キューバ

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5月 2018

カバーニャ要塞 Cañonazo大砲の儀式

2018-07-17T07:43:26+09:00

ハバナ旧市街からハバナ湾を挟んで対岸を望むと、湾の入り口に灯台を備えたモロ要塞、そこから連なるように左右に長いカバーニャ要塞を見ることができます。これらは旧市街側にあるプンタ要塞、フエルサ要塞とともに16世紀以降スペイン統治時代に、外敵からハバナの街を守るためにつくられたものです。このうちカバーニャ要塞は他の要塞より遅れ18世紀の後半、キューバが1762年イギリス軍の攻撃を受け1年間だけイギリスに占拠されたのち防御施設強化のために建設されました。 このカバーニャ要塞ではスペイン統治時代から続く「Cañonazo(カニョナッソ)大砲の儀式」が毎晩行われています。これは当時ハバナの街を囲んでいた城壁の木扉を閉める合図として毎晩8時に大砲が打ち鳴らされていたのを、セレモニーとして今に受け継いでいるものです。現在は夜9時に行われており、その様子を間近で見学することもできます。 旧市街からタクシーで約10分、カバーニャ要塞入り口へ到着します。毎晩多くの観光客が訪れることもありますが、せっかくなのでカバーニャ要塞内の見学も兼ねて少し早めに行くと良いでしょう。要塞内にはチェゲバラの執務室が資料館として公開されており、こちらの見学も可能です。 8時半。儀式を行う付近の明かりが消され、18世紀の軍服スタイルの傭兵が列をなして登場します。行進しながら大砲の設置された壇上に進み松明を点火、炎に灯されながら、奴隷スタイルの一人が儀式の歴史や背景について語ります。その後は隊長の掛け声に従って、傭兵たちが砲口に火薬を詰め大砲を撃つ準備をひとつひとつ行っていきます。鼓笛の轟が高まり、見学する人たちも緊張してジッと大砲を見つめる中・・・     ドーン!               9時ちょうどにお腹に響く大きな音。それは旧市街だけでなく、広くハバナ市内で聞くことができるほどです。これら一連の儀式を見た後は、もう一度対岸に広がるハバナ市街に目をやってください。ネオンのギラギラした都会の夜景とは違った柔らかい光に灯された美しいハバナの街にうっとりすることでしょう。 ハバナ滞在中の間に一度是非、大砲の儀式を見にお出かけください。オンリーワントラベルではご滞在先へ車で送り迎え付きのオプショナルツアーもご用意しております。

カバーニャ要塞 Cañonazo大砲の儀式2018-07-17T07:43:26+09:00

ハバナの中華街

2018-07-17T07:43:33+09:00

世界どこの国に行ってもだいたい存在する中華街ですが、もれなくキューバにもあります。今回は他の国とは雰囲気が異なるキューバの中華街についてご紹介したいと思います。 中華街は首都ハバナにありますが、少し分かりづらい場所に位置しています。ハバナを訪れたら必ず一度は目にするであろう旧国会議事堂、そこに隣接するDragones(ドラゴネス)という名前の通りがあります。そのDragones通りがはじまる場所に「華人街」と記された大きな門があります。そこから少し歩くと中華街です。 日本で中華街というと中国人が経営する中華料理店やお土産屋が多く軒を連ね、観光客で賑わっているイメージですが、ハバナの中華街はそれとは大きく異なります。 というのも、現在この地区にはそれほど中国人が住んでおらず、歩いていてもほとんどキューバ人しか見かけないので、中国の要素はあまり感じられません。それにはキューバの歴史が関わっています。 (Zanja通り沿いにある孔子像) キューバに最初にやってきた中国人は1840年代末、奴隷貿易の衰退に伴って生じた労働力不足を補うために中国からやってきた労働者だと言われています。その後、1920年からの10年間でハバナの中華街はラテンアメリカで最も大きいアジア人地区になり、洗濯屋、薬局、劇場などが開店し街は賑わいました。 しかし、1959年にキューバ革命が起きると、1960年代に多くの中国人たちがアメリカに移住するためにキューバを去りました。彼らはお金を稼ぐために中国からやってきたので、社会主義化してしまっては富を得られないと判断したのでしょう。その後、中国人がいなくなったことでかつての賑わいは失われました。1990年代からは、その観光的側面を考慮してキューバ政府によって中華街への資金投資が始められたそうです。 このような歴史があって現在は多くのお店はありませんが、中華料理を食べるのであればCuchillo(クチージョ)通りに行ってみてください。狭い通りに中華料理店が何軒か集まっていて、中国人ではなくキューバ人が店前で客引きをしています。「中国城」と書かれた入り口が目印です。ちなみにクチージョは、日本語で「ナイフ」という意味です。   観光スポットとしては物足りないかもしれませんが、孔子の像があったり、よく見ると通りの名前が中国語で書かれていたりと、各所に中国が垣間見えて面白いです。(ほとんど)中国人のいない中華街、近くに行かれた際はぜひ訪れてみてください。

ハバナの中華街2018-07-17T07:43:33+09:00

キューバの英雄ホセ・マルティ

2018-07-17T07:43:41+09:00

キューバには歴史上の人物の肖像や記念碑が多くありますが、有名であっても日本人にはあまり馴染みのない人物もいます。その人物について少しでも知っていると、より理解が深まり旅行を楽しむことができます。そこで、今回は特にキューバで代表的な人物「ホセ・マルティ」についてご紹介します。 キューバというと革命を成し遂げたフィデル・カストロやチェ・ゲバラがとても有名ですが、このホセ・マルティも現在のキューバを語る上で欠かせない重要な人物の一人です。キューバの首都ハバナにある国際空港の名前になっているだけでなく、街を歩いていると彼の記念碑や彼の名を冠した学校、通り、公園などを多く見かけます。   1853年スペイン人の両親のもとホセ・フリアン・マルティ・ペレスはキューバのハバナで生まれました。学校では詩人で独立運動家であったラファエル・マリア・メンディベという人物に教わり、ここでの教育が後の彼の思想に大きな影響を与えたとされます。1868年スペインからの独立を求めてキューバ国内で第一次独立戦争が始まると、当時15歳であった彼は風刺雑誌等の編集に参加し、独立運動家たちと交流をもちました。その結果、捕まることになり最終的にはスペインに送られました。 キューバから追放された後はスペインの大学で学び、フランス、メキシコ、アメリカなど各地を転々としながら執筆活動を続けました。彼は詩人であり、独立運動家でもありました。各国で文学活動や仕事をしましたが、キューバ独立の思いを捨てきれなかった彼は1892年ニューヨークでキューバ革命党を結成し、1895年には第二次独立戦争を開始しました。しかし、同年、前線で凶弾に倒れ、独立達成を前に42歳で亡くなります。   (革命広場のホセ・マルティ記念館)     (パルケ・セントラルにある肖像) マルティは米国の軍国主義がラテンアメリカにも及び、その支配下になることを懸念していました。彼の死後、米国が第二次独立戦争へ介入することで、キューバはスペインからの独立を果たしますが、実質的に米国の支配下になりました。皮肉にもマルティの懸念は現実のものとなってしまったのです。しかし、彼の思想はその後に起きるキューバ革命の立役者たちに大きな影響を与え、革命後は米国の支配からも離れてキューバは完全な独立を果たします。 彼の思想、文学は現在まで受け継がれており、キューバでは英雄として称えられています。ハバナを代表する公園パルケ・セントラルにある肖像、革命広場にそびえ立つ大きな彼の肖像からも、彼がキューバを代表する英雄であることが良く分かります。 ホセ・マルティに関する場所はキューバ各地にたくさんあります。キューバを旅行される際は彼にまつわる場所を訪れ、現在のキューバを作り上げるのに貢献した英雄に思いを馳せてみるのもいいいかもしれません。

キューバの英雄ホセ・マルティ2018-07-17T07:43:41+09:00

3月 2018

チェ・ゲバラの街、サンタクララ

2018-07-17T07:43:51+09:00

キューバ中央部に位置するVilla Clara(ビージャクララ)州、その州都がSanta Clara(サンタクララ)です。内陸にあり産業に乏しい地域ですが、サンタクララはChe Guevara(チェ・ゲバラ)の街として知られ、多くの観光客が訪れます。なぜ、チェの街なのか?それはキューバ革命最終段階で、革命軍の勝利を決定づけた重要な戦いの舞台となった歴史的な場所で、その戦いを率いたのがチェだったからです。 1956年12月、メキシコに亡命中だったフィデルカストロらがグランマ号(使用された船)にてキューバ東部に上陸、シエラマエストラを拠点に首都ハバナを目指してゲリラ戦を展開、地方の貧困層を味方につけ革命軍は徐々に勢力を増しながら西へと進んでいきました。当時の戦況と地理的な条件からして中央部の重要都市サンタクララを落とせば、革命軍の勝利は決まるだろうと言われていたのです。 1958年12月には革命軍がサンタクララへ入り政府軍と交戦、その際に政府軍はハバナから大量の兵士と武器を送り込み、その兵力は3000~4000人に達しました。それに対して革命軍はわずか300人ほど。この革命軍のトップ司令官にいたのがチェでした。チェは戦力では到底かなわない政府軍に対して巧みな戦術を使って、勝利を収めます。 サンタクララを革命軍が征服、陥落したのが12月29日、そのわずか3日後1959年1月1日未明にはバチスタ大統領が国外亡命し、革命軍の勝利宣言が発表されました。 サンタクララではこうしたキューバ革命最終段階に置ける戦いの軌跡をたどる場所や、チェの霊廟と資料館が観光スポットとなっているのです。   Plaza de la Revolución(革命広場) サンタクララの革命広場の中央壇上には大きなチェの像が立つ。同じ壇上にはサンタクララでの戦いの様子を描いたレリーフ、チェがフィデルに宛てた「最後の手紙」が刻まれた石碑が置かれる。     Monumento Ernesto Che Guevara(チェ・ゲバラ記念館、霊廟) 革命広場の壇上裏側に霊廟と記念館がある。霊廟にはチェの最期の地、ボリビアで戦った同志たちと一緒にチェが眠る。記念館にはチェの子供の頃からの資料や写真、記念の品が展示されている。 Monumento a la Toma del Tren Blindado(装甲列車襲撃記念碑) サンタクララの戦いでの勝利を決定的にしたのが、1958年12 月29日政府軍の装甲列車襲撃だった。ハバナから政府軍の装甲列車がくることを事前にスパイを送り込んで察知していたそうで、列車を襲撃することで大量の武器を剥奪、兵士を捕虜とし勢力に乏しい革命軍を勝利に導いた。装甲列車を襲撃したまさにその場所に記念碑がつくられ、列車の展示とともに見学できる。 Estatua de Che(子供を抱いたチェの銅像) サンタクララの共産党本部前にあるチェの像。 子供を抱いてまっすぐ前を見るチェの姿が印象的。 Loma del Capiro(カピーロの丘) サンタクララの街を見渡せる小高い丘、この上に元々は政府軍の砦があった。サンタクララ入りしたチェの部隊はまずここを攻撃して革命軍の拠点とし、チェはサンタクララの街を眼下に作戦を練ったそう。現在は大きなキューバ国旗と26 de julio(7月26日運動)の旗が掲げられ、チェのレリーフを嵌め込んだモニュメントがある。   オンリーワントラベルのツアーでは、トリニダへ行く途中でサンタクララを見学します。時間がないけど、どうしてもサンタクララでチェに会いたい!という方は、ハバナやバラデロ滞在中に日帰りで訪問することも可能です。 ハバナ〜サンタクララ(275km)3時間30分 バラデロ〜サンタクララ(185km)2時間45分

チェ・ゲバラの街、サンタクララ2018-07-17T07:43:51+09:00

キューバーで試したいフルーツと野菜

2018-07-17T07:43:58+09:00

今日は、キューバーで食べられるフルーツや野菜について紹介します。 日本では珍しいトロピカルな味や見かけ。よくお客様にも「朝食で食べたあれ何だろう?」と聞かれることがあります。 さて、まずはこちらの写真をご覧ください。何か分かりますか? バナナは、分かりますね。これは、とっても味が濃くって小腹が空いた時にちょうど良い サイズ。 ピンクの星型にカットされたフルーツ? これは、「グァバ」です!日本だと、グアバジュースが有名ですね。キューバでは、このグァバが一年中あるのでこのまま食べたり、ジャムやお菓子のトッピングによく使われます。 カサの朝食で、ドロッとしたピンクのジュースが出てきたら大体の確率で「グァバジュース」です。さてグアバの下のある、この繊維質がありそうな食べ物。実はこれ「さとうきび」なんです。   食べ方は、そのままガジガジ被りついて中の蜜をチューチュー吸います。自然の甘みが美味しくって、食べ方も面白い。 これを絞ったさとうきびジュースを「グアラポ」といいます。 そして、南国の代名詞「ココナッツ」は外せません。 中のジュースはもちろんのこと、個人的には実の中の果肉が大好物。 プルっとしていて、病みつきになります。ジュースを頼んだら、果肉も食べたい!ってリクエストしてみましょ。   キューバはフルーツジュースも豊富です。100%ナチュラルジュースが安く飲めるので試してみましょう。下記のスペイン語を覚えておくと注文の時、役立ちます。 ピニャ(パイナップル)、フルータボンバ(パパイヤ)、グアヤバ(グアバ) ナランハ(オレンジ)、タマリンド。んっ?タマリンドって何だ? 日本ではあまり知られてないですが、東南アジアや中南米ではよくある果物で、酸っぱい実をジュースにして飲んだり、調味料として使います。キューバではジュースにして飲むのが一般的です。 作り方は、まず鞘から実を出す。種のまわりにへばりついている果肉をとるのだけど、果肉がネバネバしていて大変。大きなボールに種ごと果肉を入れ、砂糖と水を加えて棒でグルグルかき混ぜて、種と果肉を分離させる。これが結構な力仕事。種を取り除いて果肉だけになったものは少しどろっとして濃いので、水で薄めてお好みで砂糖を加えてジュースのできあがり。 ¡Qué rico!(美味しい!)         キューバで食事をしたら、必ずといってよい程登場するものがあります。   バナナ?見かけはバナナみたいですよね。 正式には、「プランテン」といい食用バナナです。スペイン語では、「プラタノ」と呼びます。 バナナより固くって甘みがなく、どちらかというとジャガイモっぽい感じ。 揚げたものが多いですが、作り方によって呼び方が変わります。   マリキータ/薄くスライスして揚げたチップス。 プラタノス・マドゥロス/熟したプラタノの皮をむき厚めに切って、揚げる。 トストーネ/4cmほどの厚さに切って揚げる。軽く揚げて鍋から取り出し瓶の底などで潰し、それをまた揚げて塩で味付け。 あとは、5月〜9月とシーズンは限られてしまうけどチャンスがあれば「巨大アボガド」と「マンゴー」は絶対試してくださいね!!  

キューバーで試したいフルーツと野菜2018-07-17T07:43:58+09:00

キューバで踊る!

2018-07-17T07:48:48+09:00

キューバといえば、音楽にダンス。 定番ではありますが、キューバを旅すればすぐに街中いたるところで音楽を耳にし、 時には突然路上で踊りだす人を見ることでしょう。 キューバで聞かれる音楽はジャンルも様々、それぞれに合わせて踊るダンスも違いますが、 中でもサルサはダンスミュージックとして最もよく知られているものではないでしょうか。     ダンスホールでキレキレのステップで踊る姿は本当にカッコイイのですが、キューバでポピュラーなのはパーティーなどで人が集まった時に、数組が並んで、あるいは輪になってペアを替えながらサルサのリズムに合わせて踊る「カジノ」と言われるカジュアルなスタイルです。       観光客が増えた最近では、このキューバンサルサダンス=カジノを教えてくれるダンス教室がハバナ市内にも続々できています。 教室をのぞくとたくさんの外国人観光客たちがレッスンしており、老若男女問わずキューバ人の先生とペアになって踊る姿は本当に楽しそう!       日本人の中には気にはなるけど、自分で教室へ乗り込んでいくのはちょっと・・・ と躊躇してしまう方も多いのではないでしょうか。 そんな方のためにオンリーワントラベルでは、サルサ教室のご紹介、レッスンの手配もしております。教室は、ハバナ旧市街の真ん中、コロニアルな建物を使った素敵なロケーション。 ペアとなって教えてくれる先生たちは英語も話しますし、もちろん本場仕込みでダンスはプロの腕前! ハバナ滞在中の数時間を使ってサルサのレッスンいかがですか?全く初めてでも大丈夫。 最初の基本ステップから丁寧に教えてくれ、たとえ1日だけのレッスンでも 最後には音楽に合わせてペアで踊ることができるようになります。 お一人様、カップルやお友達、1時間からのレッスンでも可能、初心者も大歓迎。 Bailamos en Cuba キューバで踊りましょう!

キューバで踊る!2018-07-17T07:48:48+09:00

キューバでウェディングフォト

2018-07-17T07:48:59+09:00

早いものでもう3月ですね。3月といえば、挙式や入籍のおめでたい時期。人とはちょっと違うウェディング写真や新婚旅行もしたい!というカップルに人気急上昇中なのが、キューバでの「ウェディングフォト撮影」。今回は、この未知の国キューバでのフォトセッションの概要をご紹介します! まずは、フォトグラファー選びから。お問い合わせをいただいた際に、カメラマンの詳細や作品の紹介リンクをお送りします。現地キューバ人やオンリーワンの専属、契約フォトグラファーなどお客様のご予算、使用言語、お好みなどに合わせお好きなプロのフォトグラファーをお選びください。 メイクやヘアセットは、基本ご自身でお願いしていますが手配も可能です。ただ、ラテンの国ですのでイメージより派手な仕上がりになる可能性があります笑 物が不足しているキューバなのでドレスや小物などは、ご自身でお持ちくださいね。 旧市街地の中を歩きまわるので歩きやすいスニーカーもお忘れなく。過去のカップルの間では、白のコンバースのスニーカーがダントツで人気です! お申込み後にアンケートにご記入いただき、撮影のイメージやお2人のことについて教えてください。カメラマンと情報を共有し、後は撮影日を待つばかり! ここからは、昨年12月にオンリーワン初の「国際結婚カップル」のフォトセッションでアシスタントを担当した時の流れをご紹介しますね。(その時により内容は変わりますが、ご参考にどうぞ) 午前10時。メキシコ人カメラマンのGerardoと日本語アシスタントで、カップルがご宿泊中のセントロハバナのカサにお迎えに。今回のカップルは、可愛らしい花嫁のSさんとカナダ人の旦那様Mさん。自己紹介を済ませ、撮りたいシチュエーションなどについて打ち合わせ。少し打ち解けたところで、車に乗り旧市街地に向かいます。   着いたらさっそく撮影かと思いきや、まずはカメラマンより簡単なレクチャー。「撮られてると思わないで!一番大事なのは自然体。」軽くポージングの練習。初めてのモデルは緊張しますよね。最初は誰でもそうです。時間が経つにつれ、力も抜けてきて良い表情の写真が撮れます。   ここからは、気ままに旧市街地を歩きながらカメラマンやお客様の気になる場所で撮影。どこで撮っても、とにかく絵になります!キューバの日常の風景や、キューバ人との撮影も面白いですね。旧市街地を一通り歩き、お腹も空いてきたのでお昼休憩。ハバナは日差しが強いので、水分補給を忘れずに。   昼食の後は、旦那様のリクエストで高い所からの撮影ということで車でモロ要塞へ。モロ要塞からは対岸の世界遺産「オールド・ハバナ」をバックに撮影。なんて贅沢な眺め!!     この後は、クラシックカーに乗り込み「革命広場」や神秘的な「ハバナの森」で撮影。撮影にも慣れてきて、カップルの表情もリラックスしてきました。 カメラマンのGerardoもノってきて、ベストポジションを探して走ったり、寝転んだりとプロの仕事です。 本日最後の締めくくりは、海岸沿いのマレコンで美しい夕日を眺めながら…。最後は、皆さんヘトヘトですが、その分写真の仕上がりが楽しみですね!この後は、宿泊先のカサにお見送りしてお別れです。お疲れ様でした!末永くお幸せに♡ 写真の納品は、クラウド納品となり納期は約2週間程度です。もっと写真が見たい方、詳細が知りたい方はお気軽にお問い合わせください!送迎、宿泊先やツアーの手配も合わせて可能です。 また、マタニティーフォトも受付ています! ***************************************** お問い合わせは、こちらから。 キューバウェディングフォト sales@onlyone.travel cuba@onlyone.travel *****************************************

キューバでウェディングフォト2018-07-17T07:48:59+09:00

2月 2018

青年の島へ、イスラ・デ・ラ・フベントゥ

2018-09-13T02:27:18+09:00

島に魅かれる。 日本もキューバも島国だけど、離れ小島となるとさらに魅力は増す。 キューバ本島についで第2の島、Isla de la Juventud(イスラ・デ・ラ・フベントゥ=青年の島) その名前にあるように少し前までは多くの留学生がここで医学を学び、またキューバ人の若者たちも農業体験などの活動をこの島で行っていた。 またかつてはIsla de Pinos(イスラ・デ・ピノス=松の島)と呼ばれていたように島内には松の木が多く育つ。キューバ革命時にはフィデル・カストロらが一時収容されていた刑務所があり、また日系人が多く暮らす島。行かなきゃ。 ハバナ空港から飛行機で35分、あっという間にIsla de la Juventudへ到着。空港を出ると待ち構える数人のタクシードライバーたち。乗客に外国人はほとんどいなかったので、声かけがこちらに集中する。事前にコンタクトを取っていたドライバーの車でNueva Gerona(ヌエバ・ヘロナ)へ。 久しぶりの見知らぬ土地へ初めて侵入するドキドキ感。やっぱよいわ。   Nueva Gerona(ヌエバ・ヘロナ) 街の中心はBoulevard(ブレバル)と呼ばれる遊歩道。かつて「キューバで一番ステキなBoulevard」という記事を読んだことがあるが、見てすぐに納得する。島では大理石が多く採掘されるというだけあってベンチも敷石もモニュメントも大理石でできており、ほどよく配置された緑との調和もいい。そして何よりゴミが落ちていない。すばらしい。 Presidio Modelo(プレシディオ・モデロ) 島一番の観光スポットは刑務所。1967年に閉鎖され、現在は記念館として公開されている。1953年サンティアゴ・デ・クーバのモンカダ兵舎を襲撃し蜂起した罪で、20か月間フィデルはこの刑務所に囚われていた。入り口前面に延びるまっすぐな道、正面の建物階段。写真で見た拳を振り上げ仲間とともにその階段を降りる、釈放時のフィデル・カストロの姿を思い出す。また第2次世界大戦時、当時アメリカ合衆国よりの政権だったキューバは日本に宣戦布告、キューバで暮らしていた日本人はここに強制収容された。 建物群はパノプティコン型と呼ばれ、円形収容施設が4棟とその中心に同じく円形の食堂が並ぶ。このほか周辺にいくつかの建物があり、その一つかつてフィデルたちが囚われていた建物が資料館となっている。刑務所の歴史を示す資料、実際にフィデルたちが使っていたベッド、そして収容されていた日系人たちの所持品や写真。100年に満たない近い歴史、重すぎる。このほか円形収容施設1棟と食堂も公開されており見学することができる。すでに閉鎖されているし、自分が収容されたわけではないけれど、生まれて初めての刑務所体験。妙な高揚。   Playa Paraíso(プラジャ・パライソ) 天国のビーチ。この手のネーミングはどこにでもあるけれど天国には程遠かったりする。島のこのビーチ、規模は小さいけれど真っ白な砂浜、ココナッツが実るヤシの木、沖に小さな島と背後に小高い丘。何よりこの空間をしばし独占できるのがいい。やっぱ天国かも。             島の食事 特に島名物の料理にありつくことはなかったけれど、島だけに魚介類は新鮮で美味しい。そして何より安い。ハバナではシーフードの方が肉より高価だけれど、ここでは同じような値段でたっぷり楽しめる。   日系人社会 キューバへの日本人の移住が始まったのは1898年、今年でちょうど120年。現在日系人の数はキューバ全土で1300人ほど。他の各都市にも日系の方は住んでいるが、その多くはIslaに暮らす。決して肥沃とはいえない土地でスイカなどの農作物を作り生計を立ててきた。彼らが暮らすコミュニティ訪問、今回はかなわなかった。次回はきっと。 Isla de la Juventudは島だ。空気が島だった。なんだろう、島特有の空気。かつてどこかで・・・沖縄の離島もこんな感じだった。海の見えない内陸部分にいても、島にいることを感じる。 キューバという島にいながら、さらに島を感じに。オススメ。 *島の中心、ハバナからの飛行機、船の発着するNueva Geronaには観光客が利用できるカサも多くあり、こちらに滞在して島内散策の拠点とする事ができる。他のキューバの都市と同じく観光業に力を入れたいところだが、まだ十分な受け入れ態勢ができていないといえるかもしれない。しかし最近ではクルーズ船も入港するようになり、手付かずの豊かな自然を目玉に今後観光客も増えると思われる。

青年の島へ、イスラ・デ・ラ・フベントゥ2018-09-13T02:27:18+09:00

1月 2018

えみのキューバ一人旅 エピソード13

2018-07-17T07:49:21+09:00

 皆さん、オンリーワントラベルの吉田です。とうとう「えみのキューバひとり旅」も最終号となってしまいました。最後までお読みいただきありがとうございます! 今までのエピソードは、実際に自身がキューバでの生活、ツアーに同行した経験を元に執筆しています。 「キューバには行ってみたいけど言葉が不安。」「インターネットが思うように使えない。」「どんなカサに泊まったら良いか分からない。」など、普通の海外旅行先と比べ情報が少ないキューバについて、こういったお問い合わせをよくいただくことがあります。キューバは社会主義国で、あらゆる場面で国が管理していることが多く、予定通りに物事が進まないこともしばし ば。  でも、ご安心ください!そんな時の為に私達キューバ駐在スタッフが現地でサポートいたします。 私達キューバ駐在スタッフが現地でサポートいたします。  今回えみが体験した「日本語混載ツアー」ですが、今まで多くの方に参加いただきご好評をいただいております。参加されるお客様は年代も性別も様々で、皆さんに共通することと言えば「旅が好き!」ということでしょうか。グループは2人から8人程度の少人数なのでプライベート感があり、参加者同士の距離が近く、あっという間に仲良くなれます。みんなで食事を注文しシェアして食べたり、今まで行った海外旅行の話で盛り上がったり...。イメージは「大人の修学旅行」です。 「ありきたりの団体ツアーじゃかっこ悪い。自由な時間も欲しい!」という旅行を理想としている方にぴったりな内容です。もしかしたら次回から一緒に旅行がしたくなる「旅友」が見つかるかもしれません。  宿泊先のカサは、実際に日本人スタッフが見学し日本人目線で選んだものなので安心です。清潔さ、ロケーション、家族の様子など細かなところまでチェックしています。また現地に住むガイドだからこそ知っているキューバの情報や、お勧めのレストランなど、惜しむことなくご紹介いたします。 宿泊先のカサは、事前に日本人スタッフが見学して選びます。  この「日本語混載ツアー」。只今絶賛募集中です!パッケージツアー以外にも、弊社はお客様のご予算、ご希望に合わせた旅行をカスタマイズさせていただきます。迷っている方も、まずはお気軽にお問い合わせください!  変わりつつあるキューバをこの目に収めるのは、今がチャンスです。キューバでお待ちしております。

えみのキューバ一人旅 エピソード132018-07-17T07:49:21+09:00

えみのキューバ一人旅 エピソード12

2018-07-17T07:49:15+09:00

 キューバから日本に帰国して、今日で1週間が経った。毎日写真を見返しては、想い出に浸っている。  カラフルなクラシックカー、陽気なサルサの音楽、馬のヒヅメが石畳にあたる音、全てが今でも鮮明に思い出される。  そして何と言ってもキューバ人のあの笑顔。今回の旅で私を一番虜にしたのは、この国に住む人々だ。壊れた車を修理する人、軒先でぼーっと涼んでいる老人、道路に座りこんでビー玉転がしに夢中な子供たち。キューバ人の生活は、決して裕福とは言えない。街歩きをしていると、たまに家の中が見えたことがあったが、びっくりすることも少なくなかった。彼らの生活はとっても質素なのだ。スーパーに物は少なく、配給所である程度はカバーされるが、現実には物が不足している。  最初は「可哀想だな」と胸を痛めた。でも、これは私の勘違いであった。だって、キューバで眉間にシワをよせた人、暗い表情で下を向く人を私は旅行中一度も見なかった。  道行く人々の表情は、穏やかでとってもリラックスしていた。東京の満員電車に揺られて通勤するサラリーマンのほうがよっぽど暗い表情だ。 今回の旅で私を一番虜にしたのは、この国に住む人々だ。 「そうだ!生活は豊かではないが、これがキューバでは当たり前なのだ。そして皆たくましく、プライドを持って生きている。何よりも心が豊かなんだ!!」  物に溢れた私の世界。一見豊かにみえるが、忘れていることが沢山ある。物が古くなれば捨て、また新しい物を買う。きれいに加工されて並べられたスーパーのお肉。当たり前にどこでも手に入るトイレットペーパー。  キューバ人は物を大切に使う。破れた服は直してまた着るし、スーパーの袋は洗って再利用。手先が器用で、大抵のものは自分で直してしまう。物がなければないで、工夫を凝らし何かを創り上げたり、「キューバだからしょうがない」と、ガハハと笑ってあっさりあきらめるのだ。 マレコン海岸沿いでくつろぐ人々  そしてみんなが助け合って生きている。マレコン沿いで小さなラム酒パックを回し飲みする若者、小さな女の子が赤ちゃんのお守りをする姿、バスから降りる老人に手を差し伸べる学生。こんな光景を何度目にしたことだろう。キューバ人は、人と人との距離が非常に近いのだ。

えみのキューバ一人旅 エピソード122018-07-17T07:49:15+09:00
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