カニョナッソ(大砲の儀式)、どうしてる?

コロナ感染予防対策として、空港が閉鎖、観光客がいなくなり、店やレストラン、各施設が閉まり、外出が規制され、街から人が消えてまもなく1ヶ月。3月末に始まった夜9時のAplausos(アプラウソス)=医療関係者などコロナウィルスと戦う人々への激励の拍手はすっかり定着して、毎晩9時になると街中に大きな拍手が響き渡る。最近は笛やカネなどの「鳴り物」も加わって、一層にぎやかにキューバらしさが増している感じだ。

我が家も毎晩9時になったら、窓際で拍手!

ハバナの夜9時といえば、Cañonazo(カニョナッソ)、カバーニャ要塞で行われる大砲の儀式。これはスペイン植民地時代に起源を持つ、かつてハバナの城壁にあった木戸の閉門を告げるため大砲を放つ儀式のことで、今でも傭兵スタイルの若者たちによって毎晩9時に行われている。観光客にも人気があり、年間通して大勢の人が見学に訪れる。個人的にも好きなアクティビティーのひとつで、大砲が鳴る前の一瞬の静粛と緊張、その後のお腹に響く大きな音、何度行ってもその度にドキドキしてしまう。

傭兵スタイルで行われる大砲の儀式、コロニアル時代の雰囲気

今、当然のことながらコロナ対策により、カバーニャ要塞は閉鎖している。

「果て、カニョナッソはどうしてるんだろう?」

我が家が大砲の向けられるハバナ市街と反対にあるので、通常9時の大砲の音は聞こえない。ハバナ市街へ行くこともできなくなってしまったので、自分で音を聞いて確かめることもできない。ましてや最近はアプラウソスで、大砲の音もかき消されてしまう!?

気になっていたところ、夜のニュースでその回答を知ることができた。伝統的なこの儀式はコロナに負けることなく、毎晩行われ続けている。儀式を行うのは実は徴兵中の若者なのだけれど、本来の中世の傭兵スタイルの衣装は身につけず、オリーブグリーンの軍服にマスク姿でやっているらしい。

マスク姿で儀式をおこなる様子(TV画面より)

夜9時、ハバナの街。カニョナッソとアプラウソ。コロナが収束してアプラウソが必要なくなったら、カニョナッソを見に行こう。そして大砲の音の後に、大きな拍手(アプラウソ)を送ろう。健康っていいな、いつでも何処へでも好きなように出かけられるって素晴らしい!と心の底から思いながら・・・

なんてったってハバナ

海外からキューバを訪れる場合、そのほとんどがまずハバナへ到着する。だから多くの人にとって初めて目にするキューバの都市がハバナ、この街の印象がこの国の第一印象となる。

初めてキューバを訪れたのは、2005年5月。雨季の始まりの5月は雨が多いが、ハバナの空港へ降り立った時もどんよりとした曇り空だった記憶がある。タクシーの中から見るハバナの街はその鼠色の重い空の色と同じようにあまり色がなく、スローガンの看板が目につき社会主義国を感じさせた。

「¡ Viva Fidel ! 」

「Vamos bien…」

他の街に見られる華やかな看板やネオンのかわりにスローガン

この最初の滞在はまったくの観光だったのだけど、あまり観光気分だった記憶がない。今ほど旅行者も多くなくカラフルなクラシックカーが目立たなかったせいもあるし、いわゆる観光スポットへあまり行かなかったからかもしれない。公共交通は全然わからないし、タクシーもそれほど多くない上に高いので、ハバナ市内のほとんどを徒歩で移動した。滞在先のハバナ大学近くのカサから革命広場、旧市街、ミラマルのカサ・デ・ラ・ムシカまで。今思うと、ものすごい距離を歩いている。5月末といえばもうすっかり夏の日差し、汗だくになりながら、ひたすら歩いた。おかげで街の大きさ、高低差、地区ごとの街並みや雰囲気の違い、海沿いのマレコンの長さ、ハバナを丸ごと実感でき、今でもあの時の感覚がハバナの街を歩く時の基準となっていることすらある。どこまでいってもあまり変わらないコロニアルでくすんだ色の古い建物、雨上がりの水溜りだらけの道路、シャッターの閉まった店、上半身裸の男性、頭にカーラー巻いてストッキングかぶった女性、道で遊ぶ子供たち、痩せこけた犬、そしてあちこちから聞こえてくる音楽・・・これが最初のハバナだった。

2005年のカピトリオ、化粧直し前
セントロハバナのあたり。この道もなんども往復した

それから、ハバナは帰ってくるところ、になった。

ここ15年で個人経営の店やレストランは増え、旧市街には新しいホテルが次々にオープンし、クラッシックオープンカーが観光客を乗せてマレコンを走るようになったけれど、あの時と同じように街を歩いてみると、目にする景色も人々の暮らしぶりもそれほど変わらない。今でもハバナの街を歩くのが大好きだ。いつも混んでいるバスを待つより歩いた方が早いということもあるけれど、ひとりの時はまず歩く。時には少し遠回りしてマレコンも歩く。なんといってもマレコン沿いのハバナの街並みが一番だと思う。この景色を見る度に、かつて住んでいた鴨川沿いの京都の街並みを想い出す。街を少し離れて帰ってきたときに、鴨川沿いを自転車で走ると「あー帰ってきたなあ」といつも思っていた。今、どこかからハバナへ帰ってきてマレコン沿いを行くと、やっぱり同じように「帰ってきた」と感じる。どちらも自分が暮らす街のとっておきの景色。

はじめてのマレコンは、こんな曇り空のした、霞んで見えるハバナの街並みもよい

ハバナはやっぱり歩いてなんぼの街だ。旅行者の方にも歩いて歩き回って、見て、聞いて、感じてそれぞれのとびきりのハバナを切り取って帰ってもらいたい。

キューバで知る 三船敏郎誕生100年

コロナ関連のニュースばかりが目につく中、新聞記事にSamuraiの文字を見つけた。タイトルにはLos cien años del samurái(サムライの100年)、何の記事だろうと読んでみると、4月1日が俳優三船敏郎の誕生100年だという。キューバでもよく知られた黒澤明監督と組んで多くの映画に出演し、作品を通してサムライ像を見事に表現したことを賞賛していた。

キューバ人は映画好きだ。男性に限らずお涙ちょうだいもののドラマや実話ベースのドキュメンタリーっぽいものよりも、アクションやアドベンチャーものの方が好まれる。キューバの直面する現実社会が何かと厳しくドラマチックなことが多いから、映画を見ているときぐらいは現実逃避できたほうがいじゃないか、だからアクションの方がいいよ、と誰かが話してくれたことがある。それはさておき年配の方だと「クロサワ作品は大好きだ」と言う人も多いし、日本映画として知られているのは『7人の侍』や『座頭市』だ。

グランマ誌のデジタル版では『7人の侍』の写真とともに記事が出ていた

残念ながら私は黒澤作品をちゃんと見たことないし、三船敏郎も晩年TVで対談番組などに出演しているのを見た記憶があるぐらいだ。ましてや誕生日は知らない・・・で、早速ネット検索してみるとWikipediaには読みきれないほどの記載があり、中には「チェ・ゲバラは『用心棒』に感銘を受け、桑畑三十郎の恰好までするほどのファンであった。(三好徹『チェ・ゲバラ伝』原書房)」なんていう記事まで。へええええ、だ。そして誕生日は確かに1920 年4月1日で今年がちょうど誕生100年、こんな形でしかもキューバで三船敏郎について多くを知ることになろうとは・・・!

ところでハバナには市民にもよく知られているサムライ像がある。ハバナ湾を挟んでカバーニャ要塞の向かい旧市街側にある「支倉常長像」だ。その名前までは知らずとも、それがキューバに初めて来た日本のサムライであることは、多くの人が知っている。

ハバナの支倉常長像。旧市街散策中に立ち寄ることも可能

でもキューバ人が描くサムライ像は、やはり黒澤作品に出てくる三船敏郎演じるサムライ何だろうなあ。

キューバの夏休み 2019 Vol.2

先週に引き続き、今週末も近所の子供達と一緒に遠足第2弾。今回はハバナのプラジャ地区にあるIsla de Coco(ココナツ島)という名の遊園地とその隣でやっているサーカスへ。

12時集合、皆でバスを待つも来ず。1時間過ぎても来ず・・・真昼間で日陰も少なく、座って待つところもなく、さすがのキューバ人たちもイラっとしてきて、結局目的地付近が終点のバスをジャック(=無理やり貸し切り)にして行くことに。路線バスだからコースを外れると違法で捕まってしまうので、ハバナの外周をぐるっと回って1時間かけて到着。ついた頃には、ここ数日毎日のようにある夕立の雲が立ち込めていた。

遊園地入り口。

それでも子供達はダッシュで遊園地の遊具やおやつを売っている売店へ。遊園地といっても遊具は数える程しかなく、その中で動いているのは5つぐらいしかなく。

定番メリーゴーランドあり。
回転ブランコあり。

そのうち雨も降ってきて、早々に引き上げてサーカスのテントへ避難した。もうまもなく開演時間の4時というところでアナウンス。

サーカステント。残念ながら、中の様子は撮影禁止でなし。

「本日天候不順、特に雷は電気系統のシステムに影響があるので、誠に申し訳ありませんが開演を30分ほど遅らせます」

確かにものすごい雷だったので仕方ない、待つしかない。テント内はエアコンが効いていたのがせめてもの救いだった。

そのあとの公演もあるので、30分ぴったり遅らせて開演。時期的なものもあるし、娯楽が少ないキューバでもあるからテント内は満席だった。猛獣もでないし、空中ブランコや派手な演出はないけれど、キューバ国立サーカス劇団、国内でもトップレベルの芸人たちの技はそれなりに見応えがあって楽しめた。子供達が大好きなピエロも会場を盛り上げて、大人も一緒に大笑い。久しぶりに声を出してケラケラ笑って気分がよかった。

終演後、外へ出ると雨は止んでいた。今度は20分ほど待ってお迎えのバスがきたので、皆で乗り込んで我が家の団地まで。キューバらしく「待ち」の時間が長かったけれど、それも夏休みの1日、良い想い出。

キューバの夏休み 2019 Vol.1

年がら年中暑い常夏のキューバだけれど、この時期「夏」は特別。7、8月は国を挙げて夏を盛り上げる。子供向けはもちろん、大人たちも楽しめるイベントも多く催されるし、夏限定でビーチには飲食の屋台が出たり、安いホテルのパッケージツアーを国営旅行会社が販売したり、地区ごとにキャンプツアーが組まれたり。その年ごとに夏のキャッチフレーズも掲げられて、テレビCMではそれを連呼するコマーシャルソングが流れる。今年は、

¡Vívelo! (ビベロ!)

夏を生きろ!ぐらいの意味、どこかで聞いたことがあるような・・・

子供達の学校は6月中旬で授業は終わり、6月後半は試験のみ。7、8月の2ヶ月は丸々お休みという、親たちにとっては全くもって迷惑な話。この時期、親同士が顔を会わせると、

「どうよ夏休み、子供達は」

「昼飯作らにゃいけないし、たまにはどこかへ連れて行かないといけないし」

「まったくねー頭痛いわ!(Es un dolor de cabeza!)」

みたいな会話がされ、「頭が痛い」を連呼する。

こんなに長い夏休みなのに、大した宿題も出ない。我が家の息子もA4のコピー用紙に5枚ほど国語のプリントがあるだけ。けれど、それすらなかなかやろうとしない。2ヶ月ボーっと過ごした後の学校での勉強はさぞ辛かろうに、と思うし、こんなに勉強しなくて大丈夫なんだろうか、と心配なのだけど、親たちも「バケーションなんだから当たり前よ」とほったらかし。遅寝、遅起きも容認されて、朝から晩まで遊びたい放題。日本の夏休みの厳しさを思い出して、我が子はもう日本の学校へは適応できないと確信する。

そしてこんなに毎日遊んでいるのに、「退屈だー、どっか行こうよー」とのたまう。マイカーもない我が家ではビーチへバスで行くか、ハバナ旧市街あたりをぶらつくか、コッペリアへ行くかぐらいしか選択肢がないのだけれど、ありがたいことに週末は近所のおばちゃんが仕切って貸切バスでの遠足を企画してくれるので、ここ2週間はそれに参加した。

貸切バス。超年季の入ったボロボロバスだけど、みんなで一緒にお出かけは楽しい。

その第一弾は、ハバナ郊外空港の近くにあるエキスポキューバと植物園。子供達が遠足で行く王道で、これまでの学校の企画で何度も行っている。何度も行くほど素敵なところかというと全くそんなことはないのだけど、他にないから仕方がない。でも子供達は普段とちょっと違うシチュエーションで遊べればそれで楽しいから、まあいいか。

エキスポキューバはその名の通り、かつて万博が行われた会場をそのまま公園にしたもので、今でも定期的に各種展示会が催される。

写真ではよくわからないけれど、動力はトラクター。この知識豊富なガイドの説明が良かった。

植物園はだだっ広い公園内をトラクターが牽引する車両に乗り込み、ガイド付きで解説を聞いて園内を散策できる。中でもキューバに90種類以上あるという椰子の木のコレクションが売りで、これは世界に誇るものらしい。またキューバで唯一という日本庭園もあるのだが、ここ数年改修中で残念ながら見られなかった。

背の低いヤシの木
出っ腹のヤシの木
こうして見ると、本当に様々なヤシの木があるのがわかる。

最近は息子も多少は成長して、こういうこところで売られているどーしょーもないオモチャを買ってとせがむことも少なくなったのだけれど、今回ひとつだけおねだりされて許可したのが、入れ墨。もちろん本物ではなくて子供用にスプレーで色つけるだけのものだけど、最近の流行りなのか子供が行くとこ、イベントで必ずあるアクティビティーだ。パネルにある図柄から好きなの選んで、好きなところにシューシューと色を重ねる。「1週間はもつよ」という触れ込みだったが、翌日にはカスカスでなんの絵かわからなくなっていた・・・2CUC(約240円)なり。夏休みだから、まあいいか。

まずは好きな図柄を選んで
型を使ってスピレーで色付け
できあがり!

アーネスト・ヘミングウェイ国際カジキ釣り大会−Ernesto Hemingway Torneo Internacional de la pesca de la aguja

人生の後半の大部分の時間をキューバで過ごし、海と釣りとお酒が大好きでキューバを愛してやまなかった作家ヘミングウェイ。ハバナ市内には今でもヘミングウェイゆかりのホテルやバーがあり、観光名所として連日多くの人であふれている。生前ハバナ郊外に購入した屋敷は現在ヘミングウェイ博物館となって、作家が暮らした当時のままの様子を見学することができる。

ヘミングウェイ博物館には欧米からはじめ多くの観光客が訪れる。

ハバナから東へ車で15分ほどのところにある小さな町、コヒマルはヘミングウェイが釣りに出るための船を停めていたところ、いまでも毎日ここから漁師たちが船を出すのどかな漁村、『老人と海』の舞台を見に博物館とともに足を伸ばす人も多い。

現在のコヒマルの漁港。ハバナ近郊では最大の規模で、今も毎日多くの船がここから漁に出る。

そのヘミングウェイの名を持つマリーナが、コヒマルとはハバナを挟んで西、反対側の海岸にある。キューバでは最大規模の国際マリーナで、常に各国の船が停泊している。他のヘミングウェイ関連の名所に比べて普段観光客が訪れることは少ないが、1年に1度開催されるヘミングウェイ国際カジキ釣り大会は、世界各国の釣り好き達が集って賑やかなイベントだ。今年の大会は11カ国18チームが参加して6月10日から15日に行われた。69回目を迎えた歴史あるこの釣り大会に日本から初めての参加者があったのだが、なんとこちらのお客様のご招待で1日船に乗って参加することになった。

日本チームの船、ピラール1号。

これまでにもダイビングの時など1日船上で過ごす経験はあるものの、今回のような小さな船で「釣り」をしながらの船体験はない。カジキ釣りはもちろん船からの海釣り体験も初めて・・・大会前にトーナメントのルールを翻訳してその内容を知ったが、なにぶん釣り自体がほとんど未知の世界なので、よくわからない部分も多かった。釣りといえば釣り竿持って行うものだとばかり思っていたので、船に竿を固定して釣り糸とルアーを海中に流し、船を常に進めながらヒットするのを待つ、という釣りの方法があるなんて全く知らなかった。カジキ釣りは、カジキの特性を生かしたこのトローリングと呼ばれる方法で行われるのが一般的らしい。でも、これじゃあ釣り人の腕はどこで試されるんだ?

船に乗った当日。海は白波ひとつ立たない静かなもので、湖面を行くような穏やかさ。朝9時のスタート時に一斉に方々へ船が向かって行く様子は壮観だった。

競技スタートの合図とともに各船が一斉に沖に向かって進む。

しばらくは海から見えるハバナの景色を楽しんだり、真っ青な海の美しさにうっとりしたりしていたけれど、そのうち退屈してきた。釣りなんてそんなものだろうけど・・・午後には船長の横に座って、しばしおしゃべり。2階の操縦席で周辺をじーっと見回す船長は、漠然と針路を決めているわけではなく海の色、潮の流れ、海面に浮く海藻、鳥の群れといったものを観察しながら、魚のいる場所にあたりをつけて舵をとっていた。とすると、釣り人の腕ではなく船長の舵取りが一番の決め手なんじゃないか?

コヒマルからもう少し行ったあたりまで進めた後、Uターンして陸近くを並走するように航路をかえた。ハバナの街の中心が近い。こんな陸から近いところでカジキみたいな魚が釣れるのか?と思っていたその時、リールのひとつがザッーと音を立てて動き出した。その瞬間、船長、船員たちが素早く反応する。竿を外して釣り上げ担当の参加者に持たせ、定位置に座らせる。船長はまだ2階で舵を握ったまま。見習い中の若い船員を呼び、船長が魚を捕獲する瞬間に下へ降りた際の操縦の仕方を指示する。まだ獲物は船尾の先、釣り糸の先端に左右にもがきながら泳ぐ大きな姿が見えた。

船長と船員。10年来のコンビは息のあった様子でカジキを揚げる。ハバナが近い。

「ブルーマルリン(マカジキ)!」

水面近く少し飛び跳ねた瞬間に、その大きさがわかり驚く。

「1.5〜2mはあるぞ、でかい!」

まだ2階の操縦席にいる船長は、飛び跳ねて大喜び。

慣れない手つきで竿を持ち、必死でリールを巻く彼に冗談混じりでハッパをかける。

巨大なカジキを少しずつ寄せていく。ここを見るとやっぱり釣り。

もう直ぐそばに黒い影が近づいてきて、尖った口先の角が水面から顔を出し、全身で水面をバシャバシャと叩く。およそ30分弱。

船に近づいて暴れまくるカジキ。

「もう少し!」

と一瞬船の脇でその姿を見たか見ないかのうちに、口元のナイロンの糸が切れてサーっと水の中に消えてしまった。

「これでいいの?」と思ったが、そもそも釣り上げても写真記録だけとってキャッチアンドリリース、タグ付けも強制ではないので、規定通りに写真が撮れていればポイントとして加算される。一般の釣りに比べると物足りないような気もするが、競技としては合格の捕獲だった。

この日、日本チームはこの1匹のみ。でも18チーム中カジキをヒットして得点したのはわずか4チームで、暫定1位。その後、4日間の競技日程を終えて日本チームは2匹のマカジキ捕獲で第4位。初出場でしかも全員素人のチームで大健闘。全ては優秀な船長と船員のお陰とはいえ楽しい思いをさせてもらった。

それにしてもハバナの街並みをバックにマカジキとの格闘、想像以上に力強く、美しく、興奮。

 

ヘミングウェイ国際カジキ釣り大会。アメリカとの国交回復直後の2017年の大会は80チームほどの参加があり大盛況だったそうだが、今年は直前のアメリカ政府のキューバ対策(アメリカ人のキューバ渡航制限の強化)により、予定していたチームの不参加もあって数的には寂しいものだった。それでも3チームのアメリカからの参加、そのほか10数ヶ国の参加は国際交流という点でも意義のある大会といえる。ヨットクラブの支配人が「国と国の間に壁をつくるようなことをせずに、橋渡しとなるようなイベントに」と話してくれたのが印象的だった。高価な遊びではあるけど、ヘミングウェイの精神、キューバへ対する想いをつなぐこの大会、いろいろな意味で今後も途切れることなく続いたらいいな、と思う。

春休み、スペイン帆船見学とマレコン散歩―ハバナビエナール―

キューバの学校は9月が新学期の始まりで、年末年始に10日間ほどの冬休み、4月に1週間の春休みがあって、6月末が学年末と一応3学期制となっている。今年は4月15日から1週間が春休みだった。

休みの期間、親たちを悩ませるのは昼食の準備(小学校は一応給食がある)と退屈する子供たちの「どこかへ連れていってよ」攻撃。これといった娯楽がなく子供たちが楽しめる施設や公園も数知れているキューバでは、限られた子供を連れていく場所がものすごく混む。ハバナなら動物園、旧市街にある小さな遊園地、郊外のレーニン公園といったところか。自家用車がないから、そこへ行くための交通機関も混んでうんざりしてしまう。

見学のために長蛇の列!

幸いどこかへ行くより近所の子供達と一緒にいるだけで楽しい我が子は、朝から晩まで本当によく遊んでくれて助かった。それでもちょっとはお出かけしようか、と行ったのがハバナ湾に入港して数日間滞在していたスペイン海軍学校の訓練船、Juan Sebastian de El Cano(フアン・セバスティアン・エル・カノ)号の一般公開見学と、マレコンを中心に開催されているハバナビエナール(造形作品の屋外展覧会)。

スペイン国旗がキューバの青い空に映える。植民地時代を彷彿?!

Juan Sebastian de El Cano号は1927年造船の帆船。見学時はもちろん帆は張ってなかったのだけど、歴史を感じる船体は美しく丸ごと芸術作品。ちょうど入港時にハバナ湾の入り口付近を走行する姿を見たけれど、それは素敵でうっとりするほどだった。

ハバナビエナール、5月18日まで開催中。

ハバナビエナールは国内外の造形作家たちによってマレコン沿いのあちこちにアートが出現、いつものマレコン散歩がいっそ楽しくなるイベント。この日は波が少々高くて海側のアートは波しぶきがかかってしまっていたけれど、真っ青な海と空の下、カラフルなアートが映えた。

さあて、この休みが終わったら学年終了まで2ヶ月半。そのあとは長すぎる夏休みが待っている。

キューバで空手

我が家のある団地内にはサッカーと野球が一度にできるほどの広い運動場にプール、バレーとバスケットコート、さらにレスリングにボクシングといった屋内競技用施設とスポーツするには申し分ないスペースがあり、その一角に空手の道場もある。「空手道」「松林流」としっかり漢字で書かれた看板に加え、「OKINAWA」「DOJYO AKITO YAMANE」とあるから明らかに日本がルーツだとわかるので、気にはなっていたけれど、これまで詳しいことを調べようとしなかった。

団地の道場入り口。

今年になって息子がこの道場で空手を習い始めた。生徒は小学生から成人まで、「先生(センセイ)」はキューバ人だけど、日系註)の方もいらっしゃる。練習は週に2回、夕方1時間ほど。自分でやりたいと言っておきながら、習い事に通うことに慣れていない息子は最初のうち友達を遊ぶ時間が減るのが嫌だったようだけど、最近は進んで行くと言い家でも「形」の練習をするようになった。

この週末、普段の練習とは別に簡単なデモンストレーションをやるというので見に行った。先週、日本から届いたばかりの真っ白な空手着を着てやる気が増した息子は、覚えたばかりの初心者向けの「普及形 I(ふきゅうかたいち)」をみんなと一緒に披露した。その後、大人は武具を使った形や二人で即興での組手も見せてくれた。空手といえばカンフー映画のイメージぐらいしかなく、実際に見たのはこれが初めてだった。

「形」の披露をする生徒たち。

そして日系の「センセイ」の一人から、この道場の由来についてもちょっとお話を聞くことができた。道場の名前にある沖縄出身の日系人「AKITO YAMANE」さんはかつてこの団地に住んでいて、団地のすぐ近くにある海軍病院のお医者さんだったそう。そのYAMANE さんが亡くなった時に、本当は沖縄に遺灰を持って行きたかったそうだけど日本はあまりに遠く、結局この団地内で葬られた。ちょうど同じ頃団地内にできた沖縄空手の道場ということで彼を偲んでその名前が付けられた。これが今から50年ほど前のこと・・・

せっかくなので少し調べてみたところ、空手そのものが19世紀に沖縄で生まれたものだという。その起源は15世紀琉球発祥の「手(テイ)」と呼ばれる武術にさかのぼり、東南アジアや中国との交流の中で空手として発展していった。それがのちに本土に渡り、競技要素を持って広まったそう。沖縄伝統空手にはいくつか流派があるようだけど、あくまでも素手で攻撃、防御する武術でスポーツ=競技ではないらしい。現在は武道の一つ、護身術として学ばれるものだという。

武道であるので当然礼儀は大切にされ、うちの団地の教室でも道場に入る前にはお辞儀、先生にもお辞儀してはじめの挨拶、終わりのお礼、途中の掛け声は日本語。子供を通わせる父兄たちからは「礼儀、規律」と言ったことも教えてくれるのがいい、という声も聞かれる。確かにキューバの学校では、日本のような校則もなければ部活でバシバシ先生にしごかれる(最近はあまりないようだけど)こともないものね。

蹴りが得意らしい・・・

息子は日本語で数字を言ったり、挨拶したりするのがなぜだか「恥ずかしい」らしい。どこからみてもアジア人、教室唯一の日本ルーツの生徒ということで、注目度も高い(?)わが子よ、ちゃんと黒帯取るまでまで頑張れー!

 

註)あまり知られていないがキューバにも日系人がいる。ペルーやブラジルのように大きなコミュニティーはないが、首都ハバナと青年の島に比較的多く住んでいる。

現在もキューバ各州に日系人が暮らしている。

キューバ人は行列が好き?!

先週、どこで何に触ったのかわからないが、両ふくらはぎがかぶれた。見るも無残だし、痒いしで2日目に病院へ行き薬を処方してもらった。キューバは医療費が無償で、地区ごとにポリクリニコと呼ばれる診療所があって「とりあえず」というときは、そこへ行く。我が家からも徒歩1分にあるポリクリニコで、当直の先生に診てもらい処方箋を出してもらって、いざ薬局へ。薬は無料ではないが格安で入手できる。

薬局前、ぱっと見誰が行列についているのかわからないけど、いつも長時間待たされる。

これまた歩いて1分の薬局へ行ったが、朝も早よから大勢の人が列をなして待っている。

「¡Ultimo! (ウルティモ)」=「最後の人誰?」

と大声を張り上げて行列の最後尾を探す。

キューバでは独特の行列の作り方があって、行列しているところに並ぼうと思ったらまずこうやって最後尾の人を探す。

「Yo(ジョ)」=「私」

と誰が行列の最後か確認できたら、

「¿Detrás de quién va(デトラス デ キエン バ)? 」=「誰の次?」

と尋ねて自分の前の前の人まで確認する。

そして自分の次に並びたい人が「¡Ultimo! (ウルティモ)」=「最後の人誰?」とやってきたら、「Yo(ジョ)」=「私」と答えて最後尾をバトンタッチ・・・

といった具合で列がなされる。

無事、列について待つこと約30分、私の順番がやってきて薬を買うことができた。

 

この行列の作り方のいいところ、便利なところはいくつかある。

例えば、バス停などで待つ場合。キューバのバス待ちの人の多さは半端ではないし、屋根付きベンチ付きのバス停なんてなかなかない。だから自分の順番さえ確保したらあとは日陰で、あるいは適当なところに座って待つことができる。バスがきたら自分の前の人を探してその後ろにつけば、きちんと行列再生!

バスがくると、行列再生。

他にもあまりに待ち時間が長くなって、ちょっと近所で他の用事をすませたい時は、後ろの人に「ちょっと抜けるし」と声かけて隣の店で買い物すませてくる、なんてことも可能。

これが他の国や地域であるのか知らないけれど、非常に良いやり方だといつも感心する。またこのルールをしっかり守れるキューバ人は、なかなかお行儀がいいとも思う。

 

それにしても毎日の生活で、街の中で、行列を見ない日がない。ハバナには行列が名物になっている場所もたくさんある。

ベダードにある国営アイスクリーム屋さん、コッペリア。季節を問わず連日行列。敷地を取り囲むようにぐるりと列ができる。

コッペリア、いつ行っても凄い人!

国営電話会社(エテクサ)、両替所(カデカ)の前もいつもたくさんの人。

本日、エテクサ前の行列は少なめ。

旧市街のスペイン大使館の行列も半端ない。旧市街にあって観光客の目にも付きやすいので、皆、驚く。平日の午前中は大使館前の歩道が人の群で埋まってしまうほどで、歩行者の邪魔にならないように警備の人たちが群衆に指示を出して行列整理。

スペイン大使館前はいつもギョッとするほどの人!

スペイン大使館の行列の理由は、キューバがスペイン領であったため自分の先代がスペインから移住してきたことを示す書類が揃えば、スペイン国籍が取得できるから。その手続きのために連日わんさか人が訪れる。スペインに移住しなくとも、スペイン国籍=スペインパスポートを取得すれば、多くのキューバ人が夢見る「外」の世界を見るチャンスがぐっと増す、というわけ。そのためには前日深夜からでも並ぶ。でも行列して失う時間をお金で買うこともでき、それを商売にしている輩もいる。つまり順番待ちを代行して、それを売買するのだ。実際には前日午後には翌日の行列ができ始め最初の何人かは整理番号が渡されるそうで、この順番をゲットしてそれを売るという闇の代行業があるそう。自分のために前日から並ぶ人もいる中、整理券を高額で買って「横入り」する人がいたら、揉めるだろうな、と思うけど・・・

 

このほか、キューバらしいのが配給所の行列。普段の配給所は意外にもひっそりしていることが多いのだけど、あるものが入荷した時にはものすごい行列ができる。だから行列ができていたら「おっ、何か入ったな」とわかるのだ。行列ができる配給品代表は鶏肉とタマゴ。不定期に入荷するので、入ったとわかると皆、我先に行列へ。この時ももちろん「ウルティモ(最後は誰)?」のルールで列を作って待つ。

それからキューバではある品物が街中から消えることがよくあるので、それが再度入荷して販売された時にもすごい列ができる。最近ではサラダ油が消えた。いまだに不足していて我が家の在庫もほぼなくなっている。

さて、今日見る行列の先にサラダ油はあるかしら・・・

ハバナで話題のレストラン、Doña Alicia(ドニャ・アリシア)

キューバには飲食店でも国営のもの、民営のものがあって民営レストランをParadar(パラダール)と呼ぶ。と言ってもの看板に「Paradar」と掲げている店はほとんどないし、国営のレストランも「うちは国営」とうたって商売はしていないので、これらをパッと見て見分けるには難しい。一概には言えないけれど、裏通りや不便な場所にあって規模が比較的小さく内装が今風でお洒落なのはパラダール、広場や観光客のよく通る道に面した大きめのコロニアルな建物を使いキャパも多めなのだけど、内装はイマイチセンスなく古めかしいのが国営レストラン、といったところか。料理の質やサービスは間違いなくパラダールの方が良い。

ところで少し前から気になっていたパラダールがあった。

セントロハバナ、Sagrada Corazón de Jesús(サグラダ・コラソン・デ・ヘスス)教会の数件隣、時間や曜日関係なく午後はいつも店の前に多くの人が待っている店Doña Alicia(ドニャ・アリシア)。客のほぼ100%がキューバ人。

お店の看板。アリシアおばさんは実在した方らしい。

最近はパラダールも観光客だけのものではなくて、「ちょっと外食でもしようか」とキューバ人達が足を運ぶような店が増えたように思う。食に対して冒険をしないキューバ人、人気なのは安くてがっつりキューバ料理を食べられる店。

だからこの連日大賑わいのレストランもきっとそういう店だろうと思い、夫を誘って先日平日の昼間に行ってみた。12時ちょうどに到着、幸いまだ店内は空席があってすぐに案内され着席。

座ってすぐに驚いたのは、各テーブルに備え付けられたタブレット。なんとタッチパネルにメニューが提示され、オーダー、お会計と全てできるシステム。

表示はスペイン語だけど写真があるから、言葉がわからなくても安心。

「日本の居酒屋か回転寿司じゃん!!!!」

ワクワクしながらパネルをタッチしてメニュー拝見。一般的なキューバ料理に加え、キューバ人が大好きなピザとパスタから甘いデザートまで種類も豊富だった。各メニューはもちろん写真付きで、人気度数が星で表示、本日提供できないものは「只今できません」とはっきり表示。これは観光客にもありがたい。料金は旧市街のパラダールより若干安め、比較的良心的。料理のボリュームはびっくりするほど多くないけれど、味はザ・キューバ料理。副菜もささやかな野菜に揚げ物で決まり。盛り付けはちょっとカフェ風でよろしかった。

キューバ料理をカフェ風に盛り付けるとこうなる。

 

数日後。夫と二人でDoña Aliciaへ行ったことが子供にバレてしまい、同じ週の土曜日ランチもこちらですることになった。

「週末だし、すごい待たされるんだろうなあ。」

と覚悟して向かいいざ行列へ。先日は並ばなかったので気がつかなかったが、ドアマンがちゃんと名前と人数をきいてチェックし、順番に案内してくれるようなっていた。しかもこの順番待ちをしている人たちの名前リストが外の大きなディスプレイパネルに表示され、おおよその待ち時間も予想できた。またこのディスプレーにはメニューも順次表示されて待ち時間を飽きさせない。

いつも店の前には大勢の人が待ってる。

さらに先日は店内手前の席だったので気が付かなかったけど、店の中央を仕切る壁付近には小さな子が遊ぶスペースが設けられていて、親達は店内を駆けまわる子供を野放しにしなくてすむ。

トイレも自動で電気がつくし(いつものように電気を探してしまい店員さんに教えられた。うちの子も「電気がなーい!」と言って戻ってきた)、手を乾かすドライヤーも設置されているし(これは最新のパラダールには時々ある)。

すごーいなキューバ、いつの間にか日本並みのサービスが導入されている(むちゃくちゃピンポイントだけど・・・)

うちの子は生まれた時からタッチパネルのある時代の子なので、席に着くなりパネルを操作、キューバで日本の回転寿司と同じようにオーダーできると知って大喜び。そしてこそって聞いてきた。

「ねえ、どうやってでてくるの?回ってくる?」

さすがにまだ回転マシーンは導入されていない。

内装はファミレス風?

料理の味はまずまず、正当なキューバ料理。でも人気の秘密はキューバ初のサイバーレストランだからだと知って納得。しばらくは混雑するだろうな。

 

Doña Alicia

住所:Ave.Salvador Allende(Carlos Ⅲ)esq.Padre Varela(Balascoaín), Centro Habana、サグラダ・コラソン教会近く

営業時間:12:00-1:00