キューバの冬到来

常夏のキューバだけど、11月から3月のこの時期にはちょっとだけ「冬」を感じることがある。

11月が終わろうとしているが、今週半ばには今年3度目の寒冷前線が南下して気温がグッと下がった。内陸部では最低気温が10度を下回ったところもあり、ハバナでも16〜17度、最高気温も23度ほどでとても爽やか過ごしやすい日が2日ほど続いた。

冬の海と空。

寒冷前線が接近すると気温が下がるだけでなく曇りがちで風が強まり、海も荒れる。波が高くなってハバナのマレコン通りはバッシャンバッシャン道路まで水が入ってきて、すぐに閉鎖されてしまう。場合によっては雨も降って荒れ模様、雨季の雨と違って1日中冷たい雨が降ることもある。気温はそれほど下がるわけではないけれど、普段が暑いだけにものすごく寒く感じる。

住宅も基本的に夏仕様にできていて、密閉率は低いし、それでなくてもガタガタで穴だらけの建物だからすきま風が辛い・・・

すきま風入り放題。

キューバ人も寒さにめっぽう弱いのが普通で、普段Calle(通り)で何するでもなくフラフラしている人たちも、目立たなくなるような気がする。それほど寒くはないだろう、と思うけど街ゆく人たちは分厚い冬物を着込んで丸くなって歩いていたりする。子供達は風邪ひかないようにとより大げさに厚着させられ、毛糸のマフラーに耳あてにタイツと

「そんなもの持ってるんだ!」

と思うようなものを身につけて登校する。

普段はそれぞれ個性を発揮しておしゃれなキューバっ子も、冬物は手持ちのアイテムが少ないのかちょっとチグハグな組み合わせの着こなしになっていたりするのも面白い。

Calle(道)で物売るおじさんも寒げ。

我が家のキューバ人が日本で初めての冬を迎えた時に気がついたのだけど、暑いところ育ちの彼らはそもそも寒さに耐えるためにどうやって服をきたらいいのか知らない。やたらと重ね着しても暖かくはない、ということを・・・育った場所の環境から自然に学んでいることは多いものだと思った。ちなみに彼は数回冬を越してちょっとは冬の着こなしを学んだけれど、やっぱり寒いのは苦手だ。これは私も同じで、ここにいる理由の一つはそれ=寒いのダメ。

キューバの子供たちも風の子?

 

それでもこの時期寒さを逃れてキューバへくるカナダやヨーロッパの人たちからしたら、キューバの気候は天国。キューバ人が絶対泳がない冬場でもビーチは大人気。年末年始から3月にかけて、1年で一番多くの観光客で賑わう時期到来。

ハバナ500年アニバーサリーまでのカウントダウン

11月16日はハバナの誕生日、 創立記念日だった。

ハバナ創立記念日恒例、テンプレテ横のセイバの木の周りを3回周ってお願いごと。

ハバナの街が創られたのが1519年、今年で499歳のハバナ。500年を前に少し前からいたるところで「La Habana 500」の文字が目につき始めた。

何年も前から行っているハバナのシンボルカピトリオの修復も、来年にはすべて終わって全身生まれ変わって私たちの目の前にその完璧な姿を見せる(はず)。

ハバナを訪れる観光客が必ず足を運ぶ革命広場では、1ヶ月ほど前から周辺を囲むように大きな穴を開けて工事をしているが、これもハバナ500年事業の一つで電線を地下に埋める作業だそう。確かにチェゲバラの肖像の前で写真を撮るのに、顔の前をベローンと電線が通っているのは邪魔だしね、と納得。そのほかの場所でも電線の地下化、電灯をLEDに取り替えを進めていて、これらも全部記念事業とのことだ。街中が明るくスッキリするのはよいけど、これでまたそこら中の道路が穴だらけになって、いきなり通行止めが頻繁にあるのはどうかと・・・まあ、この辺はハバナの人たちは慣れっこか。

この電線が消える日も近い。

もうだいぶ前から観光客の急増でホテルの客室不足が問題となっているが、今、ハバナの街中はホテルの建設ラッシュ。つい先日も旧市街マレコン近くに5つ星ホテルパッカーズがオープンした。そのほか新市街ではハバナで最も高層ビルとなる予定のホテル建設が始まり、旧市街の中も崩れかけた大きなコロニアル建物のほとんどが、ホテルと化す(予定)という。これらの建設現場の前にも「OBRAS POR EL 500 ANIVERSARIO de LA HABANA」(ハバナ500年記念事業)の看板。その数、旧市街だけで10軒を超える。すでに着工しているものもあれば、まだ看板がついているだけのところもあるけれど、それにしても 建て過ぎなのでは?の感。そもそもそんなに需要があるのか?ホテルの前にやることもっとあるのでは?

ハバナの街のいたるところにこの看板。

市民の誰もがそう思っているらしく、先日からハバナ500年に向けての報道の中では、

「500年に向けての事業はその年に完結するものではなく、ここから始まるもの、すべては未来のハバナのために!」

と強調している。

ん?似たようなフレーズがキューバでは繰り返されてきたことに気がつく。

「革命は終わらない、今も、そしてこれからも続く、すべてはキューバ国民の未来のために!」

ということで、500年事業も終わらない。きっとハバナがミレニアムを迎えても・・・

 

とはいえ500年を迎えるのはおめでたいことだし、便乗でもなんでも500年の記念の年が盛り上がるのは悪いことではない。その中心にハバナの街に住む、ハバナを愛する人たちがいたらいいな、と。

カバーニャ要塞から。大好きなハバナのひとつ。

La Habana, real y maravillosa−素晴らしきハバナ

永遠に。

キューバでBalletバレエを

日本ではあまり知られていないかもしれないが、キューバは世界的にもバレエが有名で、素晴らしい踊り手を数多く世に送り出している。ハバナの中央広場パルケセントラルにある国立劇場、Gran Teatro de La Habana(グラン・テアトロ・デ・ラ・ハバナ/ハバナ大劇場)は主にバレエの公演が行われ、キューバが輩出した偉大なバレリーナAlicia Alonso(アリシア・アロンソ1920〜)の名が冠としてつけられている。

2018年国際バレエフェスティバルポスター

今年も国際バレエフェスティバルが10月28日から11月6日にかけて開催され、この劇場ほか、ハバナ市内4つの劇場を会場として様々な公演・イベントが行われた。今回は特にアリシアが創立した国立バレエ団誕生70年、アリシアの十八番「Giselle(ジゼル)」初演から75年の記念の年ということで、大々的に行われたらしい。小学生のころ、バレエを習っていた友達の発表会に行ったことはあるけれども本格的なバレエの公演は見たことないし、ハバナ大劇場にも入ったことないし、事前に知っていたら見に行ったのに・・・

青い空に生える美しい建物、アリシアアロンソ劇場

しかし、だ。キューバではこういったイベントの情報を得るのが非常に難しく、だいたい直前にならないとわからない、もしくは終わってからニュースを見て知る、ということが多い。特に関心があるもので、それについて常日頃からアンテナを張っていればどこかでキャッチできるのかもしれないが、日々の生活に追われ、たまーに何を思い立ったか文化的活動に参加してみようか、というぐらいのレベルじゃ気が付いた時にはすでに遅し。でもキューバ人たちはどこかでしっかり情報をキャッチして、チケット販売初日に列を作るし、イベント当日は大勢の人が集まる。

今回のフェスティバル開催前のチケット発売日にもたまたま劇場の前を通ったのだが、長蛇の列。中には「こんなおばちゃんがこんな格式高い劇場でバレエ見んのかー!」という人も。これはキューバの素晴らしいところのひとつだと思うが、

すべての国民に芸術を鑑賞する機会があたえられる(べき)

という考え方のもと、こういった公演のチケット価格はありえないほど安い。ハバナ大劇場の場合、席にもよるが10-30キューバペソ(約40〜120円)*。だから行く。その辺でサンダル履いて買い物してるおばちゃんも、パルケセントラルでツバ飛ばしながら大声で話しているおっちゃんも。そんな彼らもきっと公演当日は一張羅に身を包んで、香水の匂いプンプンさせて行くに違いない。TPOのわきまえっぷりが際立っているのがキューバ人。

アリシアのジゼルがモデルの像が玄関前に

というわけで今回バレエ公演は見られなかったが、公演のない日中は建物内を公開しているので入場してみた。スペイン語か英語のガイド付きで、小一時間かけてゆっくり見ることができる。建物全体のうち劇場スペースは約1/4ほどで、あとはギャラリーやイベント会場、会議室などとして利用されているそうだ。外観も素晴らしいが、中の装飾も大理石がふんだんに使われ、細かな彫刻やクリスタルのシャンデリア、モザイク模様の床、豪華絢爛宮殿の様相。

バレリーナの舞台裏をテーマにした写真展が開催中だった

10数年前に初めてハバナに来て以来、何十回も入口前を通って、何百回も目にしているだろうに実は初めて中に入った。建物はもちろんだが特に気に入ったのは、3階のベランダから見るカピトリオ。この高さ、この角度から見たことのないカピトリオ。さらに週末に行われるフラメンコ公演のリハーサルをやっており、こちらもしばし見学することができた。

いつもと違った目線でみるカピトリオ

ふと思い立って入ったわりに、知的好奇心が十分に満たされてものすごい得した気分になった。出口でこれから年末にかけての公演もチェック。今年最後の〆は「くるみ割り人形」だな、と密かに決めた。

 

*こういった公共の場への入場料等は、キューバ人価格と外国人価格が異なる。私のように永住権所持している場合もキューバ人価格適応。ハバナ大劇場での公演の場合、外国人価格は演目に関わらず、30CUC(約3,450円)。それでも、大編成のクラシックや世界一流のオペラ公演もこの価格で見られるのだから、超お得。今回私が行った劇場内見学は、キューバ人5キューバペソ(約20円)、外国人5CUC(約560円)。

お試しあれ・・・ラム酒、葉巻、コーヒーのMaridaje(マリダッへ)

キューバ名物、Ron Tabaco Café. (それぞれスペイン語でロン、タバコ、カフェと発音)=ラム酒、葉巻、コーヒーは世界的にも有名で、そのあまりの素晴らしさから「天国への3ステップ」とも言われるほどです。

Ron, tabaco, cafe ♫…キューバ音楽の歌詞にもよく出てきます。

ラムは砂糖の生成過程でできる糖蜜を使って作られるお酒で、キューバ各地に蒸溜所があり様々な種類のラム酒が生産されています。キューバでお酒といえば何はともあれラム、中でもハバナクラブは世界に名の知れた有名な銘柄です。

葉巻はもともとキューバにいた原住民たちが吸っていたものをスペイン人たちが持ち帰り、ヨーロッパで受け入れられ広まったといわれます。キューバの土と気候がタバコの葉に適していることから良質のタバコ=葉巻が生産され、世界最高級の贅沢な嗜好品が生みだされています。

コーヒーはキューバ人の日常に欠かせない飲み物ですが、こちらはお隣のハイチから入植したフランス人たちによってキューバで広く栽培されるようになったものです。

それぞれキューバの歴史とも深い関わりのある産物であり、キューバを知るため、そしてキューバ人たちと時間を共有し、より深く知り会うために欠かせないものと言えます。

ところでこのラム、葉巻、コーヒーもちろんそれぞれのシチュエーションで別々に楽しむことができますが、本来葉巻の嗜み方としては、これらを組み合わせて味わうのがよし、とされます。

それが、Maridaje(マリダッへ)

英語のMarriageと同じ語源で結婚も意味しますが、調和、組み合わせという意味もあります。同じ意味のフランス語マリアージュは料理などで使うと「相性の良い食べ合わせ」を意味するのを聞いたことがあるのではないでしょうか。要は葉巻だけではなく、ラムやコーヒーと一緒に吸ったほうがより美味しい、というわけです。

ハバナにはこのMaridajeを観光客にレクチャーしてくれ、実際に体験できるところがあります。

コロニアル建物のパティオで優雅なひと時を・・・

まずは、コーヒーを少々。後で葉巻と一緒に飲みたいので全部いってしまわないよう注意。

そしてラム酒。もちろん銘柄はハバナクラブ。蓋を開けたら数滴床に垂らします。これはご先祖様に捧げる仕草とも大地の神に感謝の念を示すためとも言われるのですが、キューバ人がお酒を飲む時、誰もがやる「儀式」です。それから各々のグラスにラムを注ぎ、とりあえず乾杯!そして口の中を湿らせるような感じでラムを味わいます。

キューバ人はどんなラムも基本ストレートで飲む。

それからいよいよ葉巻に火を付けます。国がキューバ産として認定した葉巻には「王冠」と呼ばれるラベルが巻かれていますが、このラベルがある方の端をチョキンと葉巻カッターで切って、反対側に火を付けます。本来の作法からするとマッチやライターで直接火をつけるのはタブー。セドロという種類の木っ端にまずは点火し、この炎で葉巻の先を焦がすようにして火を付けます。そしてゆっくり吸い込む。葉巻は肺まで入れずに、煙を口の中に含みあくまで香りを楽しむものです。

葉巻にも作法あり。

今度はまたラムを一口飲んで、葉巻を吸う。それからコーヒーを飲んで、葉巻。それぞれ違った味わいがあるはず。

シガーバーでもラム酒やコーヒーと一緒に葉巻を。

日本で葉巻を嗜好する方は少なくシガーバーの敷居も高いかもしれませんが、キューバへ来たからには是非とも本場の葉巻をラム酒、コーヒーと一緒にお試しあれ。

ハバナから日帰りリゾート山編−Las Terrazas, Soroa−

のんびりしているとはいえ一国の首都ハバナに住んでいると、たまには都会の喧騒を逃れ自然の中へ行きたくなる。ありがたいことにハバナ市内にいても十分自然を感じられるところはあるのだけど、近年は車の排気ガスによる空気汚染もひどく(車が古いのとガソリンの質が悪いので一層ひどい)、時々キレイな空気を思いっきり深呼吸したい!と思う。そもそも田舎育ち、思えば人生初の首都生活がハバナ。

 

そこで、今回はハバナから日帰りでいける山リゾートLas Terrazas(ラス・テラサス)とSoroa(ソロア)へ行ってきた。キューバのメジャー観光地ランキングでいうとちょっと格は下がるかもしれないが、豊かな自然を満喫できる上、比較的レジャー施設も整っておりキューバ人にも人気のスポット。

 

ラス・テラサスは19世紀初頭、お隣の島国ハイチ独立後にキューバへ移住したフランス人達がコーヒー農園を開拓、この地へ移住したことに始まる。そのため現在でも当時のコーヒー農園跡がいくつか残っていて、見学することもできる。山がちなこの地にテラス状の段々畑を作って開拓したことからその名前がつけられたのだ。

ブエナビスタカフェ農園跡、奴隷たちの住居跡も残る

20世紀初頭になるとコーヒー産業も低迷しそのほかの作物を細々と作りながら農民たちが貧しく暮らしていたそうだが、キューバ革命後、同地域にモデル集落(Nuevo pueblo modelo)が形成され、周囲の住民がここに住まうようになった。それが現在でもラス・テラサスの湖畔にある建物群からなる村だ。

1990年代より観光業が発達するが、豊かな自然を破壊することなく環境保護を重視して開発を進めたことからエコビレッジとしても注目されるようになる。自然と調和した中で創作活動をするため、移住するアーチストも多い。

「マリアさんのカフェ」で美味しいコーヒーを・・・

中でも音楽家Polo Montañez(­-2002ポロ・モンタニェス)が有名で、彼の住んでいた家は現在博物館として公開されている。他にも見学できる画家のアトリエ兼ギャラリーがあったり、美味しいコーヒーの飲めるカフェや手作りの小物や香水を売る店があったり、と緑に囲まれた湖畔の散策は十分にリゾート気分を味わうことができる。ゆっくり滞在するのであれば、周辺でバードウォッチングやトレッキングなどもできるそう。

Las Terrazas 湖畔にあるLester Campaのアトリエ

 

隣にあるソロアもラス・テラサスと一緒に訪れたいところだ。ここもコーヒー農園を営むフランス人の入植により開拓されそうだが、国内有数の多雨地帯で豊かな森とそこに生息する多種多様な蘭が有名。ここで必ず訪れたい場所のひとつがラン園で400種類ほどの蘭を栽培し、一部展示している。そしてキューバに移住した日本人園芸家竹内憲司氏が一時、蘭の研究資料整理にあたっていたというから、日本人としてもとても興味深いところ。

様々な種類の蘭

ほかにも鬱蒼とした林の中の山道を歩いて行った中にあるSalto de Arco Iris(アルコイリス滝)という清涼感溢れる滝を見に行くのもいい。

ソロアの滝。水に入ることもできるが、山の水はいつも冷たい。

またこの滝の入り口脇へ入って行くと、山の頂上に展望台がある。歩いても行けるが、今回は馬に乗って行ってみた。途中、ガイドのお兄ちゃんが、

「あの山の頂まで行くぞ!」

とえらく上の方にある岩場を指差す。

「嘘だ」

と思って軽くかわしたのだが、本当にそこが最終目的地の展望台だった。

馬に乗って頂上を目指す。途中にも絶景ポイントあり。

キューバ、ちょっと田舎に行くと馬や馬車がまだ普通に市民の足だったりするのだけれど、観光で乗馬できるところも多くここ数年で乗馬歴がぐっと増えた。でもこれほどの坂道で乗ったことはなく緊張感と冒険気分がグーンと上昇、そして頂上からの360度絶景に

「おお〜!」

この乗馬でゆくソロア展望台、なかなかのオススメ。

 

森の匂い、湖畔のほどよい湿気、滝音、見晴らしの良い山の上ですーっと深呼吸。ハバナから日帰りリゾート満喫、久しぶりに自然を五感で感じた気がした。

キューバの新学期

キューバの新学期は9月に始まる。2ヶ月、学年によっては2ヶ月以上もある長い夏休みの後、やっと子供達が学校へ行くようになり親たちはホッとして日常を取り戻し、子供達もなんとか早寝早起き、毎朝の登校に順応してきた今日この頃。
日本でも新しい学年の始まりは大事だけど、キューバは革命の2本柱のひとつが「教育」(もうひとつは医療)なだけに夏休みの終わる頃から、テレビでも新聞でも学校ネタがニュースのトップにきて国をあげて「万全の態勢」で新学期を迎える。

我が子の小学校、中庭にはホセ・マルティ

教育が大学まですべて無償のキューバでは、教科書はもちろん国が必要最低限の学用品や制服を無償、もしくは最低価格で提供してくれる。が、これが十分かといえばそうではないし、登校用のカバン(多くはリュック、デイバッグを使用)や靴、筆入れ、ランチバッグ、などなど各自購入しなければならない。
そのため8月の終わりになると、子供達の憂鬱をよそに親たちは新学期の準備に終われ、お母さん同士でも、どこで何を買った、子供にぴったりのサイズの制服が見つからないから直してもらわなきゃ、といった会話がよく聞かれる。
物資の不足しているキューバでは新学期に必要なグッズを手に入れるのも大変で、たとえお目当てのものが見つかっても高価で手が出せなかったり、粗悪品であったりと、なかなかすんなりとはいかない。仕方ないからしょーもないものを買ってアレコレ手を加えて直して、キューバ人お得意のINVENTO(インベント=でっち上げ)をしなきゃならない。それでもなんとか子供達は皆、ちゃんと必要なものを準備して新学期を迎える。別に毎年すべて新しいものを買う必要はないのだけど、「できれば・・・」と思う親心は何処も同じ。
新学期の朝、久しぶりの学校、子供達の顔がいつもより嬉しそうで、笑顔がキラキラしているのはやっぱりいい。

新学期の朝、ピカピカの3年生たち

ところで新学期準備で最も親の負担となるのは(個人的にはそう思っている)、教科書とノートのカバー付け。何のこっちゃと思うでしょ。何のことだか私もまったくわからず、いまだに非常に抵抗があるのだけれど。
いつからの習慣なのかわからないが、キューバでは教科書やノートにすべてカバーをつける。しかも、紙+ナイロンの二重カバー。そのため、8月の終わり頃になると新学期グッズとしてこの紙とナイロンがそこら中の店や路上で売られている。

紙カバーの上にナイロンカバーを・・・

なぜ、カバーしなきゃならないのか・・・?

教科書は毎年新しいものが支給されない。誰かのお古を使わなければならないことがある。つまり、来年他の誰かが使うかもしれないから傷まないようにカバーをしなさい、と。

教科書もノートも質が悪い。紙、製本の質が非常に悪い。子供達が雑に扱うとすぐにボロボロになってしまう、だからカバーをしなさい、と。

以上、納得するしかないので、今年も新学期前の日曜日丸1日かかってこれをやった。

作業中・・・
本年度の成果!さあ、頑張って勉強してねっ!!

毎年のことなのでだいぶコツがわかって、時短でキレイにできるようになった。新学期恒例行事として毎年やっていたら、必要でなくなった時に寂しく感じたりして・・・

キューバの学校についての諸々
※ キューバの教育制度:初等教育から大学まで無償。義務教育は小学校と中学校、小学校は6年だが1年生入学前に1年プレスクールがある。5歳児より開始。高校は大学準備コースまたは職業訓練コースを選択しそれぞれ異なる学校へ行く。大学は4年から6年、学部による。
※ 学年の区切りは9月ではなく、1月からの1年。つまり、この9月にプレスクールに入学したのは2018年1月1日から12月31日に5歳になる子供達。だから9月の時点ではまだ4歳の子もいる。
※ 学校の制服は全国共通。小学校がエンジのスカートと短パン、中学校がベージュのスカートと長ズボン・・・と行った具合。制服も支給されるが基本1年に上下1枚ずつ。育ち盛り、汚し盛りの子供、1年に1組じゃとても間に合わない!これを探すのも大変。お古やサイズ違いをなんとかゲットするしかない。
※ 小学校低学年の教科は国語=スペイン語と算数。これに日本の生活科にあたるEl Mundo en que Vivimos(私たちの生きる社会)がある。音楽や体育もあるのだけど我が子の学校の場合、「教師がいない」のでほとんど授業がない・・・最近は小学校3年生から英語教育が始まるのだけど、こちらも教えられる先生がほとんどいないとか。でも英語の重要性はここでも当然認識されているので、プライベートで習っている子供も多い。
※ 希望して才能のある子供たちは小学校3年生から音楽や体育の専門学校へ行って英才教育を受けることも可能。その後、高等教育まで専門別に特別な教育がなされる。

何だそれ、Fumigación フミガシオン?!

今日は朝からご近所が騒がしい。

「ずおおおおおぉぉぉぉぉ」

低いバズーカ音が響き渡る。

「きたーフミガシオン!」

「ふみがしおーん?何だそれ?!」

外を見るといつも以上に人々が路上に出て、何をするわけでもなくウロウロ。そして付近の家からはモクモクと白い煙が流れ出ている。

「火事!?」

ではない、これこそフミガシオンの正体である。

Fumigación(フミガシオン)=燻蒸消毒

漢字で書くとなんともイカツイのですが、ようするに煙状の殺虫剤をばらまいて害虫駆除することです。

フミガシオンバズーカ砲!

亜熱帯気候で年中暑いキューバでは1年中蚊がいますが、夏場はやはりその数も増え蚊を介する伝染病が発生することがあります。中でもデング熱は時期や地域を限らず各地で発生し、一時的に流行することもあり注意が必要です。

それらの伝染病予防のために、キューバではこのフミガシオンを年中行なっています。夏が終わろうとしている今もハバナ市内で一時的な流行の兆しがあり、最近はそこかしこでバズーカ音も高らかに燻蒸消毒が行われているのを目にします。これは保険省の職員と共にバズーカ隊が各家庭を1軒ずつ廻り部屋の隅々まで入り込んで煙を撒き散らしていくもので、伝染病拡散を防ぐためにほぼ強制的に行わなければなりません。

彼が立ち去った後には、家中に煙が充満する。

事前に「この地区はこの曜日の何時ぐらい」と予告されることもありますが、緊急時には何の知らせもなくやってくるので、家にいる人たちは急遽一時的に避難しなければなりません。食品は冷蔵庫や棚にしまい、食器には布巾をかぶせ、洗濯物もクローゼットに突っ込んでとっとと出ていかないと、容赦なくバズーカ発射!となり、身ぐるみ燻蒸されてしまいます。

家の隅々まで「ハイ、ここもお願いねー!」

フミガシオンの後は、30分ほど家の中へ戻ることができないので路上でウロウロする人が目につくというわけです。その煙の量は相当なもので、しばらくの間は窓の隙間から、パティオの吹き抜けからモクモクと煙があがり、殺虫剤の匂いがたちこめて決して気持ちの良いものではありません。

これは一般家庭だけでなく、店でも博物館などの公共施設でも容赦なくやってくるので、客もろともいきなり追い出されてしまうこともあります。その後には入り口の扉に「fumigaron(フミガシオンしました)」とペロッと張り紙が貼られ、そのまま従業員は終日帰ってこないなんてことも多々あり。

このフミガシオン、バズーカ砲だけではありません。時には街中を軽トラックが後方からバウゥゥゥゥゥーと噴煙をあげながら走り抜けることもあれば、小型飛行機がプルプルプルッと低空飛行しながら上空からもやってくることもあり、となかなかの大作戦です。

見よ、この威力を!トリニダにて

ところでフミガシオン、政府は「絶大なる効果」を強調するものの実際にここに暮らしているとそれがあまり実感されません。確かに実施後はたくさんのその他諸々の虫達が成仏していて掃除が大変なほどですが、蚊はどこからともなくフワフワとやって来ては攻撃してくるんですけど・・・

何れにしても、観光客の皆さんは初めてこの光景を目にしたら驚くと思いますが、火のないところから出ている煙なのでご安心を!そして万が一のため、しっかり自身で蚊に刺されないよう予防対策を万全にすることをお勧めします。

再び島へ・・・Isla de La Juventud (イスラ・デ・ラ・フベントゥ)

2018年夏、再びIsla de La Juventud「青年の島」へ行く機会があった。

早朝暗いうちにハバナを発ち、夜明けと共に島へ到着。前回ほどのワクワク感はないものの学校の教室ほどしかない小さな到着ロビーから外へ出た瞬間、ぐっと気持ちが高揚する。島へ来た。

10分ほど走るとすぐにNueva Gerona(ヌエバ・ヘロナ)の街の中へ。自動車よりも自転車が目立つ島の道路、

「田舎なのに人が目立つな。日本の過疎地じゃ道に人なんていないのに」

確かに。なぜならキューバ人はCalle(道)へ出る。Calleでおしゃべりし、Calleで仕事をする。田舎だけど、島だけど、ここもキューバだ。

 

島の観光の目玉はやはりPresidio Modelo(プレシディオ刑務所)。今回もここが最大の目的、それぞれの想いを胸に場内を見学する。廃墟となった刑務所、その建物の中に立つと当時の監守の悪行、拷問、刑務所内の厳しい規律、受刑者同士の争いといった話を聞かなくともクソ暑いのに背筋が少し寒くなるのを感じる。

フィデル・カストロも一時ここに収容されていた。第2次大戦中には日本人移民たちも・・・

早々にメインイベントを終えてしまったが、今回個人的に楽しみにしていたことがある。島に住む日系人、日系人関係者の方々との面会だ。

 

今年2018年は、日本人がキューバへ移民として渡って120年の記念の年であるため、数々の行事が島でもハバナでも行われている。私たちが訪れた前日にも「お盆」のイベントと市博物館で開催される特別展示のオープニングがあった。これらの行事に関わりお忙しい中、日系2世と結婚したキューバ人女性Nさんと島の日系人会会長を務める2世の男性Mさんにお会いすることができた。

 

Nさんは私たちを自宅に招待し、昼食まで振舞ってくださった。初対面とは思えない歓迎ぶり、キューバ式のおもてなしに日本人はちょっと戸惑ってしまうが、彼女自身も繰り返し言っていたように「日本人と楽しい時間を共有するのが何よりも嬉しい!」のだから、ここは遠慮なく長居する。それにしてもNさんの日本愛は半端ないのだが、その想いは彼女の住まいを見てもわかる。日本の団地を思わせるアパートの居間は、そこだけ切り取ればどう見ても懐かしき昭和の家庭の趣。

Nさん宅の居間。どう見ても日本のお宅。

そのNさんが見せてくれたお手製の日本地図には、これまで彼女の家を訪れた日本人訪問者各自の居住地に名前と住所、その他の情報が書き込まれていた。すでに2枚目の地図にも書くスペースがないほどで、移民120年を区切りに3枚目を作ろうかと検討中だとか。それにしても、この島にこれだけの日本人が来ているとは驚き。

今回残念ながら日系2世の旦那様は、娘さんへ会うため渡米中でお留守だった。しかしNさんはご自身で本も出しているほど島の日系人について誰よりも詳しく知っており、食事をいただきながら旦那様との出会いから、日系人の方々の生活ぶりまで色々な話をうかがった。ここはキューバ人、おしゃべりは止まらずあっという間に数時間が過ぎていた。

 

Nさんの案内で博物館へいき、開催中の日系移民120年に関する展示を見学した後、私はもう一人日系2世のMさんに会った。公園のベンチに腰掛け、2時間近く話を聞いた。

「私の日本語は下手ですから」とスペイン語だったが、言葉遣いも話し方も普通のキューバ人よりずっと穏やかで聞きやすかったのは、私が外国人だからそのように話してくれたのか、島の話し方なのかわからないがとにかくよく理解できた。彼の生い立ち、両親の思い出、息子の話、キューバ日系人社会のこれから・・・一通り話したあと、

「私ばかり話していますから、何か質問は?」

と聞かれ単刀直入に尋ねた。

「あなたはキューバ人ですか?日本人ですか?」

おそらく何度も聞かれている質問だろう。フッと笑いながら答えてくださった。

「キューバで生まれて育ったからキューバ人です。でもSangre(血)は日本人。」

特にお母様に日本人としての教育されたことが大きかったとおっしゃっていた。そのお母様は日本へ帰りたいと最後まで言い続け、叶うことなく逝ってしまったという。そのお母様の想いを胸に2014年に初めて日本へ行くことが叶ったそうだ。スマホに保存してあるその時の写真を見せながら、本当に嬉しそうに日本で過ごした時間について語ってくれた。

いつも思うのだが、外国人の語る日本は本当に素晴らしい国だ。

今回Mさんの語る日本はお母様から、他の日系人たちから受け継いだ気持ちがあまりに大きくてそれはそれは素敵な国に思えた。

話をするときMさんは決して「キューバの日系人は・・・」という言い方をしない。「キューバ人は」「キューバは」と言う。やはりこの方はキューバ人なんだと思った。そして最近のキューバ人がよく口にする

「この国ときたら」

と言いながら投げやりに現状を愚痴ることをしない。ご本人もおっしゃっていたように、何に対しても前向きな考え方を口にする方だ。ラテン人の楽観性ともちょっと違う、いい方向へ変わっていく努力をしよう、という姿勢が素敵だった。日本人的なひたむきな努力であるかもしれないし、キューバ人的な革命精神かもしれない。どちらにしても、さらりとそういったことを言えるのがカッコよかった。

 

もうすぐ陽が沈む頃、宿を目指しながら自転車をおすMさんと一緒に歩いた。のんびりゆっくり島時間。24時間の短い滞在の長く濃い1日が終わろうとしていた。

料理教室in Cuba キューバの家庭でキューバ料理を習う

キューバを旅行するにあたって、以前は「食事は期待できない」と言われてきました。
実際、私が10数年前初めて滞在した時には、そもそもどこで食事をしていいのかわからない=レストランが見当たらない、食材を買うにも店がない、で、ずーっとお腹を空かせていた記憶があります。
現在も店舗がわかりにくいのは確かですが、それでも観光客の多いエリアではたくさんのパラダル(個人経営レストラン)ができ、客引きも賑やか、美味しい食事を提供してくれます。プリプリのロブスターに新鮮なお魚、おおーなんとタコにイカまで。「さすが島国だけある!」と感心するかもしれませんが、はて一般のキューバの家庭でこれらのものを食べているのか?と思ったら大間違い。

キューバ人にしてみれば、主菜は「肉」でなければならないもの、そう、キューバ人はCarnívoro(肉食)!中でも「豚」、豚肉料理こそがキューバ人にとってのご馳走、家庭の味なのです。このほか、原住民の時代から食べられているという豆類、芋類を多く使った料理が一般的なキューバ料理です。
レストランでもこうしたキューバの家庭料理を試すことができますが、せっかくなら本当にキューバ人の一般家庭で楽しんでみるのもいいでしょう。

まずは街の市場で食材探し、綺麗に洗ってパッキングされてはいませんが旬の野菜が並ぶMercado(市場)は見ているだけでも楽しいもの。お店の人と言葉を交わし、その場で重さを測って「はいお勘定!」地元感満載です。


材料調達が済んだら、一般のお宅の台所へ。

本日のメニューは、
Congrí(コングリ)黒豆の炊き込みご飯
Bistec de Cerdo(ビステキ デ セルド)ポークステーキ
Yuca con mojo(ユカ コン モホ)ユカ芋のニンニクソース
Ensalada de pepino y aguacate(エンサラダ デ ペピーノ イ アグアカテ)きゅうりとアボガドのサラダ
全て定番中の定番、ザ・キューバ料理です。

料理の先生は主婦歴ン年のキューバ人女性、言葉は通じなくても大ぶりのアクションで、手際よく調理をしながら教えてくれます。(実際の教室では通訳がつきレシピのプレゼントもあるので、料理方法の詳細をしっかり学ぶことができます。)


調理器具ももちろん普段彼女が使っているもの。ちょっと切れない包丁、年季の入った鍋、キューバの家庭がぐっと近く感じられるはずです。
途中キューバ料理についてだけでなく、子供やご近所さんのこと、生活事情諸々を話しながらレッスンは進みます。そして料理はいよいよ完成、お楽しみの試食タイム!


キューバの家庭でキューバ料理を習い、そして食べる。食事を一緒にするのはお互いが近づく第一歩でもあり、近づいた証拠でもあります。キューバをもっと知りたい、キューバ人との距離を縮めたい方、
¡Vamos a cocinar juntos ¡ (一緒に料理しましょう!)

オンリーワントラベルではキューバ人家庭で行うキューバ料理教室を提供しています。お気軽にお問い合わせください。