キューバと日本

キューバと日本、遠く離れた国同士ではあるけれど、二つの国の関係はとても良い。政治的、歴史的な関係はもちろんのこと、キューバ人は日本という国や日本文化、日本人に非常に関心があり、多くは日本をとても素晴らしい国としてリスペクトしてくれ、俗に言う「親日」であると感じる。社会主義つながりで中国やベトナムとの関係が深いけれど、同じアジアの国でありながら一般市民レベルでも意外にちゃんと各々の違いも認識されていて、その上で日本を評価してくれるのは日本人として嬉しい。

日本の発展したテクノロジーの高さについて「すごいよねー」と羨望されることがよくあるけれど、日本文化に関心を持って「日本大好き」という人も多い。今や世界中にいる日本のアニメ、漫画、ゲームに影響された「オタク」たちもたくさんいる。そして彼らの中には日本語に興味を持って勉強し、驚くほど上手に話す若者もいたりする。

スポーツでいえば野球、今季も日本のプロ野球シーズンが始まってからは日本で活躍するキューバ人選手の成績が連日ニュースで流れる。両国の野球を介した親善が盛んなのはよく知られた通りだ。柔道は世界レベルで有名だし、空手道、剣道、合気道の教室もたくさんあるし、先日は居合道をやっている人がいてびっくりした。

息子の通う空手の教室がハバナ郊外に作った新しい道場。沖縄発祥なんで沖縄風?

歴史的に見ると、キューバを初めて訪れた日本人は支倉常長であるとされる。支倉は1613年伊達政宗の命でローマ法王へ謁見するためローマを目指したその途中でキューバ、ハバナへ寄港した。

支倉常長の像は現在、ハバナ旧市街のハバナ湾沿いの道の脇に立ちキューバ人の間では「初めてキューバへ来た侍」像として知られる。

その後今から120年ほど前に日本から移民としてやってきた人たちがおり、今でも千人ほどの日系人がハバナや青年の島に暮らす。日本と国交樹立してからは今年で92年。ちなみに駐在の方なども含めキューバ在住日本人は、近年90〜100人で推移しているそう。

2018年には日本と国交樹立90年、日系移民120年で日本大使館主催の展覧会も開催された。

政治的な関係でいうと、日本はキューバに対してODAその他の形で多くの支援を行なっている。最近では日本の稲作用の農機具が導入され、早速キューバ各地に配置されたとのニュースがあった。米を主食とするキューバでは、米の自給率をあげるためにも日本から多くの援助を受けて近年その効果が上がっているとのこと。また今、ハバナ市内では昨年日本から送られたオレンジ色のゴミ収集車がそこら中で見られるし、消防車も日本から寄贈されたものが活躍している。

キューバで働く日本のくるま、その1
キューバで働く日本のくるま、その2

一方、一般の企業がキューバに投資しようという動きはアメリカとの国交回復後、一瞬盛り上がったがその後は萎んでしまった。日本人観光客はここ10〜15年で随分増えた。特にアメリカとの国交回復でこちらも「行くなら今!」的なコピーでブーム到来の兆しはあったが、その後落ち込むと言うほどではないにしろ伸びは期待したほどでもなく・・・これらの背後には日本とアメリカ、アメリカとキューバの関係が大きく関わっていることは言うまでもない。

あるカサ・パルティクラルの壁にあった日本人観光客の想い出。キューバへ行ってみたい日本人はまだまだ沢山いるはず!

TVでも日本の番組を時々やっている。アニメだけでなくドラマ、映画、ドキュメント番組まで、『おしん』はもう何度放送されたことか。年配の人だと日本=黒澤明、七人の侍、座頭市という回路の人も多い。そして黒澤を口にする年齢のおじさんの中には日本人と一緒に漁をした体験を持ち、船長と醤油で刺身を食べたことを自慢してくれる率も高い。実際に1960〜70年代には日本がキューバへ漁業関連の技術提供や指導を多くしていた。

それからキューバ人が日本について知っていることで注目した欲しいのは、ヒロシマ・ナガサキの認知度だ。キューバでは学校で子供達に日本の被爆体験について教えられる。毎年8月6日と9日は新聞なりTVなりでなんらかの報道がされ、多くの人がこの日付まで含めてヒロシマ・ナガサキを知っている。

こうやってみるとキューバにいながら、日本に遭遇する機会は意外に多いし、それもあって日本人がキューバについて知っているよりずっとキューバ人は日本について詳しい、と言えるかもしれない。

コロナ禍、おうちでTamalタマール作り

最近のキューバ、コロナの様子。ここ数日ハバナと近郊で2つのクラスターと海外帰国者の感染が重なって、もう2ヶ月ぐらい見たことのない2桁新規感染者に数字にギョッとなり、ハバナは規制緩和第1段階からなかなか次へ進まない。市内を自由に動けるようになったとはいえ、まだ仕事もままならず通常営業している場所もほとんどない上、このぶり返しで「家こもり生活」継続中。

で、時間はたっぷりある。

そこで普段はあまり見ない新鮮な生のトウモロコシが、手に入ったのでTamalタマールを作ることにした。タマールはトウモロコシをすり潰して味付けし、トウモロコシの皮で包んだものを蒸すか茹でるかして作る。食事と一緒に食べることもあるけれどおやつにもなるファーストフードで、街中でも売り歩いているので普段はこれを買って食べることが多い。実は我が家で作るのは初めて。よその家で作る様子を見たことはあるけれど、手順もよく覚えてない。せっかくなのでレシピを残そうと記録をとってみた。

材料:トウモロコシ、トウモロコシの皮、玉ねぎ、ピーマン、ニンニク、塩、胡椒、サラダ油、トマトピューレ(お好みで)
粒状にしたトウモロコシを挽いて潰す。今回はミンチマシーンを借りてきてグルグル、一緒に刻んだピーマンも入れて潰した。
味付け用のみじん切りにした玉ねぎ、ニンニクをサラダ油で炒め、塩・胡椒、好みでクミンなどのスパイスを加える。より風味を出すために豚肉の脂身片やチチャローネス(豚の皮の唐揚げ)を入れたりするのだけれど、今回はベジタリアン仕様でトマトピューレを少々入れた。これを潰したトウモロコシに加えてよく混ぜる。
トウモロコシの皮で出来上がった具材を包む。1つのタマールに2枚の皮を使用。まず1枚を円錐状に丸めて先の尖った方を上に折り曲げて袋状にし、具材を適量入れる。
もう1枚も同じように円錐状にして、今度は幅の広い方を下に被せるようにして蓋をする。
皮が外れて形が崩れないよう真ん中を紐で縛る。
たっぷりのお湯で茹でる。今回は圧力鍋を使って30分ほど。蒸してもOK。
できあがり!

素朴な味わいが何とも言えず美味。名前が違うかもしれないけれど、キューバだけでなくて中南米どこにでもあるポピュラーな料理。トウモロコシを潰すのが少々面倒だけれど、意外に簡単。自分で作れば具材のアレンジや塩加減も調整できてより一層美味しい。皮で包む作業は子供と一緒にやっても楽しい。

コロナ禍、「家こもり生活」で料理に関しては新たなチャレンジや学びあり。いくつになっても挑戦と学習は大事、いいこといいこと!

加速するキューバ人の行列好き?!

コロナ禍、街で見かける行列がより目立つようになった。キューバの行列に関するネタには事欠かないことについて以前書いたことがあるが、ここにきてまた新たな伝説となるような事態が起きている。

キューバの物不足は深刻で、時にはトイレットペーパー、洗剤、サラダ油といった生活必需品がほとんど市場に出回らなくことがあり、その後入荷されると店の前はその品物を求める人の大行列ができるのは、キューバでは毎度おなじみの出来事だ。

それが最近ハバナでは毎日、ありとあらゆるところで大行列を目にするという当たり前の光景となっている。

コロナ感染予防対策で多くの店が閉まっている上、人々の行動範囲は限られているから余計に行列ができやすいというのもあるが、その行列の先にある品物も食料品や衛生用品といったものがほとんどで、入荷状況もより限定されているように思う。ここ1ヶ月に我が家のある団地の店で売られたものといえば、

肉類:鶏肉、ソーセージ類、挽肉(なんの肉だか不明)

野菜類:バナナ、芋類、かぼちゃ、パパイア、マンゴーやグアバなどの果物、アボガド、ナス、ニンニク

その他食品:サラダ油、輸入品のりんご、トマトソース、炭酸飲料、パック入りジュース、ヨーグルト、ツナ缶

衛生用品:トイレットペーパー、洗濯洗剤、消毒液(漂白剤)、デオドラント

このほか配給品として、米、パン、砂糖、塩、豆類、コーヒー、鶏肉、ハム、卵、石鹸、歯磨き粉。

これくらいのものしかなくても、これしかなかったら皆必死に手に入れようとする。その結果「品物がなくても行列ができる」という現象が起きているのだ。

全くもって??!!

だとろうが、つまり「もしかしたら鶏肉が入荷するかもしれないからとりあえず並んで待とう」というわけ。これがエスカレートして、前日の夜から行列ができる事態となってしまった。もちろん全ての人が徹夜するわけでなく、その役割を買って出る人がいて家族や友達のために寝ずの番をする。中には順番を「売って」商売をする輩も出現する。そして、いざ何かが入荷した!となると瞬く間にその情報が伝わり、実際に行列をした人の何十倍という人がそこら中からワサワサとやってきて、物凄い人の列が形成される。どう見ても超密状態である。

店頭での混乱を避けるため、少し離れた公園にてまずは行列形成

この行列を制御するために店の人だけでなく、警察数名と地域の役員(キューバには日本の自治体に似た組織がある)が立ち会って大騒ぎ。警察は全ての人に品物が行き渡るようにするためと転売防止のため、同じ人が続けて同じ商品を購入しないように全員の身分証明書をスキャンして保存、その管理のためのアプリまで今回開発されたそうだ。さらに行列を乱さないようにまず整理券が配られ、これにしたがって順番に店に入って買い物、おひとり様当たりの購入数はもちろん限定。

公園の行列から、10人ずつ整理番号順に店の前へ向かう。なぜかここでは間隔をあけて整列させられる。
本日の整理番号
店内も人数制限。売っているのは本日の入荷商品鶏肉とレジの後ろに並ぶ商品のみ

もうホント、コロナのおかげでキューバの行列に新たなルールが次々に加わって訳がわからない・・・もちろん好きでやってる訳じゃないとわかっている。が、申し訳ないけれど、外国人でモノに不自由なく生きてきた私にはお手上げなので夫に頑張ってもらうしかない。

本日の勝利品「鶏肉」お一人様2袋限定

キューバの物不足の原因は何か?

一番はアメリカの経済封鎖と言わざるを得ない。キューバは革命後、アメリカの制裁を受け続けている。単純にアメリカから製品や原料が入ってこないというだけでなく、原材料をアメリカで調達して他国で生産された品物の輸入、キューバへの送金、キューバへの支援等あらゆるものが制限されている。アメリカがダメなら他の国から、と思ってもキューバを助けようとするとその国がアメリカからの制裁を受けることになってしまうから、それもままならない。また小さな島国であるキューバは資源に恵まれているとは言えないので、自国の産業発展のためには原材料と燃料(原油)を輸入するしかないのだが、同じ理由でありとあらゆる産業の発展が制限される。キューバが特に力を入れ、世界的にも名高い医療分野でも優秀な医師は多く育成されても、最新の機材を導入できない、病院の設備を整えることができない、といったことが起こる。また多くの特許を持つ医薬品も原材料が入手できないため、生産がストップしている製品が数多くある。病院で薬を処方されても薬局で入手できないのは日常茶飯事、自国で生産できるはずの医薬品をなぜかアメリカに住む家族に頼んで送ってもらう、という皮肉な事態が起きる。

フォトジェニック・キューバ

世界中にフォトジェニックな場所は数あれど、キューバの「素敵な写真が撮れる度」今でいう「インスタ映え」はやっぱり格別だと思う。街並み、自然、人物、どれを撮っても間違いなく絵になる。中でも街並み、フォトジェニック大賞都市部門があったら上位入賞は硬い。

自分自身、最近ではほとんど写真を撮らないし、スマホだけでカメラすら持たなくなってしまったけれど、いろんな人の撮るキューバを見る度にそう思う。そして写真に収めなくても毎日その景色の中にいて、ハバナの街中で面白いカットを楽しみながら散歩するのが何よりも好きだ。もちろん、時にはスマホを出して記録してみるけれど自分の腕では「言葉」を添えないと、何かを伝えることは難しい。

そんなハバナの街で、記念の写真をプロのカメラマンに撮影してもらうフォトセッションに何度か同行したことがある。多くは新婚カップルのウェディングフォト、男性はタキシードだったり少しカジュアルな感じだったりするのだけれど、女性はほとんどがドレスを着て臨むので、撮影しながら街ゆく姿は嫌でも目立つ。慣れないモデル体験と皆の目線とで、最初はぎこちない二人も、プロカメラマンのリードと道ゆくキューバ人達の「¡Felicidades! おめでとう」の声に少しずつ緊張がほぐれて、自然な笑顔が出てくる。どこを切り取ってもバシッとフレームにハマるハバナの街を、モデルになった気分で歩きながらの撮影そのものが素敵な想い出になる。

モヒートで有名なバー、ボデギータ・デル・メディオ前で。

旧市街で会ったバレエ学校の子供達とポーズ。

コロニアルな建物の中へお邪魔して撮影も。

クラシックカーも思いのままに使って。

青い海をバックにビーチを裸足で、手をつないで。

沈みゆく夕日とハバナの街をバックに。

こうやって1日一緒について回って写真に収まる二人の姿を見ていると、もう完全に花嫁の母の気分になってくる。

このハバナでのフォトセッション、他では絶対にない唯一無二の写真が撮れることはもちろん、旧市街など主な見所を巡りながらの撮影となるので、市内観光も一緒にできてしまう(しかも荷物持ち兼ガイド付き!)という、まさに1粒で2度美味しい企画なのだ。ウェディングフォトでなくても、カップルでなくてもOK、せっかくこんなにフォトジェニックな街に来たのだから、スマホのセルフィ−だけでなく少し時間をかけて想い出作りをするのもいい。パパッとSNSにアップして終わりではなくて、引き伸ばしてプリントして部屋に飾りたくなる写真になるはず。そしてその写真を見る度にキューバを想い出してもらえたらすごく嬉しい。

2020年、いつもと違う夏のはじまり

年がら年中暑いキューバでも、夏は特別。7、8月は夏シーズンとして、各種イベントや旅行キャンペーンが盛りだくさんで、子供も大人も浮かれて過ごす。7月1日にはシーズン開始にあたって今期の主な催し物の発表があったり、TVでテーマソングが流れ始めたりと「夏へまっしぐら!」と気分が高まるとことだけれど、今年はちょっと違う。

先日コロナウィルス感染予防政策が継続する中、早々と夏のイベントの多くの中止や変更が発表された。7月上旬、サンティアゴ・デ・クーバの国際的イベントFiesta de Caribeカリブフェスタはオンラインでのディスカッションのみ、7月から9月にかけて各地で開催されるカーニバルは全て中止など。

カーニバルの本場はサンティアゴ・デ・クーバ。それに比べると全くもって劣るのだけれど、ハバナでも大勢の人が集まるからNG。

それからこの時期といえば、週末ごとの野外ライブ。例えばハバナではマレコン近くのステージで大物ミュージシャンが週替わりで演奏し、夜中の2時、3時まで大勢の人でにぎわう。マレコン添いには夕方から軽食や飲み物を販売するテントも出るので、家族連れも夕涼みがてら海辺を散歩する。屋外とはいえ、超「密」状態は避けられないから、こちらも今年はなし。

そして、7月3日いよいよハバナもポストコロナ第1フェーズにも移行することが発表された。

やった、ついに!

また同時に遅れて第1フェーズに移ったマタンサス州をのぞいて、地方では第2フェーズへ移行するとのこと。これによって州を超える移動も可能となり、キューバ人向けの国内観光が再開されつつある。限られたホテルではあるが、新たな感染対策を取りながら夏休み向けのプランを販売するそうだ。ビーチは軍や行政担当者の監視下で解禁、プールも感染対策を厳守、人数制限を行った上でオープンするらしい。

夏全開で開放的な気分になるのは無理かもしれないけれど、子供が夏休みの間にちょっとはお出かけできたらいいなあ、と思う。

すべての国民は夏を楽しむ権利がある!

トリニダ、ロス・インヘニオス渓谷を列車でゆく

キューバで最も古い街のひとつトリニダ、コロニアルな建物と石畳の道が残る街の中心とともに世界遺産に指定されているのが、トリニダ郊外のロス・インヘニオス渓谷だ。渓谷一帯ではキューバのサトウキビ産業が最盛期だった18〜19世紀に、黒人奴隷を労働力として大規模なサトウキビ農園が営まれていた。これらのサトウキビで財を成した富豪たちが住んでいたお屋敷がトリニダ市内に残る大きなコロニアル建物、だからトリニダとロス・インヘニオスは切っても切れない関係ということで、一緒に世界遺産となっている。

インヘニオスとはスペイン語で製糖場のことで、当時は各地主が農場内に簡易の製糖場を持っていて砂糖の生産まで同じ場所で行っていた。その製糖場の跡が渓谷内に点々と残り、これらのいくつかは観光用に整備され見学可能となっているので、現在もサトウキビ畑が広がる渓谷の景色を楽しみながら、各所を訪問することができる。

トリニダ市内に宿泊しているのなら、タクシーを使って半日観光でロス・インヘニオス渓谷を巡ることができる。通常は渓谷を見渡す展望台、製糖場の遺構がよく残るサトウキビ農園跡、同じく農園跡でてっぺんまで登れる塔で有名なマナカ・イスナガあたりを見学する。時間に余裕があって鉄道に興味のある人には、観光列車で行くロス・インヘニオス渓谷もオススメ。車より時間がかかるけれど、のんびりレトロな列車にコトコトと揺られながら渓谷の景色を楽しむことができる。

トリニダの街はずれにある鉄道駅、この観光列車専用の駅舎。

チケット販売は当日9:10から。事前予約不可、不定運休につき翌日の列車の有無を前日に確認のこと。9:30出発。

トリニダの街を出てしばらくサトウキビ畑の広がる中をゆっくり列車は行く。往復のどちらかでマナカ・イスナガへ寄って1時間ほど停車。下車して見学、もちろん塔に登って360度の絶景を楽しんだり、サトウキビジュースを試したり。

折り返し点はGuachinangoグアチナンゴの近代製糖工場跡。

1893年から2001年まで操業していた工場跡で、煙突や工場内で使われていた機械、大型農具、機関車までそのまま廃墟された状態を見ることができる。廃墟マニアにはたまらないという見事な放置っぷり。ここでも小一時間見学、休憩。

以前は観光蒸気機関車を走らせていたようだけれど、現在はディーゼル車を使用。客席は木製、窓がないので少し強い雨が降ると濡れる・・・飲み物やサンドイッチなど車内販売なるものもあり、モヒートもちゃんと作ってくれる。キューバ音楽を演奏するバンドは乗っていることも。

キューバの鉄道の歴史は、サトウキビ産業とともにある。サトウキビや砂糖を運ぶために世界的にもごく早い段階で敷設された。こうやって残る路線がサトウキビ畑をぬって工場跡まで延びているのも納得。帰りも同じ路線を行くのでちょっと退屈で、お尻が痛くなるのはちょっと我慢。トリニダ駅に帰ってくるのは午後3時ぐらい。

トリニダへ行ったらコロニアルな町並みを楽しむのと同時に、キューバの砂糖産業の歴史についても学ぶことをお忘れなく!

キューバで野球観戦

サッカーより断然、野球だ。

サッカーが盛んな静岡で育ち、Jリーグができて、日本がワールドカップに出場するようになっても、スペイン語を始めてスペイン語圏に関連するものならなんでも興味を持つようになっても、やっぱりサッカーより野球の方がおもしろいよなーと思う。

そしてキューバといえば、野球だ。

実際に暮らしていると確かに野球好きな人は多いと思うし、TVのスポーツニュースでも野球ネタは欠かせない。現在日本のプロ野球でプレーするキューバ人も複数いるので、シーズン中は彼らが出場した試合での活躍については必ず放映される。

そんな野球が国技といえるキューバでも、やはりサッカー人気はジワジワと台頭してきて、競技人口も増え一昨年からは国内リーグが開始された。週末にはスペインなどヨーロッパ各国リーグの試合を、大騒ぎしながらTV観戦をする人も多い。うちの息子も、訳もわかっちゃいないだろうに「俺、バルサ」と言って、「ゴーーーール!!!」の瞬間だけ盛り上がって試合を楽しんでいる。街中で野球をして遊ぶ子供より、サッカーをする子供が目立ち、将来の夢はサッカー選手という子の方が多くなったかもしれない。

それでも、やっぱり野球だ。

キューバの国内リーグは、Serie Nacionalセリエナシオナルと呼ばれる。通常8月に開幕、10月末までの第1シーズンで州ごとに1チーム全16チームが競い、上位8チームが第2シーズンへ、さらに4チームが1月の最終シーズンで優勝を争う。野球好きの人はこの時期にキューバへいたら、是非、球場へ足を運んでほしい。ハバナであれば、ハバナのチームIndustriales インドゥストリアーレスの本拠地であり、キューバが誇るラティーノアメリカーノ球場で観戦できる。

収容人数55,000人というが、果たしてそんなに入る?ベンチ席も多いのでよっぽどギューギューに詰めたらいけるのか・・・最近は野球観戦者数も減って、この客席が埋まることはほとんどない。一応ナイター対応可能だけれど、電力不足につきライトの使用を避けるためにデーゲームのみ。試合中球場内でのアルコールは禁止なので、売り子が魔法瓶持ってコーヒーを売りに来るという健全さ。でもキューバ人はアルコール入らなくても、大声を張り上げ熱くなるのは野球に限らずどんなスポーツでも同じ。試合中の鳴り物も個々に持ち込んでいて、賑やかだ。野球のプレーだけじゃなくて、観客観察をするのが面白い。

球場外観。青いペイントは、インドゥストリアーレスの色。

球場横にある看板。「勝利はすべての努力の積み重ねの上にある。フィデル」フィデル・カストロのスポーツに関する名言は多い。革命後、すべての国民にスポーツを楽しむ権利があるとして、奨励しアスリートの育成システムを確立させ、多くのキューバ人選手が世界を舞台に活躍してきた。日本では一大イベントであるオリンピックも中南米、他地域でも多くの後進国ではそれほど盛り上がらないし、存在すら知らない人たちも多い。その点でキューバは本当にスポーツが盛んだし、オリンピックも大いに盛り上がる。大会期間中、パラリンピックも含めTVでは24時間様々な競技が放映され、自国の選手が出場しない競技でも下位選手しか出ないような予選でもランダムに見られる。

実は、キューバのナショナルチームはまだ東京オリンピックの出場権を獲得していない。3月末にアメリカ大陸選手権上位入賞がオリンピック出場をかけて、最後の戦いのチャンスだったのだが、コロナの影響で大会延期となってしまった。オリンピックそのものも1年延期ということで、これがキューバチームにとって吉と出るか?!

また今年の国内リーグ開幕時期は、まだ決定していない。自粛生活が続く中、選手たちが自宅でトレーニングに励む姿、球場のメンテナンスなどは度々ニュースになっている。8月にはコロナも落ち着いて、通常開幕となるといいけど・・・

第70回ヘミングウェイ国際カジキ釣りトーナメント中止

6月8日から13日にハバナで開催される予定だった第70回ヘミングウェイ国際カジキ釣りトーナメントが中止となった。言うまでもなくコロナの影響でキューバは国境を閉鎖し、観光イベント等はすべて停止状態なのだから仕方がない。

今年開催されていれば第70回、その名にある通りキューバを愛した文豪ヘミングウェイが主催して始められた大会で、世界でもこの種の釣り大会では最も歴史のあると言われている。

60年前の大会にはフィデル・カストロも参加して優勝し、有名な二人のツーショット写真が撮影された。(写真はマリーナヘミングウェイ提供)

キューバにはヘミングウェイゆかりの地が多くあり、日本人観光客も多く訪れ賑わっているが、この大会は日本ではそれほど知られていないかもしれない。そもそも日本のカジキ釣り人口がどれくらいなのか知らないが、大会が中休みも含めて6日間に及ぶこと、キューバという遠方へ出向かねばならないこと、他の有名な釣り大会のように多額の賞金が出るわけでもないことから、日本からわざわざ参加が難しいというのがまずある。

だが2020年7月日本とキューバの友好目的で「浜名湖キューバ ヘミングウェイカップ」というカジキ釣り大会が静岡県で開催されることが決定して、昨年2019年キューバでの大会には初めて日本チームが参加、1日船に乗って貴重なカジキ釣り(見学)体験までさせていただいた。今年も浜名湖での大会関係者の方々が参加予定だったので、キューバ大会参加のお手伝いをして一緒にラテンな釣り大会を楽しませていただこう、と思っていたのに。何なら7月には日本へ行って、浜名湖の大会へも顔を出す予定だったのに。どちらも本年度の大会は中止。

すべてはコロナのせい。

今日のハバナの沖。波もほとんどなく静かだった。ヘミングウェイトーナメント中は我が家からすぐの海岸沖にも、大会参加の船が行くのが見える。

意外にシエンフエゴス

シエンフエゴスの街の名前を最初に聞いたのは、キューバを代表する歌手Benny Moré ベニー・モレの唄の歌詞だったように思う。実際に訪れたのは、数年前キューバに暮らすようになってからだ。トリニダに行く途中に立ち寄ったその街は、これといったインパクトもなく「ふーん」という感じだった。そしてお土産物屋で流れていたベニー・モレとプラド通りにある銅像で、そこが彼の出身地であると知った。

シエンフエゴスはキューバ中部南岸にある人口15万人ほどの都市、キューバでは珍しく工業を主要産業とするが、2005年旧市街のコロニアルな街並みが世界遺産に登録され、クルーズ船の寄港地となっていることもあり近年観光にも力を入れている。

スペイン植民地であったキューバにはスペイン様式のコロニアルな街が残るが、このシエンフエゴスはフランス人によってつくられた街。というのも、お隣ハイチが1804年にフランスから独立した際に、キューバへ渡って入植したフランス人たちがいくらかいたそうでシエンフエゴスは1819年に彼らによって作られた。その頃すでにキューバはスペイン領であったため他の街と同様、広場を中心に格子状に道を配して街を形成する大まかな構造はスペイン式としたものの、各々の建物様式や細部の装飾などはフランス式が取り入れられたという。そう言われてみると、メインストリートプラド通りに並ぶ建物や、街の中心ホセ・マルティ広場周辺の建物は、他のキューバの街とはちょっと違う。

フランスへ行ったことがないのでよくわからないのだけれど、外壁を飾るレリーフなどにおフランスなエッセンスが感じられなくもない。

このシエンフエゴスも昨年2019年が創立200年の区切りの年だったため、それに併せて観光名所であるトーマステリー劇場やバジェ邸の修復も行われた。

Teatro Tomás Terry テアトロ・トーマステリー トーマステリー劇場は1889年に作られたキューバでも屈指の劇場のひとつで、今でも様々な公演が行われている。スペイン、フランス、イタリアとヨーロッパ各地の折中様式で舞台上部の装飾や天井のフラスコ画が印象的だが、木製の椅子や照明に施された装飾といったディテールも洒落ている。利用時でなければ内部の見学も可能。

Palacio de Valle パラシオ・デ・バージェ バジェ氏の邸宅、パラシオ=宮殿とある通り個人の家とは思えない豪邸。ヨーロッパからアジアまで多国籍な建築様式、デザインが特徴で建築資材も各国から取り寄せたという、「お金持ちの考えることはわからない」と言いたくなるほど行き過ぎた感がある建物。建築された1917年当時は、これだけの贅沢ができる階層の人たちがキューバにいたということ。屋上がテラスになっていて、モヒートを飲みながら一服することができる。ここから見える穏やかなシエンフエゴス湾の眺めは思わずホッコリ、長居したくなる。

シエンフエゴスでいつも思うのは「ゴミがない」。ハバナ市内はどこを歩いていてもゴミだらけで悲しくなるのだけれど、シエンフエゴスは人が多く集まる公園でもゴミがほとんどなくキレイだ。ハバナの汚さにウンザリしているので、それだけで「すてきなところだー」と思ってしまうが、実際キューバ人にも住んでみたいと思わせる人気の街らしい。適度に都会でありながら、海あり山あり風光明媚で住みやすそうといえば確かにそうかもしれない。通常、シエンフエゴスはトリニダの行き帰りに数時間寄るだけのことが多いのだけれど、日本人観光客の方に案内しても「居心地がいい」「気に入った」「いい街」といったプラスの感想が多くウケがいい

シエンフエゴス、意外にいける?!

ハバナのカピトリオ、完全公開

昨年2019年11月のハバナ創立500年を前にカピトリオ(旧国会議事堂)の修復がいよいよ最終段階に入り、9月ついに建物の中央ドーム部分の覆いが外された。数ヶ月前からすっぽりとシートに覆われていたので中でどのような作業が行われているか分からず、どんな仕上がりになるのか注目されるところだった。そしてお披露目の日、金色に光り輝くその姿を見たときには思わず「おお〜!」と声が出た。

その少し前には、ドーム下、中央入り口の「キューバ共和国を象徴する女性像」がやはり金ピカに修復されて公開された。

その眩ばかりの輝きっぷりは、ちょっとやり過ぎ感があるくらいだけれど、ドームと同様、90年前に作られた時もやはり金箔張りだったそうだから、見事に再現されたということらしい。当時のキューバがアメリカの下でいかに潤っていたかがわかるが、今回の修復でこれらの金はロシアの寄附によるものだそうで、国同士の政治的関係が背後にちらちらどころか、前面にキラキラと現れているわけだ。

10年間におよんだカピトリオの修復では、もちろんピッカピカのドームとブロンズ像だけでなく外壁、内部の隅々まで全面的に行われた。2018年夏には工事が続けられる中、向かって右側半分は一般公開されて見学ができるようになった。ブロンズ像のある中央玄関入り口のホールと見上げるドーム、両翼の廊下、複数のサロン、半円形の下院議会場、ホセマルティの名を掲げた図書館とすでに公開されていた部分だけでも、当時の贅を尽くした建物内はヨーロッパの宮殿並みでとても見応えがあったのだが、2020年1月より修復の終わった左半分の公開も始まった。奥の方でどうやらまだ作業中の箇所もあるようだが、これで一応完全公開ということらしい。

新たに公開されたのは上院議会場といくつかのサロン。

上院議会場は、下院のそれよりも小ぶりだが、高い天井には美しいステンドガラス、マホガニーをふんだんに使った机に椅子と贅沢なつくり。

他のサロンはそれぞれ展示施設として利用されており、パネルや映像でキューバの歴史的場面やカピトリオ建築に関わる資料の部屋、キューバの国家、国旗、紋章を説明する部屋がある。

今回見学箇所が増え、特に新たに公開された部分は文字資料も多いのでゆっくり見学したいところなのに、見学時間は変わらず45分のままなので時間が足りない。ガイドとともに回らなければならないので限られた時間しかなく、かなり駆け足となってしまうのが残念ではあるけれど、ハバナ旧市街観光の途中で是非入場してほしい。