2020 Marabana マラバナ、ハバナマラソンはバーチャルで

コロナの影響で世界中様々なスポーツイベントが中止、延期となったり、これまでと違った形で開催されたりしているようだ。スポーツが盛んなキューバでは年間通して様々なスポーツの大会やイベントがあるのだが、今年4月以降は軒並み中止となってしまっている。そんな中、国技ともいえる野球の国内リーグSerie Nacionalセリエナシオナルは通常より1ヶ月遅れて9月12日に開幕することが決定したのは野球ファンだけでなく、コロナ禍にあって明るいニュースだ。

キューバ国内で毎年行われる国際的なスポーツイベントもいくつかあるが、先日その中のひとつハバナマラソン大会が今年は11月22日にバーチャルで行われると発表された。

「バーチャルマラバナ11月22日」と新聞記事で(8月29日グランマ新聞)

毎年、世界中からの参加がある大会なので、コロナが収束して初めてキューバで行われる国際イベントとして盛り上がればいいな、と期待していただけに残念・・・すでに大会参加登録をしている外国人ランナーもおり、現時点で22ヶ国からバーチャル大会に参加希望の意向を示しているそうだ。当日は午前9時にスタート、その時のコロナの状況に従って国内参加者はハバナでなくても各地で個人参加でき、同時に海外からの参加も可能とのことだった。詳細は後日発表されるそうだが、果てバーチャルマラソンってどうやって成立するんだろう?

調べてみるとコロナの影響で世界中のランナーたちが大会に参加できなくなったことで、すでにあちこちで、様々な形でオンラインマラソンだの、デジタルマラソンだの、バーチャルマラソンだのと行われているらしいことがわかった。もちろんそれ用のアプリなんかも開発されているのだろう。

マラソン大会参加までリモートとは・・・

走ることにハマったことのない者にとっては、「走らずにはいられない」人達の気持ちがイマイチわからないのだけれど、単純に運動不足解消のためには団地の中をグルグル走るのも悪くないかな(と思うだけ・・・)。

Marabanaマラバナ:ハバナマラソン大会
毎年11月スポーツの日とハバナの創立記念日(11月16日)を祝して行われる国際マラソン大会。通常ハバナ創立記念日の16日前後の日曜開催。5km、10km、ハーフ、フルマラソンの各カテゴリー男女別、スタートは全員一斉。

2019年の大会、大会前日プレイベントの様子

昨年2019年はハバナ創立500年の記念大会で、雨の中5858名が参加(内外国人選手は1300名)した。2018年にはアメリカ人俳優ウィル・スミスが走ったことが話題となった。コースはハバナ旧市街のカピトリオか中央公園前あたりがスタートとゴール、まずは海を横目にマレコン通りを新市街方面へ行き、ベダード地区を南下してスポーツ総合公園あたりから折り返して旧市街方面へ戻る、これ1周でハーフ(約21km)の距離。普段街中を走るキューバ人をあまり見かけないのだけれど、意外にランナーは多く、ハバナ市内でも頻繁にマラソン大会が行われている。

Marabana オフィシャルサイトより

Marabana オフィシャルサイト:https://www.maratondelahabana.com/
フェイスブックhttps://www.facebook.com/MaratonDeLaHabanaMarabana/

キューバのコロナウィルス感染予防対策:ハバナの規制再強化

9月になった。でもハバナでは新学期が始まらない。

3月24日以降コロナ感染予防対策として全ての学校が休校になりそのまま夏休みに突入して5ヶ月、まさかここまで休校が長引くとは思っていなかった。

学校だけではない。ハバナは7月末からの第2波というのか、再感染拡大によって8月10日からフェーズ0に戻って規制と自粛の日々、それでもなかなか新規感染者数が減らず、相変わらずFiesta フィエスタ(パーティー)やって集団感染引き起こすとんでもない輩がいるおかげで、9月1日からはさらに規制が厳しくなることに。

Toque de quedaトケ・デ・ケダ=外出禁止

治安が不安定な中南米でよく耳にする言葉で、一定の時間一般市民の外出規制が敷かれることを意味し、各国でとられているコロナ対策のひとつだがキューバではこれまでそこまで厳格な移動規制が出されることがなかった。多少ゆるーい部分はあったのだ。

が、ここにきて出た。

ハバナ市内、午後7時から午前5時までの外出禁止。当然車での移動も禁止。ハバナへの出入りも各所に検問を設けてより厳しく規制され、基本的には仕事であってもできない。国営の限られた店舗のみが月〜土は9:00-16:00、日曜は9:00-13:00で営業、自分の居住地区以外での買い物は認められず、精算時には身分証明書を提示して情報をスキャンする。マスクの着用、不適切な使用、路上での飲酒や喫煙もちろんドミノも禁止、違反者は罰金または拘束・・・

なんとまあ、規制緩和どころか大々的に強化。 いつもなら、ブチブチ言いながら子供の新学期準備=教科書のカバー付けに追われる8月最後の週末だけど、今年は新学期どころか休校続行中で修了していない学年の残りが一体いつ始まるのか、果たして無事進級できるのかも分からない状態。もちろん新学年の教科書も届いていないからカバー付けもしなくていい。面倒臭い作業だけれど、5年目にしてこれがあっての新学期気分が親として勝手に盛り上がるのだと気が付いた。

教科書カバー用の包装紙はちゃんと準備してあるのにね・・・

この子の十五のお祝いに・・・Quinceキンセ15歳の誕生日

キューバでは誰もが誕生日をとても大事にしていることは少し前に書いた。誕生日といえばちょっとしたパーティーをするのが習慣で、呼ぶ側も呼ばれる側にとっても友達や家族が集まって飲み食いするというキューバ人が大好きなひと時を過ごす格好の口実でもある。だからいくつになっても誕生日は大切なんだろうけれど、子供が成長して大人になる年齢、成人になる年は本人にとっても両親にとっても特別な日。中南米の多くの国では15歳をその区切りの年としてお祝いするところが多い。キューバでも法律上の成人は18歳とされているが、15歳の誕生日を特別に祝う習慣がある。

15=Quinceキンセ

数字の読み方そのままで、年齢だけでなくお祝いイベントそのものも指す。このキンセ、なぜか女の子だけが盛大にお祝いされる。諸説あるようだが、起源は古代メキシコアステカやマヤでは女性は15歳になると大人として結婚(=子供を授かる)することができるとして、数多くある人生の区切りを祝う儀式のひとつを行なったことに由来するというもので、後にカトリックの習慣と結びついて広がったのだとか。パーティーで踊る特別なダンスがあったり、キャンドルの儀式をやったりと国や地域によって祝い方は違うようだけれど、今でも女の子の15歳の誕生日は一生に一度の特別なイベントであることは間違いない。

キューバではかつては招待された若い14組のカップルがワルツ踊ったりなんだりする伝統的な習慣もあったそうだけれど、最近ではそこまですることはほとんどない。一般的なのはまず、いつもより多くの人を招いての誕生日パーティー。自宅ではなく海辺のプール付きのカサパルティクラルやレストランを貸し切って行うこともある。巨大なケーキやお持ち帰り用の甘いお菓子とサラダと揚げ物、飲み物、豚肉料理などの伝統的なキューバ料理・・・このあたりはいつものパーティーメニューと変わらない。主役のQuinceañeraキンセアニェーラ=15歳を迎える女の子は、バルーンで飾られた会場の中へお姫様のように着飾って登場するはずだ。

クラシックカーに乗って photo by Cubadebate

それからこのパーティーに先立ってアルバムを作るのも忘れてはならない。この撮影というのが、ハバナであれば旧市街などのフォトジェニックな場所、緑の多い公園、海沿いの通り、あるいはクラシックカーに乗ってあちこち移動しながら1日がかりでプロのカメラマンが同伴して行われる。途中で衣装をドレスからカジュアルまで取っ替え引っ替えして、化粧直しパシャパシャとシャッターを切られてモデル気分を味わいながらの撮影。本人にとってはこれが一番楽しいキンセの想い出になるんだろうなあと思う。

ハバナの町歩きの途中でも、キンセの撮影によく遭遇する。

それにしても15歳とはいえキューバの女の子は確かにもうしっかり一人前の女性だ。色っぽい眼差しでポーズをとる姿も、出来上がった写真に写る姿もとても中学3年生の女の子とは思えなくて、その早熟さにびっくりする。

こうしたキンセのお祝い、当然のことながらしっかり商売にもなっていて決してお安いものではない。キューバの物不足もあってパーティーの準備をするのも大変だ。それでも親はやっぱり可愛い我が娘のために何年も前からコツコツお金をためてその年に備える、ということをやっている。普通貯金なんて考えもしないし、する余裕がないキューバ人ですら!!

親泣かせのキンセ、娘を持たなかった母は内心ホッとしている・・・

ハリケーンの季節:キューバの防災

5月から11月の雨季はキューバのハリケーンシーズンでもある。日本でいうところの台風に相当する発達した熱帯低気圧が、カリブ海・メキシコ湾を含む大西洋北部や北太平洋で発生するとハリケーンと呼ばれる。

スペイン語では、Huracánウラカン。

このウラカンが最も発生しやすくキューバに影響を与えるのが9〜10月と言われている。今年もこれまでにすでにいくつかの熱帯低気圧がカリブ海域で発生したが、ハリケーンクラスまで発達せず、またキューバに接近することもなかった。それが8月の後半になって立て続けに2つ、いずれもハリケーン手前のTormenta Tropical トルメンタ・トロピカル(熱帯暴風雨)がキューバに接近した。Marcoマルコはキューバの南西付近で発生し、西のユカタン半島の間を抜けて北上したので幸いほとんど影響はなく、通過後の24日にはハリケーンとなってアメリカ、ルイジアナ州沖へ向かった。一方Lauraラウラは東隣のハイチとドミニカ共和国で死者が出るほどの被害を出し、そのまま23日から25日夜半にかけて、キューバ東端をかすめて南岸海上を島に沿うようにして北西へ向かった。

左がマルコ、右がラウラ。Photo by NOAA

ラウラは当初の予報で上陸してキューバを横断し勢力を強めながらハリケーンに発達するとのことだったので、数日前から警戒し十分な対策が取られた。ハバナは24日午後から風が強まって雲行きが怪しくなり、海も白波が立って荒れ始めた。我が家は夜7時過ぎには停電(他の多くの地域でも停電したとのこと)、早々に横になって収まるのを待つ・・・窓ガラスがガタガタとして強い風が吹いているのが感じられたが、それほどひどい暴風雨という印象はなかった。夜半過ぎには電気も回復し、25日朝には風はやや強いものの晴れ間も見えるほどで我が家の周辺では大きな被害もなかったことにホッとした。ラウラは結局、夜のうちにキューバの最西の州Pinal del Ríoの一部を2時間ほどかけて縦断し、北の海メキシコ湾へ抜けた。全貌はまだ分からないが、幸い大きな被害は出なかった模様だ。

ところで、キューバではこうした災害への対応でも独特のシステムが取られている。Difensa Civil市民防衛と呼ばれるもので、ハバナにある全国防衛組織本部を中心に想定されるあらゆる災害や非常時に国を守るため全国を網羅する仕組みが存在する。直轄の組織や軍だけでなく学校、病院、店舗、企業など要はありとあらゆる公共組織や企業がこのシステムに組み込まれているので、なんだかの自然災害が発生した場合でも、本部で専門家とともに対策が練られ各指令を関連する組織に発信、すぐに現地で実行、国民が一丸となって国を守る、というわけだ。

市民防衛の日には防災訓練ならぬ、防衛訓練が各地域で行われる。若いおねーちゃんたちも手榴弾投たり、銃を構える。これって本当に役立つ!?

ハリケーンの場合、災害防止対策が徹底しすぎるほどに徹底している。交通機関はそんなに早く止めなくてもいいだろう、というくらい何日も前から完全運休、病院などに避難所を準備して沿岸部など危険地域に暮らす人、高齢者や子供、妊婦など弱者をごそっと避難させ、学校、公共機関や店は有無をいわさず閉鎖。農作物や家畜の被害も最低限に留められるよう国からの指示で対策がとられる。テレビやラジオでは24時間ひたすら情報を流し続けるので、ハリケーンが接近する前にいささか疲れてしまうほど。しかしそのおかげで付近の他国で大惨事となっても、キューバでは人的被害はゼロといった具合で被害を最低限に抑えることができている。

これまでにも何度かキューバでハリケーンを経験したことがあるが、日本の台風と違って接近、上陸してからが長いような気がする。台風の場合は日本に上陸すると勢力が弱まってスピードを上げて北上、というパターンが多いけれど、ここでは陸に近付いて上陸してからもノロノロあるいは一箇所に停滞していつまでも動かない、そしてさらに勢力を増す、なんてこともある。当然の結果、長時間にわたって強い雨風が続くので人々はなかなか身動きが取れず、家屋や農作物などの被害もより大きくなってしまう。

前回ハリケーンがハバナに接近して大きな被害が出たのは2017年のIrmaイルマだったが、この時もキューバの東部北岸からハバナ付近を通って北上するのに1週間近くかかった。通過後もハバナでも停電が続いて不便な日が続き、マレコン添いの建物も大きな被害を受け今でも建物の修復がされず放置されているところもある。農作物は長期にわたって影響があり、壊滅的な被害を受けた東部のカカオは翌々年になってやっと収穫が可能になったくらいで、ハリケーン前のレベルへ回復には程遠い。

ハリケーンイルマの後、小学校の大きな木が根こそぎ倒れた。

今年はコロナの感染による影響がいまだ続く中でのハリケーンシーズン、コロナ感染に加えてハリケーン被害というのは辛い。どうか各地で惨事を引き起こすようなハリケーンが発生しませんように、と祈るばかり。

キューバのコロナによる規制緩和:ハバナ近況

8月10日にハバナがコロナによる規制が再度強化されて、フェーズ0に後退してからまもなく2週間。この間に新規感染者が90超え、3月11日のコロナ感染初確認以降の最高数をピークに2桁を記録する日が続く。ハバナは再び交通機関が止まり、公共施設やレストランなども閉まり、外出自粛の日々・・・それでも一度規制が緩んでしまったからだろうか、当初の規制時よりも何をするわけでもなく外に出ている人も多いし、子供達も親と一緒に歩く姿が見られたりする。毎日の日課は近所の店や市場で出荷されるものをチェックして行列に並ぶことで、相変わらずすごい人が一定の時間一定の場所にあふれかえる。この「気の緩み」に対して、ニュースや公共広告では声高に

¡Disciplina! ディスシプリーナ(規律を守って)

と、連呼している。マスク、手洗い、人との距離をとる、不要不急の外出自粛、何だかの症状がある人すぐに診察を・・・と改めて人々に言い聞かせるように。各家庭訪問しての健康状態チェックも頻繁になり、予防薬として各家庭でホメオパシーの投与も推奨された。そしてハバナは9月の学校開始の延期が決定。

コロナにいつもの夏休みを奪われても、子供達はなんのその photo by Cubadebate

あああああー、最も恐れていたことが・・・!

もちろん子供達が集団感染してしまっては大変だし、現状を考えるとその可能性が心配されるから当然の措置だろう。衛生的にも全てのキューバの学校が感染防止対策を十分に撮れる状態でないのも問題だ。でも各家庭でのインターネットが普及していないキューバでは、リモート授業を行うことも不可能、4、5月にやっていたテレビ授業は時間的にも全く不十分で自習する習慣のない子供には機能しなかった。登校して対面で授業をするしかないのだ。せめてスポーツのアクティビティーでもあれば救われるのに、それすら通常の長期休暇とは違うから残念ながらこちらもなし。

だから早いところ学校が再開されるべき。

が、そう思っているのは親だけで、子供達は休み延長を歓迎。少なくとも我が子は、毎日の感染者数をチェックして増えていると喜び、減っているとガッカリしているという、わかりやすい反応。このままでは本当に授業再開された時が思いやられる。と心配するのも親だけか・・・

候補ワクチンはその名もSoberana ソベラーナ: 本来主権、最高位を有するという意味で、なんか政治的なネーミングだなあと思ったけど、薬や治療法については特効薬を意味するらしい photo by Cubadebate

一方、キューバ独自のワクチン開発への取り組みも進んでいて、このほど候補となるワクチンの治験が8月24日から始まる。順調にいけば来年2月には一般への接種が可能で、ラテンアメリカ・カリブ海域で初のCovid-19対応ワクチンとなる。新薬、ワクチン開発では世界のトップレベルにあるキューバ、今回もキューバ国民だけでなく世界中の人々を救うことができるか。まだ少し時間はかかるけれど、大いに期待したい。

キューバでスキューバダイビング

キューバはカリブ海で一番大きな島で、その海岸線は5,500kmにおよびます。また島の周辺にはCayo(カヨ)と呼ばれる数千もの小さな無人の島々がとりまくようにあり、その沿岸は世界でも有数のサンゴ生息域として知られ、動植物相もとても豊か。トロピカルな気候から海水温は年間を通して25度前後、海流の影響も低く、波も穏やかで透明度は25m以上と抜群、ダイビングにはもってこいの環境です。それにも関わらずダイビングで訪れる人はまだまだ少ない上、政府も周辺海洋域の保護に力を入れているため、類い稀な良い状態でサンゴ礁やその他の自然を見ることができ、その姿は「コロンブスがキューバを発見した時から変わらない」ともいわれるほどです。さらにはカリブ海域の歴史を物語る沈船に遭遇したり、ドロップオフや海底洞窟などのユニークな地形が見られたり、とバラエティーに富んだダイビングを楽しむことができ、経験豊富なダイバーたちも飽きさせません。一方で初心者でも安心してダイビングできるスポットも多く、レベルを問わずに美しいカリブの海を満喫できること間違いなしのまさしくダイビングパラダイスなのです・・・

と、ショップのダイビングツアー案内並みの解説をしながら、キューバの海に潜ったことがない。若かりし頃に当時の仕事の関係でライセンスを取って、日本近海や琵琶湖での調査ダイバー経験はあるのにキラキラの海でファンダイビングもしたことがない。それだってもうかれこれ20年以上前のこと。キューバに暮らして、せっかく目の前に真っ青で美しい海が広がる環境に住んでいるんだから潜ってみよう、と思いつつなかなか重い腰があがらない。他の場所に比べたらダイビング料金は安いし、装備も見たことあるけれど悪くないので安心できそう。といいながら、自分の知識と経験は20年前のものだから我ながら信用できない・・・と、ウダウダ言って5年が過ぎた。

キューバでのダイビングはほとんどがボートから。このダイビングボートには乗ったことあるのだけどね。

現在、コロナの影響で海外からの観光客もおらずダイビングは無理だけれど、我が家の庭、コスタでシュノーケリングはできる。遠出してビーチに行くこともできない今年の夏だが、時間だけはたっぷりあるので、この自宅前リゾートで子供と一緒にこれまでにないほどよく海に入っている。残念なのは子供用のオモチャのマスクとシュノーケルしかなくて、フィンもないので、ほぼ水面から海中を眺めてフワフワすることぐらいしかできない。それでも沖からすぐ近くに、青いのやら黄色いのやらこんなにいろんな種類の魚がいるのか、ともう楽しくて何時間でも見ていたい気分になる。透明度も軽く20mほどあるだろうか、流れもそれほどないので安心して視界のある範囲を散策でき、岩場であるためちょっとした起伏もあって面白い。それに何より久しぶりでも海中での動きは我ながらスムーズで、近年の陸上での動きの鈍さや疲労っぷりを考えたら、水の中の方が断然楽チンなのだ!

我が家の庭、コスタ。しばらくはこの辺りで楽しむしかない。

ダイビングは危険を避けて無理をしなければ、かなり高齢まで楽しめる娯楽でありスポーツでもある。

やっぱり今こそキューバでスキューバだな。

キューバ人と誕生日

8月13日はフィデル・カストロの誕生日だ。生きていれば今年94歳。

若かりし日のフィデルの写真が新聞記事に。Photo by Granma

国を挙げての大きな行事があるわけではないけれど、この日が近付くとフィデル関連の報道が目立つ。テレビではフィデルの眠るサンティアゴ・デ・クーバのお墓での行事の様子や花を手にお参りをする人々の姿が映し出され、生前の功績やエピソードについて様々な映像が流れる。今年はコロナの影響でハバナで市民が参加するようなイベントはなかったものの地方ではお祝いの集会や音楽ライブなどが開催されたようだ。本当ならオリンピックイヤーだったはずだからだろうか、スポーツ選手達がフィデルとの想い出を語るインタビューがやたら多いような気がする。キューバ革命を率いた第一人者は今でもComandante en jefe最高司令官フィデル・カストロとして国民の心の中に生きていて、ともに誕生日を祝う。

マスクをした人たちがフィデルへ花を捧げるために並ぶ、サンティアゴ・デ・クーバのサンタ・イフィヘニア墓地 photo by Granma

キューバで誕生日はとても大事だ。生きている人だけでなくて、すでに亡くなっている人の誕生日もその人を偲んで静かにお祝いする。歴史上の人物やなんだかの分野で活躍した人ならなおさらで、その筆頭はキューバ国民の英雄ホセ・マルティの誕生日だろう。キューバのスペインからの独立を導いた政治家であり、フィデルも師と仰ぐ人物だ。そのマルティの誕生日は1月28日で毎年この日は前夜祭から始まって、当日はキューバのありとあらゆる所にあるマルティ像へ花が捧げられ様々な行事が催される。他にもキューバ独立戦争や革命の中心人物、映画俳優、作家や詩人、スポーツ選手まで誕生日にはテレビニュースになったり、新聞記事が出たりする。すでに他界している人に関しては亡くなった日も大事なので、それもチラッと話題になる。だからほぼ毎日のように誰かの誕生日か命日であることを耳にすることになる。

一般の人たちにとっても、もちろん誕生日は特別だ。

子供の誕生日は親たちが気合を入れて準備をする。なかでも1歳の誕生日はUn añitoウン・アニート=1歳ちゃんのために大きなFiestaフィエスタをして祝う。

ピニャータ炸裂!この下で子供達がお菓子を拾うためにしゃがんで待っている。

これはキューバだけではなくて中南米どこでもそうらしいけれど、昔は生まれて間もなく亡くなってしまう子供も多かったので、1歳まで無事に育ってくれたことを親たちが喜んで大々的にお祝いをしたことに由来するらしい。子供の誕生日会は子供たちのためのもの、ということでたくさんの子供達がやってきて(子供なら招待されていない友達の友達の友達でも参加可)賑やかに行われる。大きなケーキはもちろん、誕生日には欠かせないピニャータ(動物の形などした張りぼてを子供達が叩き割って、中から落ちてくるお菓子やオモチャを拾う子供が大好きな誕生日イベント)、ピエロが登場したり、ビンゴゲームがあったり・・・とにかくモノのないキューバでこれをやろうと思うと準備がものすごく大変!

息子6歳の誕生日、頑張った!!

ということをキューバに来て翌年の息子の誕生日会で実感したので、我が家では息子の誕生日会はケーキだけで身内で済ませ誕生日旅行で逃げることにした。

大人たちも誕生日には家族や友人たちとFiestaフィエスタをする。皆で集まって食べて飲んで、音楽ガンガンかけて踊ってが大好きなキューバ人たち、誕生日という特別な日をパーティーの口実にしないわけがない。定番は自宅に皆を招待するのだが、ちょっと景気のいい人はプール付きの1軒家を借りてやったりもする。飲み物はビールとラム酒で決まり、お決まりの軽食メニューはマヨネーズベースのペーストを挟んだパン、マカロニサラダ、コロッケなどの揚げ物、一口大の激甘キューバお菓子、そしてメレンゲたっぷりのケーキ。なぜーかこれらを全部一緒に折り畳み式のランチボックスに詰め込んでお持ち帰りする。甘いものもしょっぱいものもごっちゃ混ぜにされるので、家に帰って開けた時には大変なことになっているのだけど、これがないとキューバの誕生日会ではないらしい。

ところでこの誕生日会、キューバではお祝いしてもらうものではなく自分で企画して皆を招待するものだ。呼んで楽し、呼ばれて楽し、で誰もが年に1度はある誕生日だからお互い様。何となく誕生日は誰かに祝ってもらうもの、という気がするのでちょっと違和感があるのだけれど、これもキューバ式。

ヒロシマ、ナガサキ、そしてキューバ

「今年の夏は、いつも違う特別な夏」

昭和の歌謡曲ならちょっとドキドキしてしまいそうなフレーズだけれど、現実はコロナの影響で海へ山へと楽しいバケーションも、久しぶりに家族で集う里帰りも自粛のムチャクチャネガティブな「特別な夏」だ。これはキューバでも同じ。あまりに長い、そしてここにきていつまで続くか分からない休みを楽しんでいるのは子供達ぐらい。

夏、8月といえば個人的にはヒロシマとナガサキ、原爆投下を思い出す。父が広島で被爆している我が家では夏休みの真っ只中、8月6日の朝はテレビの平和記念公園での式典中継を見ながら8時15分に黙祷するのが恒例だった。その後も年に一度のこの日のどこかで、ヒロシマを思う。キューバに来てからもそうだ。

今年は「特別な夏」で、今ちょうどキューバはコロナ感染の再拡大が注目されていて、テレビのニュースもそればかり。毎年この時期にはヒロシマ・ナガサキの原爆投下に関するなんだかの報道がされるのだけれど、今年はどうなんだろうと思っていた。時差を考えると日本時間の8月6日午前8時15分はキューバ時間の5日午後7時15分、ちょうど夕食の準備やらで何やらでバタバタとしている時間帯でもあり、その瞬間はいつの間にか過ぎていた。8時前にハッと思って日本の方を向いて手を合わせてから、テレビを見るとニュース前の報道番組の最後に原爆投下時のキノコ雲や焼け野原になった街の様子と一緒にフィデル・カストロが広島を訪れ献花している場面が映し出され、75年前のこの日広島に原爆が投下されたことを紹介していた。そして9日長崎の原爆記念日には、夜のニュースの中で長崎原爆投下と同時に、広島の千羽鶴のお話の主人公であるササキサダコさんのエピソードが現在の平和記念公園の映像などを交えて紹介された。

焼け野原になった街の様子を映し出す画面
サダコさんのお話はキューバで何度か放映されている。

フィデルは2003年3月に日本を訪問した際に広島を訪れている。この頃まだキューバを知らなかったけれど、3月とはいえ寒い日に黒っぽいコートを着て大勢の報道陣に囲まれながら平和公園で献花するフィデルの姿はよく覚えている。今回テレビで見たのはまさにその時の映像だった。

この時フィデルはQue jamás vuelva a ocurrir semejante barbarie このような野蛮な出来事が2度と起こりませんように、とメッセージを添えて記帳した。photo by Cubadebate

キューバへ来てから、1959年革命勝利のその年にチェ・ゲバラも日本滞在中に広島へ足を運び、同じように献花している写真が残っていることを知った。そしてチェがフィデルに広島訪問について、「人として見ておかなくてはならない」と報告したということも。同じようなことを妻のアレイダにもわざわざ日本から葉書を出して伝え、同じ名前の娘アレイダも日本へ来た際にやはり広島を訪れている。

チェが広島を訪れた時の写真、ハバナのカバーニャ要塞チェの執務室資料館にも展示されている。photo by Cubadebate

こうしてキューバの革命を起こした重要人物たちが広島を知り、ヒロシマの重要性や歴史的事実が持つ意義をキューバの国民に伝えようとしたことは言うまでもない。キューバでは多くの人がヒロシマ・ナガサキを知っている。原爆投下された日の前後には関連するいくつかの報道がされ、学校でも原爆に関連する教育がされるという。少し偏屈な見方をすれば、アメリカという同じ敵を持ち、その敵に原爆投下という人類歴史上最も酷いといえるほどの仕打ちをされ叩きのめされながらも、戦後急速に発展し世界最高レベルの経済力を持つ国のひとつを作り上げた日本という国を見習うべく、キューバもアメリカの制裁にめげずやっていこう、という政治的プロパガンダとも取られるかもしれない。でも素直に見れば、現在キューバが掲げる平和的人道国家となるべく、こうした過去の悲惨な歴史を繰り返さない世界の構築に努めるべきと後世に伝えるためのヒロシマ・ナガサキの教えと考えていいだろう。

ヒロシマ、ナガサキ、そしてキューバ。 自分の中にあるヒロシマへの思いがなんだかの形で繋がってキューバへ流れ着いたんじゃないか、ふとそう思うことがある。

キューバのコロナによる規制緩和:再感染拡大による後退

コロナによる規制緩和、7月3日にハバナが第1フェーズに移行してから1ヶ月、8月になって急に新規感染者が再び増えはじめてしまった。7月19日にはついに新規感染者ゼロを記録したにも関わらず、8月1日(発表、数字は前日の検査分)から25人、13人、24人、31人、25人、49人、54人、59人と増え続け、

8月9日 65人!!!

複数のクラスターが発生しており、また本来ならまだハバナへの出入りは特別の許可がなければできないはずなのに結構な人の移動があった様で、ここ数ヶ月感染者ゼロだった地方の州にまで再拡大の傾向にある。死亡者数はほぼないものの重症者数は増えており、ついに政府は未だ「国内感染拡大段階」であるとして、主にハバナの規制を元に戻すことを決定した。

ガーーーーーン!まさかの後退・・・

レストランやカフェテリアは基本的に閉鎖テイクアウトのみで夜間の営業は禁止、プールや娯楽施設の閉鎖、不要な外出は禁止、そして公共交通機関の停止。これが一番痛い。せっかくハバナ市内だけでも自由に動ける様になって、久しぶりの知人友人に会ったり、買い物に行ったりできるようになったのに。制限付きとはいえ3ヶ月ぶりに手に入れた自由、それでなくても誰かと会って食べて飲んでおしゃべりしてが大好きなキューバ人たちは、早速あちこちではち切れてしまったらしく、これが覿面的中、即感染拡大につながってしまった。いくつか起きているクラスターの原因はFiestaフィエスタ=パーティーだという。

photo by Cubadebate

徹底的に接触者を追求して検査をするから、ずっと2500前後だった検査数がここ数日は4000以上と増えており、結果、新規感染者数も増えるのは当然という気もするのだが。全体の半数以上が検査時点に無症状でほとんどが軽症者、死亡者数も抑えられているので、ここはハバナ再閉鎖までしないんじゃないか、という気配もあったのだけれど、グングン伸びる感染者数に政府上層部と保健省がピシャリと喝を入れることを決めた。常日頃から感染病対策に力を入れているキューバのことだから、今回はより厳しく徹底的にコロナと戦うつもりなんだろう。

ということは感染者ゼロになって完全封じ込めが確認されるか、全国民にワクチン接種がされるかしない限り、「勝ち」はない?

それまで国民の生活は制限され、キューバの国境は閉鎖されたまま??

いやそれより何より、目下の心配は9月学校再開延期。ああー子供達が学校へ行ってくれる日はいつに?!

キューバの信仰

キューバの宗教について一般的にはスペインの植民地であったことからカトリック信者が多いとされるが、一方で同じくスペイン領であった他の中南米諸国の中でも最もカトリックが浸透しなかった国、とも言われている。これはキューバ革命が宗教を否定したためと思われがちだが、実際には革命政府は宗教の否定もカトリック信者の排除もしてもいないので、革命以前からの傾向や他の宗教の影響もあったようだ。

他の中南米諸国では原住民のインディヘナの人達までも敬虔なカトリック信者だったりするし、日常のあらゆる生活習慣にまでカトリックの影響が色濃くみられる。とある宗教が浸透する国や地域ほど、旅行をしていても「宗教は何?」と聞かれることが多いように思う。中南米でも同じ質問をよくされるけれど、その度に

「Atea(アテア)無神論者」

というと、多くの人はギョッと引いて怪訝な顔をし、中にはその場で神について説き始める人もいる。

ところがキューバでは同じ答えをしても「そっか」で終わる、もしかしたら「私もだ。」と同意される。他にもカトリックがあまり浸透していないことを示す例を挙げると、クリスマスが盛り上がらない。1998年革命後初めてローマ法王がキューバを訪問して以降12月25日が祝日になって、最近でこそツリーを飾ったり、街中のレストランの店員がサンタの格好をしていたりすることはあっても、他のカトリックの国に比べると断然地味なクリスマスだ。

ハバナの旧市街にあるカトリックの大聖堂、カテドラル

カトリックの他にキューバ人が信仰する他の宗教として挙げられるのが、アフリカ由来の宗教だ。これは植民地時代にアフリカから連れてこられた黒人奴隷たちが信仰していたものが、カトリックなど他の宗教と結びついてキューバで独自の発展をしたもので、いくつかの系統に分かれている。このうちハバナやマタンサスなど西部地域で多く信仰されているものはSantería サンテリーアと呼ばれ、これが広くキューバのアフリカ系宗教の総称のように使われることがある。で、大雑把にサンテリーアがどんな宗教かというと、

  • この世の全て想像した神Oldomareオルドマレの下に、Orishaオリーシャと呼ばれる複数の神がいる。起源となったアフリカの伝統的宗教では400以上のオリーシャが存在するというが、現在キューバで重要とされているのは12だけ。
  • オリーシャは、カトリックの聖人=Santoサントやギリシャ神話の神々に相当するようなもの。キューバにおいては黒人奴隷たちが植民地時代に隠れて自らの神々を信仰するため、各オリーシャにカトリックの聖人を割り当てるようになった。
  • それぞれのオリーシャは、自然界および人間界に及ぼす特性を備えている。また、祭日、好みの食べ物、色、数字といったものを持つといった個性がある。例えば・・・(以下カトリックの聖人、自然・人間界に及ぼす特性、色、祭日)

Ochúnオチュン:Virgen de la Caridad カリダッの聖母、川、愛と結婚とお金、黄色、9月8日
Changóチャンゴー:Santa Bárbaraサンタバルバラ、雷、太鼓と舞踊と情熱と男らしさ、赤と白、12月4日
Obataláオバタラー:Virgen de la Mercedメルセッの聖母、大地、平和と精神性と知性、白、9月24日

  • サンテリーアの信者はオリーシャが日常の全ての事象をコントロールすると信じ、これらの神々へ好み供え物を捧げたり、儀式を行って神々からお告げを受けたりして自らの道(人生)を良い方へ導いていこうとする。
  • 信者はそれぞれ自分にとっての「特別なオリーシャ」を持っており、自宅にそれを祀るための祭壇を作る。
  • 信者は直接オリーシャからのお告げを受けることはできない。Babalawoババラオという司祭に当たる人物がオリーシャの言葉を理解して信者に告げる。
  • 信者はオリーシャの力を使って自然界にある力と自らが備え持つ特性の奥にある力のバランスを健全に保つことに努め、最終的には自らの道を切り開いていく。

といった感じだけれど、実際には全くもって複雑でこんな簡単に説明できない。

一般宅にある祭壇、この日はサントの誕生日(修行を終えると信者として生まれ変わった日=誕生日がもうひとつできる)だったので少し着飾って。
同じく誕生日のパーティーでの捧げ物、オリーシャは甘いものが好き?!

ただ個人的にはギリシャ神話やマヤ文明の神々にまつわるお話と同じで、これらの神様たちの話は良くできた物語として興味深いし、キューバの歴史や文化を構成する一要素としてみるとなるほど、と思う部分もある。

ところで旅行者でもこのサンテリーアに触れる機会がある。

キューバで街を歩いていると、全身真っ白な人に出会うことがあるが、これはサンテリーアに入信するための修行中の人だ。サンテリーア入信のためには一定の儀式、通過儀礼を行っていくつかの厳しい規制を守りながら1年間の修行期間を過ごさなければならない。その1年間行う規制の一つが「全身白いものを身につけて過ごす」というもの。頭の先から足の先、持ち物までぜーんぶ白いので一目で分かる。

それから街の角、交差点の道端で動物の死骸を目にしてビックリすることがあるかもしれない。これはサンテリーアで行う様々な儀式で動物を捧げる=犠牲にすることがあるのでその残骸、といってもそうする理由があって「置いてある」のであって決してポイっと捨ててあるわけではない。

これは自宅内で行った儀式の残骸・・・

またサンテリーアに関わる音楽やダンスもキューバの伝統文化として見たり、聴いたりする機会があるかもしれない。

現在、サンテリーアを始めアフリカ起源のキューバで独自に発展をしたいくつかの宗教はカトリック以上にキューバに浸透しているともいわれ、黒人白人関係なく信者でなくてもその習慣や考え方の一部を生活に取り入れている人は多い。それにカトリック信者だったはずの人がサンテリーアに入信することも良くあり、それが完全な改宗というわけでなく、「どっちも信じる」という人がいたりする。また最近はサンテリーアビジネスなるものもあって、外国人でもサンテリア体験なるものができたりする。

オリーシャの祭壇と一緒にサンタクロース、別になんてことない。

時代とともに宗教の形は変わるのだろうけれど、アフリカから来た宗教がカトリックとの融合している点などキューバは宗教までもキューバらしくInventoインベント(発明/でっち上げ)してしまうのが面白い。そしてキューバ人のゆるーい宗教観、ちょっと日本人と似ている?!