日本でも大きく報道されていた「ハリケーン・イルマ」ですが、今回キューバにもプエルトリコを経由してやってきました。
ハリケーンが近づくにつれ、私の周りでも「ろうそく買わなきゃ。」とか「ガスが止まるかもしれないから、ビスケットの準備を。」などと話題にあがるように。
ハリケーンを体験したことがない私は少し心配になり、キューバ人スタッフのイバンさんに相談すると、「大丈夫だよ〜!キューバ人はハリケーンに慣れてる。だって毎日の生活がハリケーンみたいだからね。ガハハ」と楽しそうに笑い、私も「なるほど。」と妙に納得してしまいました。(笑)

とは言っても、ハリケーン通過中に一人セントロハバナの家にいるのも少し心配。普段から「お母さん」「娘」と呼び合う仲のキューバ人の友人宅で週末を過ごすことにしました。

お母さんの家

お母さんの家

土曜日の朝は、こんな時に限って仕事でセントロハバナに戻ることになり、知り合いの車に乗ってセントロへ。既にマレコン沿いは警察が通行止めを行い、ハリケーンに備えている模様。この日はいつもより風が強く、遠くからマレコンの波が空高くあがっているのが見えました。意外にも通りは人だらけで、壊れそうな窓を補修したり、タンクを設置したりして、みんな準備に余念がありません。スーパーや市場には人が溢れ、食料の買い出しをしています。

波が高い日のマレコンの様子

波が高い日のマレコンの様子

ベダード地区にある家に戻ると、お母さんがハリケーンに備えて全ての家の窓ガラスにガムテームをクロスする形でペタペタと貼り付けるのを手伝いました。
強風で物が窓ガラスに飛んできた時、ガラスが飛び散るのを防ぐためです。どこの家も同じようにガムテープが貼られています。そんなにひどいのがやってくるの!?
更には、ベランダに置いてあったプランターを部屋の中に移動し、木製の窓の取手にはヒモを固く縛りしっかり固定。水がなくなることも予想して、バケツにたっぷり水を貯め、お母さんの指示に従いテキパキと準備を進めます。

お母さんが早めに食事の準備に取りかかり、「今日は早めにシャワーをしなさい」というので言われる通りに汗を流しました。
夕方過ぎからどんどん風が強くなり、部屋の窓から近所の人が屋根を修復している様子やニュースでハリケーンの情報を見て、いると突然停電!
家の中が真っ暗になったので、携帯の明かりと充電しておいた懐中電灯を使いながら行動することに。全ての電気が消えたので外まで真っ暗!
唯一暗闇の中で、自家発電機がある「ハバナリブレ」というホテルだけがぼーっと輝いていました。

キューバのお母さんが作る料理

キューバのお母さんが作る料理

強風の音を聞きながら、小さな明かりの元で食べるご飯は、何だか面白くてお母さんと笑いながら夕食を済ませました。
窓に張り付いて外の様子を見ていると、大きな木やヤシの木がはち切れんばかりに曲がっていて、時々何かが飛んでくる音や物が落下する音がします。普段から雷の音を怖がるお母さんは、「Dios mio」英語で言う「Oh my God!」を、ハリケーン中100回近く連発したのではないでしょうか。
しっかり準備してあった彼女の2階のアパートの家も、あまりの強風に木製の観音開きの窓が開いたり、隙間から水が入ってきてしまいました。
暗闇の中ですることがないので、この日は早めに就寝。たまに凄い音がして何度か目が覚めましたが、寝付きの良い私はまたすぐに眠ってしまいました。
午前3時頃、人の気配で目が覚めると、部屋にお母さんがいました。部屋の窓を開けるので近づいてみると、隣の屋根の上に男性がいます。
お母さんが「Quitalo! Quitalo!/どかして!」と大声で叫び、男性が雨と風でビショビショになりながら、強風で転がる長いトタン屋根を必死につかみ、建物の隙間に投げ捨てました。
激しい音で目を覚ましたお母さんが、転がるトタン屋根を発見し、私の部屋の大きな窓に直撃するのを心配して近所に電話したらしいのです。
楽観的な私でしたが、トタン屋根がもろに飛んできたら大変なことになっただろう、と思うと、ハリーケーンの怖さを思い知らされた気がしました。
〜次回の「ハリケーン後」に続く〜

家からの眺め(ハリケーン後)

家からの眺め(ハリケーン後)