キューバ土産事情

「キューバのお土産、何がオススメですか?」

聞かれる度にいつも悩んでしまう。一般的には海外でも有名なキューバの名産品である葉巻、ラム酒、コーヒーあたりだろうか。キューバを訪れた記念に葉巻を吸ったことがない人がCohiba(コイバ、一番高級な葉巻ブランド)、普段ラム酒は飲まないけれどモヒートは最高だったから家でも試してみようとHabana Club(ハバナクラブ、キューバを代表するラム酒ブランド)、朝食で出たコーヒーが気に入ってキューバンコーヒーを買うのはもちろんオススメだし、是非キューバの味を日本へ持ち帰って楽しんでもらいたいと思う。

ただし、これらすべて嗜好品であるため好きな人には良いけれど、やらない人へのお土産としては不向きなのが難点。

キューバは、コロンブスに発見される以前にこの島で暮らしていたいわゆる原住民と呼ばれる人たちが絶滅してしまっていることもあり、中米のメキシコやグアテマラ、南米のペルー、ボリビアといった国のように植民地時代以前の文化が受け継がれ、現在にいたる伝統工芸品というものがない。個人的にはそうした手仕事による雑貨が大好きなので、そうした国へ行くとお土産天国だわーと嬉しくなるのだが、キューバにはそれがない。近年、国が観光業に力を入れて新しく民芸品的なお土産も開発しているものの、国営工場の計画的量産体制から生み出されるものはセンスがないし、原材料の乏しさが目に見えてわかる。

キューバはお土産に関して言えば、ショボすぎ、残念すぎである。

とはいえ、何かしら思い出の品が欲しいし、日本にはお土産を「ばら撒く」という習慣もあるから何か持ち帰らないといけない。そこで個人的にオススメしているのは、蜂蜜、石鹸、トリニダへ行ったら刺繍を施した布、楽器、キューバ音楽のCDあたり。

蜂蜜は意外に知られていないが、海外にも輸出していてなかなかの高品質。純粋な味わいで美味しい。一番小さな容器に入ったものが2CUC(約240円)ぐらいから。花粉入り、プロポリス入りなんていうのもある。お土産物屋、スーパーで購入可能。ハバナ旧市街には専門店あり:Amargura e/San Ignacio y Mercaderes, Habana Vieja

石鹸は別にキューバ名物でもなんでもないが、ハバナ旧市街のサンホセ民芸品市場に入った店にあるセンスの良い天然手作り石鹸は、日本人的感覚で合格点。キューバらしいコーヒーやココナツの匂いのものも。1個2.5CUC(約300円)から。サンホセ民芸品市場入り口から一番手前の通路、右手一番奥にある小さな店『D Bruja』にて。

トリニダ名物のファゴッティングという伝統的な透かし入りの刺繍を施した布。小さいものはコースターやランチョンマット(2-3CUC)、大きいものはベッドカバーサイズまで。基本は白い木綿か麻に単色刺繍だが、色物のステッチが入ったものもある。手の込んだ透かしが多く入ったものほど高い。

民芸品として作られたマラカスなどの楽器は、インテリアとしても使えるけどちゃんと「音」が出るので鳴らして楽しめる。小さいお子様へのお土産にもいいかも。合わせてキューバ音楽のCDも入手して欲しいところ。路上やレストランで演奏するミュージシャン達も自作のCDを売っているので、気に入ったら1枚どうぞ。

そのほかに人気のもの、個人的な趣味やコレクションがある方はこんなものもお土産にしています、というのをご紹介。(基本的にハバナで入手可能)

ゲバラTシャツ:なんだかんだ言って、結構な確率で皆さんご購入。Tシャツとしての質は決して良くないので、パジャマや家着に。

3ペソ硬貨と紙幣:キューバの通貨、人民ペソ。チェ・ゲバラの肖像が人気。キューバ人がフツーに使うお金だが、なぜか流通量が少なく(理由は想像下さい)両替所や銀行でもらおうと思ってもなかなか難しい。

LPレコード:19世紀前半代から80年代のレアな音源がたくさんあるらしい。古本屋、アンティークショップで購入可能。

絵画:キューバのモダンアートは世界的にも評価が高い。せっかくなら量産されたお土産品ではなく、あちこちにある個人のギャラリーを覗きながら品定めをするのが良い。

煙草:キューバ人用の配給所を兼ねた店で売っている両切りのキッつい煙草。あなたの健康を果てしなく害する可能性がありますが。

グアジャベーラ:キューバの男性の正装にもなっている4つポケットのシャツ。女性用のワンピースもあり。お土産物屋ではなく専門店で買うべし。

チョコレート:カカオはキューバ東部で多く栽培され、チョコレートの生産も行われている。ハバナ旧市街に専門店もあるが、閉まっていることも多く、オープンしていても商品数は決して多くない。買えたらラッキー。

セレクトショップ雑貨:最近はデザイナーが出品販売する雑貨や服装品のショップが何件かある。キューバらしい素材、デザインのものも多くセンス良し。

砂糖:キューバの主要農作物、ラム酒の原料でもある砂糖。精製されすぎていなくて美味しいのだけれど、店ではほとんど販売しない。なぜなら、配給でたっぷりもらえるから・・・我が家の配給品で良ければ、いつでもお分けします!

でもやっぱりキューバのお土産として一番オススメなのは、キューバでしかできない体験、キューバ人と共有する時間、そして思いっきり絵になる街並み、景色、人々の写真を想い出としてお持ち帰り、かな。

心揺さぶるイスラ・デ・フベントゥ(青年の島)

65年前の1955年5月15日、モンカダ兵舎襲撃の罪で投獄されていたフィデル・カストロが同士らとともに恩赦を受けて釈放された。モンカダ兵舎を襲撃した罪で1953年10月からこの日まで、フィデルらはイスラ・デ・ラ・フベントゥ(青年の島、当時のピノス島)にあるプレシディオ・モデロ刑務所へ約19ヶ月に渡って収容されていた。

釈放時、フィデルが手を挙げて仲間たちと刑務所から出てくるところを捉えた写真。この背後に映るのが、プレシディオ・モデロ刑務所の玄関なのだが、同じ場所を初めて訪れた時の高揚が忘れられない。

プレシディオ・モデロ刑務所は1968年の閉鎖後整備され、現在は一般に公開されている。広大な敷地の中にパノプティコン型と呼ばれる円形の牢獄、食堂などが配置されていて、当時のままの様子が見学できる。大量の囚人たちが収容された円形牢獄ではなく、別の建物にあるフィデルが過ごした場所も入場でき、そこには様々な関連資料が展示されている。

フィデルは投獄中、自らが行なったモンカダ兵舎襲撃の意義について国民へ説明するための文書を綴った。その出版は政府の検閲によって阻まれたため、極秘に牢の外にいる協力者たちを使って印刷し全国各地で配布、水面下で革命へ向けた活動を続けていた。それが効を評してフィデルのおこなった行為を支持する人々が増加、国民の政府に対する不信感が高まり、政府側もフィデルらを釈放しないことにはバチスタ政権を存続が危ういとし、恩赦を実施せざるを得なかった。

そのほかにも、日本人にとっては触れずにはいられない歴史がここにはある。第2時世界大戦中、アメリカの傀儡政権であったキューバは日本を敵国とみなし、キューバに暮らす日系移民たちをプレシディオ・モデロ刑務所へ投獄したのだ。日系移民たちが投獄されていた棟は公開されていないが、博物館にはイスラ・デ・フベントゥに暮らしていた日系移民家族の写真などが展示されている。

確かにこうした歴史は重いのだけれど、それほど遠くない昔が生々しく感じられて妙な興奮を覚え、キューバで訪れた史跡の中で、間違いなく一番心を揺さぶられた場所だ。

現在のイスラ・デ・フベントゥは、キューバの州ではなく「特別行政区」に区分されている人口8万4千人ほどの島。観光客はそれほど多くないのだが、島の人たちが比較的頻繁に移動することもありハバナ間は航空便と船便がそれぞれ1日2往復ほど出ている。一般的な観光スポットは、プレシディオ・モデロ刑務所とヌエバ・ヘロナの街、近郊のビーチなどでハバナからの日帰りも可能だが、のんびり島気分を味わうために1泊したいところ。今でも多くの日系人の方が暮らしているので、その方たちを訪問することも可能。

懐かしのサンティアゴ・デ・クーバ

サンティアゴ・デ・クーバは、キューバ第2の都市。フィデル・カストロが1953年7月26日にモンカダ兵舎を襲撃したのがキューバ革命の始まりといわれ、その後西へ広がるシエラ・マエストラの山の中でゲリラ戦を展開させて、サンティアゴを拠点にハバナ進軍の基盤を築いたこともあり「革命の里」とも呼ばれる。観光の目玉は、ハバナとはまたちょっと趣の違うスペイン植民地時代のコロニアルな街並みと革命関連の史跡、郊外のモロ要塞、ヘミングウェイがノーベル文学賞のメダルを奉納したことで有名なコブレの聖母寺など。西のハバナと東のサンティアゴは、東京と大阪のように何かと対比されたりもするが、ハバナよりも街は小さくのんびりした印象で、山が近くに見えるからかほっこり落ち着く。黒人率が高くアフリカ文化の影響がより強く感じられ、夏のカーニバルはキューバで一番盛り上がる。方言があるのか発音しない音が多いからなのか、スペイン語はより一層聞き取りにくい。

そのサンティアゴ・デ・クーバへは、15年前初めてキューバを訪れた年に2回訪れて以来、行っていない。サンティアゴ・デ・クーバを含めて西部のラス・トゥナス、オルギン、グランマ、グアンタナモの5州をひっくるめて「オリエンテ(東部)」と呼ぶが、首都ハバナにもオリエンテ出身の人は多く暮らしているし、オリエンテから仕事で来る人たちも多い。そうしたオリエンテの人に
「もう15年オリエンテへ行ってない」
なんて言った時には、
「ええええ〜そりゃ行かなあかんわ。サンティアゴなんてもう、えっらい変わってんでー!!!」(オリエンテ=関西という勝手なイメージ)
と口を揃えて言われる。

でも飛行機で2時間、バスで15時間の道のりはハバナから海外へ行くよりも遠い・・・コロナが収束したら、キューバ国内で行きたいところへまずは行くべきかもしれない、と遠いサンティアゴ・デ・クーバの記憶、写真を見ながら呼び起こす。

サンティアゴ・デ・クーバ旧市街の中心にあるセスペデス広場の市庁舎、フィデルが革命戦争勝利宣言をしたバルコニー。
奥にカテドラルを望む通り。カテドラルも2015年に修復を終えて生まれ変わったらしい。
カサ・デ・ラ・トローバ(トローバの家)、夜な夜なライブに通った想い出。
サンタ・イフィヘニア墓地にあるホセ・マルティの墓。このすぐそばにフィデルが眠る。次回、一番に行きたい。
サンティアゴ・デ・クーバの革命広場、アントニオ・マセオ像。記憶にないけれど、夕方暗くなる時間に訪れたらしい。
モロ要塞。要塞からの眺めが素晴らしかった記憶があるが、2度行って2度とも小雨が降る曇り空だった。青空の下で見たい。
コブレ聖母寺、ひまわりはキューバの守護聖母カリダッへ捧げるために門前でたくさん売っているもの。聖母様にひまわり、キューバらしくてよくお似合い。
♪Y si vas al Cobre quiero que me traigas una virgencita de la Caridad…♪コブレと聞くと頭の中でいつもグルグル回る歌の一節「もし、コブレへ行ったらカリダッの聖母様を持ってきてよ」で、買ったのがこの聖母様。最近まで気がつかなかったけれど、今でも我が家にあったのね!ケース部分がちょっと崩壊しちゃってるけど。

私的懐古、キューバ音楽体験

初めてのキューバ体験はなんだったろう?と振り返ると、やっぱり音楽だったように思う。お気楽極楽なお一人様生活を満喫していた90年代、当時住んでいた京都は自分で動きさえすればありとあらゆる文化体験が可能で、その日の気分でいろんな刺激をチョイスして楽しんでいた。20代後半、体力も気力も頂点だったあの頃、常にいろんな方向にアンテナ張って引っかかってくるものを片っ端から試していた中で、キューバ音楽がヒットした。ラテン系の音楽がかかるカフェがお気に入りでよく行っていたのだが、そこでサルサといわれる音楽やダンス、そのルーツであるキューバ音楽に出逢った。仕事帰りの何もない日には映画館か本屋かCD屋に寄るのが日課で、その日もヴァージンレコード河原町店(懐かしい!)をのぞいてみたところ、エスカレーター前ワールドミュージックコーナーのオススメ商品として並んでいた1枚が目についた。

Los VanVan 1974

決してメジャーとは言えないキューバ音楽のCDがこんなにすぐに見つかると思っていなかったから、嬉しくて即買い。早速聞いてみたところ、タイトルにある通り1974年収録の作品らしいけど、全然古くなくてむしろ斬新、ねとっ〜とまとわりついてくる感じのメロディーが独特でリズムで押してくるラテン系の音楽っぽくもない、それまでに聞いてイメージしていたキューバ音楽とは違う・・・後になってすぐにわかったのだが、ロス・バン・バンは当時からキューバを代表する超有名バンドだった。最初に聞いたそのCDがバンド結成から5年ほどの彼らの初期の音源で、中でもちょっと毛色の違う楽曲ばかりの作品だったから「これがキューバ音楽?」と思ったのは確かだけれど、そのクオリティーの高さは素人が聴いても明らかで、ドカーンとすごい衝撃を受けたのが忘れられない。それ以降、音楽の嗜好はキューバへグッと傾いていった。しばらくしてからスペイン語を学び始め、これがまたハマった。そして京都にいながら「ラテン」をキーワードに生活するようになる。

ちょうどその頃、1990年代後半から2000年代初め、映画とアルバム『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』の世界的な大ヒットをきっかけに、日本にもにわかキューバブームがやってきた。ブエナ・ビスタに出演していたミュージシャンやキューバのビックバンドが次々に来日して公演が行われ、それらを追っかけてあちこちに出かけた日々が懐かしい。

2005年ついにキューバを初めて訪れることになるのだが、その目的は「キューバ音楽」に他ならなかった。事前に調べてわかったのは、Casa de la Música(カサ・デ・ラ・ムシカ)というライブハウスがあってそこで毎晩サルサなどのライブが行われている、そのほかにもホテル付属のカフェやホールで週末などにライブがある、ジャズは専門のジャスバーで、とざっくりしたものだったので、とにかく現地に着いてから情報収集するしかなかった。と言ってもインフォメーションセンターがあるわけでも、情報雑誌があるわけでも、もちろんネットで検索できるわけもなく(当時ネット接続はほぼ不可能)・・・今だにそうだけれどキューバでこの手の情報を得るのは非常に難しく、直前にならないと確かなことはわからない。だから昼間開店前のライブハウスへ一度足を運んで当日の公演予定をチェックし、その日のマチネー(夕方6時ぐらいからの昼公演)か夜公演(9時開場、深夜0時開演)へ行く、という作戦に出た。そうしてお気に入りから、初めて聴くバンドまで、時には2箇所をハシゴしてライブ三昧。

そのほか宿泊先のカサでラジオを聴いて、各所でのライブ情報もチェックした。すると週末にレーニン公園でロス・バン・バンの屋外ライブがあるという情報をキャッチ!調べたところレーニン公園はハバナの郊外、空港近くにある大きな公園とわかったので、小雨が降る中タクシーで向かった。タクシーのドライバーに行き先を告げても「バン・バンのライブ?知らんなー本当にあるの?」と言われ不安になったが、とにかく行ってみないことにはわからないし気がすまない。公園へ到着したが、ライブの気配は全くない。結局、その場にいた人に聞いてライブが中止になったと知り、仕方なく同じタクシーに乗って街へ帰ったという苦い想い出もある。この時ハバナだけでなくサンティアゴ・デ・クーバへも足を伸ばしたのだが、雰囲気たっぷりのCasa de la Trova(トローバの家)でラムを飲みながら聴いたベテランミュージシャンの歌も良かったなあー。

とにかくジャンルを問わず、生のキューバ音楽を堪能した初めてのキューバ。その土地で、その土地の人たちと一緒に時間を共有しながら聴く音楽は本当に最高だった。

今、キューバに暮らすようになって、よく言われるような「キューバ人にとって音楽は生活の一部」的なことは実感するけれど、自分自身は以前のように貪るように音楽を聴くことがなくなってしまった。贅沢にも身近にいつでも聴ける環境にあるというのに。でもやっぱりキューバの音楽が好きで、サルサもソンもルンバもキューバンジャズもトローバも、サンテリアに関わるちょっと宗教色のある音楽も。コロナ渦中で、ライブはしばらく無理そうだから家で手元にあるできる限りの音源を聴いてみましょうかね。

Día de las madres キューバの母の日

キューバでも5月第2日曜日は母の日、Día de las madres。自分の母親への感謝の言葉、プレゼントを贈ったりするのは何処も同じ。離れて暮らしている場合でも母親のもとに子供達とその家族が集まって食事をしたり、そろってレストランへ出かけたりというのが定番で、キューバらしくワイワイと賑やかに過ごす。

そして母の日は「すべての母親に敬意を表して、お祝いする日」なので、自分の母だけでなく友達の母親や奥さん、近所のおばちゃんへ、あるいは女性同士が互いにFelicidades!!(フェリシダーデス、意味は「おめでとう」だが、祝辞として色々な場面で使われる言葉)と声をかけたり、メッセージを贈ったりする。

キューバだけでなく中南米どこでも、母の日はとても大事な日とされている印象がある。社会的には男尊女卑の風潮がまだまだ残るところがあるけれど、誰もが母から生まれた、ということで母=女性は偉大で尊敬すべき存在、という考えが根底にあるからか。キューバに関していえば社会の制度そのものに「すべての人間は平等であるべき」という前提があるため、実際には意図的にそうしている部分もあるように思うが、表向き女性の地位はむしろ男性より高いくらいに感じる。なので、とにかくキューバの女性は強い。そして男性は、マザコン。タトゥーを入れたおにーちゃんも、イカツイおじさんも間違いなく「おかーさん、大好き」だ。良いことだと思う。自分も息子を持つ身としては、いつまでも可愛い我が子が母にベッタリであって欲しいとどこかで思っているかもしれない。が、露骨にそれを表現されると、どうしてもと引いてしまう・・・

今年はコロナの影響で外出自粛が続いており、人の行き来が少ない分Felicidades!!を聞くのは少ないし、よほど近くに住んでいない限りお母さんに会いに行くことがかなわない人達も多いだろうし、いつもなら会って、ギューっと抱き合って、キスしてという熱烈愛情表現も控えめにしなければいけない。

今できる形で、身近にいる母なる女性へ「ありがとう」と「お疲れさま」を。

キューバで体験!クラシックカー

キューバ名物、クラシックカー。オープンカーでの市内散策はハバナ観光の目玉となっている。真っ青な海を横目にマレコン通りを風をきって走るのはサイコーに気持ちいいし、コロニアルな街並みを背景にその姿をパシャっと1枚撮ればこれがまた何とも絵になる。

通常、屋根のないコンバーティブルタイプのクラッシックカーは観光客用。目的地まで普通のタクシー同様に利用するのも可能だが、多くの場合はいくつかの名所を巡る市内観光ツアーを提供していて、ドライバー自身がガイドもしてくれる。英語を話しクラシックカーが良く似合う素敵なドライバーも多いし、最近は大型のアメ車を粋に乗りこなす女性ドライバーもいる。車にあまり興味がなくても、セントラルパーク付近に停まっているカラフルなオープンカーを見れば「乗ってみたい!」と思ってしまう。車好きの人ならなおさら・・・何はともあれキューバへ来たからには、見るにつけ乗るにつけクラシックカー体験は必須だ。

ところでキューバの車事情。キューバのクラシックカーとして一般的に思い浮かぶのは大型で派手な印象のアメ車。キューバ革命以前にアメリカから入ってきた1940年代〜50年代のシボレーやフォードなどが多く、これらを「改造」しながら現代まで使い続けている。観光客用のオープンカーの中には元々あった屋根を外して作ったものも多く、モーターも含めてありとあらゆる部品が取り替えられ、なんども塗装し直しているものがほとんど。乗用車や乗合タクシーとして使われているクラシックカーにいたっては本当にこれでよく動くな、という代物で乗り心地の快適さはまず求められないし、扉がパッカーンと開いて危うく放り出されそうになったこともあるくらい。アメリカとの国交が断絶された1961年以後、アメ車の輸入が途絶えてしまってからは旧ソ連車や東欧の車が輸入され、こちらもキューバでは一般的で今でも多く見られる。現在、年間輸入車総数は約5000台と言われているが、多くは国や外交官用の車、そしてレンタカーとなり一般に販売されることはほぼない。だから乗用車の普及率は極めて低く、古い車を大切に修理に修理を重ねて使い続けるしかないし、車を持つのは家を持つより難しい・・・もちろん我が家にも車はない。

こんな感じだから、キューバに暮らしているとクラシックカーは見慣れてしまって、むしろモダンな新車、ほぼ皆無の日本車(大使館の車だったりする)が走っていると「おおっ!」と見てしまう。車好きの息子は、クラシックカーだろうと現代車だろうとお気に入りの車が目に止まると、「見て見て〜カッコイイ!」と喜ぶ。

その息子と一緒に今年の初め、ハバナ旧市街にある『くるま博物館』へ行ってみた。こちらの博物館、以前旧市街にあったものを移転改修中なのだが、昨年ハバナ創立500年に合わせて無理矢理一部がオープンされた。もともとガレージだった建物を利用したものでピカピカに新調されたクラシックカーが並び、パネルには自動車の歴史が展示されている。クラシックカーに関していえば、市内各所で多種多様の車が実際に走っている「青空博物館」に比べたら全然大したことないのだけれど、注目はカミーロ・シエンフエゴスセリア・サンチェスというキューバ革命の英雄2人の所有していた車が展示されていること。1959年、1960年のOldsmobile(オールドスモービル)。どちらも新品同様に修復されているが、車体の色は彼らが使っていた当時と同じ色だという。

カミーロのちょっと珍しい淡い緑、少し意外。

セリアの清潔感ある白、似合い過ぎ。

キューバ革命関連人物の中でも、ピカイチの男前とべっぴんさんと思っているお二人の車がこんなところに保管されているとは知らず。いつも彼らの写真で一緒に映っているのは、いかつい装甲車や戦車ばかり。こんなアメ車のハンドルを握る私服姿を想像して少し嬉しくなった。

Museo del Automovil (くるま博物館)
Calle San Ignacio e/Amargura y Teniente Rey, Plaza Vieja(ビエハ広場)近く。現在も改装中につき、開館日時は不定期

キューバのコロナウィルス 感染予防対策:ホメオパシー

キューバ医療の特徴のひとつとして、予防医学に力を入れていることが挙げられる。まず病気にならないことを重要視してワクチンの開発や対象者への接種、日常的な健康状態のチェックを徹底しており、これらがすべての国民を対象に無償で行われる。今回のコロナ感染予防対策として行う家庭訪問しての健康チェックは、どんなに山奥の僻地にすむ人たちのところへでも担当者が出向いて実施されている。馬に乗り、川を越え山を越えての訪問を地元の医学を志す若者たちが行なっているという。この辺の徹底ぶりはすごい・・・

そのほか今回、ホメオパシーが取り入れられた。キューバではホメオパシーの導入に積極的であるとは聞いていたが、実際にどんな感じで利用されているのかは知らなかった。1ヶ月ほど前から、老人ホーム入居者や妊婦などを対象にホメオパシーで使われるレメディーの処方が始まったと報道され、2週間ほど前にはハバナの別の地区に住む知人が家庭に配布されたと知らせてくれた。そして先日我が家にも近所の診療所の担当医(家庭医)から、レメディーの小さなフラスコが届けられた。

新聞の記事や説明書を参考にすると、このPrevengHo-Virは免疫力をあげて感染病リスクを下げるとされ、これまでにもインフルエンザやデング熱予防に使用され効果があったそうで、今回のCovid-19に対してもその効力が期待できるという。

今回に限ってかもしれないが液体のレメディーは「Gotita(しずく)」と呼ばれ、各家庭にフラスコ1本が配布される。一緒に配られる説明書には『ホメオパシー医療品』とあるけれど、おそらく一般の人はホメオパシーが何だかよく分からず普通の「お薬」と思っているのだろう。処方と扱いについては配布時に簡単に説明されるそうだが、私は聞かなかったので新聞の記事と説明書を参考にすると、

「まず1日1回、3日間連続摂取、そして1週間後にもう1回摂取する。処方前に10回ほど手のひらに叩きつけるようにしてよく振ること。フラスコから滴る液体を5滴、舌下に垂らす。口の中の粘膜に絡めるよう5秒ほどしてから飲み込む。処方前後20分ほどは飲食しない。フラスコは直射日光を避けて、電化製品や匂いのきつい物の近くに置かないよう注意。」

我が家もみんなで3日間続けた。1週間後、忘れずにもう1回ね。 できることは全部やります、コロナ予防。

キューバのメーデー2020

5月1日のメーデー、キューバは祝日だ。祝日の少ないキューバで、最も大事な祝日=祝日らしい祝日かもしれない。

例年、5月1日は朝から各都市の広場などに多くの労働者たちが集まって大規模な祝典が開催されるのだが、ハバナの場合は革命広場が会場となる。この日は夜中の2時頃から革命広場から数ブロック離れたあたりに人が集まり始めて、明け方までに団体ごとに集合して準備を整えて待機する。参加者は職業別、職場別にユニフォームやメーデー用に誂えたお揃いのTシャツなどを着て、看板や横断幕そして必ずキューバの国旗を手にしている。もちろんどこかの組織に属していなくても参加可能で、キューバ名物のメーデーの行事を見ようと外国人観光客も早朝から広場へ向かう。

そして夜が明けると同時、7時前には行進が始まる。行進といっても集合場所から革命広場までパセオ通りを500mほど歩き、ホセマルティー記念館の前で待つ来賓たちの前を通って広場へ入るだけ。参加者が皆、広場へ収まったところで共産党第一書記長、大統領らの挨拶があり8時には終了、と実にあっさりしたものだ。

以前は毎年恒例のフィデルの演説を聞くために、広場に入りきれないほどの大観衆が集まり、式の終わった後にはフィデルも一緒に広場から海沿いのマレコン通りへと延々と続く大行進を行うという、まさに年に一度の大イベントだった。革命広場を埋め尽くす民衆を前に、大振りなアクションで演説するフィデルの姿をどこかで目にしたことがある人も多いだろう。中でもちょうど20年前、2000年のメーデーの演説で語られた『Consepto de Revolución(革命の概念)』は、今でも何かにつけて度々触れられるし、「Revolución es…(革命とは)」で始まる冒頭のいくつかのフレーズは誰もが知っている。そのフィデルが最後にメーデーに登場したのが2006年、以後はどんどん規模が縮小されて、現在は交通や観光への影響を配慮もあってか、上記のように早朝にパッパとやって終わる。

とはいえ、大勢の人が「密」になる行事であるのは間違いないので、今年は早々に通常開催の中止が発表された。そして迎えた2020年のメーデー、数日前から「Mi casa es mi Plaza(私の家が私の広場)」という言葉で呼びかけられたように、各家庭でお祝いする形となった。TVで朝8時に国歌が流れ、マスク姿の人が自宅のベランダからキューバの国旗を振る様子、家の前に出て国歌斉唱する人々、そして過去に革命広場で演説したフィデルの姿が映し出された。

社会主義国、共産党一党の国キューバの一番盛り上がる行事がメーデーであるのが、いかにもという感じで「らしい」な、と以前は思っていたけれど、その「らしさ」は時代とともにだんだん薄れている。では、キューバ「らしさ」はこれからどうやって表現されていくのか?

ともあれ、来年のメーデーは通常通り開催されますように(広場には行かないけど・・・)

やっぱりビニャーレス

ハバナからの日帰り観光で人気のビニャーレス渓谷。カルスト地形によってできた奇妙な形のモゴテと呼ばれる岩山が連なり、一帯では世界一と称されるキューバ葉巻の材料となるタバコが栽培される。その緑豊かな美しい自然と伝統的なタバコ栽培の文化の融合は世界遺産にも登録されている。

ビニャーレス渓谷。ポコポコした面白い形の山、モゴテ

タバコの栽培が行われる時期は9月から3月ぐらいまでと限られているけれど、それ以外の時期でもタバコ農家を訪問すれば栽培から収穫、出荷までの流れを説明したり実際に葉巻の巻き方を見せてくれたりする。葉巻に親しみがなくても、キューバの主要産業の一つであるタバコ栽培について現地で知ることは興味深い。同時に農家さん達の暮らしぶりや、タバコ以外の栽培作物、飼っている動物なんかも見られて楽しい。

タバコ畑。右手奥の小屋で葉を乾燥させる

ハバナからだと日帰りで行くことが多いけれど、1〜2泊することがオススメ。一昨年の息子の誕生日旅行で行った時には、カサに2泊してゆっくり楽しんだ。

おなじみの観光地を見学したほか、ホテルのプール、山道をお散歩、モゴテが迫る自然の中のレストランでボリュームたっぷり、野菜もたっぷりのランチ。タバコ農家ではいろんな動物がいるのが楽しくて2時間も遊んだ。もちろん、キューンバンなバースデーケーキでお祝いも!夜は満天の星空の下、キャンプ気分でビール、これは大人のお楽しみ。

子供たちも葉巻体験?!

美味しい空気、美味しい食事、サイコー!

時間があれば乗馬を楽しんだり、宿泊者は早朝のバードウォッチングツアーに参加したりするのも人気だ。他にもサイクリング、トレッキング、最近はロッククライビングも可能ということで、アウトドア派向けのアクティビティーは充実している。

キューバといえば、青い海白い砂浜のビーチリゾートの方が有名かもしれないが、山派にまずオススメは、やっぱりビニャーレス。そして子供連れのファミリーにも是非!

愛しのトリニダ

トリニダが好きだ。

トリニダはキューバ中部、1514年に創られたキューバでも最も古い都市のひとつで、18〜19世紀植民地時代にはサトウキビ栽培で繁栄し、当時の富豪たちが建てた豪華な建物が街の中心部に残る。これらのトリニダの街並みと現在もサトウキビを栽培し、所々に大規模農場跡が残るロス・インヘニオス渓谷は、世界遺産にも登録されている。

街の中心の広場をのぞむ。赤っぽい瓦屋根がトリニダの建物の特徴

トリニダへ初めて行った時に感じたワクワク感が忘れられない。

旅の途中、そこへ足を踏み入れた瞬間に、「おおっ、これは!」とこの先の経験を期待させる胸騒ぎを感じる場所がある。その直感は多くの場合、間違いはない。

トリニダもそうだった。

そして今でも行くたびに、気分が高揚して仕方ないという特別な場所。

なんでこんなに好きなんだろう?

キューバのコインのデザインにある景色、どの硬貨でしょう?!(答:CUC25セント,2021年1月1日通貨統一により消滅)

街の大きさが丁度いい。トリニダは小さな街だ。中心地は歩いて半日もあれば回れてしまう。街の中心にある教会や広場のほかは特に目玉となるような見所があるわけではないけれど、その街並み丸ごとがとにかく素敵だ。石畳の坂道、コロニアルな建物、その中に自分がいると思うだけで、嬉しくなる。

古都であること。古い街はやっぱりいい。歴史のある街は様々な時代に住み続けてきた人々の思いが重なって、なんというか、街そのものに深みがでる。

トリニダの人。かつての繁栄した時代が街の景色にしっかり感じられるのに、そうした時代の華やかさよりものんびりした印象が強いのは、そこに今暮らす人々の生活が反映されるから。トリニダでの楽しみは、もっぱら地元の人たちとのおしゃべり。知人だけでなく、店の人、街の客引き、馬を引くおじさん、あちこちで足を止めて話し込むうちにあっという間に時間が過ぎる。

カサパルティクラル。トリニダでは絶対にカサへ泊まるべき。築200年、300年というトリニダ独特の平屋でコロニアルな建物に泊まるチャンス。観光客も多いトリニダは質の高いカサがたくさんあって、どこも本当に素敵だ。建物だけではない、カサのオーナーのおもてなしもピカイチなので、片言のスペイン語を覚えて、無理なら身振り手振りでコミュニケーションに挑戦して欲しい。

コロニアル建物に泊まろう!

夢は、いつの日かあの街に暮らすこと。

あー、愛しのトリニダ!