ハバナクラブとバカルディ

キューバのラム酒メーカーとして有名なのは、何と言ってもHabana Clubハバナクラブ。メジャーな商品は日本の一般的な酒屋でも手に入るし、キューバ旅行の際にはハバナクラブのロゴをラム酒ボトルだけじゃなくて、Tシャツやキーホルダーのデザイン、グラスと色々なところで目にするはず。もちろん旅の途中で口にすることもあるだろうし、お土産として1〜2本買って帰る人も多い。地元の人にも好まれるキング・オブ・キューバンラムだ。

ハバナクラブの商品ラインナップ、このうち日本でもいくつかは比較的簡単に手に入る。
Photo by EcuRed

日本でも輸入物も含めたくさんのラム酒の銘柄が手に入ると思うけれど、最もよく知られているのはバカルディではないだろうか。バカルディがラム酒と知らなくても、「コウモリマークのお酒」といえば分かる人も多いかもしれない。少し前に日本でモヒートブームがあり、その時もバカルディが大々的にモヒートのベースとしてラム酒を宣伝したり、カクテルそのものを飲みきりサイズのボトルで販売していたりしたと聞いた。個人的にはレゲエにはまっていた時期にジャマイカのマイヤーズをよく飲んでいたけれど、コウモリがちょっとイカつい印象のバカルディのボトルもよく目にしていた記憶がある。

バカルディラムでモヒートを・・・の広告。Photo by Amazon.com

実はこのバカルディも元々キューバのラム酒ブランドだ。歴史的にはハバナクラブよりも古く1862年キューバ東部サンティアゴ・デ・クーバで、スペインからの移住者Facundo Bacardíファクンド・バカルディ氏が設立した蒸溜所に始まる。バカルディの品質にこだわって独自の手法で生まれた蒸留酒はキューバで初めての本格的ラム酒として人気を博し、1900年代初頭にはキューバだけでなく世界に知られるようになった。1959年の革命勝利後、企業の国有化が実施された時にはすでに海外に拠点を持っていたこともあり、キューバを去ってプエルトリコ、その後英領バミューダ諸島に本社を移しさらに大きく成長、今では世界最大級のラム酒ブランドとなったというわけだ。

20世紀初頭、キューバにまだバカルディがあった頃の広告。
Photo by バカルディジャパンHP/bacardijapan.com

一方、ハバナクラブは1934年、ハバナの隣の州現在のMatanzasマタンサス州カルデナスでJosé Alechabalaホセ・アレチャバラが設立したラム酒製造会社だ。会社は革命勝利後、国有化され現在にいたり、国を代表するラム酒ブランドとなった。だから今ももちろんハバナクラブはキューバ国営企業。ただし海外市場はフランスのベルノ・リカール社との合弁で設立されたハバナ・クラブ・インターナショナルが担当し、世界中でハバナ・クラブが販売されている。ちなみにアレチャバラ家は革命後スペインを経てアメリカへ移住したのだが、そこでハバナクラブの商標を登録して、一時期バカルディ社からハバナクラブという名の商品を販売していた。その後更新手続きを怠ったとかで商標権が失効してしまい、のちにキューバ政府がアメリカでの登録申請をして一度は認可された。が、本件その後すったもんだがあった末に最近になってやっとアメリカでキューバ政府機関がハバナクラブの商標権を持つことが認められた、という話だ。こんなところにもキューバとアメリカ両国の関係、ここ100年ほどの歴史が反映している。

こうした歴史背景があって現在バカルディ商品はキューバ国内で販売されていないのだが、バカルディ家の残した遺産は見ることができる。発祥の地、サンティアゴにあるバカルディ博物館は初代ファクンド・バカルディ氏の息子、エミリオ・バカルディが市長だった当時、邸宅の一部を博物館として公開したことに始まる。建物も含めてキューバの歴史に関する展示ともにバカルディ家のコレクションなど豊富な資料があり、とても見応えがある。

プラサホテルの裏手すぐ。付近にある他のコロニアル調の建物とは全く違った意匠で目立つのですぐに分かる。

ハバナの旧市街には旧バカルディ本社ビルが残っている。1930年キューバで初めて建てられたアール・デコ調のビルで、当時ハバナで一番高い建物でもあった。正面中央の塔のてっぺんにはバカルディ社のシンボルであるコウモリの装飾が施されている。現在は国内外企業の事務所が多く入るオフィスビル。建物としてもとても魅力的なので、旧市街散策中に是非チラッと見て「バカルディはキューバの会社だったんだなあ」と思い出してもらいたい。そしてそのあとはハバナクラブを使ったカクテルをどうぞ!

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