メキシコシティの旅行情報

メキシコの首都メキシコシティは、都市圏人口世界9位の大きさを誇るラテンアメリカを代表する世界都市です。
観光スポットが集まる歴史地区を始め、市内4つと郊外のティオティワカン遺跡を含め5つの世界遺産を有する巨大な街です。
ディエゴ・リベラやフリーダ・カーロに代表される芸術を産み出した街並みは、旧市街と新市街から形成され、美術館や博物館もいたるところに多数あり見どころが尽きません。
ベストシーズンは11月~4月の乾季。涼しめの高原の気候が気持ちのよい季節です。

メキシコシティについて

メキシコ合衆国の首都で国名と同一名称のためメキシコシティと呼ぶのが一般的です。
都市圏人口は世界第9位であり、ラテンアメリカの経済の中心になっています。
ビジネス・人材・文化・政治などを対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、世界第35位の都市と評価されています。
メキシコシティの原型は、アステカ王国の首都であった「テノチティトラン」です。
テスココ湖が広がるだけの場所に1325年に干拓を行い、島を作り上げ都を築きました。その後1519年にスペイン人のエルナン・コルテス のメキシコ征服によりテノチティトランは破壊され、その上に現在のヨーロッパ(スペイン)風の都市としてメキシコシティが築かれました。
16世紀にはテスココ湖の干拓がさらに行われ、湖はメキシコシティの東部のみになりました。
1821にメキシコは独立し、メキシコシティはその首都になり、成長し続けています。

メキシコシティの地図

メキシコシティの地理

四方を山に囲まれた盆地です。
北にはグアダルーペ山地、西から南にかけてはアフスコ山やトラロック山といった山々が広がっています。
干拓が進められ、1900年にはテキスアク・トンネルによる排水路が建設されて湖は東部の一部に残るのみです。
干拓と排水によって陸地化した地域は地盤が弱く、ベジャス・アルテス宮殿やソカロ広場近くの一部の古い建物のように建物自体が沈下しつつあります。
1985年メキシコ地震の時には液状化現象を起こし、多くの建物が倒壊する原因となりました。

メキシコシティへの行き方

飛行機で

アエロメヒコ航空が成田~メキシコ・シティ間ノンストップ直行便として運行され、最短約13時間ほどで日本と繋がりました。
1ストップ便も利用でき、乗り継ぎはおもに、アメリカのダラスやロサンゼルス、サンフランシスコからの便が便利です。
メキシコシティの空港からは空港ターミナルに直結されているメキシコシティ地下鉄5号線の「空港ターミナル駅(Terminal Aérea駅)」からアクセスできる他、空港バスや市バス、ゾーン制運賃を採用する空港タクシーなどを利用できます。
(地下鉄利用には注意が必要です)
【空港案内】

住宅地に隣接して空港があり、世界でも珍しいスリルあるランディングが楽しめる空港。

住宅地に隣接して空港があり、世界でも珍しいスリルあるランディングが楽しめる空港。

メキシコ・シティ国際空港またはベニート・フアレス国際空港と呼ばれます。中心部から約8キロの距離に位置する、メキシコシティ唯一の国際空港で、かつメキシコ及び中南米最大級の国際空港です。
中心部近郊にあるにも関わらず24時間運営している上、中南米におけるハブ空港的存在であることから、メキシコ国内から諸外国への乗り継ぎだけではなく、南北アメリカの主要都市間や、南米諸国とヨーロッパ諸国の主要都市などとの間の乗り継ぎに多く利用されます。
このため、空港ターミナルに直結したホテルが用意されている他、多くのカフェやレストランも営業しています。空港の標高が約2,230メートルもあり、世界各国の主要国際空港の中でも高く大気中の酸素濃度が薄いことから、空港内には常に酸素ボンベが常備されています。

バスで

メキシコの長距離バスは快適で、他の州へ移動するのにとても便利です。特等や1等クラスのバスであれば、車内のテレビでは映画が上映されていたり、トイレも完備、座席もリクライニングシートです。
メキシコシティには東西南北4箇所の長距離バスターミナルがあります。
ターミナルごとに行き先が分散しているので、どのターミナルがどの場所へ向かうバスの出発地なのか事前に調べておきましょう。
ターミナルはメトロの駅と隣接していて、タクシーで向かう場合もターミナル名を言えば、だいたいの運転手が場所を知っているので、アクセスも簡単です。
【バスターミナル案内】

Central de Oriente(セントラル・デ・オリエンテ)=通称TAPO(タポ)
最寄りメトロ駅:1号線San Lázaro
主な行き先:カンペチェ、カンクン、メリダ、チェトマル、オアハカ、ビジャエルモサ、ベラクルス、ハラパ
Central de Poniente(セントラル・デ・ポニエンテ)
最寄りメトロ駅:1号線Observatorio
主な行き先: コリマ、マンサニージョ、プエルトバジャルタ、トルーカ
Central de Sur (セントラル・デ・スール)
最寄りメトロ駅:2号線Taxqueña
主な行き先:アカプルコ、イスタパ、オアハカ、テポストラン、プエブラ
Central de Norte(セントラル・デ・ノルテ)
最寄りメトロ駅:5号線Autobuses del Norte
主な行き先: アカプルコ、グアダラハラ、グアナファト、サンミゲル・デ・アジェンデ、プエルトバジャルタ、モンテレイ、レオン、ケレタロ、アグアスカリエンテス、サン ルイス・ポトシ、エルモシージョ、ティファナ、ヌエボラレド、マタモロス、レイノサ、シウダー・フアレス

メキシコシティの主な見どころ

観光スポットのほとんどがソカロ周辺の歴史地区に集中しています。
レストランやバーが集まるソナロサ、居心地のよいカフェや書店、典型的な市場や興味深い博物館、そして市内のモダンなレストランやクラブがあるコンデサやロマ、コヨアカン、サンアンヘルまで足をのばしてみるのもいいでしょう。
メキシコシティ滞在中、北東51kmにあるテオティワカンのピラミッドを訪ねることもできます。

アステカの都テノチティトランの時代から、メキシコシティの中心であり続けるソカロ(中央広場)。
一辺が200mを優に超える、ほぼ正方形をした広々とした広場で独立記念塔を建設するための台石が置かれました。
残念ながら塔は完成しませんでしたが、その代わりに国旗が掲げられています。
ソカロ広場の目の前にあるカテドラルは、スペインの建築家がデザインしました。
ルネサンス、バロック、新古典主義様式を用いていて1571年に建設が始められ、建設開始から300年を経て、1813年に完成しました。
ハプスブルク家出身の皇帝マクシミリアン1世が1864年にここで戴冠式を行っています。
プルタルコ・エリアス・カリェス大統領がカトリック教会を迫害し始めたとき、教皇ピウス11世はメトロポリタン大聖堂を閉鎖する事を決め、再開されたのは1930年でした。
2008年、建設当初に隠されていたタイム・カプセルが発見され話題となりました。
装飾にはメキシコの独特な文物が描かれていて、宗教絵画の巨匠ムリーリョの名画『市会礼拝堂』も飾られています。

1523年アステカ皇帝の宮殿跡地にコルテスが建てた宮殿で、最初は植民地支配の拠点、その後も皇帝の宮殿として使われ、後に大統領邸と、権力の中枢にありました。
現在は大統領の国務室があり、大蔵省、メキシコ近代化の父と仰がれるベニートフアレスの記念室があります。
現存するのは1692年の焼失後再建されたものです。
そのなかでも宮殿内にあるディエゴ・リベラの壁画「メキシコの歴史」は壁何面にもわたってメキシコが歩んできた歴史が描かれており、圧巻のスケールで観光の目玉にもなっています。
文字が読めない人にも分かりやすい絵という媒体を用いてメキシコ人としてのアイデンティティーを多くの民衆に伝えること。という偉大な芸術家の壁画が、入り口正面階段から2階部分の回廊にわたって描かれています。
templo mayor
スペインに征服されてから400年経った1913年、カテドラル裏でアステカ遺跡の一部と見られる地下へと続く階段が発見されました。
1978年になって、電気ケーブルの会社の従業員たちが工事中に偶然建造物にいきあたり、これをきっかけに発掘が始まり、考古学者達によりこれが破壊されたアステカ帝国の都・テノチテェトランの中央神殿の跡だとわかりました。
スペイン人征服者たちがアステカ帝国のものを侵略するとと同時に、その上から都を築いていったため、500年も地下に眠っていたのです。
テンプロ・マヨールというのはスペイン語で「大神殿」あるいは「主神殿」という意味ですが、この遺跡跡はアステカの首都テノチティトランの中心部にそびえる宗教儀礼の中心地だったのです。
エジプトのピラミッドとは異なり、マヤやアステカではピラミッド状の基台の上に神殿を設けるのですが、テンプロマヨールの場合は二つの神殿が乗っていました。
一つは雨の神トラロック、もう一つはアステカの軍神ウィツィロポチトリを祀っており、神殿上部までの高さは60mあったそうです。 遺跡の中心部は屋根掛けをしており、そこには彩色レリーフが施された台座や、生贄の儀式に使われたチャックモール像などがあり骸骨を彫刻した祭壇も残っています。
数メートル先には博物館があり1329年にアステカ帝国が作られてから1521年にスペイン人により陥落されるまでの間のアステカの遺跡、コヨルサウキ王子が使用していた土器や食器のほか、2006年に発見された女神トラルテクトリの石板あり重さ11トン以上の巨大な石碑があります。
URL:www.inah.gob.mx/paseos/templomayor/
park
647ヘクタールの面積を持つチャプルテペック公園は、メキシコの街で最大のオアシスのひとつで3つのセクションに分かれ、森林、湖と様々なスポットへのアクセス拠点となっています。
スペインから派遣された統治者、ベルナルド・デ・ガルペスが 1785年、バロック様式の別荘を、森の中に浮かぶ岩の丘に建てたのが始まりです。
その後、ナポレオン3世が送ったハプスブルグ家のマクシミリアン皇帝が宮殿に改造しました。その後は大統領の官邸、陸軍士官学校などと変遷をたどり、 1934年には歴史博物館となりました。
シケイロスの壁画の他、ポルフィリオディアスとその妻のカルメンロメロルビオの豪華な部屋、当時の装飾や調度品も多数展示されています。
メキシコを代表する大博物館です。
建物は中庭を取り囲むコの字型になっていて、一階部分は考古学フロア二階部分は民族学フロアにわかれており、すべてまわろうとするとまる二日はかかると言います。
時間がない場合は、見たいものを事前に絞り込んでいくことをお勧めします。
見学順路は向かって右側の建物にある「考古学イントロダクション」から始まり「アメリカ定住」「先古典期の中央高原」「テオティワカン」「トルテカ」「メシーカ」と続きます。 博物館の中心展示になるのは「メシーカ(アステカ)」です。各展示室の中で最大の広さを誇るこの部屋には、アステカ文明が作り出した石像や石板などが所狭しと置かれています。さらに「オアハカ文化」「メキシコ湾岸の文化」「マヤ」と続きます。マヤ室の見所は、メキシコ東部のパレンケ遺跡で発掘されたパカル王の墓の出土品と、現地では見れないパカル王の墓の実寸大模型です。
とにかく広いスペースに大量の展示品があります。
URL:www.mna.inah.gob.mx/
壮観なアール・デコ様式の内観と壮麗なアール・ヌーヴォー様式の外観をもつ宮殿は1901年にイタリアの建築家、アダモ・ボアリによりデザインされました。
建設は当初1908年までに終了すると予定されていましたが、メキシコシティの柔らかい土壌が問題となり建設は遅れ、1910年のメキシコ革命の兆候で、事態はさらに複雑化しました。
その後ボアリは1916年にメキシコを離れ、建設は事実上中断されていましたが、メキシコの建築家、フェデリコ・マリスカルの指揮により再開され1934年に完成しました。
しかし建物全体の重量により、年々数センチメートルずつ地面へ沈下しています。
現在、宮殿内部の劇場はクラシック音楽、オペラ、ダンスなど多目的で使用され、中でもメキシコ国立民族舞踊団の公演は有名です。
ソプラノ歌手マリア・カラスは、デビューして間もない頃に宮殿で行われたいくつかの劇中で歌唱を行っており、現在でも彼女が歌った演劇の記録が宮殿に残されています。

1956年建設、高さは約182m で44階建て。
41階がメキシコシティを一望できるバー・レストラン で、42階~44階までは展望台になっていてます。さらに階段を上ると屋上に出られますが、フェンスしかないので高所恐怖症の方は避けたほうがいいでしょう。
天気のいい日には市内だけではなくポポカテペトルなどの山々が見えます。
また展望台の一階には資料館もあります。
URL:www.torrelatino.com/
 
 
 
200件ほどのお土産屋さんが並んでいます。民芸品とか織物、雑貨、カゴ製品、銀細工、食器、陶器など様々です。場所はソカロ付近でとてもわかりやすい場所にいあります。
値段がついていないので値段交渉で価格がさがることもありますが設定は高めです。
「グアダルーペの聖母」が祀られている寺院です。
「グアダルーペの聖母」とは
1531年アステカ帝国が滅びて10年メキシコシティ北部のテペヤックの丘でキリスト教に改宗したばかりの先住民の男、フアン・ディエゴの目の前に聖母マリアが現れました。聖母マリアはフアン・ディエゴにお願いしました。丘の上に聖母マリアのための礼拝堂を建てることをメキシコ司教に伝えてほしいというのです。フアン・ディエゴは言われた通り司教に伝えましたが、司教は聖母マリアの出現を信じませんでした。聖母マリアは再び現れ、同じことを頼みましたが、やはり司教はフアン・ディエゴの言うことを信じませんでした。3度目現れた聖母マリアは季節がら咲いているはずのないバラの花をつんでフアン・ディエゴのマントに包み、司教に届けるように言いつけました。フアン・ディエゴが司教の前でマントを開くと、花がこぼれ落ちたあと、マントに聖母像が現れていました。そして1556年に礼拝堂がたてられました。
これが「グアダルーペの聖母」という奇跡でローマ・カトリック教会公認の三大奇跡のうち一つです。
そしてそのディエゴの前に現れた聖母像は、現在新聖堂で見ることができます。
”世界一のお金持ち”カルロス・スリム・ヘルのコレクションを所蔵する美術館で、現在の建物は2011年3月に開館しました。
入場無料。
「ソウマヤ」とはスリム氏の亡くなった妻の名前からきています。美術館は1994年に創設されたが、小規模なものでありました。
そこで2011年にフェルナンド・ロメロの設計で現在のソウマヤ美術館が誕生しました
。床面積は約600㎡。巨大な建物の中の展示物は世界的に有名なゴッホやルノアール彫刻にいたってはロダンやダリそのほか数々の著名人の作品から無名の芸術家までその数6万600点。生前の彼の美術好きもうかがえます。
FRIDA KAHLO
フリーダとディエゴが暮らしていたメキシコシティ南部コヨアカン地区にある邸宅は「青い家」と呼ばれ、現在では彼らが住んでいた当時のインテリアや作品、彼女の私物を展示しています。
フリーダ・カーロという女性は強く自由な女性であり、その情熱的な人生がたびたび映画化されています。
彼女の人生はまさに激動。
少女時代、乗っていたバスが事故に遭い、下半身を鉄のパイプが貫通する大けがをし、その後遺症に悩まされながらも創作活動に没頭します。そして、メキシコ壁画運動の中心にいた巨匠画家ディエゴ・リベラと結婚しますが、彼は女性好きで、彼女の妹とも関係を持ちます。
そんな彼の裏切りを紛らわすかのように、彼女もたくさんの恋をします。芸術家のイサム・ノグチや革命家のトロツキー、メキシコを代表する女性歌手のチャベーラ・バルガスとも恋愛関係にありました。そんな彼女の作品には自画像が多く、そこには孤独、痛み、苦しみ、夢、希望などが生々しく刻み込まれています。
二人は離婚しましたが最終的にはまた一緒になり今では二人一緒に500ペソ札に肖像画が描かれています。

メキシコシティとその周辺の世界遺産

ソチミルコ
メキシコ・シティの中央広場(ソカロ)を中心にスペイン植民地時代の建築物が立ち並ぶ地域と、メキシコ・シティの南約20kmにある水郷ソチミルコ。
16世紀初め、アステカ帝国を滅ぼしたスペイン人は、直ちに植民地の首都の建設を始めました。
240m四方の中央広場には、250年もの歳月をかけて改築された大聖堂をはじめ、国立宮殿、アラメダ公園などの遺産が残っています。かつてアステカ帝国の都として栄えた場所は湖上に浮かんでいました。
侵略にきたスペイン人は、湖を埋め立て、アステカの建造物を破壊した上に建物を建てました。
一方、ソチミルコでは、アステカ人が生み出したチナンパ(浮き畑)と呼ばれる独創的な農耕法が受け継がれています。このような文化的価値が評価され、メキシコ・シティ歴史地区と共に世界遺産に1987年に世界遺産に登録されました。
Casa de Luis Barragan
2004年に世界遺産に登録されたこの建築物は、20世紀メキシコを代表する建築家の一人であるルイス・バラガンが後半生を過ごした自宅兼仕事場です。
ルイス・バラガンは、1939年頃にメキシコシティ郊外に土地を購入し、その一部に1948年に自宅兼仕事場を建てました。フランシスコ・ラミレス将軍通りの12番地と14番地に位置し、12番地は仕事場、14番地は自宅になります。
それぞれの建物は結ばれていますが、通りにはそれぞれ入り口があります。
コンクリート作りの三階建てになっていて彼の建築は内部空間の使い方や庭園に特色があり、伝統とモダニズム建築を融合させたそのスタイルは、他の建築家たちにも影響を及ぼしました。また中のインテリアも素晴らしものばかりです。建築に興味がなくともここは訪れたい場所の一つです。
バラガンは1988年にこの邸宅で亡くなりました。同じ年には、邸宅部分(14番地)が国の芸術的記念物に指定されています。
URL:http://www.casaluisbarragan.org
Universidad Nacional Autonoma de Mexico
60人以上の建築家や技師が統一性を持って作り上げたこの大学都市は、その顕著に普遍的な価値を認められ、2007年にユネスコの世界遺産に登録されました。
なかでも中央キャンパスにある中央図書館の壁面を飾る巨大壁画は、作者フアン・オゴルマンで、メキシコの大作で神話や歴史を描いています。この近くの大学本部の壁面にはメキシコ壁画界の3大巨匠の一人、ダビド・アルファロ・シケイロスの壁画もあります。
中央キャンパスの近くには外国人教育センター(CEPE)という施設があり、授業料さえ払えば、誰でも入れるスペイン語などのクラスが用意されています。
URL:http://www.unam.mx/
1999年に登録された世界遺産で、モレロス州の州都クエルナバカ近郊にある都市遺跡です。ソチカルコは、650~900年頃、テオティワカンなどが衰退した後に、トルテカ文明の政治、宗教、商業の中心地として繁栄しました。
遺跡からは、ピラミッド型神殿や邸宅などの建物跡、石碑などが発掘されています。
トルテカ人は龍に似た羽毛のある蛇(ケツァルコアトル)を水と農耕の神として崇めたことから、神殿の壁面には、ケツァルコアトルがの装飾が彫られています。
世界遺産と思えないほど観光客は少なく落ち着いて観光ができます。
アメリカ合衆国・ニューメキシコ州のサン・ファン・プエブロ(現在のオケ・オウィンゲ)からメキシコ合衆国の首都であるメキシコシティまでの約2,560キロメートルの道路です。
1598年から1882年までの間、陸上交易の通路として使用されていました。
メキシコ領内の部分は、2010年に世界遺産に登録されました。
300年の間、運ばれていたのは、サカテカスやグアナフアト、サン・ルイス・ポトシで採掘された銀でした。また、ヨーロッパからは水銀が輸入され、この道路を使いメキシコの鉱山に運ばれていました。