオリーシャと呼ばれる複数の神がいる。起源となったアフリカの伝統的宗教では400以上のオリーシャが存在するというが、現在キューバで重要とされているのは12だけ。
  • オリーシャは、カトリックの聖人=Santoサントやギリシャ神話の神々に相当するようなもの。キューバにおいては黒人奴隷たちが植民地時代に隠れて自らの神々を信仰するため、各オリーシャにカトリックの聖人を割り当てるようになった。
  • それぞれのオリーシャは、自然界および人間界に及ぼす特性を備えている。また、祭日、好みの食べ物、色、数字といったものを持つといった個性がある。例えば・・・(以下カトリックの聖人、自然・人間界に及ぼす特性、色、祭日)

Ochúnオチュン:Virgen de la Caridad カリダッの聖母、川、愛と結婚とお金、黄色、9月8日
Changóチャンゴー:Santa Bárbaraサンタバルバラ、雷、太鼓と舞踊と情熱と男らしさ、赤と白、12月4日
Obataláオバタラー:Virgen de la Mercedメルセッの聖母、大地、平和と精神性と知性、白、9月24日

  • サンテリーアの信者はオリーシャが日常の全ての事象をコントロールすると信じ、これらの神々へ好み供え物を捧げたり、儀式を行って神々からお告げを受けたりして自らの道(人生)を良い方へ導いていこうとする。
  • 信者はそれぞれ自分にとっての「特別なオリーシャ」を持っており、自宅にそれを祀るための祭壇を作る。
  • 信者は直接オリーシャからのお告げを受けることはできない。Babalawoババラオという司祭に当たる人物がオリーシャの言葉を理解して信者に告げる。
  • 信者はオリーシャの力を使って自然界にある力と自らが備え持つ特性の奥にある力のバランスを健全に保つことに努め、最終的には自らの道を切り開いていく。

といった感じだけれど、実際には全くもって複雑でこんな簡単に説明できない。

一般宅にある祭壇、この日はサントの誕生日(修行を終えると信者として生まれ変わった日=誕生日がもうひとつできる)だったので少し着飾って。
同じく誕生日のパーティーでの捧げ物、オリーシャは甘いものが好き?!

ただ個人的にはギリシャ神話やマヤ文明の神々にまつわるお話と同じで、これらの神様たちの話は良くできた物語として興味深いし、キューバの歴史や文化を構成する一要素としてみるとなるほど、と思う部分もある。

ところで旅行者でもこのサンテリーアに触れる機会がある。

キューバで街を歩いていると、全身真っ白な人に出会うことがあるが、これはサンテリーアに入信するための修行中の人だ。サンテリーア入信のためには一定の儀式、通過儀礼を行っていくつかの厳しい規制を守りながら1年間の修行期間を過ごさなければならない。その1年間行う規制の一つが「全身白いものを身につけて過ごす」というもの。頭の先から足の先、持ち物までぜーんぶ白いので一目で分かる。

それから街の角、交差点の道端で動物の死骸を目にしてビックリすることがあるかもしれない。これはサンテリーアで行う様々な儀式で動物を捧げる=犠牲にすることがあるのでその残骸、といってもそうする理由があって「置いてある」のであって決してポイっと捨ててあるわけではない。

これは自宅内で行った儀式の残骸・・・

またサンテリーアに関わる音楽やダンスもキューバの伝統文化として見たり、聴いたりする機会があるかもしれない。

現在、サンテリーアを始めアフリカ起源のキューバで独自に発展をしたいくつかの宗教はカトリック以上にキューバに浸透しているともいわれ、黒人白人関係なく信者でなくてもその習慣や考え方の一部を生活に取り入れている人は多い。それにカトリック信者だったはずの人がサンテリーアに入信することも良くあり、それが完全な改宗というわけでなく、「どっちも信じる」という人がいたりする。また最近はサンテリーアビジネスなるものもあって、外国人でもサンテリア体験なるものができたりする。

オリーシャの祭壇と一緒にサンタクロース、別になんてことない。

時代とともに宗教の形は変わるのだろうけれど、アフリカから来た宗教がカトリックとの融合している点などキューバは宗教までもキューバらしくInventoインベント(発明/でっち上げ)してしまうのが面白い。そしてキューバ人のゆるーい宗教観、ちょっと日本人と似ている?!

キューバと日本

キューバと日本、遠く離れた国同士ではあるけれど、二つの国の関係はとても良い。政治的、歴史的な関係はもちろんのこと、キューバ人は日本という国や日本文化、日本人に非常に関心があり、多くは日本をとても素晴らしい国としてリスペクトしてくれ、俗に言う「親日」であると感じる。社会主義つながりで中国やベトナムとの関係が深いけれど、同じアジアの国でありながら一般市民レベルでも意外にちゃんと各々の違いも認識されていて、その上で日本を評価してくれるのは日本人として嬉しい。

日本の発展したテクノロジーの高さについて「すごいよねー」と羨望されることがよくあるけれど、日本文化に関心を持って「日本大好き」という人も多い。今や世界中にいる日本のアニメ、漫画、ゲームに影響された「オタク」たちもたくさんいる。そして彼らの中には日本語に興味を持って勉強し、驚くほど上手に話す若者もいたりする。

スポーツでいえば野球、今季も日本のプロ野球シーズンが始まってからは日本で活躍するキューバ人選手の成績が連日ニュースで流れる。両国の野球を介した親善が盛んなのはよく知られた通りだ。柔道は世界レベルで有名だし、空手道、剣道、合気道の教室もたくさんあるし、先日は居合道をやっている人がいてびっくりした。

息子の通う空手の教室がハバナ郊外に作った新しい道場。沖縄発祥なんで沖縄風?

歴史的に見ると、キューバを初めて訪れた日本人は支倉常長であるとされる。支倉は1613年伊達政宗の命でローマ法王へ謁見するためローマを目指したその途中でキューバ、ハバナへ寄港した。

支倉常長の像は現在、ハバナ旧市街のハバナ湾沿いの道の脇に立ちキューバ人の間では「初めてキューバへ来た侍」像として知られる。

その後今から120年ほど前に日本から移民としてやってきた人たちがおり、今でも千人ほどの日系人がハバナや青年の島に暮らす。日本と国交樹立してからは今年で92年。ちなみに駐在の方なども含めキューバ在住日本人は、近年90〜100人で推移しているそう。

2018年には日本と国交樹立90年、日系移民120年で日本大使館主催の展覧会も開催された。

政治的な関係でいうと、日本はキューバに対してODAその他の形で多くの支援を行なっている。最近では日本の稲作用の農機具が導入され、早速キューバ各地に配置されたとのニュースがあった。米を主食とするキューバでは、米の自給率をあげるためにも日本から多くの援助を受けて近年その効果が上がっているとのこと。また今、ハバナ市内では昨年日本から送られたオレンジ色のゴミ収集車がそこら中で見られるし、消防車も日本から寄贈されたものが活躍している。

キューバで働く日本のくるま、その1
キューバで働く日本のくるま、その2

一方、一般の企業がキューバに投資しようという動きはアメリカとの国交回復後、一瞬盛り上がったがその後は萎んでしまった。日本人観光客はここ10〜15年で随分増えた。特にアメリカとの国交回復でこちらも「行くなら今!」的なコピーでブーム到来の兆しはあったが、その後落ち込むと言うほどではないにしろ伸びは期待したほどでもなく・・・これらの背後には日本とアメリカ、アメリカとキューバの関係が大きく関わっていることは言うまでもない。

あるカサ・パルティクラルの壁にあった日本人観光客の想い出。キューバへ行ってみたい日本人はまだまだ沢山いるはず!

TVでも日本の番組を時々やっている。アニメだけでなくドラマ、映画、ドキュメント番組まで、『おしん』はもう何度放送されたことか。年配の人だと日本=黒澤明、七人の侍、座頭市という回路の人も多い。そして黒澤を口にする年齢のおじさんの中には日本人と一緒に漁をした体験を持ち、船長と醤油で刺身を食べたことを自慢してくれる率も高い。実際に1960〜70年代には日本がキューバへ漁業関連の技術提供や指導を多くしていた。

それからキューバ人が日本について知っていることで注目した欲しいのは、ヒロシマ・ナガサキの認知度だ。キューバでは学校で子供達に日本の被爆体験について教えられる。毎年8月6日と9日は新聞なりTVなりでなんらかの報道がされ、多くの人がこの日付まで含めてヒロシマ・ナガサキを知っている。

こうやってみるとキューバにいながら、日本に遭遇する機会は意外に多いし、それもあって日本人がキューバについて知っているよりずっとキューバ人は日本について詳しい、と言えるかもしれない。

コロナ禍、おうちでTamalタマール作り

最近のキューバ、コロナの様子。ここ数日ハバナと近郊で2つのクラスターと海外帰国者の感染が重なって、もう2ヶ月ぐらい見たことのない2桁新規感染者に数字にギョッとなり、ハバナは規制緩和第1段階からなかなか次へ進まない。市内を自由に動けるようになったとはいえ、まだ仕事もままならず通常営業している場所もほとんどない上、このぶり返しで「家こもり生活」継続中。

で、時間はたっぷりある。

そこで普段はあまり見ない新鮮な生のトウモロコシが、手に入ったのでTamalタマールを作ることにした。タマールはトウモロコシをすり潰して味付けし、トウモロコシの皮で包んだものを蒸すか茹でるかして作る。食事と一緒に食べることもあるけれどおやつにもなるファーストフードで、街中でも売り歩いているので普段はこれを買って食べることが多い。実は我が家で作るのは初めて。よその家で作る様子を見たことはあるけれど、手順もよく覚えてない。せっかくなのでレシピを残そうと記録をとってみた。

材料:トウモロコシ、トウモロコシの皮、玉ねぎ、ピーマン、ニンニク、塩、胡椒、サラダ油、トマトピューレ(お好みで)
粒状にしたトウモロコシを挽いて潰す。今回はミンチマシーンを借りてきてグルグル、一緒に刻んだピーマンも入れて潰した。
味付け用のみじん切りにした玉ねぎ、ニンニクをサラダ油で炒め、塩・胡椒、好みでクミンなどのスパイスを加える。より風味を出すために豚肉の脂身片やチチャローネス(豚の皮の唐揚げ)を入れたりするのだけれど、今回はベジタリアン仕様でトマトピューレを少々入れた。これを潰したトウモロコシに加えてよく混ぜる。
トウモロコシの皮で出来上がった具材を包む。1つのタマールに2枚の皮を使用。まず1枚を円錐状に丸めて先の尖った方を上に折り曲げて袋状にし、具材を適量入れる。
もう1枚も同じように円錐状にして、今度は幅の広い方を下に被せるようにして蓋をする。
皮が外れて形が崩れないよう真ん中を紐で縛る。
たっぷりのお湯で茹でる。今回は圧力鍋を使って30分ほど。蒸してもOK。
できあがり!

素朴な味わいが何とも言えず美味。名前が違うかもしれないけれど、キューバだけでなくて中南米どこにでもあるポピュラーな料理。トウモロコシを潰すのが少々面倒だけれど、意外に簡単。自分で作れば具材のアレンジや塩加減も調整できてより一層美味しい。皮で包む作業は子供と一緒にやっても楽しい。

コロナ禍、「家こもり生活」で料理に関しては新たなチャレンジや学びあり。いくつになっても挑戦と学習は大事、いいこといいこと!