カニョナッソ(大砲の儀式)、どうしてる?

コロナ感染予防対策として、空港が閉鎖、観光客がいなくなり、店やレストラン、各施設が閉まり、外出が規制され、街から人が消えてまもなく1ヶ月。3月末に始まった夜9時のAplausos(アプラウソス)=医療関係者などコロナウィルスと戦う人々への激励の拍手はすっかり定着して、毎晩9時になると街中に大きな拍手が響き渡る。最近は笛やカネなどの「鳴り物」も加わって、一層にぎやかにキューバらしさが増している感じだ。

我が家も毎晩9時になったら、窓際で拍手!

ハバナの夜9時といえば、Cañonazo(カニョナッソ)、カバーニャ要塞で行われる大砲の儀式。これはスペイン植民地時代に起源を持つ、かつてハバナの城壁にあった木戸の閉門を告げるため大砲を放つ儀式のことで、今でも傭兵スタイルの若者たちによって毎晩9時に行われている。観光客にも人気があり、年間通して大勢の人が見学に訪れる。個人的にも好きなアクティビティーのひとつで、大砲が鳴る前の一瞬の静粛と緊張、その後のお腹に響く大きな音、何度行ってもその度にドキドキしてしまう。

傭兵スタイルで行われる大砲の儀式、コロニアル時代の雰囲気

今、当然のことながらコロナ対策により、カバーニャ要塞は閉鎖している。

「果て、カニョナッソはどうしてるんだろう?」

我が家が大砲の向けられるハバナ市街と反対にあるので、通常9時の大砲の音は聞こえない。ハバナ市街へ行くこともできなくなってしまったので、自分で音を聞いて確かめることもできない。ましてや最近はアプラウソスで、大砲の音もかき消されてしまう!?

気になっていたところ、夜のニュースでその回答を知ることができた。伝統的なこの儀式はコロナに負けることなく、毎晩行われ続けている。儀式を行うのは実は徴兵中の若者なのだけれど、本来の中世の傭兵スタイルの衣装は身につけず、オリーブグリーンの軍服にマスク姿でやっているらしい。

マスク姿で儀式をおこなる様子(TV画面より)

夜9時、ハバナの街。カニョナッソとアプラウソ。コロナが収束してアプラウソが必要なくなったら、カニョナッソを見に行こう。そして大砲の音の後に、大きな拍手(アプラウソ)を送ろう。健康っていいな、いつでも何処へでも好きなように出かけられるって素晴らしい!と心の底から思いながら・・・

なんてったってハバナ

海外からキューバを訪れる場合、そのほとんどがまずハバナへ到着する。だから多くの人にとって初めて目にするキューバの都市がハバナ、この街の印象がこの国の第一印象となる。

初めてキューバを訪れたのは、2005年5月。雨季の始まりの5月は雨が多いが、ハバナの空港へ降り立った時もどんよりとした曇り空だった記憶がある。タクシーの中から見るハバナの街はその鼠色の重い空の色と同じようにあまり色がなく、スローガンの看板が目につき社会主義国を感じさせた。

「¡ Viva Fidel ! 」

「Vamos bien…」

他の街に見られる華やかな看板やネオンのかわりにスローガン

この最初の滞在はまったくの観光だったのだけど、あまり観光気分だった記憶がない。今ほど旅行者も多くなくカラフルなクラシックカーが目立たなかったせいもあるし、いわゆる観光スポットへあまり行かなかったからかもしれない。公共交通は全然わからないし、タクシーもそれほど多くない上に高いので、ハバナ市内のほとんどを徒歩で移動した。滞在先のハバナ大学近くのカサから革命広場、旧市街、ミラマルのカサ・デ・ラ・ムシカまで。今思うと、ものすごい距離を歩いている。5月末といえばもうすっかり夏の日差し、汗だくになりながら、ひたすら歩いた。おかげで街の大きさ、高低差、地区ごとの街並みや雰囲気の違い、海沿いのマレコンの長さ、ハバナを丸ごと実感でき、今でもあの時の感覚がハバナの街を歩く時の基準となっていることすらある。どこまでいってもあまり変わらないコロニアルでくすんだ色の古い建物、雨上がりの水溜りだらけの道路、シャッターの閉まった店、上半身裸の男性、頭にカーラー巻いてストッキングかぶった女性、道で遊ぶ子供たち、痩せこけた犬、そしてあちこちから聞こえてくる音楽・・・これが最初のハバナだった。

2005年のカピトリオ、化粧直し前
セントロハバナのあたり。この道もなんども往復した

それから、ハバナは帰ってくるところ、になった。

ここ15年で個人経営の店やレストランは増え、旧市街には新しいホテルが次々にオープンし、クラッシックオープンカーが観光客を乗せてマレコンを走るようになったけれど、あの時と同じように街を歩いてみると、目にする景色も人々の暮らしぶりもそれほど変わらない。今でもハバナの街を歩くのが大好きだ。いつも混んでいるバスを待つより歩いた方が早いということもあるけれど、ひとりの時はまず歩く。時には少し遠回りしてマレコンも歩く。なんといってもマレコン沿いのハバナの街並みが一番だと思う。この景色を見る度に、かつて住んでいた鴨川沿いの京都の街並みを想い出す。街を少し離れて帰ってきたときに、鴨川沿いを自転車で走ると「あー帰ってきたなあ」といつも思っていた。今、どこかからハバナへ帰ってきてマレコン沿いを行くと、やっぱり同じように「帰ってきた」と感じる。どちらも自分が暮らす街のとっておきの景色。

はじめてのマレコンは、こんな曇り空のした、霞んで見えるハバナの街並みもよい

ハバナはやっぱり歩いてなんぼの街だ。旅行者の方にも歩いて歩き回って、見て、聞いて、感じてそれぞれのとびきりのハバナを切り取って帰ってもらいたい。

キューバで知る 三船敏郎誕生100年

コロナ関連のニュースばかりが目につく中、新聞記事にSamuraiの文字を見つけた。タイトルにはLos cien años del samurái(サムライの100年)、何の記事だろうと読んでみると、4月1日が俳優三船敏郎の誕生100年だという。キューバでもよく知られた黒澤明監督と組んで多くの映画に出演し、作品を通してサムライ像を見事に表現したことを賞賛していた。

キューバ人は映画好きだ。男性に限らずお涙ちょうだいもののドラマや実話ベースのドキュメンタリーっぽいものよりも、アクションやアドベンチャーものの方が好まれる。キューバの直面する現実社会が何かと厳しくドラマチックなことが多いから、映画を見ているときぐらいは現実逃避できたほうがいじゃないか、だからアクションの方がいいよ、と誰かが話してくれたことがある。それはさておき年配の方だと「クロサワ作品は大好きだ」と言う人も多いし、日本映画として知られているのは『7人の侍』や『座頭市』だ。

グランマ誌のデジタル版では『7人の侍』の写真とともに記事が出ていた

残念ながら私は黒澤作品をちゃんと見たことないし、三船敏郎も晩年TVで対談番組などに出演しているのを見た記憶があるぐらいだ。ましてや誕生日は知らない・・・で、早速ネット検索してみるとWikipediaには読みきれないほどの記載があり、中には「チェ・ゲバラは『用心棒』に感銘を受け、桑畑三十郎の恰好までするほどのファンであった。(三好徹『チェ・ゲバラ伝』原書房)」なんていう記事まで。へええええ、だ。そして誕生日は確かに1920 年4月1日で今年がちょうど誕生100年、こんな形でしかもキューバで三船敏郎について多くを知ることになろうとは・・・!

ところでハバナには市民にもよく知られているサムライ像がある。ハバナ湾を挟んでカバーニャ要塞の向かい旧市街側にある「支倉常長像」だ。その名前までは知らずとも、それがキューバに初めて来た日本のサムライであることは、多くの人が知っている。

ハバナの支倉常長像。旧市街散策中に立ち寄ることも可能

でもキューバ人が描くサムライ像は、やはり黒澤作品に出てくる三船敏郎演じるサムライ何だろうなあ。

アーネスト・ヘミングウェイ国際カジキ釣り大会−Ernesto Hemingway Torneo Internacional de la pesca de la aguja

人生の後半の大部分の時間をキューバで過ごし、海と釣りとお酒が大好きでキューバを愛してやまなかった作家ヘミングウェイ。ハバナ市内には今でもヘミングウェイゆかりのホテルやバーがあり、観光名所として連日多くの人であふれている。生前ハバナ郊外に購入した屋敷は現在ヘミングウェイ博物館となって、作家が暮らした当時のままの様子を見学することができる。

ヘミングウェイ博物館には欧米からはじめ多くの観光客が訪れる。

ハバナから東へ車で15分ほどのところにある小さな町、コヒマルはヘミングウェイが釣りに出るための船を停めていたところ、いまでも毎日ここから漁師たちが船を出すのどかな漁村、『老人と海』の舞台を見に博物館とともに足を伸ばす人も多い。

現在のコヒマルの漁港。ハバナ近郊では最大の規模で、今も毎日多くの船がここから漁に出る。

そのヘミングウェイの名を持つマリーナが、コヒマルとはハバナを挟んで西、反対側の海岸にある。キューバでは最大規模の国際マリーナで、常に各国の船が停泊している。他のヘミングウェイ関連の名所に比べて普段観光客が訪れることは少ないが、1年に1度開催されるヘミングウェイ国際カジキ釣り大会は、世界各国の釣り好き達が集って賑やかなイベントだ。今年の大会は11カ国18チームが参加して6月10日から15日に行われた。69回目を迎えた歴史あるこの釣り大会に日本から初めての参加者があったのだが、なんとこちらのお客様のご招待で1日船に乗って参加することになった。

日本チームの船、ピラール1号。

これまでにもダイビングの時など1日船上で過ごす経験はあるものの、今回のような小さな船で「釣り」をしながらの船体験はない。カジキ釣りはもちろん船からの海釣り体験も初めて・・・大会前にトーナメントのルールを翻訳してその内容を知ったが、なにぶん釣り自体がほとんど未知の世界なので、よくわからない部分も多かった。釣りといえば釣り竿持って行うものだとばかり思っていたので、船に竿を固定して釣り糸とルアーを海中に流し、船を常に進めながらヒットするのを待つ、という釣りの方法があるなんて全く知らなかった。カジキ釣りは、カジキの特性を生かしたこのトローリングと呼ばれる方法で行われるのが一般的らしい。でも、これじゃあ釣り人の腕はどこで試されるんだ?

船に乗った当日。海は白波ひとつ立たない静かなもので、湖面を行くような穏やかさ。朝9時のスタート時に一斉に方々へ船が向かって行く様子は壮観だった。

競技スタートの合図とともに各船が一斉に沖に向かって進む。

しばらくは海から見えるハバナの景色を楽しんだり、真っ青な海の美しさにうっとりしたりしていたけれど、そのうち退屈してきた。釣りなんてそんなものだろうけど・・・午後には船長の横に座って、しばしおしゃべり。2階の操縦席で周辺をじーっと見回す船長は、漠然と針路を決めているわけではなく海の色、潮の流れ、海面に浮く海藻、鳥の群れといったものを観察しながら、魚のいる場所にあたりをつけて舵をとっていた。とすると、釣り人の腕ではなく船長の舵取りが一番の決め手なんじゃないか?

コヒマルからもう少し行ったあたりまで進めた後、Uターンして陸近くを並走するように航路をかえた。ハバナの街の中心が近い。こんな陸から近いところでカジキみたいな魚が釣れるのか?と思っていたその時、リールのひとつがザッーと音を立てて動き出した。その瞬間、船長、船員たちが素早く反応する。竿を外して釣り上げ担当の参加者に持たせ、定位置に座らせる。船長はまだ2階で舵を握ったまま。見習い中の若い船員を呼び、船長が魚を捕獲する瞬間に下へ降りた際の操縦の仕方を指示する。まだ獲物は船尾の先、釣り糸の先端に左右にもがきながら泳ぐ大きな姿が見えた。

船長と船員。10年来のコンビは息のあった様子でカジキを揚げる。ハバナが近い。

「ブルーマルリン(マカジキ)!」

水面近く少し飛び跳ねた瞬間に、その大きさがわかり驚く。

「1.5〜2mはあるぞ、でかい!」

まだ2階の操縦席にいる船長は、飛び跳ねて大喜び。

慣れない手つきで竿を持ち、必死でリールを巻く彼に冗談混じりでハッパをかける。

巨大なカジキを少しずつ寄せていく。ここを見るとやっぱり釣り。

もう直ぐそばに黒い影が近づいてきて、尖った口先の角が水面から顔を出し、全身で水面をバシャバシャと叩く。およそ30分弱。

船に近づいて暴れまくるカジキ。

「もう少し!」

と一瞬船の脇でその姿を見たか見ないかのうちに、口元のナイロンの糸が切れてサーっと水の中に消えてしまった。

「これでいいの?」と思ったが、そもそも釣り上げても写真記録だけとってキャッチアンドリリース、タグ付けも強制ではないので、規定通りに写真が撮れていればポイントとして加算される。一般の釣りに比べると物足りないような気もするが、競技としては合格の捕獲だった。

この日、日本チームはこの1匹のみ。でも18チーム中カジキをヒットして得点したのはわずか4チームで、暫定1位。その後、4日間の競技日程を終えて日本チームは2匹のマカジキ捕獲で第4位。初出場でしかも全員素人のチームで大健闘。全ては優秀な船長と船員のお陰とはいえ楽しい思いをさせてもらった。

それにしてもハバナの街並みをバックにマカジキとの格闘、想像以上に力強く、美しく、興奮。

 

ヘミングウェイ国際カジキ釣り大会。アメリカとの国交回復直後の2017年の大会は80チームほどの参加があり大盛況だったそうだが、今年は直前のアメリカ政府のキューバ対策(アメリカ人のキューバ渡航制限の強化)により、予定していたチームの不参加もあって数的には寂しいものだった。それでも3チームのアメリカからの参加、そのほか10数ヶ国の参加は国際交流という点でも意義のある大会といえる。ヨットクラブの支配人が「国と国の間に壁をつくるようなことをせずに、橋渡しとなるようなイベントに」と話してくれたのが印象的だった。高価な遊びではあるけど、ヘミングウェイの精神、キューバへ対する想いをつなぐこの大会、いろいろな意味で今後も途切れることなく続いたらいいな、と思う。

春休み、スペイン帆船見学とマレコン散歩―ハバナビエナール―

キューバの学校は9月が新学期の始まりで、年末年始に10日間ほどの冬休み、4月に1週間の春休みがあって、6月末が学年末と一応3学期制となっている。今年は4月15日から1週間が春休みだった。

休みの期間、親たちを悩ませるのは昼食の準備(小学校は一応給食がある)と退屈する子供たちの「どこかへ連れていってよ」攻撃。これといった娯楽がなく子供たちが楽しめる施設や公園も数知れているキューバでは、限られた子供を連れていく場所がものすごく混む。ハバナなら動物園、旧市街にある小さな遊園地、郊外のレーニン公園といったところか。自家用車がないから、そこへ行くための交通機関も混んでうんざりしてしまう。

見学のために長蛇の列!

幸いどこかへ行くより近所の子供達と一緒にいるだけで楽しい我が子は、朝から晩まで本当によく遊んでくれて助かった。それでもちょっとはお出かけしようか、と行ったのがハバナ湾に入港して数日間滞在していたスペイン海軍学校の訓練船、Juan Sebastian de El Cano(フアン・セバスティアン・エル・カノ)号の一般公開見学と、マレコンを中心に開催されているハバナビエナール(造形作品の屋外展覧会)。

スペイン国旗がキューバの青い空に映える。植民地時代を彷彿?!

Juan Sebastian de El Cano号は1927年造船の帆船。見学時はもちろん帆は張ってなかったのだけど、歴史を感じる船体は美しく丸ごと芸術作品。ちょうど入港時にハバナ湾の入り口付近を走行する姿を見たけれど、それは素敵でうっとりするほどだった。

ハバナビエナール、5月18日まで開催中。

ハバナビエナールは国内外の造形作家たちによってマレコン沿いのあちこちにアートが出現、いつものマレコン散歩がいっそ楽しくなるイベント。この日は波が少々高くて海側のアートは波しぶきがかかってしまっていたけれど、真っ青な海と空の下、カラフルなアートが映えた。

さあて、この休みが終わったら学年終了まで2ヶ月半。そのあとは長すぎる夏休みが待っている。

キューバで空手

我が家のある団地内にはサッカーと野球が一度にできるほどの広い運動場にプール、バレーとバスケットコート、さらにレスリングにボクシングといった屋内競技用施設とスポーツするには申し分ないスペースがあり、その一角に空手の道場もある。「空手道」「松林流」としっかり漢字で書かれた看板に加え、「OKINAWA」「DOJYO AKITO YAMANE」とあるから明らかに日本がルーツだとわかるので、気にはなっていたけれど、これまで詳しいことを調べようとしなかった。

団地の道場入り口。

今年になって息子がこの道場で空手を習い始めた。生徒は小学生から成人まで、「先生(センセイ)」はキューバ人だけど、日系註)の方もいらっしゃる。練習は週に2回、夕方1時間ほど。自分でやりたいと言っておきながら、習い事に通うことに慣れていない息子は最初のうち友達を遊ぶ時間が減るのが嫌だったようだけど、最近は進んで行くと言い家でも「形」の練習をするようになった。

この週末、普段の練習とは別に簡単なデモンストレーションをやるというので見に行った。先週、日本から届いたばかりの真っ白な空手着を着てやる気が増した息子は、覚えたばかりの初心者向けの「普及形 I(ふきゅうかたいち)」をみんなと一緒に披露した。その後、大人は武具を使った形や二人で即興での組手も見せてくれた。空手といえばカンフー映画のイメージぐらいしかなく、実際に見たのはこれが初めてだった。

「形」の披露をする生徒たち。

そして日系の「センセイ」の一人から、この道場の由来についてもちょっとお話を聞くことができた。道場の名前にある沖縄出身の日系人「AKITO YAMANE」さんはかつてこの団地に住んでいて、団地のすぐ近くにある海軍病院のお医者さんだったそう。そのYAMANE さんが亡くなった時に、本当は沖縄に遺灰を持って行きたかったそうだけど日本はあまりに遠く、結局この団地内で葬られた。ちょうど同じ頃団地内にできた沖縄空手の道場ということで彼を偲んでその名前が付けられた。これが今から50年ほど前のこと・・・

せっかくなので少し調べてみたところ、空手そのものが19世紀に沖縄で生まれたものだという。その起源は15世紀琉球発祥の「手(テイ)」と呼ばれる武術にさかのぼり、東南アジアや中国との交流の中で空手として発展していった。それがのちに本土に渡り、競技要素を持って広まったそう。沖縄伝統空手にはいくつか流派があるようだけど、あくまでも素手で攻撃、防御する武術でスポーツ=競技ではないらしい。現在は武道の一つ、護身術として学ばれるものだという。

武道であるので当然礼儀は大切にされ、うちの団地の教室でも道場に入る前にはお辞儀、先生にもお辞儀してはじめの挨拶、終わりのお礼、途中の掛け声は日本語。子供を通わせる父兄たちからは「礼儀、規律」と言ったことも教えてくれるのがいい、という声も聞かれる。確かにキューバの学校では、日本のような校則もなければ部活でバシバシ先生にしごかれる(最近はあまりないようだけど)こともないものね。

蹴りが得意らしい・・・

息子は日本語で数字を言ったり、挨拶したりするのがなぜだか「恥ずかしい」らしい。どこからみてもアジア人、教室唯一の日本ルーツの生徒ということで、注目度も高い(?)わが子よ、ちゃんと黒帯取るまでまで頑張れー!

 

註)あまり知られていないがキューバにも日系人がいる。ペルーやブラジルのように大きなコミュニティーはないが、首都ハバナと青年の島に比較的多く住んでいる。

現在もキューバ各州に日系人が暮らしている。

本の国際見本市―Feria internacional del libro en La Habana

毎年2月に行われる本の国際見本市、ハバナで年に一番賑わうイベントのひとつと言っていい。本年度は2月7日から17日まで開催、ハバナを皮切りにその後全国各都市を巡回する。

メイン会場は観光スポットとしても知られるハバナ湾に面したカバーニャ要塞、世界遺産にも指定されている要塞の中が期間中多くの人でごった返す。この盛況ぶりが半端なく、観光客たちは一体何事かと驚くほどだ。要塞の中だけでなく、要塞周辺の空き地や駐車場にも食べ物の屋台が出たり、子供の遊具や移動遊園地が出現したりして、遠目にも何やら面白いことをやっていることがうかがわれる。

移動遊園地も登場!遠目にもなにやら楽しそう。

乗用車を持つ人が少ないキューバ人たちの移動手段はバス。通常の路線バスに加えて、ハバナ市街中心地からは無料シャトルバスも出ていて、それらを利用して会場へ到着、バス停から歩いて会場入り口までゾロゾロ移動、チケットを買うのに長蛇の列・・・。毎度お馴染みの風景。

入場口前の人の波。食べ物の屋台を覗きながら歩くのも楽しい。
要塞のお堀もご覧の通り。

この混雑が嫌なのだけれど、我が家からバス停ひとつのご近所でもあるし毎年1度は足を運んでいる。今年も息子と二人で週末の土曜日に訪れた。平日でも大概な人なのに週末、最終日近くとなるととんでもない人、人、人。息子は遊具や食べ物には大して興味を示さず(ホッ!)、友達が「Feria で買った」と言って見せびらかしていたオモチャを探している模様。前日には父親と行き、3Dメガネをかけて見ると飛び出す恐竜の絵本を買ってきた。去年も恐竜本だったような・・・まだブームは続いているのか。結局お目当てのオモチャは見つからなかったので、もう1冊恐竜フィギィアのおまけがついた雑誌を買った。雑誌はいらんのだろうけど。

子供向けの本、グッズが多く親たちには悩ましい?!

私も少しは本を見ようといくつかのセクションをのぞいた。最近はスペイン語の本を読む時間はあまりないのが残念だけれど、本をあれこれ物色するのはやっぱりいい。

フィデルの本もたくさん。こちらは去年の様子。

見本市で売られているのはキューバ国営の出版会社が出版する本=人民ペソ支払い、と各国の輸入本=CUC(兌換ペソ)支払いがある。残念ながら読書の習慣があまりない中南米において、キューバ人はよく活字を読む。本も自国でちゃんと出版して販売、しかも激安。1冊10ペソ(約40円)以下が普通で、辞書やちょっとボリュームのある本でもせいぜい20ペソ(約80円)ほど、平等主義という体制のもと、誰にでも手にすることができる価格に設定されている。キューバ革命直後、フィデルらが行った識字率向上運動の成果、現在も識字率は98%以上と先進国並みであり教育水準も高いといわれるが、読書の大切さを国民に浸透させようという意図がこの国をあげて行われるイベントを見てもわかる。

「読むことは育むこと」

といっても、見本市に皆が集まるのは必ずしも「本」目的ではなく、娯楽の少ないキューバにおいてみんなでお出かけするにはもってこいの場所だから、というのも大きいのだけど。

何はともあれ、2月はFeria(見本市)の月、今年も大盛況に終わったのでした。

360度Habana、ハバナで一番高い展望台

2019 年、新年が明けた。

キューバのお正月はそっけない。家族や友人同士集まってのパーティーは大晦日の晩、0時に日付が変わるのを皆で待ち、年明けと共に「おめでとう!」の挨拶を交わす。最近はキューバ人も携帯電話を持つようになったこともあり、夜中の混線を避けて31日の昼間から「新年の挨拶」メッセージや電話があったりして、年が明けてから「おめでとう」を祝う日本人の感覚にちょっとそぐわず変な感じがする。

そして元旦は静かなもの。1月1日は新年でもあるが、キューバにとっては「革命勝利の日」という大事な祝日でもある。特に今年は1959年のその日から60周年の区切りの年ということで、何か大きな催しがあるのかと思ったけれどハバナは静かなもので、例年通りサンティアゴ・デ・クーバのホセ・マルティやフィデル・カストロの眠るサンタ・イフィヘニア墓地で式典があったくらいだった。

おなじみのチェ・ゲバラとカミーロ・シエンフエゴスの肖像。

いつもの週明けと変わらない感じで、2日にはぼちぼち仕事始め。3日、たまたま近くへ行く用事があったので今年初の革命広場へ。いつもは広場のチェ・ゲバラやカミーロ・シエンフエゴスの肖像の前で写真を撮るだけでホセ・マルティ記念館へ行くことはないのだけど、この日はまだ学校が休みの息子も一緒だったので、2005年初めてキューバを訪れた時以来、実に13年ぶりに入場した。

ホセ・マルティと記念館

ホセ・マルティはキューバ人の誰もが間違いなく尊敬するキューバの英雄だ。スペインからの独立に尽力した一人だが、フィデルもマルティを師と仰ぎ、彼の思想をもとに国を作ろうとした。そのため現在のキューバという国を知るためにはマルティの思想を知らねばならない、とも言われる。そのマルティについて様々な展示がなされているのが、革命広場にある一際目立つ高い建物内にあるホセ・マルティ記念館だ。ここでマルティに関する展示を見た後は、建物最上階の展望台へ。東西南北ぐるりとガラス張りとなっていて、標高約110mハバナで一番高いところから360度市街を見渡せる。

南、記念館の裏にある共産党本部の建物。展望台に登らないとなかなか見られない。

13年前見たハバナの風景とたいして変わっていない。今も目立つのは旧市街のカピトリオといくつかの古い高めの建物、新市街のホテルハバナリブレなどいくつかの高層ビル、北には青い海の水平線が広がり、南は遠くに山並みが見えて街の広がりが対して大きくないことが知れる。

東、旧市街方面、カピトリオのドームが見える。
2005年、カミーロの肖像がまだない。
北、右端にホテルハバナリブレ。
2005年。建物の様子はほとんど変わらないけれど、今より木々の緑が小さい。

お天気が良かったこともあり、キューバらしい青い空の下のハバナを見るのはなんとなく晴れ晴れとした気持ちになって「正月らしくていいかな。」と思った。

ハバナ500年アニバーサリーまでのカウントダウン

11月16日はハバナの誕生日、 創立記念日だった。

ハバナ創立記念日恒例、テンプレテ横のセイバの木の周りを3回周ってお願いごと。

ハバナの街が創られたのが1519年、今年で499歳のハバナ。500年を前に少し前からいたるところで「La Habana 500」の文字が目につき始めた。

何年も前から行っているハバナのシンボルカピトリオの修復も、来年にはすべて終わって全身生まれ変わって私たちの目の前にその完璧な姿を見せる(はず)。

ハバナを訪れる観光客が必ず足を運ぶ革命広場では、1ヶ月ほど前から周辺を囲むように大きな穴を開けて工事をしているが、これもハバナ500年事業の一つで電線を地下に埋める作業だそう。確かにチェゲバラの肖像の前で写真を撮るのに、顔の前をベローンと電線が通っているのは邪魔だしね、と納得。そのほかの場所でも電線の地下化、電灯をLEDに取り替えを進めていて、これらも全部記念事業とのことだ。街中が明るくスッキリするのはよいけど、これでまたそこら中の道路が穴だらけになって、いきなり通行止めが頻繁にあるのはどうかと・・・まあ、この辺はハバナの人たちは慣れっこか。

この電線が消える日も近い。

もうだいぶ前から観光客の急増でホテルの客室不足が問題となっているが、今、ハバナの街中はホテルの建設ラッシュ。つい先日も旧市街マレコン近くに5つ星ホテルパッカーズがオープンした。そのほか新市街ではハバナで最も高層ビルとなる予定のホテル建設が始まり、旧市街の中も崩れかけた大きなコロニアル建物のほとんどが、ホテルと化す(予定)という。これらの建設現場の前にも「OBRAS POR EL 500 ANIVERSARIO de LA HABANA」(ハバナ500年記念事業)の看板。その数、旧市街だけで10軒を超える。すでに着工しているものもあれば、まだ看板がついているだけのところもあるけれど、それにしても 建て過ぎなのでは?の感。そもそもそんなに需要があるのか?ホテルの前にやることもっとあるのでは?

ハバナの街のいたるところにこの看板。

市民の誰もがそう思っているらしく、先日からハバナ500年に向けての報道の中では、

「500年に向けての事業はその年に完結するものではなく、ここから始まるもの、すべては未来のハバナのために!」

と強調している。

ん?似たようなフレーズがキューバでは繰り返されてきたことに気がつく。

「革命は終わらない、今も、そしてこれからも続く、すべてはキューバ国民の未来のために!」

ということで、500年事業も終わらない。きっとハバナがミレニアムを迎えても・・・

 

とはいえ500年を迎えるのはおめでたいことだし、便乗でもなんでも500年の記念の年が盛り上がるのは悪いことではない。その中心にハバナの街に住む、ハバナを愛する人たちがいたらいいな、と。

カバーニャ要塞から。大好きなハバナのひとつ。

La Habana, real y maravillosa−素晴らしきハバナ

永遠に。

キューバでBalletバレエを

日本ではあまり知られていないかもしれないが、キューバは世界的にもバレエが有名で、素晴らしい踊り手を数多く世に送り出している。ハバナの中央広場パルケセントラルにある国立劇場、Gran Teatro de La Habana(グラン・テアトロ・デ・ラ・ハバナ/ハバナ大劇場)は主にバレエの公演が行われ、キューバが輩出した偉大なバレリーナAlicia Alonso(アリシア・アロンソ1920〜)の名が冠としてつけられている。

2018年国際バレエフェスティバルポスター

今年も国際バレエフェスティバルが10月28日から11月6日にかけて開催され、この劇場ほか、ハバナ市内4つの劇場を会場として様々な公演・イベントが行われた。今回は特にアリシアが創立した国立バレエ団誕生70年、アリシアの十八番「Giselle(ジゼル)」初演から75年の記念の年ということで、大々的に行われたらしい。小学生のころ、バレエを習っていた友達の発表会に行ったことはあるけれども本格的なバレエの公演は見たことないし、ハバナ大劇場にも入ったことないし、事前に知っていたら見に行ったのに・・・

青い空に生える美しい建物、アリシアアロンソ劇場

しかし、だ。キューバではこういったイベントの情報を得るのが非常に難しく、だいたい直前にならないとわからない、もしくは終わってからニュースを見て知る、ということが多い。特に関心があるもので、それについて常日頃からアンテナを張っていればどこかでキャッチできるのかもしれないが、日々の生活に追われ、たまーに何を思い立ったか文化的活動に参加してみようか、というぐらいのレベルじゃ気が付いた時にはすでに遅し。でもキューバ人たちはどこかでしっかり情報をキャッチして、チケット販売初日に列を作るし、イベント当日は大勢の人が集まる。

今回のフェスティバル開催前のチケット発売日にもたまたま劇場の前を通ったのだが、長蛇の列。中には「こんなおばちゃんがこんな格式高い劇場でバレエ見んのかー!」という人も。これはキューバの素晴らしいところのひとつだと思うが、

すべての国民に芸術を鑑賞する機会があたえられる(べき)

という考え方のもと、こういった公演のチケット価格はありえないほど安い。ハバナ大劇場の場合、席にもよるが10-30キューバペソ(約40〜120円)*。だから行く。その辺でサンダル履いて買い物してるおばちゃんも、パルケセントラルでツバ飛ばしながら大声で話しているおっちゃんも。そんな彼らもきっと公演当日は一張羅に身を包んで、香水の匂いプンプンさせて行くに違いない。TPOのわきまえっぷりが際立っているのがキューバ人。

アリシアのジゼルがモデルの像が玄関前に

というわけで今回バレエ公演は見られなかったが、公演のない日中は建物内を公開しているので入場してみた。スペイン語か英語のガイド付きで、小一時間かけてゆっくり見ることができる。建物全体のうち劇場スペースは約1/4ほどで、あとはギャラリーやイベント会場、会議室などとして利用されているそうだ。外観も素晴らしいが、中の装飾も大理石がふんだんに使われ、細かな彫刻やクリスタルのシャンデリア、モザイク模様の床、豪華絢爛宮殿の様相。

バレリーナの舞台裏をテーマにした写真展が開催中だった

10数年前に初めてハバナに来て以来、何十回も入口前を通って、何百回も目にしているだろうに実は初めて中に入った。建物はもちろんだが特に気に入ったのは、3階のベランダから見るカピトリオ。この高さ、この角度から見たことのないカピトリオ。さらに週末に行われるフラメンコ公演のリハーサルをやっており、こちらもしばし見学することができた。

いつもと違った目線でみるカピトリオ

ふと思い立って入ったわりに、知的好奇心が十分に満たされてものすごい得した気分になった。出口でこれから年末にかけての公演もチェック。今年最後の〆は「くるみ割り人形」だな、と密かに決めた。

 

*こういった公共の場への入場料等は、キューバ人価格と外国人価格が異なる。私のように永住権所持している場合もキューバ人価格適応。ハバナ大劇場での公演の場合、外国人価格は演目に関わらず、30CUC(約3,450円)。それでも、大編成のクラシックや世界一流のオペラ公演もこの価格で見られるのだから、超お得。今回私が行った劇場内見学は、キューバ人5キューバペソ(約20円)、外国人5CUC(約560円)。