パナマ運河 ガトゥン閘門

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パナマ運河 ガトゥン閘門

2018-07-14T03:24:31+00:00

1914年に開通したパナマ運河には3つの閘門があります。

 

パナマに来られるお客様が一番訪れるのが太平洋側に位置するミラフローレス閘門。ミラフローレス閘門には、英語またはスペイン語で運河についての簡単な歴史や説明が見られるシアターや、博物館、閘門に船が通過するところを見ながら食事ができるレストランや、オープンデッキがあり、たくさんの観光客が訪れます。

トゥクメン空港から30分ほどで行けるため、飛行機の乗り換え時間などを使って観光されるお客様が多いです。

 

しかし!!

今回ご紹介するのは大西洋側のガトゥン閘門です。

 

こちらははっきり言って、ミラフローレスのような立派な設備はありません。

小さなギフトショップがある程度ですが、船の通過がメインで見たい方で、お時間のある方にはこちらが絶対おすすめです。

 

 

なぜかというと…

まず、ミラフローレスと比べて観光客が圧倒的に少ない!!

ミラフローレスでは、船が通過する際にデッキにたくさん人が集まるため、特に観光シーズンになるとゆっくり船が見学できません。

ガトゥン閘門はパナマシティーや空港から遠いため、あまり人がいません。

両ビジターズセンターにはガイド(スペイン語・英語)がいますが、人が少ないためガトゥンでは個人的にバンバン質問できます。(良いサービスの時は是非チップをあげてくださいね!)

 

 

そして、閘門とビジターズセンターの距離がかなり近い!!

 

 

写真で比較しても明確ですよね。

この近さで見る大型船は大迫力です!

 

入り口から入ってすぐのところには、旧型と新型の電動機関車が展示されています。こちらは乗って、記念撮影もできます。

ちなみに、黒いほうが旧型でアメリカ製、新型が日本製です。

1964年以降、パナマ運河を通過する大型船はすべて、この日本製電動機関車とロープで接続し、閘門の外壁とぶつからないよう調整されてきました。

 

そしてこのガトゥン閘門、実はパナマ運河の三つの閘門の中で最も、私たち日本人に縁があります。

 

日本人で唯一、運河建設に携わった青山士さんが設計に携わったのがこのガトゥン閘門なんです。

青山士さんは、1904年より運河建設に従事し、最初の2年は末端の測量員としてジャングルで働きマラリアにも感染するなど、過酷な労働下で働いていました。その後、技術と勤勉さが評価され、技術者としてガトゥン閘門の外壁の設計などを担当し、最終的にはガトゥン工区の服技術師長にまで昇進しました。さすが、日本人ですね。残念ながら、運河の完成を見ることなく日本に帰国してしまいましたが、その後日本でも多くの水路やダムの建設に携わったそうです。

業績だけでなく思想も偉大な方で、私利私欲のためではなく広く後世の人類の為になるような仕事をしなければならない、という思想を貫き、太平洋戦争時にはパナマ運河爆破を計画していた日本軍に情報提供を求められた際に「私は造ることは知っているが壊し方は知らない」と答えたそうです。

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