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Antigua, Guatemala

4月 2014

ウユニ塩湖へ行く話

2018-07-17T14:09:30+09:00

ラ・パスからウユニへ行くのに、今度も飛行機の都合でグループは分割され、我々家族は朝6時頃ポトシへ向かう飛行機に乗ることになった。 したがって、本日も朝4時半起き。 これで4日間連続4時半起きだ。 人間、やる気になれば何でも出来る。 16人乗りくらいのプロペラ機に乗り込むとパイロット席のすぐ後ろ、ファーストクラスの位置に座れた。 が、ポトシまでの約1時間、機内サービスなどもちろん無いしリクライニングすら出来ないので眠ることも出来ずひたすら窓の外を眺めて過ごす。 雲間から朝日が差し込む ポトシに着くと、バスに乗り換えウユニまで3時間ほどの移動。 道中の景色はキレイなんだけど、眠いのでこのタイミングで寝る。 道路はキレイに舗装されており、バスは標高の高い砂漠のような高原の中を滑るように走り、僕は夢の中だ。 ウユニが見えてきた すると、ウユニの街へあと数キロという場所で、道路封鎖があり、バスが急にストップした。 奥に見えているのが塩湖。手前の道路が封鎖されている。 どうも誰かが何かに抗議するために道に石を置いて封鎖しており、よくわからないがバスは通ることができないらしい。 不測の事態にすぐガイドのマイちゃんが対応し、ウユニの町から車を呼んで封鎖されている反対側まで迎えに来させた。 バスで封鎖されている近くまで行き、そこで荷物を降ろし封鎖区間を荷物を押しながら歩いて超える。 封鎖区間の入り口には声明文が書いてあった。 学校の先生達が給料に文句があったらしい。 ボリビアではこういった市民レベルのデモ行為が政治とあまり関係なくちょこちょこと起こり、みんなピクニック感覚で参加するそうだ。 抗議が聞き入れられるかどうかは神のみぞ知る。 しばらくして雨が降ったら道にばら撒いた石もそのままに、みんないなくなるとのこと。 これって多数の無関係者に迷惑をかけるためだけの暇つぶしなんじゃないか。 こんなのがまかり通るなんて、ボリビアはすごい。 変なところで時間を潰されたが、面白いものが見れて見聞が広がった。 車に乗り換えたあとは、そのまま町を素通りしてウユニ塩湖の観光名所、列車の墓場へ。 今は使われない線路が地平線まで一直線に 19世紀、ウユニ近くの鉱山で錫などの鉱物が採れていたころ、この辺は大いな賑わいを見せ、太平洋まで鉱物を運ぶ線路が敷かれてヨーロッパへと輸出していたそうだ。それが、ボリビアがチリに太平洋岸領土を奪われると、鉄道に出資していたイギリスがこの路線から撤退、1940年代には鉱物も産出しなくなり結局廃線。 なんとなくこのへんにうっちゃって置かれた蒸気機関車が、いまでは形を変えてブランコになっていたりローカルアーティストのグラフィティ練習場になっていたり、世界中から人が集まる観光名所の一つとなっているという、諸行無常の列車の墓場だ。 「ようこそダカール」と書いてある 2013年から「パリダカ」の名称でお馴染みだったダカールラリーが南米で開かれるようになり、ウユニも通過ポイントとなったので町はラリー特需で盛り上がったらしい。 ちなみにダカールとはアフリカのセネガルの首都の名前で、パリからダカールへ行くラリーだからダカールラリーだったのに、南米で開催するんじゃもはやダカール関係ないじゃないかとは思うんだけど、、、なにはともあれようこそダカールだ。 楽しければいいじゃない 列車の墓場でひとしきり遊んだあとは、いよいよ塩湖のほとり、塩のホテル「ルナサラダ」へ。 床から壁から全部塩。(天井は違います) ホテルで遅めのランチを取り、部屋へチェックイン。 他のルートでウユニ入りしたグループのお客様とも合流し、これからお世話になるドライバーと顔合わせ。 ウユニの紫外線は殺人級。地元ドライバーも日焼け止めをたっぷりと塗る さあ、いよいよウユニ塩湖へ。 ただし、今日は時間も遅めなので、目的は夕日と星空。 明日は一日たっぷりと遊べるので、今日はとりあえず軽く塩湖っとく感じで。 今年の雨季はあまり雨がふらなかったらしい 3年前からやっているこのツアー、売りは雨季にたまった塩湖の水に反射する鏡の世界だ。 3月の終わりのこの時期、雨季はほぼ終わりに近く、晴れ渡った空が広がっていた。 夕日が地面に反射する 塩湖の入り口から少し離れた場所に水が溜まっていたので、そこで夕暮れ時を過ごすことに。 気がついたのは、雨雲がなく、青空が広がっていると水面の反射がよりシンプルになるということだ。 このページのトップに使ったような迫力のある夕日は、雲があって初めて見られる絵だとわかった。 ウユニでの写真の撮り方を講義するヨシくん みんなで記念撮影 ただ、雲がない、ということは一方で、星がキレイに見れるということだ。 こんな風に そしてこんな風に 満天の星空が湖面に映る、ここだけで見られる光景。 満足、満足。 すっかり日が暮れた頃、ホテルへ帰り一日が終わった。 ウユニ塩湖の夜は結構寒い 夕食を食べ、ワインを飲んでぐっすりと眠る。 明日もウユニなので、この旅がスタートしてから初めて朝遅くまで休める。 また明日!

ウユニ塩湖へ行く話2018-07-17T14:09:30+09:00

月の谷と魔女通りへ行く話

2018-07-17T14:09:45+09:00

3日目は朝8時半頃の飛行機に乗る予定だったので、少し遅く起きても大丈夫なはずだった。 のに、クスコの街でデモがあるとかで、朝6時以降は交通が麻痺するらしく、結局4時半起き。 これで3日連続4時半起きだ。 普段なら四捨五入しても寝る時間のほうが近い。 夜が明けるかどうかの朝5時半くらいに飛行場についたはいいが、そこで3時間以上待たなくてはいけなくなった。 しかも、飛行場はデモの影響で大混雑。 更にはツアーのお客様の半数近くが違うフライトでラ・パス入りすることになっていた。 久々に味わう南米のカオスっぷりに心躍る。 そりゃ3時間もあれば友達もできるわ。 それでも我々の飛行機は予定通りに離陸し、一路ボリビアのラ・パスへ向かうことが出来た。 チチカカ湖上空 寝不足気味の頭を抱え、2時間半後には世界一標高の高い国際空港、エル・アルトに着く。飛行機を降りるとそこは高度4,000mの世界。バゲッジクレームから荷物を取るのにもいちいち疲れる。 空港を出るとボリビア支社のマイちゃんが送迎に来ており、懐かしい顔にホッと落ち着いた。 久しぶりだぜ。ラ・パスボリビア 2年前に滞在した時には市場でiPhoneをスられ、そのスリの凄技に感心しつつも悔しい思いをさせられた街。 山脈に囲まれた盆地に煉瓦色の小さな箱をたくさんぶっちゃけたような街の作りで、道行く人から車から全てが混沌としている印象がある。 全然嫌いじゃない。 ランチは目抜き通りのきれいなレストランで。 昼食を市内で取った後は、郊外にある観光地、月の谷へ。 まるで月面のようだ。とアポロ乗組員が言ったとか。 スーパーガイドのヨシ君の言うことには、つい最近まで観光地でもなんでもない場所だったらしく、たまたまここに来た宇宙飛行士が「月面みたいだな」と言ったところから月の谷と名づけ観光客からお金を取るようになったそう。 (いままで見たことのある月面の写真とはおよそ似ても似つかないので、この話は眉唾だと思ってる) だもんで、特にガイドはなく、月の谷はただこの地形を楽しむ場所として存在している。 期待しなければけっこうイイと思う。 それまで観光地でも保護区でもなかったため、すぐギリギリまで無造作に宅地開発されているのもボリビアらしくていい。 人と自然が混ざり合う。 月の谷を後にして、一行はラ・パスの原宿、サガルナガ通りへ。 サガルナガ通り。ツアー会社とおみやげ屋さんがひしめき合う この通りと交差するリナレス通りが、通称「魔女通り」と呼ばれるラ・パスの観光地のメッカ。 黒魔術的に今でも使われるリャマの胎児のミイラや、強壮剤に使われるのであろうヒトデの干物やら薬草やらが店先に並び、民芸品に混じって幻覚サボテンなんかも売られているステキな場所だ。(注:2年前には確かにあったのに、今回は幻覚サボテンは見かけなかった。禁止になったのかな?) 息子ちゃんはここでも人気者 カッコいいセーターが売ってたがちょっと小さかった、、、 こんな感じで散策してきた。   ラ・パス、イイ感じ 明日はいよいよウユニ塩湖へ

月の谷と魔女通りへ行く話2018-07-17T14:09:45+09:00

マチュピチュへ行く話

2018-07-17T14:10:14+09:00

マチュピチュ村からマチュピチュ遺跡へ向かうバスが朝の5時半から運行するので、2日目も朝4時半起き。 今日は午前中にマチュピチュを見てからワイナピチュへ登る予定。 奥方と息子ちゃんはお昼に遺跡入り口で待ち合わせをすることにした。 バスは大体10分間隔で村を出発しており、麓から遺跡の入り口まで約30分で移動する。 朝6時過ぎ。入り口はすでに人で一杯 チケットを見せ中に入る。 インカの遺跡はまだ朝靄の中 マチュピチュに暮らすリャマ 前日から、クスコに住む日本人女性のガイドさんが同行して遺跡の詳しい説明をしてくれていた。 ちなみにこの女性はシャーマン。 でもシャーマンでは食べられないので職業ガイドをしているそうだ。 世界は広い。 遺跡よりも興味深いガイドさん 太陽の神殿、弧を描く石壁が特徴的。 石工の技術水準の高さがうかがえる巨石がゴロゴロしている。 マチュピチュの説明には無数の学説があってどれが正しいと断言することは難しいそうだ。確実に分かっているのはこの遺跡が100年前に発見されたという事。 ガイドさんが説明するのは支持の多い学説であり、それでも数種類の説があるので覚えるのも大変っぽい。 「もしかしてこの石も昔は人が浮かして運んでいたかもしれませんね。」 と言っていたのが印象的だった。 靄が少しずつ晴れていく。 マチュピチュは山の頂上に築かれた都市で、ケチュア語で「老いた峰」を意味する。 山嶺続きにはマチュピチュを見下ろすように尖った山がそびえており、「若い峰」を意味するワイナピチュ遺跡がある。 ワイナピチュの入り口。ここも行列。 2年前にも登ったワイナピチュ。 山頂はマチュピチュよりも300m程高い2693m。 たった300mの登山道なのだが、これが非常に険しい道のりなのはすでに分かっている。 前回は途中で心臓が止まるかと思った。 できれば一生に一度の体験で納めておきたかったが、撮影しなくちゃいけないのでそうも言っていられない。 重いカメラ・レンズ一式を持ってヘロヘロと登る。 ここはまだ序の口 中盤。この頃には足が鉛のように重くなっている 終盤。誰がこんなところに何の目的で一体なぜ、が頭のなかでぐるぐるぐるぐる ワイナピチュ遺跡入口。しっぽりと濡れた岩の通路を、身を屈めながら抜け出る擬似出産体験ができる。ここまで来れば苦労は報われる。 途中何度もめげそうになるが、このワイナピチュ登頂の体験は普通の登山では味わえない感動がある。 その一つがこの景色だ。 ワイナピチュ遺跡からマチュピチュ遺跡を望む絶景 靄が晴れればマチュピチュもキレイに見える。 山頂でたっぷりとカメラを回し、霧が晴れ上がってマチュピチュが現れる様子なんかを撮影した。 さ、帰ろうか。 ワイナピチュは登りよりも下りで足が震える。

マチュピチュへ行く話2018-07-17T14:10:14+09:00

リマからクスコ、クスコからマチュピチュへ向かう話

2018-07-17T14:10:29+09:00

ツアー初日は朝4時半起きで始まった。 日本からのお客様は同日午前1時頃の到着なので、ほとんど寝れていない時間帯。 我々家族は前乗りしていたおかげで比較的楽にスタートを切れた。 朝六時、空港で他のお客様達と合流し 朝8時半頃クスコ到着 クスコ市内にある太陽の神殿を見学 インカの太陽の神殿コリカンチャ。その土台の上に例によってスペイン人が教会を建てたので、石壁のクオリティがはっきり2層に分かれている建物。 超几帳面な石造りはインカの特徴。 この辺が石職人の美意識の表れじゃないかと思って 一方スペイン人は最小限の労力でスタイリッシュに コリカンチャを出るとそのままバスで次の遺跡へ。 クスコ市内から山を登って遺跡見学へ タンボマチャイという水の湧く遺跡。 標高3765m、という富士山頂上級の遺跡入り口から15分くらい上り坂をヒーコラ言ってのぼると こんな感じの遺跡が。 おー。 と思う。 向かいにはこんなのも。 うーむ。 ガイドさんの説明を聞き、ひと通り見るとさらに違う遺跡へ ケンコー遺跡 クスコの街はインカ帝国時代に首都として機能していたところで、市街から程よく離れた場所にこんな感じの巨石施設の遺跡があれやこれやと佇んでいる。 ただ、色々と案内されても、遺跡好きなわけではないのでそこまで感銘を受けることもない。 おー。とは思うけど、それ以前に空気が薄くて歩くのがちょっとつらいのでそんなに歩き回りたくない。 という思いの方がやや強い感じ。 今年の「残暑お見舞いポストカード」ショット 遺跡の入り口にはお土産屋さんがちらほらあったり、民族衣装を来てリャマと写真を撮らせてくれる人がいたりして素朴な感じだ。 インカの遺跡に並ぶ巨大ジーザス像 サクサイワマン遺跡 くねくねとヘビのような蛇行線にそって高さ7,8mの岩を並べてできた3段構造の施設。 この遺跡は6月21日の夏至にはいまでも太陽のお祭りインティライミが行われる会場になっている。 ウェブページに紹介文を書いたりして知識としては知っていたけど、実際に見るのは初めてだ。 その場に立ってみると、他の遺跡と比べこの遺跡だけは圧倒されるような迫力があった。 リャマが放し飼いにされているのも良かった。 猛烈な勢いで犬を追っかけるリャマ 4箇所の遺跡を巡った後、再びクスコ市内に戻り昼食を挟んで市内観光へ プカラという日本人経営のレストランで昼食。ペルー料理が日本人の口に合うようにアレンジされているのか美味しかった。

リマからクスコ、クスコからマチュピチュへ向かう話2018-07-17T14:10:29+09:00

リマで一日買い物に費やした話

2018-07-17T14:10:39+09:00

3月の終わりから、6日間のウユニ塩湖新月ツアーに参加した。 視察と撮影を兼ねての旅行だ。 正確には、ツアーの前日からパナマを出立し、スタート地点のペルー、リマまで移動したところから始まる。 新月ツアーは2年前に一度参加したことがあり、毎日長距離移動する比較的ハードな旅である事が分かっているので、前日から現地入りするくらいの心と体の準備が必要だとボスを説得したのだ。 2年前に参加した時と違うのは、今回は奥さんと息子が同行するという点。 2年間でいろいろありました。 とりあえず、念には念を入れた準備をしたい。 ところが、宿泊するホテルの名前をパナマのスタッフが間違えて伝えてくれたため、初日からリマで延々とホテル探しをするはめになってしまった。 手配をしてくれたスタッフが、パナマ空港へ送迎してくれる途中に 「リマに着いたら自分でホテルまで行って下さい。ホテルの名前はホテル・ミラフローレスです」 と教えてくれたのだ。 忘れないようにiPhoneにメモをして、ボゴタ経由で家族全員無事リマ入りを果たす。 そしていざリマ空港でタクシーに乗って運転手にホテルの名前を告げたら「ミラフローレス地区にはたくさんホテルがあるが、そんな名前のホテルはない。ミラフローレスは場所の名前だぞ、トーキョーとかラスベガスとかと同じだ。ホテル・トーキョーとかあるか?無いだろう?」との答え。 トーキョーと同じじゃねえだろ、地区って言ったじゃないか。しかもホテル・トーキョーはありそうだし、ホテル・ミラフローレスもきっとあるだろ。旅行会社のスタッフが手配したホテルだぞ。無いはずはないから探してくれ。とやりとりし、タクシー仲間や道行く人に聞きながら、それらしい名前のホテルを調べながら結局その後4時間あまりかかって探しだしたホテルは「ホテル・ミラフローレス・コロン」。 「名前が違うじゃねえか」。その日楽しみにしていた韓国料理もフイになり、すべて予定を潰され、自分の確認ミスを棚に上げ、怒りにまかせてパナマのスタッフに間違いを伝えた所「略称使ってたのをそのまま教えちゃいました」とさりげない感じで言われ、軽く殺意が沸く。 これがお客様の旅行だったら今頃クレームの嵐が吹き荒れて、脂汗が止めどなく滴り続けているところなのに。 その夜、ホテルからスーパーまで歩いていたら夜中にもかかわらずスシ屋が開いていたので入ってみた。 メニューに「ウニ」が合ったので注文したら品切れで、代わりに「ホタテの刺し身」を頼んだらこれが結構美味しかった。 何年ぶりのホタテの刺し身だったかな。 ビールもうまし。 ホテルの部屋にはバスタブにジャクジーが付いていたので家族で楽しむ。パナマにはシャワーかプールかしかないからね。 気分を取り直した翌日は、家族でリマ買い物視察を敢行。 物欲を刺激する佇まいのお土産屋 リマは、僕の知る数少ない南米の都市の中でも常に良い街ランキング上位の街だ。 ほんの一辺しか知らないけれど、食べ物が美味しくて女の子が明るくて民芸品がステキな印象がある。新旧の建物が入り混じった住宅地や本格的に15世紀の様相の旧市街もかっこいいし、海岸線の道路は一瞬カリフォルニアみたいだと思う。そして海抜0mなのに蚊もあまりいない。機会があれば是非一度じっくりと住んでみたい。 だけど今回は1日しかないので、全部は見れない。 まずは買い物だ。 宗教画のお土産屋ほど神々しい商売はない。 リマの新市街はカフェやレストランと並んでカジノがあったり、街路樹の並ぶ道路はどこも明るくて夜中でも歩行者の数が多く安全に歩ける。半袖の人もいれば民族衣装を着こむ人もいて、みんなが好きなモノを着れる気温も心地いい。 激熱すぎて歩行者のいない車社会のパナマとは、ガラッと違うおしゃれでオープンな雰囲気があふれている。 その新市街の一角にインディオ・マーケットがあり、独特な色彩とデザインの民芸品を扱う土産屋が軒を連ねている。 2年前と売っているものも売っている人もちっとも変わらない様に見えて、実はところどころお土産品に改良が加えられていて嬉しかった。 ペルーの民芸品は僕的にけっこうツボだ。 旅のために軽量ベビーカーを持参。かなり重宝した。 今回はちょっと多めにお買い物。 以下、インディオ・マーケットで今回買った品々をご紹介。 パパ、ママ、べべ用、対ウユニ塩湖グリンゴ・パンツ。塩湖ではジーンズだと塩でズタズタになってしまうので400円くらいのこのパンツが重宝します。 財布。ヌエボ・ソルやらドルやらボリビアーノといった紙幣を分けられるポケット付き。南米旅を盛り上げる小道具。 ポーチ、各色。色んな物を入れられて便利。 花柄リャマ毛刺繍 ベルト、各色。2年前に買って以来の愛用品 マルチインディオストライプ パソコン・バッグ、各サイズ。欲しい人に売ります。 「一週間で壊れそうですね、それ」とヨシに言われたスニーカー。 息子の防寒ポンチョ。アルパカ風。裸で暮らしていたパナマとは違う旅が待っている。 革のサンダル、一目惚れ。とおまけの革紐。 お昼は取引先の旅行会社の方にご招待いただき、セビーチェを頂いた。

リマで一日買い物に費やした話2018-07-17T14:10:39+09:00

3月 2014

クジラの歌が聞こえる海でジャイアント・マンタと泳いで来たよ

2018-07-17T14:12:28+09:00

3月はじめ、久しぶりにパナマ国外に出てメキシコに行ってきた。 メキシコ太平洋に浮かぶソコロ諸島へのダイブクルーズに招待をされたため、10日間の視察旅行だ。 目的は、ジャイアント・マンタとザトウクジラ! マンタって意外と人懐こいのね。(今回掲載の写真は全てGoProビデオから抽出しています) パナマを出発した後トランジットの関係でメキシコシティに一泊して、翌昼バハカリフォルニア半島の南端サン・ホセ・デル・カボへ。 「サン・ホセ・デル・カボ」少なくとも今回は道路脇で馬の死骸をむさぼる野良犬とかは見なかった。 メキシコは15年程前にバックパックを担いで散々さ迷い歩いた国で、サン・ホセ・デル・カボもまたほろ苦い思い出がある場所なのだが、街や道は、当時よりもかなりリゾート開発が進んでいるようで全て小奇麗に変化していた。 空港から車で15分ほど移動した港に今回の船「Valentina号」が係留されており、着くと早速メキシコ人ガイドのロレンソが日本語で案内してくれた。Valentina号は日本の旅行社が出資している船で、クルーはみな片言の日本語を使うらしく、特にロレンソはペラペラの日本語で出迎えてくれ素直に驚いた。 もう一人、日本人ガイドも乗船し、合計3人のガイドと15人のゲスト、そして8人のクルーでの航海だった。 上陸ポイントまるでなし。サンベネディクト島 ソコロ諸島はサン・ホセ・デル・カボより航行すること24,5時間でたどり着く南海の孤島、軍事基地のあるソコロ島と、サンベネディクト島、そしてロカ・パルティーダという岩礁で形成されているダイビングポイントだ。 この時期はザトウクジラが子育てにやって来る季節らしく、島にたどり着くと沖合すぐ近くにクジラの潮吹きがあちこちで見かけられる。そしてハンマーヘッドシャークやガラパゴスシャーク、シルキーシャークなどの大物、さらにジャイアント・マンタが間近で見られることで有名らしい。 出港してからまる丸一日は海の上を移動するだけなので、ゲストやクルーたちとおしゃべりタイム。 ゲストの内訳は日本人ダイバーが僕を含め7名、スペイン人ダイバーが4名、他のヨーロピアンダイバーが4名で、ビール片手におしゃべりしたところ、どうもことのほかスペイン人ダイバー達と話が合った。スペイン人と話したことなど今まであまりなかったのに、ラテン生活が長いせいだろうか。 彼らにしてみれば片言のスペイン語を話しパナマに住んでいるドレッドヘアの日本人ダイバーというのがツボったらしい。 翌日から5名3チームに分かれてダイビングが始まるのだが、僕は必然的にスペイン人チームに編入されていた。 今回はソコロ島で軍事演習があるとのことでソコロ島でのダイビングは出来ず、サンベネディクト島の2ポイントとロカパルティーダの1ポイントを6日間かけて潜り倒すようだ。 まだ日の登りきらない朝6時に起き、軽い朝食を済ませ、ウェットスーツを着込んで海に出る。 一本目のダイブで待っていたものは 惚れ惚れするような真っ黒ボディ ブラック・マンタ 初めて見たが、こいつは相当格好いい。 遺伝子的には他のマンタと同じなようで、白黒パターンは個体差とのことだが、なにせ馬鹿デカイのに動きが優雅でそして真っ黒なのだ。こいつは惚れる。なんだこの動物。この格好良さは魚にしちゃ反則だ。 ウェットスーツを着ていても鳥肌が立つのが分かった。   さらにこの日、残りのダイブでは水に入る度にクジラの声が聞こえ続けた。 コレも初めての体験。 ガラパゴスではクジラの潮吹きは見れても水の中で声を聞く機会なんてなかった。 なんなんだこの海は。すごい! クジラが発する色んなタイプの音で海域が満たされている様だった。 高音だけでなく、ポワンポワンというソナーのような音や、歌の様に長く続く音が水の中で鼓膜を振動させるのはとても不思議な体験だ。音を内包する水に体が包まれて、体で音の振動を感じることができるのだ。 ハンパない。 イルカもいるよ 他にもイルカやらサメやらも普通に見れるのだが、気を取られるのはやはりクジラの歌。 前日の解説でガイドがイルカと人魚のジョークを披露していたが、クジラの歌を聞いていると人魚伝説にも思いが馳せる。 4本目のダイブではそのガイドがロストして3人だけで潜るはめになり、めぼしい獲物は何も見れなかったがクジラのコンサートがずーっと聞こえていて、海底でボーっと聞き惚れていた。 初日から感動に包まれたダイブだった。 この夜はビールにワインでラテンチーム大いに盛り上がった。 バレンティナ号はビール無料、ワインも1日一杯無料なのがとてもいい。 サメもいるよ 二日目は同じサンベネディクト島でも他のポイントでのダイブ。ここではなんといってもマンタがすごかった。 4m〜5mくらいのマンタが音もなくスッと現れるのだ。 現れたと思ったらその後は逃げる様子もなく優雅に旋回し、ダイバーの出す泡にわざと体をくぐらせるような泳ぎもする。 2,3匹同時に現れることが多く、観察しているとマンタ同士でじゃれあっているようにしか見れないような泳ぎをしていた。 とても優雅に羽ばたきながら、糸巻き部分を伸ばしたり巻いたりして他のマンタの尻尾をつかもうとしていたり、大型動物のそんな姿はまるでちょっとした「神々の遊び」を見ているようだった。 ダイブマスターを取得する際に、先生だった人から「海洋生物には絶対に触らないこと」としつこく躾られているので、いくら手の届く場所にマンタが来てもこちらから触ることはしない。ただ、この「ボイラー」ポイントでは、マンタに追いかけられたり、後ろから急に現れたマンタを避けて腰をグキッといわせたり、何かと衝撃的な体験ができた。 あとで知ったのだが、奇しくもこの日同じポイントに来ていた他の船「Solmar V」に僕の先生がガイドとして乗船していたらしい。羨ましいぜ、パブロ。 別れた岩という意味のロカ・パルティーダ ダイビング3日目、4日目はロカ・パルティーダ岩礁へ。 このポイントは周囲に全く島影がないのに、突如80mの海底から岩が突き上げるように海面に顔を出している。

クジラの歌が聞こえる海でジャイアント・マンタと泳いで来たよ2018-07-17T14:12:28+09:00

旅 〜中米から南米へ1〜

2018-07-17T14:12:20+09:00

ウユニ塩湖のガイドが一段落しました。 ウユニ塩湖まだまだ素敵な景色を見ることができ、 毎回違う表情を見せてくれます。 人が来る場所には理由があるなと、 ふと思ったりします。 塩湖の畔にある塩のホテルLUANA SALADA 是非とも宿泊してもらいたいホテル。 空席はこちらからyoshi@onlyonetravel.jp 遠い南米だからこそ、ホテルも妥協無く行きたいなと思います。 さて、メキシコから下る中南米の旅、第2回は ROSE WOOD MAYAKOBA メキシコリゾートといえばカンクンが有名ですが、 カンクンから更に南下したところにある、 閑静なリゾート、マヤコバ。 知る人ぞ知る、隠れたリゾート。 マングローブの原生林に囲まれ、 目の前には穏やかな川が流れ、 背後にはコバルトブルーのカリブ海が広がっています。 森と海の恵み。 CHAO! YOSHI 本間賢人

旅 〜中米から南米へ1〜2018-07-17T14:12:20+09:00

2月 2014

夢のスリナム ムシムシツアー!

2018-05-12T10:12:47+09:00

ブログ・プロジェクト夢の南米旅行企画 ウェブマスター・オオヒラの場合 さて、前回社長とビアバーで吐くほどに酔っ払いながら企画したブログ・プロジェクトですが、発足したからには自らも優勝を狙って行きたいと思います。 今、一番行ってみたい南米の国を考えたところ、ジャマイカやウルグアイなど魅力的なデスティネーションを抑え、ズバリ「スリナム共和国」となりました。 まあ、ブログに書けるよう公序良俗を考慮した結果なんですが、一部マニアの方を除いて全く共感を得られなさそうな目的地になってしまいました。 そもそもスリナムってどこ?アフリカじゃないの?という声が聞こえてきそうです。 でもスリナムはれっきとした南米国家。 南米大陸で最も小さな独立国らしく、広さは北海道の約2倍。公用語はオランダ語で、人口密度は3人/km2。いまだ地球の歩き方にも掲載されていないという希少国家です。 スリナムはここ そもそものきっかけは去年の(俺的)一大ニュースだった新種発見のこの記事(みんな大好き「カラパイア」より)。 やはり一人のフォトグラファーとして、そして男として、人生に意味があるとしたら「見たいものを見ること。」コレにあると思うのです。 この思いを胸に、今までにも思い切った人生の選択をしてきてアフリカに行ったりガラパゴスに住んだりしてみましたが、ネットによる情報過多な世の中になったおかげで見たいものは次から次へと出てきて欲求は底知らず。 そもそも南米に来たのはガラパゴスウミイグアナが海の中を泳ぐのを見てみたかったからなんですが、意外とコレはすんなり見れました。 一昨年はツノゼミを見たいと思ってたら見れました。 白黒シックなツノゼミ、ツリー・ホッパーくん。エクアドルの雲霧林で撮影 昨年は、アオミノウミウシを見たいと思ってたら見れました。 マルペロ島沖で見つけたけど撮影できなかったので他サイトから転載 そして今度はスリナムでこれを見たい。 男だったらこいつに惹かれろ!プランツ・ホッパーくん(http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=2013100804) この造形美。ヨダレものです。 なんとなくメトロン星人を彷彿させるビジュアルが親近感を覚えます。ちゃぶ台を挟んでじっくりお話をしてみたいです。 日本語ではウンカと呼ばれる虫に類するらしいのですが、ウンカというのは稲を荒らしたり伝染病を媒介する害虫みたいです。何のためにいるのか、どっちが頭なのかもよくわかりません。 葉脈の大きさから見ると、相当小さいことだけはわかります。 多分、見たいと思っても見れるもんじゃないでしょう。けど、現地に行ってみないことには始まりません。 スリナムは国土の80%がジャングルに覆われておりそのほとんど全てが未開拓で、研究チームがちょっと行けば必ず新種を発見するという生物学界のゴールドラッシュ、お宝発掘ウハウハ状態らしいです。 そんな場所に、観光気分丸出しでカメラを持って行ってみたい。 スリナムという国を調べているとマリア・ジビーラ・メーリアンという女性が書いた、その名も『スリナム産昆虫変態図譜』(Insects of Surinam)という本のお話がよく出てきます。 コレクターズ・アイテム 脳にモヨモヨと何かを訴えかけてくる絵づらですが、原書は2,500万円以上の売り値が付くそうな。 マリア・ジビーラ・メーリアンというのはおよそ300年程前に生きたドイツ人女性で、自然科学者として、また一人の自立した女性として大変な功績を収めた方だそうです。今はなき500ドイツマルク紙幣に肖像が載っていたそうなので、ドイツじゃ新渡戸稲造並みのスーパースターという感じでしょうか。 でもってその方が熱中したのが「変態」。例のイモムシが蝶になるあの変態行為に夢中になって、50歳を過ぎてヨーロッパから3ヶ月の船旅を経てスリナムまで移住したらしいです。変態を観察しながらスケッチしつづけ、気がついたら2年たっててマラリアにかかったからヨーロッパに帰国したそうです。 マニアックもいいとこの突き抜けた人生で非常な尊敬に値すると思うのですが、別に僕はそこまでのマニアじゃないんで、さらっとスリナムってお目当ての虫か何か珍しいのが見れればいいです。 それをマクロレンズでパシャって撮れたらそれで良し。 でも虫の写真とツアー開拓の結果次第では日本中の虫好きな方に紹介できる場所になるんじゃないかな?と思われます。 どうか清き「いいね」の一票を!

夢のスリナム ムシムシツアー!2018-05-12T10:12:47+09:00

12月 2013

カラー・ランに行きたかった!

2018-05-12T10:12:51+09:00

ベネズエラのカラカスで12月1日、カラー・ランというイベントがあったそうだ。 すごい楽しそうなのに、なぜ事前に知らなかったのか! 毎日全員で嬉しそうに近所の公園をジョギングしているくせに一つもレースに参加しない弊社の脳筋社員どもに反省を促したい。 「地球上で最もハッピーな5キロ」に参加できるチャンスだったのに。やれ仕事が終わらないだの■■■■■■■■■■■■■■■■(言論統制が入りました)が忙しいだなんだばっかり言いやがって。 アホかお前ら!毎日毎日アリみたいに働きやがって!ちっとは真面目に遊びやがれ! つーわけで、来年参加するしかないでしょうこれは。 あ、僕はもちろん写真を撮る係だけど。 ちなみに、世界一楽しいマラソンジャマイカ レゲエマラソンならまだ間に合う模様。(開催12月7日) う~ん、来年はマラソン・ハシゴ企画しますか。

カラー・ランに行きたかった!2018-05-12T10:12:51+09:00

9月 2013

JATA旅博2013に参加します

2018-07-17T14:19:35+09:00

9月14日、15日とJATA旅博にオンリーワントラベルが出展します。 JATA旅博ホームページへ というわけで今回は36ページのカタログを作りました。例によって納期ギリギリのヤバヤバでヒヤヒヤしながら納めました。 印刷は3000部。 この爺の表紙が目印です。 ウユニ塩湖の表紙にしろというボスのお達しを「ウユニ塩湖ゴリ押しはもう古いですよ。これからは南米全体が我々の舞台です。」とたしなめ、チチカカ湖は太陽の島で撮影したなんでもない爺の写真を表紙にするという離れ業をかましてみました。 「組織を抜け出し、独立に賛同した我々だからこそ、もっと刺激的なものを求め、常に新しいことにチャレンジをし、南米を知らない日本人に新しい目的地を提供し、ウユニに留まらない「南米旅行」という全体を見据えて市場を発展させていくことに働く意味があるかと思います。小規模な現地旅行会社として、我々は南米を駆け抜ける風のように常に新鮮な空気を供給するべきです。 そのメッセージのアイコンとしての、今回の表紙の太陽の島のあの爺の写真なのです。顔に深く刻まれたしわは、流行りとは無縁の生き様を表しています。ストイックで正直な眼差しは流行と金儲けを感じさせないからこそ人にうったえる何かがあると思います。」 といったそれらしい内容の説得メールを現地入りしているボス宛てに出したのですが、実際の所、この爺さん写真を撮った後に金銭を要求してきて、たしか幾らか払ったので、表紙に使うことができて良かったというのが本音です。 しかしながら、ウユニ塩湖の写真を表紙にするよりは大分インパクトのある表紙になったと自負しており、内容もおよそ旅行会社のパンフレットとは思えないような出来となってるはずなので、どうぞご来場の際はオンリーワントラベルのブースを訪ねて一部貰ってやってください。  

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