2016年11月25日22:29 キューバが生んだ革命家、フィデル・カストロがこの世を去った。

26日の朝、ハバナでこのニュースを聞いたとき、キューバ人でもない私がとてつもない大きなショックを受けた。
キューバに限らず世界的歴史に残る偉人が死んだこの日から、キューバで起きていることを皆さんにも共有したい。

死亡が伝えられた翌日、街の様子はパッと見たところいつもと変わらなかった。
路上には相変わらず上半身裸で歩くおじさんがいたり、大声で叫んでいるおばさんたちがいる。
いつも町中で新聞を売っているおじさんたちの数は多くなった。
このニュースについての新聞を$1.00CUCで観光客向けに販売している。

町中ではいつもより国旗が多く掲げられている。
お店や博物館等の営業時間が変更された。ずっと閉鎖しているところもある。
町中から音楽が消えた。いつもだと音楽が至るところで流れている旧市街だが、いまは路上ミュージシャンさえいない。12月4日までの9日間は服喪期間とされたため、いつも人の話し声や音楽が混ざり合って騒がしい旧市街はこの期間だけ少し静かだ。

テレビではフィデルを偲ぶ追悼番組を流し続けている。

革命広場に集まる人々

革命広場に集まる人々

フィデル・カストロは自らの生前の希望で火葬にされた。
12月29日まではハバナで追悼。
皆、最後のお別れをしに革命広場に集まりすごい列になっていた。
12月29日、追悼集会が行われた日、革命広場に私も向かった。
若い学生からおじいちゃんおばあちゃん、そして外国人達はカメラを持ってこの瞬間を収めようと集まっていた。内務省のチェ・ゲバラと情報局のカミロ・シエンフエゴスの肖像の横にフィデルの写真が大きく掛けられていた。

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何カ国もの大統領や国家元首がここに集まりスピーチを行った。
その中でもキューバ住民はボリビアのエボ・モラレスやベネズエラのニコラス・マドゥロのスピーチに声援を送っていた。

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フィデルの遺体は30日にホセ・マルティが眠っているサンティアゴ・デ・クーバへ移された。町中を通っていくフィデル・カストロを住民たちはみんな泣きながら見送った。

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キューバ人はフィデルがいなくなったことに対して、どのような感覚なのだろう。
彼らにとってはフィデルは、自分たちを守ってくれ、時には厳しく規制したり、いわば保護者のような存在だったはずだ。
過去638回も暗殺計画を立てられ、生きるべくして生き抜けてきた彼が、ついに他界した。

アメリカの報道番組を見ると、キューバ国内にいるキューバ人とは正反対に、フィデル・カストロの死を喜ぶ亡命キューバ人達やお祭り状態のマイアミの様子が流れた。なんともまぁ哀れな光景だろう。

これからのキューバがどうなって行くのか、弟であるラウル・カストロがどうトランプと渡り合っていくのか、ずっと見守っていきたい。