11月16日はハバナの502回目の誕生日だった。
1519年11月16日、旧市街アルマス広場にあるテンプレーテ横にあったセイバの木の下でハバナで初めてのカトリックのミサが開催され、ミサに出席した当時その付近に暮らしていた先住民の酋長の名前Habaguanex(ハバグアネクス)からHabanaハバナの名がつけられたという。今見られるセイバの木は何回か代替わりしたものだけれど、ハバナ誕生ゆかりの地、ということで毎年この日にはセイバの木の周りを3回周ってお願い事をするのが習慣となっている。なんだかんだで、毎年このハバナの誕生日にはセイバの木を周りはしないものの、この場所を訪れる機会があった。
ということを去年も書いて、今年はどうなっているやらと思いを馳せたりしていたようだが、コロナ禍での2度目のハバナ創立記念日、感染状況もだいぶ改善して15日にはキューバの国境再開、海外からの観光客受け入れ開始とこれから始まる「新しい日常」に大いに期待できそうな嬉しい中での誕生日が期待された。
2年前の500年記念アニバーサリーのような大きな式典はないだろうけれど、せっかくなので今年もテンプレーテのセイバの木を見に行こうか、などと考えていたハバナ誕生日の前日、我が家の周りがやけに騒がしい。そこら中で工事が始まり、何台ものトラックがやってきて何やら荷物を降ろし、あちこちにテントが立って、スピーカーを持ち込んで特設ステージもできた。少し前から工事が始まっていた配給所のほか、団地の中心にある店や銀行の入る建物、バス停、道路の路肩などあらゆるところがペンキで塗られ、あるいは壁に何やらペイントされ(何度か雨降ったら流れるに違いない・・・)、あちこちに植物が植えられ(根付かずすぐ枯れそう・・・)、これまで一度見たことがない噴水の水が噴き出し(噴水に使う水があるなら、水道の水毎日給水して〜!)、イケイケだった団地内の運動施設周辺にフェンスが作られ(出入り口がないんですけど・・・)、ボコボコだった歩道の穴や崩れた階段にセメントを塗りたくり(雑すぎ・・・)、ついには突貫工事でETECSAエテクサ=電話局のオフィスまで作ってしまった。
「一体何事か?!」の大騒ぎの原因は、ディアス・カネル大統領が来るというものだった。
暗くなるまで突貫工事は続き、翌朝ハバナ創立記念日当日は早朝から次々に大きなトラックが到着して、品物を並べ始めにわかにFeliaフェリア=市ができた。最近のモノ不足状態からしてこれほどまでいろんなものが並ぶのが信じられなかったし、事実これまでキューバで見たどのフェリアよりも充実した品揃えだった。
「いやーちゃんとモノあるじゃん!」
と驚きながら見て回り「何はともあれ食べるもの」と、トラックから直接売られる野菜とパン屋直営のテントの行列へ並ぶ。時間とともに人も増えてごった返し、いつもの割り込み批判の怒涛がそこら中で聞こえたけれど、なんとか早々に食糧品ゲット。
と、そうこうしているうちに国歌斉唱とともに始まった特設ステージで行われたハバナ創立記念日は終わっていて、果たして大統領が来たのかも定かではなかった。後で聞いたところだと、超過密スケジュールの調整がつかず結局その日はキャンセルとなったらしい。とはいえ、大統領来訪(かも)で一夜にして団地のあちこちが綺麗に整備されて、いろんなもの売ってくれたのは良かった。なんなら月一ぐらいで企画して!
というわけで、ハバナ502歳のアニバーサリーはいつもと違った「お祝い」となり、旧市街へも行けず終い、来週あたりにテンプレーテ詣ででもしようか。