お試しあれ・・・ラム酒、葉巻、コーヒーのMaridaje(マリダッへ)

キューバ名物、Ron Tabaco Café. (それぞれスペイン語でロン、タバコ、カフェと発音)=ラム酒、葉巻、コーヒーは世界的にも有名で、そのあまりの素晴らしさから「天国への3ステップ」とも言われるほどです。

Ron, tabaco, cafe ♫…キューバ音楽の歌詞にもよく出てきます。

ラムは砂糖の生成過程でできる糖蜜を使って作られるお酒で、キューバ各地に蒸溜所があり様々な種類のラム酒が生産されています。キューバでお酒といえば何はともあれラム、中でもハバナクラブは世界に名の知れた有名な銘柄です。

葉巻はもともとキューバにいた原住民たちが吸っていたものをスペイン人たちが持ち帰り、ヨーロッパで受け入れられ広まったといわれます。キューバの土と気候がタバコの葉に適していることから良質のタバコ=葉巻が生産され、世界最高級の贅沢な嗜好品が生みだされています。

コーヒーはキューバ人の日常に欠かせない飲み物ですが、こちらはお隣のハイチから入植したフランス人たちによってキューバで広く栽培されるようになったものです。

それぞれキューバの歴史とも深い関わりのある産物であり、キューバを知るため、そしてキューバ人たちと時間を共有し、より深く知り会うために欠かせないものと言えます。

ところでこのラム、葉巻、コーヒーもちろんそれぞれのシチュエーションで別々に楽しむことができますが、本来葉巻の嗜み方としては、これらを組み合わせて味わうのがよし、とされます。

それが、Maridaje(マリダッへ)

英語のMarriageと同じ語源で結婚も意味しますが、調和、組み合わせという意味もあります。同じ意味のフランス語マリアージュは料理などで使うと「相性の良い食べ合わせ」を意味するのを聞いたことがあるのではないでしょうか。要は葉巻だけではなく、ラムやコーヒーと一緒に吸ったほうがより美味しい、というわけです。

ハバナにはこのMaridajeを観光客にレクチャーしてくれ、実際に体験できるところがあります。

コロニアル建物のパティオで優雅なひと時を・・・

まずは、コーヒーを少々。後で葉巻と一緒に飲みたいので全部いってしまわないよう注意。

そしてラム酒。もちろん銘柄はハバナクラブ。蓋を開けたら数滴床に垂らします。これはご先祖様に捧げる仕草とも大地の神に感謝の念を示すためとも言われるのですが、キューバ人がお酒を飲む時、誰もがやる「儀式」です。それから各々のグラスにラムを注ぎ、とりあえず乾杯!そして口の中を湿らせるような感じでラムを味わいます。

キューバ人はどんなラムも基本ストレートで飲む。

それからいよいよ葉巻に火を付けます。国がキューバ産として認定した葉巻には「王冠」と呼ばれるラベルが巻かれていますが、このラベルがある方の端をチョキンと葉巻カッターで切って、反対側に火を付けます。本来の作法からするとマッチやライターで直接火をつけるのはタブー。セドロという種類の木っ端にまずは点火し、この炎で葉巻の先を焦がすようにして火を付けます。そしてゆっくり吸い込む。葉巻は肺まで入れずに、煙を口の中に含みあくまで香りを楽しむものです。

葉巻にも作法あり。

今度はまたラムを一口飲んで、葉巻を吸う。それからコーヒーを飲んで、葉巻。それぞれ違った味わいがあるはず。

シガーバーでもラム酒やコーヒーと一緒に葉巻を。

日本で葉巻を嗜好する方は少なくシガーバーの敷居も高いかもしれませんが、キューバへ来たからには是非とも本場の葉巻をラム酒、コーヒーと一緒にお試しあれ。

ハバナから日帰りリゾート山編−Las Terrazas, Soroa−

のんびりしているとはいえ一国の首都ハバナに住んでいると、たまには都会の喧騒を逃れ自然の中へ行きたくなる。ありがたいことにハバナ市内にいても十分自然を感じられるところはあるのだけど、近年は車の排気ガスによる空気汚染もひどく(車が古いのとガソリンの質が悪いので一層ひどい)、時々キレイな空気を思いっきり深呼吸したい!と思う。そもそも田舎育ち、思えば人生初の首都生活がハバナ。

 

そこで、今回はハバナから日帰りでいける山リゾートLas Terrazas(ラス・テラサス)とSoroa(ソロア)へ行ってきた。キューバのメジャー観光地ランキングでいうとちょっと格は下がるかもしれないが、豊かな自然を満喫できる上、比較的レジャー施設も整っておりキューバ人にも人気のスポット。

 

ラス・テラサスは19世紀初頭、お隣の島国ハイチ独立後にキューバへ移住したフランス人達がコーヒー農園を開拓、この地へ移住したことに始まる。そのため現在でも当時のコーヒー農園跡がいくつか残っていて、見学することもできる。山がちなこの地にテラス状の段々畑を作って開拓したことからその名前がつけられたのだ。

ブエナビスタカフェ農園跡、奴隷たちの住居跡も残る

20世紀初頭になるとコーヒー産業も低迷しそのほかの作物を細々と作りながら農民たちが貧しく暮らしていたそうだが、キューバ革命後、同地域にモデル集落(Nuevo pueblo modelo)が形成され、周囲の住民がここに住まうようになった。それが現在でもラス・テラサスの湖畔にある建物群からなる村だ。

1990年代より観光業が発達するが、豊かな自然を破壊することなく環境保護を重視して開発を進めたことからエコビレッジとしても注目されるようになる。自然と調和した中で創作活動をするため、移住するアーチストも多い。

「マリアさんのカフェ」で美味しいコーヒーを・・・

中でも音楽家Polo Montañez(­-2002ポロ・モンタニェス)が有名で、彼の住んでいた家は現在博物館として公開されている。他にも見学できる画家のアトリエ兼ギャラリーがあったり、美味しいコーヒーの飲めるカフェや手作りの小物や香水を売る店があったり、と緑に囲まれた湖畔の散策は十分にリゾート気分を味わうことができる。ゆっくり滞在するのであれば、周辺でバードウォッチングやトレッキングなどもできるそう。

Las Terrazas 湖畔にあるLester Campaのアトリエ

 

隣にあるソロアもラス・テラサスと一緒に訪れたいところだ。ここもコーヒー農園を営むフランス人の入植により開拓されそうだが、国内有数の多雨地帯で豊かな森とそこに生息する多種多様な蘭が有名。ここで必ず訪れたい場所のひとつがラン園で400種類ほどの蘭を栽培し、一部展示している。そしてキューバに移住した日本人園芸家竹内憲司氏が一時、蘭の研究資料整理にあたっていたというから、日本人としてもとても興味深いところ。

様々な種類の蘭

ほかにも鬱蒼とした林の中の山道を歩いて行った中にあるSalto de Arco Iris(アルコイリス滝)という清涼感溢れる滝を見に行くのもいい。

ソロアの滝。水に入ることもできるが、山の水はいつも冷たい。

またこの滝の入り口脇へ入って行くと、山の頂上に展望台がある。歩いても行けるが、今回は馬に乗って行ってみた。途中、ガイドのお兄ちゃんが、

「あの山の頂まで行くぞ!」

とえらく上の方にある岩場を指差す。

「嘘だ」

と思って軽くかわしたのだが、本当にそこが最終目的地の展望台だった。

馬に乗って頂上を目指す。途中にも絶景ポイントあり。

キューバ、ちょっと田舎に行くと馬や馬車がまだ普通に市民の足だったりするのだけれど、観光で乗馬できるところも多くここ数年で乗馬歴がぐっと増えた。でもこれほどの坂道で乗ったことはなく緊張感と冒険気分がグーンと上昇、そして頂上からの360度絶景に

「おお〜!」

この乗馬でゆくソロア展望台、なかなかのオススメ。

 

森の匂い、湖畔のほどよい湿気、滝音、見晴らしの良い山の上ですーっと深呼吸。ハバナから日帰りリゾート満喫、久しぶりに自然を五感で感じた気がした。

再び島へ・・・Isla de La Juventud (イスラ・デ・ラ・フベントゥ)

2018年夏、再びIsla de La Juventud「青年の島」へ行く機会があった。

早朝暗いうちにハバナを発ち、夜明けと共に島へ到着。前回ほどのワクワク感はないものの学校の教室ほどしかない小さな到着ロビーから外へ出た瞬間、ぐっと気持ちが高揚する。島へ来た。

10分ほど走るとすぐにNueva Gerona(ヌエバ・ヘロナ)の街の中へ。自動車よりも自転車が目立つ島の道路、

「田舎なのに人が目立つな。日本の過疎地じゃ道に人なんていないのに」

確かに。なぜならキューバ人はCalle(道)へ出る。Calleでおしゃべりし、Calleで仕事をする。田舎だけど、島だけど、ここもキューバだ。

 

島の観光の目玉はやはりPresidio Modelo(プレシディオ刑務所)。今回もここが最大の目的、それぞれの想いを胸に場内を見学する。廃墟となった刑務所、その建物の中に立つと当時の監守の悪行、拷問、刑務所内の厳しい規律、受刑者同士の争いといった話を聞かなくともクソ暑いのに背筋が少し寒くなるのを感じる。

フィデル・カストロも一時ここに収容されていた。第2次大戦中には日本人移民たちも・・・

早々にメインイベントを終えてしまったが、今回個人的に楽しみにしていたことがある。島に住む日系人、日系人関係者の方々との面会だ。

 

今年2018年は、日本人がキューバへ移民として渡って120年の記念の年であるため、数々の行事が島でもハバナでも行われている。私たちが訪れた前日にも「お盆」のイベントと市博物館で開催される特別展示のオープニングがあった。これらの行事に関わりお忙しい中、日系2世と結婚したキューバ人女性Nさんと島の日系人会会長を務める2世の男性Mさんにお会いすることができた。

 

Nさんは私たちを自宅に招待し、昼食まで振舞ってくださった。初対面とは思えない歓迎ぶり、キューバ式のおもてなしに日本人はちょっと戸惑ってしまうが、彼女自身も繰り返し言っていたように「日本人と楽しい時間を共有するのが何よりも嬉しい!」のだから、ここは遠慮なく長居する。それにしてもNさんの日本愛は半端ないのだが、その想いは彼女の住まいを見てもわかる。日本の団地を思わせるアパートの居間は、そこだけ切り取ればどう見ても懐かしき昭和の家庭の趣。

Nさん宅の居間。どう見ても日本のお宅。

そのNさんが見せてくれたお手製の日本地図には、これまで彼女の家を訪れた日本人訪問者各自の居住地に名前と住所、その他の情報が書き込まれていた。すでに2枚目の地図にも書くスペースがないほどで、移民120年を区切りに3枚目を作ろうかと検討中だとか。それにしても、この島にこれだけの日本人が来ているとは驚き。

今回残念ながら日系2世の旦那様は、娘さんへ会うため渡米中でお留守だった。しかしNさんはご自身で本も出しているほど島の日系人について誰よりも詳しく知っており、食事をいただきながら旦那様との出会いから、日系人の方々の生活ぶりまで色々な話をうかがった。ここはキューバ人、おしゃべりは止まらずあっという間に数時間が過ぎていた。

 

Nさんの案内で博物館へいき、開催中の日系移民120年に関する展示を見学した後、私はもう一人日系2世のMさんに会った。公園のベンチに腰掛け、2時間近く話を聞いた。

「私の日本語は下手ですから」とスペイン語だったが、言葉遣いも話し方も普通のキューバ人よりずっと穏やかで聞きやすかったのは、私が外国人だからそのように話してくれたのか、島の話し方なのかわからないがとにかくよく理解できた。彼の生い立ち、両親の思い出、息子の話、キューバ日系人社会のこれから・・・一通り話したあと、

「私ばかり話していますから、何か質問は?」

と聞かれ単刀直入に尋ねた。

「あなたはキューバ人ですか?日本人ですか?」

おそらく何度も聞かれている質問だろう。フッと笑いながら答えてくださった。

「キューバで生まれて育ったからキューバ人です。でもSangre(血)は日本人。」

特にお母様に日本人としての教育されたことが大きかったとおっしゃっていた。そのお母様は日本へ帰りたいと最後まで言い続け、叶うことなく逝ってしまったという。そのお母様の想いを胸に2014年に初めて日本へ行くことが叶ったそうだ。スマホに保存してあるその時の写真を見せながら、本当に嬉しそうに日本で過ごした時間について語ってくれた。

いつも思うのだが、外国人の語る日本は本当に素晴らしい国だ。

今回Mさんの語る日本はお母様から、他の日系人たちから受け継いだ気持ちがあまりに大きくてそれはそれは素敵な国に思えた。

話をするときMさんは決して「キューバの日系人は・・・」という言い方をしない。「キューバ人は」「キューバは」と言う。やはりこの方はキューバ人なんだと思った。そして最近のキューバ人がよく口にする

「この国ときたら」

と言いながら投げやりに現状を愚痴ることをしない。ご本人もおっしゃっていたように、何に対しても前向きな考え方を口にする方だ。ラテン人の楽観性ともちょっと違う、いい方向へ変わっていく努力をしよう、という姿勢が素敵だった。日本人的なひたむきな努力であるかもしれないし、キューバ人的な革命精神かもしれない。どちらにしても、さらりとそういったことを言えるのがカッコよかった。

 

もうすぐ陽が沈む頃、宿を目指しながら自転車をおすMさんと一緒に歩いた。のんびりゆっくり島時間。24時間の短い滞在の長く濃い1日が終わろうとしていた。

料理教室in Cuba キューバの家庭でキューバ料理を習う

キューバを旅行するにあたって、以前は「食事は期待できない」と言われてきました。
実際、私が10数年前初めて滞在した時には、そもそもどこで食事をしていいのかわからない=レストランが見当たらない、食材を買うにも店がない、で、ずーっとお腹を空かせていた記憶があります。
現在も店舗がわかりにくいのは確かですが、それでも観光客の多いエリアではたくさんのパラダル(個人経営レストラン)ができ、客引きも賑やか、美味しい食事を提供してくれます。プリプリのロブスターに新鮮なお魚、おおーなんとタコにイカまで。「さすが島国だけある!」と感心するかもしれませんが、はて一般のキューバの家庭でこれらのものを食べているのか?と思ったら大間違い。

キューバ人にしてみれば、主菜は「肉」でなければならないもの、そう、キューバ人はCarnívoro(肉食)!中でも「豚」、豚肉料理こそがキューバ人にとってのご馳走、家庭の味なのです。このほか、原住民の時代から食べられているという豆類、芋類を多く使った料理が一般的なキューバ料理です。
レストランでもこうしたキューバの家庭料理を試すことができますが、せっかくなら本当にキューバ人の一般家庭で楽しんでみるのもいいでしょう。

まずは街の市場で食材探し、綺麗に洗ってパッキングされてはいませんが旬の野菜が並ぶMercado(市場)は見ているだけでも楽しいもの。お店の人と言葉を交わし、その場で重さを測って「はいお勘定!」地元感満載です。


材料調達が済んだら、一般のお宅の台所へ。

本日のメニューは、
Congrí(コングリ)黒豆の炊き込みご飯
Bistec de Cerdo(ビステキ デ セルド)ポークステーキ
Yuca con mojo(ユカ コン モホ)ユカ芋のニンニクソース
Ensalada de pepino y aguacate(エンサラダ デ ペピーノ イ アグアカテ)きゅうりとアボガドのサラダ
全て定番中の定番、ザ・キューバ料理です。

料理の先生は主婦歴ン年のキューバ人女性、言葉は通じなくても大ぶりのアクションで、手際よく調理をしながら教えてくれます。(実際の教室では通訳がつきレシピのプレゼントもあるので、料理方法の詳細をしっかり学ぶことができます。)


調理器具ももちろん普段彼女が使っているもの。ちょっと切れない包丁、年季の入った鍋、キューバの家庭がぐっと近く感じられるはずです。
途中キューバ料理についてだけでなく、子供やご近所さんのこと、生活事情諸々を話しながらレッスンは進みます。そして料理はいよいよ完成、お楽しみの試食タイム!


キューバの家庭でキューバ料理を習い、そして食べる。食事を一緒にするのはお互いが近づく第一歩でもあり、近づいた証拠でもあります。キューバをもっと知りたい、キューバ人との距離を縮めたい方、
¡Vamos a cocinar juntos ¡ (一緒に料理しましょう!)

オンリーワントラベルではキューバ人家庭で行うキューバ料理教室を提供しています。お気軽にお問い合わせください。

ハバナのシンボル、カピトリオ Capitolio, un símbolo de La Habana

Capitolio de la Habana
un símbolo de La Habana

ハバナ旧市街の中央広場(Parque Central)近く、ひときわ目立つドームを備えた白い建物、これがハバナのシンボルともいえるカピトリオです。旧国会議事堂として20世紀の初頭、キューバがアメリカ合衆国の傀儡政権下にあった時に建設されました。このカピトリオ、ハバナ創立500年にあたる来年2019年に向けて2010年から大規模な修復作業をしており、ここ数年は常に建物のどこかに足場が組まれたり、周囲を柵で囲まれたりした状態で、その全貌を見ることができません。現在もまだドーム部分や後方部が覆われているものの建物内部の修復はほぼ終わり、最近一般に公開されるようになりました。

カピトリオ・ツアー

見学ではグループごとにガイドがつき、スペイン語または英語で丁寧な説明がされます。

正面玄関、入り口内部にあるキューバ共和国を象徴するブロンズ像は、室内にある像では世界で3番目に大きなものですが、実際に高いドーム天井の下、堂々と立つその姿を見ると圧倒されます。

ドーム中央部がキューバのゼロ地点(ハバナから地方への距離を出す起点)となっていて、オリジナルではないものの今でも床に大粒のダイアモンドがはめ込まれキラキラと輝いているのを見ることができます。

また建物全体にたくさんの大理石が使われているのですが、その種類は50以上におよび、カラフルな床の色の違いも異なる種類の大理石によるものだというから驚きです。

議会場は建物の両翼に2つあるのですが、向かって右側のひとつが見学でき、その他にも大統領の部屋などいくつかのサロンがあり、一部は展示施設として利用されています。それにしてもその豪華な造りは宮殿を思わせ、アメリカ権力下とはいえ当時のキューバの豊かさがうかがわれます。

ところでこのカピトリオ、アメリカの議会議事堂を模したものですが、そっくりそのまま真似たわけではありません。例えば正面大階段はアメリカのものは左右2カ所なのに対し、キューバの方は正面に1カ所だけだったり、スペインコロニアル建築様式を取り入れ中庭があったり、とキューバの独自性を感じさせる部分があります。建物全体の大きさも当時のキューバの繁栄を示すがごとく、アメリカのものより高く、幅広く作られたとか。しかしキューバ革命政権となってからは、アメリカ寄りの政権下の「産物」であるカピトリオを国会議事堂として使い続けることを良しとせず、別の用途で使われることになったのです。

建物の中を見学した後、久しぶりにカピトリオ正面の大階段の上に立ち、目の前にあるハバナの街を見ました。10数年前に同じ場所から見たプラド通りを走るクラシックカーとその背後の旧市街の街、建物のたたずまいは今もかわりません。おそらくはカピトリオができた当時もそれほど変わらない同じ景色がそこから見えたはずです。ではこの先10年後は果たして・・・?と少し昔のハバナに思いを馳せながら、キューバの行く末を考えたのでした。

現在ハバナは市政500年を前にホテルの建設ラッシュ、個人経営の店や飲食店も急増しています。少しずつですが街の様子は変わっていくでしょう。ありがちなフレーズではありますが、やはり「キューバを見に行くなら、今!」なのかもしれません。